僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

悶え苦しむ「いろはカルタ」

2013年01月04日 | 日常のいろいろなこと

お正月のある日、モミィが妻に買ってもらったいろはカルタを出してきて「ねぇ、カルタ取りしようよ」と妻の前にパラパラとカルタを広げて座り込んだ。妻も特に用がなければモミィの相手をする。僕はそばで眺めている。
…とまあ、そういう場面でのお話である。

カルタを読み上げるのは妻の役だ。しかし、小学1年生には平仮名は読めても、ことわざの意味を理解するのはむずかしい。

たとえば、妻が「割れ鍋にとじ蓋」と読み上げると、モミィは「え~っと、え~っと」と「わ」を探す。妻かモミィか、どちらがその札を取っても、モミィはことわざの意味も気になるわけで、そこで、「われなべにとじぶた…ってどういう意味?」と質問をする。すると妻は必ず「のんちゃんに聞けば…?」と僕に振るのだ。

「それはね…うぅっ」と僕は言葉に詰まる。本来の意味は、ひび割れた鍋にもそれ相当の蓋があるように、どんな人にもそれ相当の妻(あるいは夫)があるもんだ…という「それなり夫婦」のことを言うものだけれど、まさかそんなことをモミィに説明するわけにはいかない。「そうしたら、のんちゃんは割れた鍋か?」なんて言われかねない。仕方なく、「まあ、また大きくなったらわかるわ」と、ゴマかして次に進むのである。

「犬も歩けば棒に当たる」と聞けば、「なんで犬が歩いたら棒に当たるのん?…猫が歩いても棒に当たらんの?」と言うので、僕はあはは~と思わず笑ってしまったが、そのあと少し考えて「何かをしたら、こわいこともあるけど、やってみたら良いこともある、という意味や」と説明したけれど、モミィはわかったようなわからないような…。ま、僕自身も、わかったようなわからないような…

「目の上のたんこぶ」と聞けば「なんで目の上にたんこぶができるん?」と首をかしげるので、「自分が何かをするのに、邪魔になる人がおったら、その人のことを『目の上のたんこぶ』言うねん」と説明するのだが、まだそういう知識を植え付けるのは早いのかなぁ…と少し反省した。

「総領の甚六」と聞けば、「なんのジンロクやて…?」と聞き直す。「そうりょうのじんろくや」と言うと「どんな意味?」とまた聞く。総領とは長男・長女のことで、この人たちは大事に育てられたので弟や妹よりお人好しで愚かだ、というような意味であるが、まさかそんなことを7歳児に言うわけには行かない。そんなことを言うと「じゃぁ(兄である)パパはダメな子で、(弟である)〇〇叔父さんはかしこい子ということ…?」と言うに決まっている。

「憎まれっ子世にはばかる」では「はばかるって何…?」との質問。
「えぇっと、憎まれたり嫌われたりする人が、まあ、世の中で、のさばるって言うか幅をきかすって言うか…」と言うと、「はばをきかすって…?」との再質問。これもなぁ…。ぱみゅぱみゅ~っとはぐらかして、ゴマかす。

「芋の煮えたもご存じない」では「なんでご存知ないのん…?」との質問。
「まぁ、その、芋だけと違って、何も知らん…みたいな意味や」

「知らぬが仏」では「仏さんは何も知らんの…?」との質問。
「違うねん。知らんかったほうが気持ちが楽…ということや」

そして「背に腹はかえられぬ」では「意味、ゼンゼンわからん~」と言われ…

ふ~む、なんとかモミィのわかる範囲で…と懸命にやさしく説明しようとするのであるが、どうも言葉が浮かんでこない。「つまり、背中とお腹と入れ替えができないやろ…。ま、そういうことや」な~んて、まったくもう、自分でも何を言っているのだか。

「もう、のんちゃんったら~。ますます、わからんわぁ」とモミィ。

いろはカルタでモミィからこんなに質問攻めに合うとは…

だれか代わって~

 

 

 

 

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