僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

福士選手 踏ん張って銅メダル

2013年08月11日 | ランニング


昨日からモスクワで世界陸上が始まったけれど、日本時間の午後7時から9時半過ぎまでテレビの見やすい時間帯に、最初の決勝種目である女子マラソンが行われたのは運が良かった。しかも結果は福士加代子選手が銅メダルを獲得して、3時間半じっとテレビ観戦していたのがムダにならずに済んだ。テレビの前で福士選手の健闘を称えた人は多かったでしょう。


去年のロンドン五輪では、福士はマラソンではなく、1万メートルに出場したのだが、その時の様子を8月5日のブログに書いている。


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/dd831ab3baf64d91e7f889d183d9f77f


このレースには福士、新谷、吉川の3選手が出場し、3人はスタート直後から勢いよく飛び出してケニアやエチオピア勢を引き離した。しかし途中でズルズル落ちて、最後は新谷が9位、福士が10位、吉川が18位というふるわない(というか実力どおりの?)結果に終わってしまった。


そのロンドン五輪だが、福士は本当はマラソンに出たかったのだ。その年の1月に行われた五輪代表選考会のひとつ大阪国際女子マラソンに福士が出場していて、ここでマラソン日本代表の座を射止めるはずであった。その前のシカゴマラソンで2時間24分台を出していたこともあり、「今度こそ」と福士へ大きな期待が寄せられていた。が、彼女は25キロで失速してしまい優勝に絡むことはできず、結局マラソン代表には選ばれなかったのだ。そんな経過で、半年後の日本選手権1万メートルで五輪の出場権を取り、しかしその1万メートルも本番では10位に終わったことは前述のとおりである。


その2012年1月の大阪国際女子マラソンのことを書いたブログです。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/de7d03f71d7795d6f42a2b38f34a5ca4


さて、2008年1月。トラックの長距離では無類の強さを誇っていた福士が初めてマラソンに挑戦するというとき、日本中のマスコミやマラソンファンは色めきたった。「女子マラソン界に新星誕生か!」と誰もが思っていたに違いない。しかしその初マラソン→大阪国際女子マラソンは、終盤に何度も転ぶという、福士にとってさんざんなレース結果となったのだ。


自分のブログの紹介ばかりで恐縮ですが、そのレースのことを書いたのがこのブログを始めて間もない2008年2月1日の「福士 vs のん マラソン対決!」という笑っちゃうようなタイトルのブログです。ご一読いただけたら嬉しいです。 


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20080201


こういうふうに福士のレースをさかのぼって見て行くと、今年は31歳になってのマラソン挑戦で、僕はもう彼女のピークは過ぎてしまったのではないか…と思っていた。野口さんはもうあまり期待はできなかったので、レース前、僕の望みは木崎選手だけだった。その木崎さんは、よく粘って、福士に大差をつけられながらも4位入賞を果たしたが、ゴール後、メダルを獲れなかった悔しさが表情にあふれ出ていた。福士の後塵を浴びたのが、さぞ無念だったのだろう。


それにしても、相変わらずだがテレビ中継の程度の低さが昨日も随所に目立った。午後5時から番組がはじまり、例によって織田裕二のユニーク(…というか、的外れというか。まあこれが彼の魅力なんでしょうけど)なトークを中心に、間もなく女子マラソンスタート…とか、男子100メートルにボルト登場…とか、室伏登場…とか、ずっとテロップが出続けていたけれど、最初の種目は女子マラソンなのだから、まずそれがいつスタートするのか知りたいところでだった。しかしテレビ局は一切言わない。ネットで調べると、スタートは7時であった。6時ごろからは、日本の3選手の詳しい紹介を延々と流し、ようやく7時になってレースがスタートした。すると、それまであまりCMが流れなかったのに、レースが始まったとたん、CMの回数が増えたのだ。「まもなく…」とのばしている時にCMを頻繁に入れるとチャンネルを変えられる恐れがあるが、レースがはじまったらいくらCMを入れても変えられないだろうというテレビ局のセコい魂胆がミエミエだったぞ。(レースの大きなポイントだった福士が先頭集団から脱落するシーンも、CM中だったので見られなかった)。


それと、解説の増田明美と高橋尚子の2人が、よくしゃべることしゃべること。特に増田は、「お得意」の、レースに直接関係のない選手たちの個人的な情報などについて「ウンチク」を傾けるのだけれど、レースが白熱してきた時もお構いなくしゃべっている。まるで座談会のようで、レースそっちのけである。たとえばいったん遅れた木崎選手が、ジリジリと先頭グループを追い上げながらも、途中でまた後退していったときなど、普通なら「あ、木崎選手が少し遅れ始めましたね」と言うべきところだが、それには一切触れることなく、関係ない話を続けている。高橋がフォローするかと思えば、増田に負けじと同じようにレース展開を無視した一般論を説いたりしている。アナウンサーもほとんど2人の話に相槌を打ってばかり。たまに、レースに話を戻すのだが、増田・高橋コンビは座談会をやめない。こんな解説などいらない。レースの流れは刻々と変わっているのだから、アナウンサーがそれを説明するだけでいい。レースへの集中力をそらすようなヒマネタばかり並べておしゃべりを競い合う増田と高橋には、頼むから黙っていてくれ…と言いたかった。


野口みずきが30キロ付近で立ち止まって足をパンパン叩き、またゆっくり走り始めたが、また立ち止まる…という事態にも、アナウンサーや増田や高橋は、「がんばってほしいですね」とありきたりのことを力を込めて言うだけ。かなり暑そうな中で、誰の目から見ても、あんな状態でがんばるのは無謀というものだ。「心配ですね。無理しないでほしいです」と、一人ぐらい言う人がいてもよかったのでは…と思ったりもした。


まあ、そんなことで、まったく耳障りな解説陣であったが、レースの方は、福士が4位に落ちてもいつものように失速せず、逆に先頭グループから落ちてきたエチオピア選手を抜いて3位に上がったときは、「いいぞ!」と福士に拍手を送った。それでも、2008年の大阪での初マラソンのゴール付近でフラフラになり何度も倒れたシーンが思い出され、最後の最後、ゴールをするまで心配だったことは事実である。でもこの日、彼女は元気一杯にゴールを走りぬけた。


福士は走っているときはカッコいいのだが、走り終えてインタビューになると、女芸人の出来損ないのようなつまらない言葉をハイテンションで連発し、ガハハ~とわざとバカみたいに笑うので、できたらこの銅メダルのゴール後も、インタビューだけはやめてほしいなぁ、と願っていたが、でもまあ、それは無理ですよね。インタビューは絶対やりますから。そこへなんと織田裕二が放送席から降りてきて福士にインタビューする…という「恐怖の二重奏」が実現してしまったわけで…。案の定、聞くほうも聞くほうなら答えるほうも答えるほう…という、わけのわからないやりとりが交わされていましたが、まあそんなことはこの際どうでもいいでしょう。2008年の大阪での初マラソン以来、大舞台ではずっと期待を裏切り続けていた福士が、やっと本領を発揮できたことはこの上もなく嬉しいことである。


おめでとう、福士選手。でも、せっかくメダルを獲ったのだから、このあとも、メダリストとしての最低限の品格だけは維持してほしいと願うのでゴザイマス。特に日本へ「凱旋帰国」したとき、日本のメディアに対して、一人テンションをあげてギャハハ~と笑うのはねぇ…。あなたは普通にほほ笑んでいるだけで十分素敵な笑顔なんですから。どうぞ、普通に、普通にしておいてください(笑)。 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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