被災地を歩いたあと、仙台で、モーローとなるほど酒を飲んだ。
翌朝も、ホテルの近くにあるコンビニへ行き、缶チューハイを買った。
昼もビールを飲んだ。 断片的な記憶しか残っていないけれど…。
午後から仙台市若林地区を歩いた。
しかし、僕はもう正気を失っていた。
そこまでバスに乗って行ったのか歩いて行ったのか、よく覚えていない。
それでも、大阪へ帰ってから自分が撮ったデジカメ写真を見て、
かなり輪郭のある記憶がよみがえってきたのは、せめてもの幸いだった。
まず、写真には、バス中の光景が写っていた。
そういえば … バスに乗ったんだなぁ、と思い出した。
次に、若林区の 「霞目」 という住居表示が写っていた。
このあたりでバスを降りて、歩いたのだろう。
この地域は、被災していないようで、町並みは落ち着いていた。
水田が美しく広がっているのを見て、思わず嗚咽を漏らしたのを思い出した。
しばらく歩いたあと、広い賑やかな道路に出た。
ここははっきり記憶しているのだけれど、道路脇にバス停があった。
バス待ちをしておられた女性に 「仙台駅に行きますか?」 と尋ねたら、
「もちろんですよ~」 というふうに、笑顔で頷いてくださった。
そのあと僕は、午後7時半に仙台駅前を発車した夜行バスに乗り、
12時間半後の翌朝8時、大阪阿部野橋に到着したのだが、記憶はほとんどない。
最後に記憶しているのは、仙台駅に着いてコンビニへ行き、
缶チューハイと弁当を買って、飲みながらバスを待ったところまで、だった。
次に気がついた時は、もう自宅のベッドの上にいた。
(途中、バスの中でトイレに行ったのだけは、覚えてる)
酔う、というのは、何とも不思議なものである。
記憶が飛ぶほど飲んでいるのに、間違わずにバスに乗って一夜を過ごし、
翌朝、阿部野橋から電車に乗って、ちゃんと自宅へ帰っているのだ。
その場その場では、それなりに、行動しているようなのである。
…そんなことで、家に帰ったのが、5月22日の日曜日の朝だった。
しかし、それもロクに覚えておらず、とにかく、そのまま寝たみたいだ。
長い酔いと眠りとから覚め、いま何時…? と枕元の時計を見ると、
もう、その日の夕方になっていた。
そこで、友だちに、「いま帰りました」 とメールを打ったけれど、
よ~く考えてみれば、朝に帰宅しているのである。
ふぅ~、とため息が出た。
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最近ますますエスカレートする僕の飲酒ぶりに、妻が心配した。
モミィもいるので、身体をもう少し大事にしてほしい…
と、しみじみ言われた。 まあ、そのとおりだと思う。
アルコール依存症。
たぶん、僕はこれなんだ。
酒を飲み始めるとブレーキがきかなくなる、というのは、
意志が弱いとかという問題を通り越して、すでに病気なんだそうである。
病気だとすれば、治療が必要である。
僕は覚悟を決めた。 その治療を受けよう。
ネットで調べたアルコール依存症専門のクリニックへ電話した。
電話口に、ケアマネージャーの女性が出た。
僕はその人に、自分の飲酒状態を、詳しく話した。
「毎日通うということになるかも知れませんが、それでもいいですか?」
そう言われたので、かまいません、と答えた。
それで飲酒癖が治るなら、毎日だって通う。
「では、予約は2週間先になりますが、6月×日 ということで」
う~ん。 かなり先だな、と思いながらも、仕方がない。
「はい。 結構です。 よろしくお願いします」
そう言って、受話器を置いた。
その6月×日が、だんだん近づいてきた。
なあんてオチだったらどうしようと
どきどきしながら読みました。
のんさんの帰巣本能はすごいですね。
どんな治療になるのか?
はたして治療が必要なのか?
いつも興味津々で読ませてもらってます。
(あのdoironブログのギャグには大笑いしました)
相変わらずブログの毎日更新が続いていますね。
仕事、家事、介護、スポーツ、ブログ毎日更新…と、
doiron さんの巧みな時間管理と旺盛な実践力には脱毛です(もうええか…)。
doiron さんがいみじくも指摘されたように、僕はこの約10日間、
「はたして治療が必要なのか?」 という点に絞ってじっくり考えました。
その結論は、これからブログに書こうと思います。
またいつか「飲む」機会があれば、誘ってください。
ウーロン茶で酔ってはしゃぐ姿をお見せしましょう。
これぞ「のんアルコール」の真骨頂ですね。 なはは。
先ほど、この続きをアップしました。
アナザービートルさんがおっしゃっていることを、僕も考えていました。
薬には気をつけなければ…