僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

開高健 生と死

2011年02月24日 | 読書

東京オリンピックのあった1964年(昭和39年)の末から翌年始めにかけて、開高健は週刊朝日の臨時特派員としてベトナム戦争の前線へ取材に行った。 カメラマンの秋元啓一が同行した。 その臨場感あふれるルポルタージュが、世に名高い  「ヴェトナム戦記」  である。

このルポの中に、開高と秋元の2人が南ベトナム政府軍に従軍して最前線に出たとき、ジャングルの中でベトコンに包囲され、一斉砲撃を受けて絶体絶命の危機に陥る場面がある。 その描写は実にリアルで、読んでいても戦慄を覚えるほど壮絶な迫力に満ちていた。

開高たちを含む200人の政府軍の第一大隊は、ジャングルの陰にひしめく  「姿なき狙撃者」   たちの突然の銃撃で、散り散りばらばらになり、気がつくと17人になっていた。 マシン・ガンと、ライフル銃と、カービン銃の銃音が森の中に響きわたった。

「ドドドドッというすさまじい連発音にまじって、ビシッ、パチッ、チュンッ!… という単発音が響いた」
「鉄兜をおさえ、右に左に枯葉の上をころげまわった。 短い、乾いた無数の弾音が肉薄してきた。 頭上数センチをかすめられる瞬間があった」

                                   ( 「ヴェトナム戦記」 より )

生死をさまよう開高と秋元。
カメラマンの秋元は、後の手記で 「もうダメだと思った」 と書いていた。

「私たちはたがいの写真をとりあった。 シャッターを押したあと、ふたたび枯葉に体をよこたえた」 と開高は書いた。 秋元はその時のことを、 「写真をとり合ったというより、疲れ果てた開高氏を見たとき、職業意識がめざめてシャッターをきったのだった。 そして、僕もとってくれませんか、とカメラを開高氏に渡した」 と手記で述べている。

そのときの開高の写真がこれである (有名な写真ですが)。


   


スタイリストで、写されるときは、いつもレンズを意識していたという開高。
その人が、こんな抜け殻のような表情を見せるのは、よほどの状況だったのだろう。

その後2人は、離れ離れになりながら敗走し、生きて戻れたのは奇跡に近かった。

僕はこれまで何度もこのくだりを読んだ。
当然のことながら、自分自身にこんな恐怖体験はない。 
しかし、これがもし自分であればどう思い、どう行動していただろうか、と考える。
ジャングルで、敵から無数の銃撃を受け、弾丸が頭上数センチを通過する…。
チラッと想像しただけでも、心臓が凍りつく。

無我夢中で 「死にたくない、神様、助けてぇ」 と叫ぶのでしょうね。
極限の恐怖と緊張で、不整脈も出て、おしっこも漏らすのでしょうね。
しかも、そういうことにもまるで気がつかず、ただあたふたするだけ。
人一倍怖がりの僕なので、たぶん、そんなところだろうなぁと思う。

九死に一生を得る、ということは、今後の人生にどんな影響をもたらすのだろうか。

  ………………………………………………………………………………………………

なんとか危地を脱して一命をとりとめ、ホテルのベッドに転がり込んだときの喜びはどれほどのものだったろう。 

じゃいさんに教えてもらった 「NHK映像ファイル ・ あの人に会いたい ・ 開高健」 の中で、
開高はこのときの状況について、こういうふうなことを言った。

「おれは生きている、という実感が全身にあふれ、ベッドにしがみつき、ベッドをたたいた。 
 なんとも言いようのない生の充実感に浸った」

そりゃそうだ。 誰しも同様の体験をしたとすれば、やはりベッドをたたいて喜び、九死に一生を得たことを神様に感謝したことであろう。 いま生きていることに感謝し、これからはあらゆるものに感謝して生きていこう、と思うはずである。 開高も、ベッドに転がったときは、そう思ったという。 しかし、彼はこのあと、予想もしなかった言葉を放ったのである。

3時間ほどうたた寝をして、目がさめると、ベッドはもう普通のベッドであった。
生きのびたことを感謝する気が起こらない…
生きている人間は絶え間なしに意識が動く。
今日の私は昨日の私ではない、というような…。
人間というのは永遠に不満な動物ですけど。
傲慢なんでしょうか、生きている人間は。

なんとまあ、 「生きのびたことを感謝する気が起こらない…」 とは…。
生きている実感があふれ、ベッドをたたいてから、わずか3時間後のことである。

人生最大の危機を切り抜けても、1回うたた寝をしたら、その喜びは消えている。
そういうものなのか…と、僕はこれを見て、自分の人生観が変わった気がした。

今でも、その言葉は耳から離れない。

永遠に不満で傲慢。 それが人間なのでしょうか…
…とつぶやいた開高健の言葉が。 

 ……………………………………………………………………………………………

  
3年ほど前から、また開高健の本が売れ始めているそうだ。

「太るなんてまるで気にせず、どんどん食って飲む。 見ていて気持ちのいい人だった」 
と開高を知る編集者が述懐する。

「開高が描き出した昭和の熱気を知る中高年世代が、タイムトンネルをくぐるような思いで改めて彼の作品に手を伸ばしているのではないでしょうか」

何も気にせず、どんどん食って飲んだ開高健は、1989年12月9日、58歳のときに食道腫瘍に肺炎を併発して地上から消えた。 

まさに疾風怒濤の人生だった。 


  

 

 

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4 コメント

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Unknown (まさ)
2011-02-24 17:02:46
こんにちは^^

おひさしぶりです~^^

ブログ読ませて頂きました~^^

色々な人間模様がありますね。

自分も耳鳴りが鳴り始めた時は、びっくり仰天!!!三昧でした。

今日のお話を聞いて同感です。

際どい所をくぐると色々な事が見えてきますね。

それと、ようやく眠れるようになりました^^

まったく眠れなかった日々が嘘のようです。

でも、たま~に三時間くらいで体が反応して、夜中にぱっちりと目が覚める時もあります。

もう少し!です。

がんばりますっ!

敬具。
返信する
お元気そうで (まささんへ)
2011-02-25 06:43:12
まささん、お久しぶりです。
お元気そうで何よりです。

おっしゃるように、際どいところをくぐるとまた違ったものが見えるようです。
耳鳴りも、ひょっとして治ったら天に感謝し、狂喜乱舞して喜ぶでしょうけど、
1週間もしたら耳鳴りの苦痛も忘れ、感謝の気持ちも薄れ、普通に戻るのかも。

眠れるようになってよかったですね。
耳鳴りのうるさいのも、夜に眠れたらずいぶんマシになりますから。
たまに3時間で目が覚めても、ご愛嬌だと思えばいいですよね。

僕も良質の睡眠さえ得られたら大満足だと思っています。

がんってくださいね~
返信する
難しいですね-。 (アナザービートル)
2011-02-27 12:22:45
大分若い頃の開高健の超有名な写真ですね。何度も、いろんなところで見たと思います。
 私達も、ちょっとした喜びが長続きしないことがよくありますよね。だからまた次の喜びを目指して無意識のうちに頑張って生きているのでしょうか。
 ただ開高氏の場合はかなり特殊ですね。人によれば九死に一生を得た人は、その経験が自分の人生を変えたという人もいますからね。
人それぞれといえば人それぞれかも知れません。死生観は個人個人ばらばらかも知れませんね。
返信する
喉元過ぎれば… (アナザービートルさんへ)
2011-02-28 08:39:25
ふつう、九死に一生を得たような経験をすると、人生が変わりますよね。
…というより、変わると思います。経験がないからわかりませんけど。

でも、開高さんの漏らしたのは、そんな想像とはかけ離れた言葉だったので、
びっくり仰天でした。

喉元過ぎれば熱さを忘れる…ということわざがありますが、
僕もそれなりのスケールですけど、そういう経験があります。
昨日、つくづく思い知らされるような出来事があったというのに、
今日になったらもうケロッと忘れかけている…というような。
昨日の自分は今日の自分ではない、という感覚。

開高さんの言葉は、そういう感覚の延長線上にあるものなのかな~
…とも思ったりしています。
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