僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

高校受験に失敗しても ~塞翁が馬~

2020年12月20日 | 思い出すこと

今日はモミィではなく、大昔の僕の高校受験に関する話です。

僕は小学生の頃は勉強が嫌いで漫画ばかり読んでいました。当時は「貸本屋」というのがあって、そこで多くの漫画の月刊誌を借りて読むのが一番の楽しみでした。一人っ子だったし、両親は家から離れた場所で商売をしていたので日中は誰も家にいない。だから学校から帰っても、一人で漫画を読む以外にこれといった楽しみはなかったんですね。

       
  こんな漫画雑誌に夢中になっていました。

中学生になると、勉強しないと先生に叱られるのが怖かったので少しは勉強もするようになった(少し、ですよ)。そして高校受験を迎えた。まぁ大学へ行くなんてことは思いもしなかったので商業高校を受けようと、大阪市中央区にある東商業高校を受験した。でも落ちてしまった。ガッカリ。

仕方なく併願で受けて合格していた私立の近大付属高校の商業科へ行くことになった。今では近大付属高も、モミィによると偏差値は高く、結構レベルが高いそうだけど、僕らの時代はそんなことはなかった(御同輩、失礼!)。

そして初めて登校した日のこと。担任の先生が、クラスの学級委員長を決めるということで「これから5名の候補の名前を呼ぶので、みんなの挙手の数で委員長と副委員長を決めるからね」と言ったあと「〇〇クン、〇〇クン」と5人の名前を読み上げた。なんとその「候補」の中に、僕も入っていた。

僕たち5人は教壇に上がって並んだ。あとから聞くと入試の成績の良かった上位5人だったそうだ(ウソみたいな話だ)。そして5人の名前が順番に一人ずつ呼ばれ、その都度、50名以上いるクラスの生徒何人かが「お気に入り」の候補に手を挙げる。みんな今日が初対面なのに、何を基準に誰に手を挙げるのか、意味わからん。そして

終わってみたら、僕の時に手を挙げた人数が一番多かった。げぇっ!

というわけで、いきなり学級委員長になった。これは恥をかいたらあかん、と、中間テストや期末テストは全力を上げて勉強し、自慢ではありませぬが、3年間ほとんどクラスで1位の成績でした(自慢してるやん)。いや、それだけみんな勉強ができなかったということですわ。えへへ。

高校生になると漫画ではなく小説にのめりこみ、世界文学全集なんかを買って、一心不乱に読み続けたことも懐かしい思い出です。

で、近大付属高は近大の構内の奥の方にあったので、僕らは駅から通称「大学通り」と呼ばれる通りをまっすぐ歩き、突き当りが近大。その構内を通って一番奥の付属高校まで行く、ということで大学の中も通学路の一部でした。

やがて、大学生たちが大学通りやキャンパス内を歩いている華やいだ姿にあこがれ始め、特に男女の学生が仲良く歩いている光景など見ると、男子校の僕は「あぁ、ええなぁ」と羨ましく思い、いつの間にか「大学へ行きたいわ~」と思い始めたわけです。ちなみに、近大付属高から近大に進むのは、形ばかりの試験を受けるだけで簡単にいけました。(今は知りませんで)。

大学生活では自由と冒険を謳歌しました。3年生の夏に北海道往復自転車旅行に行き、その時期に今の妻と知り合い、大学卒業式の直前に結婚し、妻の勧めで松原市役所に奉職。それから38年間、定年退職まで、多少の起伏はあったものの、概ね仕事のほうも楽しく有意義に勤めることができました。

また一方で30歳前後の頃、四国、九州、中国地方の自転車旅行をしたあと、ニューヨークマラソンをはじめ、50歳を過ぎるまで各地のフルマラソンや100キロマラソンに参加し、子どもたちが手を離れた40代半ばから妻らと毎年のように海外旅行へ出掛けることもできました。

そんなことを今、楽しく思い出しながら、ここまで生きてこられたことを幸せに思っています。

それもこれも、東商業高校の受験に失敗したのが始まりでした。もし、そこに合格していれば、卒業後に商業関係の仕事についていただろうし、さまざまな冒険もできなかったのではないか、と思います。

「塞翁が馬」という言葉を思い出します。不幸だと思っていたことが幸運につながったり、幸運だと思っていたことが後に不幸につながったりする、というその格言そのままですね~

僕の場合は、高校受験に失敗したことが幸運につながったわけですもんね。人の運命ってホント、わからないものです。

でもね。
そんな話を今の受験前のモミィにしてやっても、きっとモミィは、
「意味わからへん。志望校に合格することが絶対に大事やから」
と言うに決まっていますけどね(笑)。

ちなみに、
僕が受験して落ちた東商業高校をネットで調べて見ると、6年前の2014年に閉校となり、95年の歴史に幕を閉じたと書かれていました。

僕にとっての「幻の母校」だった学校が、
今では、本当に「幻」となったんですね。

 

 

 

 

コメント (2)
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