僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

高倉健と菅原文太

2014年12月02日 | 映画の話やTVの話など

高倉健さんに続いて、今度は菅原文太さんの訃報だ。驚いた。
11月28日に亡くなられたそうである。健さんは11月10日だった。
このお2人が同じ月に亡くなられるとは、偶然なのか、必然なのか。


健さんの仁侠映画というのは、最初からずっと、悪い奴らにしたい放題にされ、健さんはぐっとこらえ、耐え忍ぶ…そういうパターンだった。とにかく健さんは耐えに耐え、我慢に我慢を重ね、最後の最後についに堪忍袋の緒が切れて、相手に殴りこみをかけてやっつけるのだ。「死んでもらいます」などと言いながら。「いよっ、待ってました、健さん!」と声のかかる場面である。健さんのうしろから悪者がこっそり斬りかかろうとするシーンでは、観客席から「健さん、危ない!」と悲鳴が上がったというのも、有名な話である。


しかし、僕は一連の健さんの任侠映画を見ていて、あまりに耐え忍ぶ時間が長く、見ていて辛くなることがよくあった。「やられたらやり返す。10倍返しだぁ」という「半沢直樹」ではないが、もう少し早い目に健さんに「10倍返し」をしてもらって、早い段階でスカッとしたい…という正直な気持ちもあった。「最後までひたすら耐えるところがいいねん」という友達ももちろんいたが、僕は「ちょっと耐えすぎやろ」と、いささかの不満があった。


その点から言えば「仁義なき戦い」の菅原文太はすぐに「倍返し」をした。ほとんど我慢はしない。やられたらすぐやり返す。あの精悍な風貌と、吠えるような物言いが相手を縮こまらせる。これがカッコいい。スカッとする。広島弁がまたいい。味方が相手にやられると、「わしが、あいつをとっちゃるけんな」(とっちゃる → 命を奪う)などと凄むシーンにはワクワクした。そうだ。いけいけぇ~。やっちゃれ~。…おっと、映画を思い出してついコーフンしてしまった。


「仁義なき戦い」は全部で5作あった。5作目は北大路欣也が主演で(文太アニキは刑務所暮らしで、少ししか出てこない)、これは映画の趣が違っていたが、1部から4部まではもちろん文太アニキが主演で、快作だった。健さんは背中に唐獅子牡丹の入れ墨だったが、文太アニキは背中に鯉の入れ墨だった。プロ野球・広島カープの「鯉」と関係あるのか…いまだに謎である。


共演していた梅宮辰夫や小林旭もよかった。松方弘樹は第1部で殺されるのだが、第2部以降からまた別の役で出てくるので、これはややこしかった(笑)


東映ヤクザ路線の映画の熱烈なファンだったトモちゃんという友人がおり、僕はいつも彼と一緒に、土曜日の午後(当時仕事は土曜は半日だった)になれば映画館へ出向いた。あるときは「仁義なき戦い」の5本立てが特別上映されたことがあり、もちろん僕はトモちゃんと共に、弁当やお酒のワンカップを持ち込んで映画館へ行った。そしてそこでこんなこともあった…


第4部だったと思うが、映画の終わりのほうで、菅原文太を逮捕するため、ものものしい数の警察官や機動隊員が建物の周りを取り囲むシーンがあった。建物から1人でゆったりと出てきて、抵抗せず両手を差し出す文太アニキ。手錠をかけられながら、彼は沢山の数の警察側の人間たちを眺め回してひとこと「税金の無駄づかいじゃのう」と言う。そのとき映画館内で大きな拍手が起きた。僕もトモちゃんもつられて拍手しかけたけれど、ちょっとためらった。
僕ら2人とも、地方公務員だったもんで…


…そんな細かいことまでも、よ~く覚えている。


この間、モミィと一緒に、テレビで「千と千尋の神隠し」を見た。モミィはこの映画が好きで、DVDも家にあるが、テレビでやっていたこともあって、改めて見た。映画の中で文太さんが「釜爺」の声の役をしていた。声だけだったけれど、あれが僕にとって文太さんの生前の見納め(聞き納め?)だった。


菅原文太さんは、仙台の人で、11年の大震災の時、俳優をやめた。
この話も、いかにも文太さんの人柄をあらわしているようである。
思い出に残る俳優さんたちが、次々と亡くなっていくのは寂しい。

 

 

 

 

コメント
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