めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

今日は、クリスマス

2016-12-24 17:42:24 | 日本人

今日は、クリスマスです。
都内の至る所では、煌びやかなイルミネーションが輝き
多くの男女が、昨日よりぐっと冷えた通り道で、コートから
のぞかせた手と手をしっかりと握り合って歩いています。

彼らにとって、寒さは逆に、心の情熱を滾らせ、周囲の輝きが
二人の存在をより鮮明に記憶させます。
もちろん、今でも、私達夫婦は、若者たちに負けない程熱く
肩を寄り添いながら、師走のあわただしい街中を歩くのですが、
若者達との違いは、夢と現実の差を良く知っている事です。

この時期、周囲の華やかさもあって、自分達の気持ちをより
ヒートアップさせるもので、若い頃の気持ちは、世界は二人の
為に有る、というのが普通でした。
好奇心がとても強く、様々な事に反応し、多くの知識と体験を
積み重ね、自分達の未来は、夢と希望に溢れ、成長しか
考えられませんでした。

まあ、それが若さと言う物なのでしょうが、この、何事にも
動じない、努力すれば何でも成し得るというパーフェクト
ストーリーが、常に潜在的に有って、自分達の未来は
バラ色に輝いていると思っていました。

しかしながら、多くの夢や希望は、ことごとく打ち破られ、
自分の実力の無さ、無能さを実感させられるのが社会の
現状でもありました。
いや、決して、甘い考えで挑んだのではなく、その時考えられる
一番の方法で努力したのに、結果は、惨憺たるものが多かったです。

とは言え、悪い事ばかりでは有りません。
沢山の経験をし、それなりの成果を得て、家庭を持ち、子供たちを
社会人になるまで育てました。
人生は、どう生きるべきか、人はどのように在るべきかといった
哲学も、そこそこ、自分の中に存在するようになりました。

もし、若い頃に立ちはだかった多くの難関は、今であれば、
苦せずして、解決することが出来、二度と同じ轍を踏まないと
思うのですが、現実では、轍を踏むどころか、問題に立ち向かう
以前に、トラブルを起こさなに様に立ち回ってしまいます。
一つ山を越えれば、新たなる自分が生まれる事が解っていても、
山が有れば迂回をし、新たなる道を探す方に気持ちを向けてしまう、
心の躍動を生まない選択をしがちです。

人は失敗をする事で物事を学び成長します。
新たなる目標を掲げれば、目標が大きければ大きい程、
大きな壁が立ちはだかるのは当たり前であり、
その壁に跳ね返された時のダメージは相当なものです。
しかし、若い頃は、壁が崩れるまで立ち向かう勇気と
情熱が有るのです。
それ故、その気持ちを強く感じる事が、二人の間を
より強く結びつけるのです。

歳を取ると言う事は、肉体的に老化する事では有りません。
心に躍動感が無くなり、己の心の炎が消えて行く事です。
肉体が衰えたから年を取ったのでは無く、心が萎えたことで
肉体も衰えたのです。
若い頃は、気力も体力も十分にありましたが、先立つものが
いつも心細い状態でした。
今より、ずっと苦しい生活をしていましたが、苦しいと思った事は
ただの一度もなく、食事代にも事欠き、一日何も食べずにいた時も
さしたる悲壮感も心配事も有りませんでした。

なのに、今や、ずっと贅沢で便利な生活をしているのに、
自分の心を揺さぶる情熱があの頃程沸いて来ません。
これを老化と言ってしまえば、それまでですが、
何かしようと思うと、何段階も気力を奮い立たせなければ
若い頃のレベルには達しません。

問題は、この、気力を奮い立たせる事に対する億劫さです。
努力と言うより、面倒臭さが先に立ち、出来なければ出来ないで
生活は困らないし、それ程自分にとって重要視できないのです。
実は、この事が、一番の問題であり、老化を促進し、気力を萎えさせ
体力も精神力も低下させる最大の問題です。

家の中を見渡せば、何十年に渡って集められた興味ある品物や
便利グッズが山と積まれ、欲しいもののオンパレードです。
しかし、目の前にある事から、それ程にも大切なものに、
興味が無いのです。
つまり、手に入れたり、すぐに手に入れられるものは、
自分の気持ちを萎えさせてしまうのです。
座ったらすぐ手が届くところに、若いころ手に入れた
何度も読み返した本が何冊もあり、身の回りには、
自分が数十年掛けて集めた資料が山とあります。
しかし、その資料にすら、目を通し事が殆ど無く、
毎日が、ほとんど同じ生活パターンに縛らてています。

この事が、本当の老化ではないでしょうか。
自分の一番興味のあるものに対する興味が失せる事、
これこそ、人生における一番の問題ともいえるのです。
中でも、最大の問題は、人生の伴侶に対する興味です。
お互いに空気の様な存在、と熟年夫婦は笑いますが、
これは、お互いに気遣い、トラブルがなく、上手く
言っているという例えに過ぎません。

空気と言うより、同じ屋根の下に居て、他人の様に
感じて来た時が問題です。
私たちは、物であろうと人であろうと、関心があり
お互いに関わっている時、相互の存在意味が有るのです。