めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本人が消えて行く

2016-12-17 20:51:14 | 日本人

私たち日本人は、何をもって幸せを感じたら良いのでしょう。
どんなに豊かな生活を送っていても、充実した人生を送っていても
一瞬の天災で、全てを逸してしまう、その可能性が常に付きまとうのが
現代社会です。
年々きな臭さを増す日本周辺国との諍いは、何かのはずみで、またもや
地獄の日々を体験する時代へと突入してしまうかもしれません。
日本は、今や、平和と言われる時代から、次なる争い禍の時代に
知らず知らずの内に取り込まれているのかも知れません。

戦争体験の無いほとんどの国民にとって、心の中では、戦争という
イメージを抱くことは難しく、大震災の様に突然襲ってくることは
予想だにしていません。
しかし、そんな日を考えながら生活する事は、誰にとっても嬉しい事とは
考えられず、例えその日が明日であっても、その一時前までは、
楽しい人生であることを望みたいものです。

とは言うものの、今の世の中は、本当にこころから幸せを感じている人が
非常に少なくて、経済的に満たされる事を幸せと勘違いしている場合が
かなり多いのです。
世の中の仕組みも、子供から大人まで、如何に経済的に豊かになれるか
と言う命題の下で創られていて、子供たちの教育も、社会に適応する為の
準備段階に過ぎません。

幼い頃から勉強に明け暮れる日々は、その子の人格形成と言う為ではなく、

より社会に於いて経済的に豊かな生活を勝ち得る為の手段の様です。
その為、実力を持って人を蹴落とす能力は長けても、人と共に助け合い
協力し合って物事を成し遂げる能力に疎く、様々な世代の人々の考えを
受け入れる心の広さも持ちえません。

自分の頭の中で創られた正義の下に、多くの人々を苦しめたり傷つけたり

陥れたりするか、様々な考えに付いて行けず、自虐の道を辿るるか
どちらにしても、人として面倒な人たちが増えています。
人々の幸せの尺度は、より自分の欲求を満たせる財力を身に付ける事
他人より安心安全の生活を身に付ける事に終始している様です。

しかし、思ったような地位を築いたとしても、その足元で蹴落とされた

多くの人々の怨念は強く、安全のために、自分の家庭や仕事場を
まるで刑務所の折の様に守る事が必要と成ってしまいます。
この典型がアメリカ合衆国の有り方であり、富裕層と低所得者の争いは
多くのテロや暴動を頻繁に誘発し、社会全体の治安を脅かす事と成っています。

日本であっても、アメリカと同じような経済体制と取っている事から、同じように

世の中が殺伐となって、危険性を増していると言えるのです。
世界的に安全な国と言われていますが、国民の心の中は、いつも怯えていて
加害者になる事被害者になる事を最も恐れる民族となっています。

この事は、誰もが他人に領域に入る事も、自分の領域に入られる事も

ことごとく嫌う傾向からも良く解り、身も心も、他人と接触する事を
極端に嫌う民族となりつつあります。
その為、日本人の特性である、他人の心を気遣い察する能力が衰え、
平気で人の心を踏みにじったり、心のバリアーを張って、誰をも
受け付けない自分だけの生活圏だけで生きて行こうとする人が
多くなっています。

これらの傾向は、日本人にとって、非常に危機的な状況であり、

yesとNOでしか判断できない、本当に単純でつまらない、
長い歴史で培われた大切な心を失ったエセ日本人と成ってしまいます。
もちろん、東京オリンピックの標語、お・も・て・な・し、なんて
死語と言ってもよく、人間としても三流国と言わざるを得ません。

一番の問題は、子供たちの未来です。

単に、受験知識や大人びた行動や考えを持ったとしても、各年代で
感じる、自分以外の人に対する感性が育っていなければ、頭でっかちの
知識だけの大人と成ってしまいます。
小学校から大学まで、同じものを見ても、感じ方が各年代で違い、
人と関わっても、それぞれで相手に対する対処の仕方が違います。

その時代時代で、様々な人と関わった事に依る脳の発達は、その後

どの時代に生きようと、様々な世代の人の心を感じることが出来、
誰に対しても一番適切な思いやりや察しが出来るのです。
知識はどんなに多くとも、ほんの断片に過ぎず、自分自身が体験し
学んだ情報は、幾つになっても自分自身も周囲の人も、生かすことが
出来るのです。

私たち人間が一生生きる間に学ぶことは、その時代時代で感じ考え

積み重ねた自分だけの知識なのです。
書籍からやネットなどの情報は、どんなに豊富であっても、
自分にとっては、本当に断片的な参考知識に過ぎず、
自らが体験し、自分の心と身体で感じ取った物が、最も有効であり
社会に於いて大きな力と成るのです。

様々な体験を通して、人は成長し、社会や人を知ることが出来るのです。

それ故、日本人の生き方が、他人に対し隔たりを設けたり、お互いに
合い入れない生き方を行うと、人として成長が期待できず、独りよがりの
自分以外からの知識のみで満足する寂しい人生と成ってしまいます。

人が生きると言う事は、生物的に生命を維持して行く事ではなく、

どれだけ人と関わって、お互いの心を育てて行くかと言う事です。
心は、知識だけでは成長しません。
多くの考えを受け入れ、様々な人生を知る事に依り、より豊かな
人格形成が出来、充実した一生を終えることが出来るのです。
日本人が、人と接触する事に抵抗を感じる様に成り、より独善的に
物事を判断する事と成れば、人を育てる事も、誤った考えを
正すことも出来ず、お互いに傷つけあう事にもなりかねないのです。