12月9日。
元勤務先のOB職員の集まりに参加して、紀伊半島南部の熊野古道を歩いた。
このOB職員の 「歩き好き人間」 の集まりは、「どこでも行こ会」 という名称だ。
快晴の中、初冬のキリリとした空気を存分に味わえて、嬉しかった。
さて、熊野古道は、世界文化遺産に登録されて、一躍有名になった。
そして、まあ、当然のことだろうけど、そこを歩く人が増えた。
もちろん、長いコースだから、一般人は、1回では歩き通せない。
何回にも分けて、歩き継いで行く。
「どこでも行こ会」 はバスをチャーターする。
熊野古道の、ある地点までバスに揺られて行く。
そこから、みんなバスを降りて、歩く。 人数は30人~40人だ。
そして、13~15キロを歩いて、その日はバスでまた大阪へ帰って来る。
数ヶ月後、またバスで前回のゴール地点まで行き、そこから歩き始める。
少しずつ歩を進めて、熊野古道のフルコースを踏破しようというのである。
「どこでも行こ会」 は、これを、もう何年も前から続けてきた。
熊野古道の終点へ辿り着くのは、もう間もなくで、あと3回か4回くらいだという。
実は、僕がこの催しに参加をさせてもらったのは、この日が初めてだった。
この日は、和歌山県白浜の近くでバスを降り、川沿いの道や山中を、約13キロ、歩いた。
富田川、という川添いを歩く道が多かったが、その美しい川の橋を何度も渡る。
この日の熊野古道コースは、川の左岸と右岸を行ったり来たり、という感じなのだ。
橋が架かっていなかった昔は、旅人は何度も川で身を清めながら歩いたそうだ。
熊野古道が川渡りを繰り返すのは、そういう深い意味があったんだねぇ。
水森かおりが 「熊野古道」 という歌の中で、
♪ 涙の川を何度か渡り
女は強くなると言う
つまづきながらも また一歩
熊野古道 峠越え
歩き通したその時が
きっと私のひとり立ち
と歌っているが、…これは、こういう背景に基づいた歌詞なんですね~。
実際に熊野古道を(ほんの一部だけれど)歩くと、この詞の巧みさがわかる。
そして僕らは、つまづきながらもまた一歩、熊野古道の峠を越え…歩いた。
で、その道すがらのこと。
道の脇に、いくつも、薬師如来がまつられてあった。
その中に、耳の病気に効く薬師如来があった。
「おぉっ。 耳の病気といえば、耳鳴りも耳の病気のひとつじゃないか」
僕は色めきたって、そのお薬師さんの前で帽子を脱ぎ、背筋を伸ばした。
本来は、穴のあいた石を供えてお参りをするんだそうだが、
まわりを見渡しても、いきなりそういうものは見つからなかったので…。
しかたなく、代わりに穴のあいたコインである5円玉をそのお賽銭箱に入れて、
どうか、この忌まわしい耳鳴りが、少しでも収まりますように…
と、ペコリと頭を下げ、お薬師さんにお願いをした。
ついつい、お願いは長くなったようだ。
気がついたら、みんな先に行ってしまって、周囲には誰もいなくなっていた。
あわてて、走って集団を追いかけながら、ふと、思った。
5円玉1枚で耳鳴りを治してくれ…とは、ちょっとセコかったのではないか…?
同じ穴の開いたコインなら、せめて50円玉でも入れたらよかったのか…と。
まあ、お金の問題でもないのでしょうけど。
お薬師さんの説明が書かれている立て札。
耳鳴りが 「耳の病気」 かどうか、ビミョーなところですが。