僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ノーベル賞と言えば…

2008年10月10日 | ニュース・時事

ブログの模様替えをしたばかりですが、新しいテンプレートはなんとなくしっくり来ないので、この形に変えました。やっぱりシンプルなのが合ってます。

さて…
日本人が一度に4人もノーベル賞を受賞したというのは、何か「ノーベル賞大バーゲン・ポイント10倍!」…のような不思議な気がするけれども、ともあれ久しぶりに明るい話題で賑わったわがニッポン国である。

それにしても、あのノーベル化学賞を受賞した下村さんって、北朝鮮拉致事件の曽我ひとみさんと結婚したジェンキンスさんというアメリカ人そっくりだったのに驚いた。何度見ても似ている。瓜二つである。

ノーベル賞も先端技術の開発には大いに貢献しているのだろうけど、yukariさんが言われるように、耳鳴りみたいな、身近なものの解明にも光を当てて欲しいなぁ、ほんとうに…。


ところで、ノーベル賞と言えば、僕らの世代では誰もが湯川秀樹を思い浮かべる。「理論物理学」だの「素粒子論」だのという言葉も、それとセットで覚えているのだけれど、それが何のことなのか、よくわからない。わかっているのは、日本で最初にノーベル賞を受賞した人が湯川秀樹だということだけだ。そして、受賞した年が昭和24年で、僕が生まれた年だった。それだけの縁なんだけれども、僕は若い頃から、湯川秀樹には、何となく親しみを感じていた。

湯川秀樹は4人兄弟で、いずれも著名な学者である。
長兄が小川芳樹という金属工学者で、次兄が東洋史の貝塚茂樹。この貝塚茂樹は、僕が学生時代に夢中で読んだ仏文学者の桑原武夫(…桑原和夫ではありません)と親交があり、その著書の中に名前が頻繁に出てきたので、自然に覚えてしまった。兄弟の3番目が湯川秀樹で、その下に小川環樹という中国文学者の弟がいた。2人が養子に行っているので苗字は違うが、4人とも実の兄弟である。重ねて言うが、みんな超一流の学者である。

僕は若い頃からこの4兄弟の家庭に憧れていた。
一つの家から、揃いも揃ってこれほどの秀才たちが出ることに驚いた。
いったい家庭ではどんな教育がされたのであろうか…。
4人の父親は、小川琢治という高名な地質学者であったという。
やっぱり、父親が学者だと、子供たちも学者になるのだろうなぁ…。
こういう家庭に、ぜひあやかりたいものである。
どうしたら、あやかれるだろうか…?

僕は湯川4兄弟の名前に着目した。芳樹、茂樹、秀樹、環樹…。
4人とも下に「樹」という字がついている。
「よ~し、これだ!」と思った。

自分に男の子ができたら「樹」のつく名前をつけよう、と心に決めた。
これで、僕の子供たちも、ノーベル賞を取るに違いない。むははは。

そんなことで…
最初に生まれた男の子にはズバリ「ヒデキ」という名をつけた。
湯川秀樹にあやかりたい…という思いをそのまま託した名前だ。
次に生まれた男の子には「ナオキ」と名づけた。

その次に生まれて来る子供には「ヒロキ」とか「シゲキ」とかをつけようと考えていたけれど、結局子供は2人で終わってしまった。だからうちの子は、ヒデキとナオキである。当時、西城ヒデキや本郷ナオキという人気歌手がいて、友人たちから「ヒデキやナオキはそれから取ったの?」な~んて冷やかされたものだが、むろん歌手ではなく、湯川4兄弟からヒントを得た名前である。

その子供たちも、今では30代の半ばにさしかかっている。
長男のヒデキは、モミィやソラのパパである。
次男のナオキは、住宅営業マンとして
ブログなども書いている。
ちなみに、彼のハンドルネームは「ヒロキ」である。

それなりの人生を歩んでいる2人ではあるが、しかし…
2人ともノーベル賞への道は遠い。

親の心、子知らず。
しかしまあ…親の心を知ったところで、どないもでけへんわなぁ。
相手がノーベル賞では…。

 

 

 

 

 

 

 


コメント (8)
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