前回に大阪弁の話をしたが、うちの母は20代半ばで僕を連れて大阪に出てくるまでずっと京都で暮らしていた。だから京都弁が染みついていた。大阪に住んでからも京都弁から大阪弁に変わっていく…ということはなかった。京都弁に誇りを持っていたのか単に順応性がなかっただけなのかわからないけど、そんなことで僕は、母の京都弁を浴びながら育ってきたので、京都弁も大阪弁と同じくらい、馴染み深い。
小学生になってからも、よく夏休みなんかに京都の母の実家へ遊びに行ったものだけれど、銭湯へ行くと、番台に座っているおばさんが、お客さんが入って来る度に、ゆったりとした口調で「お~おきに、おいでや~す」とまるで歌うような調子で言っていたのを今でもよく覚えている。おばさんがそれ以外の言葉を発するのを僕は聞いたことがなく、何か「おおきにおいでやす人形」が置かれているような感じだった(笑)。
大阪で、車内放送を全部大阪弁でやったら面白いのになぁ、と前回のブログで書きましたが、京都で百貨店での店内放送なんかを京都弁で、たとえば「迷子はんのお知らせをしますえ~」…なふうにやったら楽しいやろなぁと思います。もっとも、この例では、聞いている人の半分以上が「迷子はん」を「舞妓はん」と聞き間違いそうですけどね~。
…と相変わらずのんきな話をしていますが、今日はもうひとつ、モミィのダンスのことを。
このあいだの日曜日、市民まつりが開催され、モミィが所属するダンス教室のメンバーも、会場となった運動広場に仮設された舞台で踊りました。
幼稚園が終わる頃に近所のダンス教室に入って2年半。毎週金曜日と土曜日に練習に通いました。他にスイミングや体操教室、ヤマハ音楽教室、ECC英語教室などに通っていますが、最近は学校の宿題も増え、国語や算数の難度も上がって、勉強の時間を増やすことが必要になってきたので、ダンス教室は今月でやめることに(本人も納得)。この市民まつりが「最後の舞台」です。で、当日の朝、妻が美容院にモミィを連れて行き、ダンス向けの髪型にしてもらいました。
この日だけのヘアスタイル。
実は夏休み中に市民会館で「市民カーニバル」が予定されていたのですが、運悪く台風ために中止。それに向けて練習していたモミィたちはガッカリでした。それだけに、この市民まつりが久しぶりのダンスの舞台となりました。
中央にモミィ。
これがモミィのダンスの見納めになるのか、
また中学生ぐらいになったらやりたいと言い出すのか…?