音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ ピアティゴルスキーとラヴェルのピアノ三重奏曲について ■

2009-02-03 15:08:43 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ ピアティゴルスキーとラヴェルのピアノ三重奏曲について ■
           09.2. 3   中村洋子


★モーリス・ラヴェル(1875~1937)が作曲した、

「ピアノトリオ」(1915年)の演奏は、

アルトゥール・ルービンシュタインと、ヤッシャ・ハイフェッツ、

グレゴール・ピアティゴルスキーの3人よる、

1950年録音のCDで、愛聴しております。

CD番号:BMG 09026-63025-2


★このCDに出会うまでは、「ピアノトリオ」を聴くたびに、

「楽譜を読むと、大変な傑作なのに、どうして、

こんなにつまらない曲に、聴こえるのかしら?」と、

いつも、疑問に思っておりました。

ラヴェルを「フランスの印象派」ととらえ、線の細い、

ひ弱で、神経質な演奏に数多く出会いました。

音楽の喜びがほとんど、感じられないのです。

以前、このブログでも書きましたが、

ラヴェルは決して、冷たく、そっけない、

皮肉っぽい曲を、書いたわけではありません。

このCDを聴いて、ようやく、胸がスッとしました。


★昨年夏、私のピアノ三重奏を、ベッチャー先生、

ヴァイオリンのガブリロフ先生、ピアノ・ボーグナー先生に

弾いて頂いたとき、ヴァイオリンとチェロが、

同じメロディーを、2オクターブ離れて、

同時に、演奏する所がありました。

とても、美しく響き、私とベッチャー先生の二人とも、

思わず、「 Maurice Ravel Piano Trio !!! 」と、

口に出し、目を見合わせたものでした。


★ラヴェルの、このピアノトリオの特徴は、

旋律を、心から歌わせるところにあります。

その歌わせ方に、彼の作曲技法が、

尽くされているのです。

力の足りない演奏家ですと、作曲技法、

あるいは、演奏技法に足をとられ、心の底から、

歌い上げるところまで、なかなか到達しません。


★このCDの演奏は、3人のマエストロが、

(人間関係としては、いろいろとあったようですが)、

彼らの音楽の、最も素晴らしい部分を、全開しています。

特に、ピアティゴルスキーのチェロは、一度聴いたら、

忘れられない、素晴らしさです。

チャイコフスキー作曲のピアノトリオOp.50も、併せて、

収録されていますが、彼の故国ロシアの作品でもあり、

おそらく、これ以上の演奏は、望めないでしょう。


★不思議なことに、「ピアティゴルスキー」の名前を、

検索し、その結果として、私のこのブログに到達される方が、

ほぼ、毎日いらっしゃいます。

ピアティゴルスキーが、商業的に宣伝されるわけでもなく、

“過去のチェリスト”であるはずなのに、なぜ、これほど、

彼の音楽が、人々に求められているのでしょうか。

彼の演奏を録音したものが、とても少なく、

音楽を真に愛する人が、彼を、彼の音楽を渇望して、

探し求めている、としか考えられません。


★商業主義によって、いくら“天才”という虚像が

作り上げられても、メッキは剥げるものです。

その“天才”を煽る宣伝に釣られ、

“スターチェリスト”といわれる演奏家の

コンサートに、かつて、出掛けたことがあります。

演奏曲目として、チェリストにとっては宝物のような作品が、

並んでいましたが、

その“天才”は、なんと、暗譜すらしていませんでした。


★譜面台を、自分の右側と左側に、二つも置き、

それを“盗み見”しながら(当然、姿勢も乱れます)、

弾いていました。

これは、演奏家の真の評価、音楽会と宣伝との関係などを

考えるうえで、とても、貴重な経験でした。

このような“スター”や、“スター”になりたい予備軍の演奏に、

さらに、その宣伝に、辟易されている、

本当に音楽を愛する方が、

ピアティゴルスキーを、求められているのでしょう。


★いま、読んでいますピアティゴルスキーの自伝では、

彼は、ベルリンフィルの首席チェリストに在籍中、

自分のチェロパートを、完全に暗譜しているだけでなく、

自分以外のパートも覚え、あるいは覚えるように

努力していた、と書いています。


★長らく、絶版になっていました

ピアティゴルスキー著「チェロとわたし」(白水社)が、

この1月に、重版されました。

大変に興味ある本で、また、折にふれ、面白いところを

ご紹介しますが、彼が西側に亡命する前、モスクワで、

ラヴェルのピアノ三重奏曲を、ロシア初演した

チェリストでも、ありました。


★ラヴェルがこの曲を作った後、あまり、

間をおかずに、初演したことになります。

亡命後の1923年秋、ベルリンで、シェーンベルクの、

あの「ピエロリュネール」の、初演に参加しています。

予定されていたチェリストの、代役でしたが、

ピアノのアルトゥール・シュナーベルをはじめ、

ベルリンフィルの名人たちとともに、3週間かけて、

20回の練習を全員、無報酬でしたそうです。


★ピアティゴルスキーは、そのとき、お金がなく、

練習会場のシュナーベル家から出される、サンドイッチとお茶が、

その日の唯一の食事であることが、多かったそうです。

ホテルに泊まるお金もなく、

ベルリンの「動物園」(Zoologischer Garten)の

ベンチで野宿したり、近くの「ツォー」駅で、

夜を明かしたりしたそうです。


★昨年、ベッチャー先生が、私のチェロ組曲を演奏してくださった、

「ヴィルヘルム皇帝記念教会」は、まさに、この動物園や、

ツォー駅とは、目と鼻の先にある教会です。

第二次世界大戦中、1943年の空襲で、

破壊される前の、その教会の尖塔を、

ピアティゴルスキーは、どんな思いで

見上げていたことでしょう。


●グレゴール・ピアティゴルスキー:

1903年 ロシア・エカテリノスラフで生まれる。

1976年8月6日 ロサンジェルスで没。

1919年 ボリショイ劇場首席チェリスト、

1924年~28年 ベルリンフィル首席チェリスト、

1929年 アメリカデビュー、

1946年 ルービンシュタイン、ハイフェッツとトリオを組む。


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1 コメント

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Unknown (うばゆり)
2009-02-07 07:34:40
「チェロと私」復刻、嬉しいです。
早速購入し、読みふけっています。
復刻リクエストに投稿したのは何年前
でしたか、「ムリかなぁ?」と思いつつ
待っていた甲斐がありました。
北海道では道立図書館にしか蔵書されていない
らしかったので、いつ廃棄処分されるかと
ヒヤヒヤしていました。
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