僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

やっぱりアルコール依存症 ?

2011年06月04日 | 心と体と健康と

被災地を歩いたあと、仙台で、モーローとなるほど酒を飲んだ。
翌朝も、ホテルの近くにあるコンビニへ行き、缶チューハイを買った。
昼もビールを飲んだ。 断片的な記憶しか残っていないけれど…。

午後から仙台市若林地区を歩いた。
しかし、僕はもう正気を失っていた。
そこまでバスに乗って行ったのか歩いて行ったのか、よく覚えていない。

それでも、大阪へ帰ってから自分が撮ったデジカメ写真を見て、
かなり輪郭のある記憶がよみがえってきたのは、せめてもの幸いだった。

まず、写真には、バス中の光景が写っていた。
そういえば … バスに乗ったんだなぁ、と思い出した。

次に、若林区の 「霞目」 という住居表示が写っていた。



  



このあたりでバスを降りて、歩いたのだろう。

この地域は、被災していないようで、町並みは落ち着いていた。

水田が美しく広がっているのを見て、思わず嗚咽を漏らしたのを思い出した。



 

 

しばらく歩いたあと、広い賑やかな道路に出た。
ここははっきり記憶しているのだけれど、道路脇にバス停があった。
バス待ちをしておられた女性に 「仙台駅に行きますか?」 と尋ねたら、
「もちろんですよ~」 というふうに、笑顔で頷いてくださった。

そのあと僕は、午後7時半に仙台駅前を発車した夜行バスに乗り、
12時間半後の翌朝8時、大阪阿部野橋に到着したのだが、記憶はほとんどない。

最後に記憶しているのは、仙台駅に着いてコンビニへ行き、
缶チューハイと弁当を買って、飲みながらバスを待ったところまで、だった。
次に気がついた時は、もう自宅のベッドの上にいた。

(途中、バスの中でトイレに行ったのだけは、覚えてる)

酔う、というのは、何とも不思議なものである。

記憶が飛ぶほど飲んでいるのに、間違わずにバスに乗って一夜を過ごし、
翌朝、阿部野橋から電車に乗って、ちゃんと自宅へ帰っているのだ。

その場その場では、それなりに、行動しているようなのである。

…そんなことで、家に帰ったのが、5月22日の日曜日の朝だった。
しかし、それもロクに覚えておらず、とにかく、そのまま寝たみたいだ。

長い酔いと眠りとから覚め、いま何時…? と枕元の時計を見ると、
もう、その日の夕方になっていた。 

そこで、友だちに、「いま帰りました」 とメールを打ったけれど、
よ~く考えてみれば、朝に帰宅しているのである。 
ふぅ~、とため息が出た。

 ………………………………………………………………………………

最近ますますエスカレートする僕の飲酒ぶりに、妻が心配した。
モミィもいるので、身体をもう少し大事にしてほしい…
と、しみじみ言われた。 まあ、そのとおりだと思う。

アルコール依存症。

たぶん、僕はこれなんだ。

酒を飲み始めるとブレーキがきかなくなる、というのは、
意志が弱いとかという問題を通り越して、すでに病気なんだそうである。

病気だとすれば、治療が必要である。

僕は覚悟を決めた。 その治療を受けよう。

ネットで調べたアルコール依存症専門のクリニックへ電話した。

電話口に、ケアマネージャーの女性が出た。
僕はその人に、自分の飲酒状態を、詳しく話した。

「毎日通うということになるかも知れませんが、それでもいいですか?」
そう言われたので、かまいません、と答えた。
それで飲酒癖が治るなら、毎日だって通う。

「では、予約は2週間先になりますが、6月×日  ということで」
う~ん。 かなり先だな、と思いながらも、仕方がない。
「はい。 結構です。 よろしくお願いします」

そう言って、受話器を置いた。


その6月×日が、だんだん近づいてきた。

 

 

 

 

コメント (5)
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