僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

福士 vs のん マラソン対決!

2008年02月01日 | ランニング

1月27日に行われた大阪国際女子マラソンは、レース前から、福士加代子が初マラソンに挑戦する以外には見どころの少ないレースだな~、と思っていた。それでも前日まではテレビを見るつもりだったが、当日午後に用ができて外出することになり、それからマラソンのことはすっかり忘れていた。

じゃいさんから、福士がフラフラになり、ゴールするまでに何度も倒れた、というメールをもらったので、初めて「あ、女子マラソンがあったんや」と思い出した。

福士加代子。
ご承知のようにトラックにおける日本長距離界のエースである。
今年の6月に大阪長居で行われた日本陸上選手権の女子1万メートルを、僕はスタンドで観戦していたが、あのときの福士は、驚くほどスリムになり、真っ黒に日焼けしていた。7千メートルから独走態勢に入り、その強さを目の前でまざまざと見せ付けられた。

しかし、今回のマラソン出場を決めたのは12月半ばで、練習期間はわずか1ヶ月。
最長30キロしか練習で走っていないという。
30キロ…。ほんまかいな? 信じられな~い距離である。

走り込み時期には、連日40キロ走を繰り返す女子選手も多い。
時には50キロ以上の距離走をして、距離に対する自信をつける。
それが、30キロ走までしかしていないとは…とうてい信じられない話である。
もしそれが本当なら、今回のレースで最大の注目を集めてはいるが、福士に期待をするのは無理である。おそらく行けるところまで行き、スタミナが切れたら途中棄権をするのだろう…という予想を、僕は立てていた。
「福士は完走は無理。あの性格だから、初めは集団をぶっちぎって独走するだろうけど、35キロあたりで抜かれてやる気を失い棄権する…たぶん、そうなる」
と、僕は職場の人たちに「大予言」をした。
(しかし福士はがんばって完走したので、大予言はハズれたが…)

僕みたいな市民ランナーでも、初めてのフルマラソンを走る前は、35キロ走をした。
一度でもそれだけの距離を経験しておけば、間違いなくフルマラソンは完走できる、というのが常識である。むろん、それはあくまでも、僕たちのような素人ランナーのレベルでの話である。

福士のように五輪出場を狙う選手が、30キロ走しか経験せずにレースに出るということは、これはもう、彼女がマラソンを軽く見ているとしか言いようがない。どうせ1万メートルでは北京五輪に行けるのだから、マラソンはダメでもともと…ということなのか? ひょっとして、1万メートルのために、スタミナをつける練習の一環として、このレースに出場したのではないか…と思ったほどである。

案の定、福士は飛ばすだけ飛ばしたが、30キロ過ぎてから、ヨレヨレだった。

その日の夜、そして翌朝のテレビニュースでは、日本人で1位に入った森本はそっちのけで、倒れては走り走っては倒れる福士の映像ばかりを繰り返し流していた。しかし、ラストの彼女の表情を見た限り、作り笑いも出ていたし、さほど苦しそうではなかった。監督は「脱水症状とスタミナ切れ」と説明していたが、練習不足が全てであって、脱水症状…とは思えない。走り込みが足りないから、足だけが動かなくなり、上半身や身体の内部は普通だったんではないかと思う。だからすぐに回復する。84年の真夏のロス五輪で、脱水状態になって朦朧としながらゴールしたアンデルセン選手とは、全く違う症状である。

福士といえば、4年前を思い出す。
アテネ五輪の1万メートルで、大きな期待をかけられながら全くふるわず、先頭から2周も周回遅れとなる大惨敗を喫したあの光景を…。
あのときの福士の、苦しさに歪んだ涙まじりの悲痛な表情を思うと、先日の大阪マラソンでの表情などは実にあっけらかんとしており、アテネの悲壮さからはおよそ程遠いものだった。彼女は、やはりトラックの長距離レースに命を賭けている選手なのだ。

ちなみに、かつて僕が見た女子マラソンの中で最もショッキングだったのは、2003年11月16日の東京女子マラソンの高橋尚子であった。それまで独走状態を続けていた高橋が、30キロを過ぎてから急に失速をして、2時間27分台の平凡な記録で外国人選手に敗れ、アテネ五輪の出場権を逃した痛恨のレースだった。あれには僕も、まさかの衝撃を受けた。原因はスタミナ切れ。専門家の分析によれば、高橋の体内のグリコーゲンが30キロで枯渇した…ということであった。あれだけ練習を重ねていた実力者の高橋にしても、そういう現象が起こるのだ。わずか1ヶ月の練習期間で30キロしか走行距離を経験しなかった福士が、そんな簡単に優勝するようなことでは、元からのマラソン選手は、面目丸つぶれである。

…と、さんざん福士の批判ばかりしているけれど、僕の「大予言」に反して、転んでも転んでも、棄権をせず、ゴールインした姿は立派だった。
あの気力は、さすがといわなければならない。

福士のタイムは2時間40分54秒で、順位は19位だった。

後半、あれだけガタガタだったわりには、そんなに悪い結果ではない。

  ……………………………………………………………………………

ところで…。
話は僕自身のことに関連しますが…

翌日の産経新聞によると、この大阪女子マラソンの完走者は344人でした。
最下位でゴールした選手のタイムは、3時間35分38秒。

ちなみに、僕のフルマラソンの自己最高記録は…
昭和62年3月8日、長居の周回コースで出した、3時間27分54秒です。
38歳のときだったなぁ。(あ~、もう20年以上前の話になるのだ)

この記録を今回の女子マラソンの順位に当てはめてみると…
完走者344人中、339位ということになります。
つまり…ですね、うしろから6番目ってことになります。
僕の「自己最高記録」といっても、所詮こんなものなのです。
福士加代子がゴールしてからも、まだ47分も遅れてゴールするわけだから。

夢の中での福士とのんとのマラソン対決は…
タイムは福士が2時間40分で、僕が3時間27分だし、
順位も福士が19位で、僕が339位だし…。

夢の中のマラソン対決は、やっぱり夢でしたね~。

あんまり福士のことを批判していたら、
「てめえ、文句あるなら2時間40分で走ってみろってんだ!」
と、ご本人から怒鳴られそうである。
そんな記録は、いくら若かりし頃でも、僕には絶対に出せない記録だ。

どうも、失礼しました。

北京では1万メートルで入賞をめざし、がんばってくださ~い。

ついでに…
この結果によって、3月9日の名古屋女子マラソンに出場予定の高橋尚子に、残り一枠の五輪出場権獲得の大きなチャンスが訪れた。

北京への最後の切符をめざし、尚子さんもがんばってくださ~い。



        おまけ


      
    ヨレヨレになってゴールした福士の記録は それでも 2時間40分。

 

       
   これだけ元気そうにゴールしても 僕の記録は 3時間27分。とほほ。 


   * 写真はいずれも大阪長居の競技場です。
     ただし、僕のほうはサブトラック。
     時代もだいぶ違います。 
     ゼッケンをよ~く見れば、
     福士は101番。僕は202番。
     これも何かの縁でしょうか…?
 
     …なんて言っても、福士選手から、
    「そんなの、関係ねぇ!」と言われそうだけど。 
     
         
   

 

 

 

 

コメント (2)
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