今や日本の政界は、狐と狸の化かし合いと言ってもいいです。
お互いに自分の主張はするも、決して自分の非は認めず、
欲にまみれた大人たちの、我儘な言い訳の様にも思えます。
私たちは、子供の頃、悪い事をして諭されたら、その非を認め
素直に反省する様に教えられたものです。
家族の間で学校においても、生きて行くには、常に周囲の事を考え
お互いに、助け合い、間違った事は正し、誰もが幸せになる様に
人生の道を教えられて育ったものです。
しかしながら、現実の社会は、欲望が渦巻き、利権を求めて、
様々な悪事が横行しているのです。
少しでも人より秀でて、より豊かな生活をする為には、周囲の事など
構っていられれません。
何とか策を練って、周囲の他人が苦しもうが悲しもうが関係なく
己れの欲望に邁進している人がいかに多い事か。
その為、社会的には、その様な悪行を防止し制圧する為に、法律と言う
司法判断が設けられれているのですが、それとて、何とか言い逃れしたり
罪を如何に軽くするかと言う考えが先に立ち、反省するどころか、
上手く逃れて、更なる私欲を肥やそうとする人が絶えません。
今や、日本社会は、言ったもん勝ち、やったもんがちと言った、
先に目的を達成した人が正義であるかのような風潮が見られます。
その為、何事においても自己主張できる人が優遇され、周囲の事を考え
お互いの幸せを考える様な、極めて日本的な考えは、無駄であるかのような
横暴な考えを持つ人が増えています。
ストーカー、クレーマーと言った自分の事しか考えられない人が増えて、
陰湿な犯罪が増えています。
この事は、日本人の生活が、豊かな生活と言うのを、我儘な生活と
勘違いしてしまい、節度の無い、自己主張ばかりする人が増えている
事にも依ると言えます。
法的に許されない行為であれば、誰もが反発するのですが、経済的に
人々を利用する分には何のおとがめも有りません。
つまり、経済的に独占的な経営をする事で、多くの人から莫大な収益を
確保する事に依って、自分達のテリトリーを広げ、自分の要求する
我儘な生活を創り上げて行く人達が目立ちます。
自分で努力して成長したのだから、何の問題は無いと言う方もいるかも
知りませんが、一般庶民にとっては、必要でないものに出費をさせられ
様々な所で支出する様に作られた社会は、目に見えない蜘蛛の糸が
張られていて、定期的に命を吸い取られている様なものです。
様々なメディアを使い、消費を促す事で利益を得るのは、商業の基本と
言えるのではあるのですが、自分達の利益を上げる為には、消費者の生活も
思考も関係なく、全て、自分達のペースに合わせる様に仕組んでいることが
気に入りません。
購買意欲を増し消費を促進すれば、世の中は景気が良くなり、人々は
幸せになると言うのは、豊かな生活をしている人達の勝手な言い草で、
多くの人達は、どんなに働いても生活は豊かにならないだけでなく、
より多くの出費を強いられて、更なる苦しみを感じているのです。
国会答弁であろうが、諮問委員会であろうが、百条委員会であろうが、
国民の手の届かない所で、お互いの傷を最小限に済まし、次なる
利権への道を作る為の段取りにしか感じられません。
先の見えない政治家の愚案と企業家たちの策略が日本社会を混乱させ
一部の人のみが潤う、未来社会を作ろうとしている様に感じます。
日本人の多くが、過去からの苦しみを引きづり、新たなる道を見いだせず
現状の生活を送るだけで精一杯であるのに、そんな人たちの考える対策は
一向に国民を豊かにはしていないのです。
豊かな生活と言っても、消費する為の資金が足りないのです。
収入が減っているのに、消費を増せと言っても、しょせん絵に描いた餅であり
欲しいものが有っても、手に入れられないのが一般庶民なのです。
しかしながら、テレビから流れる豊かな生活、幸せの生活を保障する品、
少し無理をしても欲しくなるのが人情です。
誰もがそんな生活をして居るかのような洗脳は、どんな生活レベルの人も
同じレベルになる様に仕向けます。
所が、経済的に裕福な方はまだしも、多くの人達が、無理をして、
外見だけでも似せる様に頑張っているのです。
街を歩けば、誰もが幸せで在るかのような表情ですが、実際の生活は
非常に苦しい場合が多い事をリーダーたちは知らないのです。
大人だけでなく子供たちに於ける生活格差も年々酷くなり、
友達と同じオモチャが持てなかったり、同じ様なレジャーを楽しめず
話題の中に入れず、イジメの対象と成ってる場合も多いです。
子供たちにとって、親の経済的問題は、直接子供の間での、大きな
ハンディと成っている場合が増えていいるのです。
年々出費がかさむのに、一向に所得が増えず、しかし生活レベルは
変えられず、むしろ、上げて行かなければならないと言う現状で
多くの国民が苦しんでいるのです。
そんな中、自分達の不備や不肖、欲望のほころびをお互いに突つき合い
国民にとって何の利益にもならない事に時間を使っている姿は、
ただ、与えられた仕事、ノルマを果たしていると言うだけであって、
自分達の決着をつけて次なる利益を考える事しかないのです。
政治家は、自分たちの与えられた仕事をこなしているだけでな
仕事をしているとは言えないのです。
何故なら、国民の代表として国政に関わっているからです。
国民の不平不満を解消し、国民がより豊かに幸せになる努力をし
更なる名案を国民に提議していかなければならないのです。
任期の間、与えられた案件を片付けているだけでは、単に
政治屋の仕事をしているに過ぎないのです。
また、多くの企業は、私達の生活に直接かかわる物を提供し
膨大なる利益を得ているのですから、本当に国民の将来の為に
役になる物を提供する義務があります。
単に、消費を促して、私欲を肥やすだけでは、かつての高度成長期と
同じ蹉跌を踏み、人々も環境も傷つけてしまうのです。
国民をリードしたり育てて行く地位にある人達は、多くの人達を
幸せにする義務があるのです。
国民が幸せになって初めて、政治家も企業家も存在価値が有るのです。
自分達の私欲を肥やすために国民を利用している様では、国民が
本当に認める地位も名誉も無いのです。
人の上に立つ人と言うのは、人としての資質に富み、人間的に
人々から崇められる存在で無くてはなりません。
しかし、今の日本は、子供の時から、人と言うより、地位や名誉、財産
と言った付加価値を人の価値とする生活を送ってきた人が多いのです。
しかも、リーダーとなる人たちに、その傾向が強い事が問題です。
より多くの付加価値を持った人をリーダーとして考える傾向から、
誰が政治を行っても同じと言う暗黙の心理が働き、政治に関心を持つ
国民が非常に少ないのです。
その為、メディアで有名であったりするだけで簡単に政治家としたり、
人気があるだけで、人の上に立てる人と思ってしまう人が多く、
一発屋的なタレント政治家、企業家がやたらと目立つのです。
また、政党としても、少しでも国民の支持を得るために、あえて
知名度の高い人材を選んだりと、一体政治は誰の為にするのか、
理解に苦しむ事が多いです。
現在、国会や、都議会で行われてる、時の議論は、毎度のことながら
お互いの落とし所を見つけ、はっきりとした結論が出ることなく、
曖昧な玉虫色の決着となる事は明らかです。
しかし、この事が、戦後日本の政治の本質であり、国民不在の
選ばれた人たちのお家騒動に他ならないのです。
もうすぐ、近い将来、天変地異や争いが起こる事は、間違いなく、
平和な時が終わります。
歴史を見ても、争いの合間を平和と言います。
平和とは、争いが無く、人々が幸せに暮らしているのを言うのでなく、
力関係のバランスが取れている状態であり、一時の休戦と言えます。
また、天変地異は、私達人間が勝手に言っているのであって、
地球の歴史からすると、当たり前に起こる自然現象と言えます。
つまり、私たちは、争いの合間に生きる活路を見出し、天変地異の
合間に、自分達の生活を広げているのです。
天変地異は、時に、私達の力ではとても及ばない程の巨大な自然の
力を見せつけるのですが、人が作り出す争いは、何とかできるものです。
様々な話し合いを常に行い、お互いの主張を調整しながら、争いに依る
自己主張に陥らない様にすれば、次の争いまでの期間を長引かせ
平和な期間を長くすることが出来るのです。
この事は、国内のおけるリーダー達と国民の関係も同じと言えます。
お互いが、しっかりと意思の疎通を行い、お互いの利益を考え
相手の思いを受け取る事が出来ていれば、変わらない関係が築け
トラブルが生じる可能性が低いのです。
しかし、現在の日本国内における状況は、リーダー達の一方的な考えと
偏った利益配分と言えます。
国民の財産は、すべからく、一部の裕福な人たちに流れる様に作られていて
人々を幸せにするようには出来ていないのです。
国民が豊かな生活をする事で、多くの収入が得られる様に企業体制は作られ
一人一人が幸せを感じられる社会とはなっていないのです。
国民がどんなに苦しもうが、自分達の生活が豊かに確保されれば良いのです。
その最たるものが、前回の世界大戦です。
一部の人達の思惑で、アジア諸国の資源を確保しようとした甘い考えで
数百万人の国民が殺されたのです。
資源が不足し、企業は生産中止を余儀なくされたり、資産確保が難しくなって
侵略と言う暴挙に出たのです。
ほんの一部の企業家たちと政治家たちの暴走が、国民を地獄に陥れ、
近隣諸国の人々をも不幸にしてしまったのです。
一見豊かに見える日本社会は、豊かである人達の社会であり、国民の
豊かさでは有りません。
そして、この豊かな日本を支えているのが、日夜苦しむ国民なのです。
証人喚問をし、お互いのボロを探り合っている場合ではないのです。
一日も早く問題を解決して、差し迫ったオリンピックに向けて、
あらゆる策を練って行かねばならないのですが、このオリンピックは
国民の為にある事を前提に進められていかなければなりません。
目の上のたん瘤を取ったら、潔白が証明されて、何でもできると
思っていると、またもや私欲を肥やす事しか考えなくなります。
世紀の祭典には、どれ程膨大なる資本がつぎ込まれ、どれ程莫大なる
利益が得られるかと、いまや、狐と狸の目は、らんらんと輝いています。
国民置き去りの政治や企業活動が続けられる限り、多くの一般庶民は、
犠牲になる事は有っても、幸せを得ることは出来ないのです。