女子5,000m、15分9秒の自己最高記録でゴール。
昨日の陸上日本選手権の最終日。
女子5,000mが終わった瞬間、僕はテレビの前で「やったぁ~」と大きな声をあげ、
拍手を送っていた。 仙台育英高校出身で、21歳の絹川愛さんが優勝したのだ。
インタビューで涙ぐみながら話す絹川さんのアップの顔を見ながら、
「あぁ、よかったな~」 という思いだった。
絹川さんには、特別の思いがある。
4年前の2007年6月。
大阪長居の陸上競技場で行われた陸上日本選手権が忘れられない。
僕は連日、1時間ほどかけて自転車で競技場まで行き、スタンドで観戦した。
この大会は、8月に長居競技場で行われる世界陸上選手権大会の選考会も兼ねており、
男子200mの末續、ハンマー投げの室伏、棒高跳の澤野、走り高跳びの醍醐、
そして女子走り幅跳びの池田久美子、1万mの福士加代子ら、
日本の一流アスリートたちが出場していた。
中でも僕の一番の楽しみは女子1万mだった。
大会何日目だったか忘れたが、夕闇が迫る午後6時半に女子1万mがスタートした。
福士加代子は、真っ黒に日焼けして、精悍さを増していた。
集団の真ん中あたりを走る福士に向かって、僕の横にいたヒゲ面のおじさんが、
「福士っ~、もっと前に出ろ!」と叫んでいる。(どういう関係の人なんや…?)。
先頭を切るのは2人。渋井陽子と、もう一人、同じ三井住友海上の選手だった。
「福士!」
「渋井!」
…など、選手がメインスタンドにさしかかるたびに、力のこもった声援が飛ぶ。
そんな中で、ひときわ目立ったのが、
「キヌカワさ~ん。ファイト!」 という、黄色い声援であった。
最前列に高校らしい制服を着た女の子が数人。僕の席の後ろにも女の子が数人。
「キヌカワさ~ん。ファイト!」
透き通るような可愛い声が、まわりに爽やかに響いた。
「キヌカワさんって、だれ…?」
手元の選手名簿を見ると、絹川愛(めぐみ)という選手だった。
所属は、「仙台育英高校」となっていた。 おぉ、仙台か~!
さきほどから声援を送っている子たちは、同じ高校の生徒たちなのだろう。
レースは残り7周のところ、メインスタンド前で福士が仕掛けた。
先行する渋井を抜き、先頭に出てぐいぐい差を広げていった。
「よ~し、よし、出よったぞ、出よったぞぉ」
と、ひげ面のおっちゃんが嬉しそうに連れの人に話しかけている。
福士が独走態勢に入ったあと、2番手争いは渋井と絹川だった。
「キヌカワさ~ん。ファイト!」の声援も、悲鳴に近くなる。
福士が1位でゴール!
渋井が絹川をふり切って2着でゴール。
そして、絹川がふらふらになってゴールインした。
最後の一滴まで全力を出し切ったのだろう。
絹川は、ゴール後、トラックで大の字になってノビてしまった。
しばらくして立ち上がった絹川は、また倒れて、係員に運ばれた。
翌日の新聞によると、そのあと過呼吸症状で救急車で病院へ搬送されたそうだ。
この日から、絹川選手のファンになった。
少し肩のとんがった体型で、全身を使って走るフォームが印象的だった。
ゴール後、大の字になって伸びる絹川選手。
そのあと立ち上がったが (写真右端) …
写真はいずれも、2007年6月にスタンドから撮影したもの。
このレースで3位に入った絹川選手は、大阪の世界陸上への出場権を獲得した。
8月の大阪世界陸上の期間中に、僕は心房細動のカテーテル手術のため、
約1週間、K大学付属病院に入院して、世界陸上も病床のテレビで観戦した。
その世界選手権での絹川愛は、集団の中に埋もれたまま終わった。
期待された福士加代子も、10位と振るわなかった。
翌2008年は北京五輪の年だった。一段と成長した絹川さんを見たかった。
しかし彼女は、足の疲労骨折を始めとする体調不良に見舞われ、
北京五輪代表選考会となったその年6月の陸上日本選手権大会は欠場した。
「絹川、謎のウイルスによる感染症」などという怪しげな報道まで流れた。
それから3年間、絹川さんの名前は、ほとんど聞くことがなかった。
故障に苦しんでいた間、さぞ、失意の日々だったろうと思う。
仙台育英といえば、同校出身で北京五輪男子マラソン金メダルのワンジルさんが、
先日、急死したことも、絹川さんにとってショックだったに違いない。
「地獄を見ましたが、また地上に這い上がってきました」
レース後、彼女はそう語ったという。
いろんなことを考えると、昨日の鮮やかな復活劇は奇跡だったかも知れない。
絹川さんは、このレースで世界陸上A標準記録を突破し、
8月に開催される韓国での世界陸上に出場することになった。
あと2ヶ月。
怪我や体調に十分気をつけて、無事に晴れ舞台のスタートに立ってほしい。
キヌカワさ~ん。 ファイト!