めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

自由な若者の心は、桜の様に美しい

2017-03-22 16:09:52 | 東京

靖国神社の標準木の桜が咲き、遂に東京に開花宣言が成されました。
一月二月の寒さに震える日が、遠い昔であるかのように、街中は
春の明るい出で立ちで軽やかに散歩する人たちで一杯です。
一体どこからやってくるのだろうと思う程、渋谷の街は、人で溢れ
地方から初めてやって来た人は、毎日お祭りの様だと驚きます。

東京に住んで30年以上に成りますが、それでも、この人の多さには
圧倒されてしまいます。
東京の巨大なビル群や街中に並ぶ数えきれない魅力的なショップは、
この絶え間なく訪れる人に合わせているとはいえ、如何に東京が
人々にとって魅力的な街であるかが解ります。

しかし、これ程に多くの人がいても、殆ど知り合いに出会うことは無く
毎回、誰か知らない人ばかりであると言うのは、田舎にない魅力であり
恐ろしさでも有ります。
今や、日本人だけでなく、すれ違う人の5人1人は海外の方と言っても
過言ではない程、東京は国際的な街と成っています。

特に、若者たちにとっては、東京は巨大なアミューズメントシティと
言ってもよく、自分達の心を捉えて離さない魅力を感じる様です。
特に、原宿、六本木と言った、若者たちが集まりやすい地域は、
様々な個性を持った若者達で溢れています。
田舎では、決して出来ないと思われるファッションやメイクで
人混みの中を練り歩く気持ちは、遠い昔の自分を思わせます。

とは言え、街中で、若者たちが自由奔放に伸び伸びと
歩いている姿は、とても気持ちがよく嬉しいものです。
ただでさえ高齢化が進んだ我が国では、日本中どこに行っても
目に付くのは、爺と婆ばかりです。
そして、街中を歩くと、シャッターがやたらと目に付く
人通りの少ない商店街と空き地です。

実は、東京は、日本に於いて、非常に特殊な街であり
東京を持って、日本の位置づけをする事は出来ないのです。
当然、大阪や京都、横浜と言った大都市も同じことであり、
日本社会に於ける人々の一極集中が問題と言えるのです。

東京は、日本中から、人だけでなく資本も集中し、未来に向けて
益々進化していくと言えるのですが、日本中の殆どの都市が、
中でも人口流出の市町村の弱体化が顕著と言えます。
残された高齢者と朽ちて行く街並みは、大都市の歩みとは
全く逆行するものであり、人々の生活と同じく、生活環境の
二極化が起っていると言えるのです。

とは言え、この事は、人類の進化の過程で、歴史上に於いても
文化や技術の発展と共に見られたものであり、決して特殊ではなく
人々の生活も、それぞれの生活圏で問題となるものでは
有りませんでした。

しかし、現代に於ける、この二極化は、かつての、都会と田舎
と言った生活圏の違いではなく、もっと深刻な問題なのです。
問題を生んだ原因ともいえる物とは、ネット社会の発達です。
世界中がネットで繋がり、居ながらにして、世界の全ての情報が
簡単に手に入る様に成った事は、便利な社会になって素晴らしいと
言いたい所ですが、その反面、弊害として数々の問題が生じて
便利なはずが、人々を悩ませる原因とも成っているのです。

ネットが発達して、一番の進歩は、管理システムと言えます。
膨大な資料をあっと言う間に片付け、瞬時に情報を伝達でき、
物品のみならず人々を管理するには打って付けなのです。
当然、国民総ナンバー制度は、このネットによる管理の典型であり
私たちは、様々な目に見えない人たちから管理監視されている
と言ってもいいのです。

生活の全てがのぞき見れれている社会は、個人のプライバシーも
いつの間にか盗み見られている可能性もあり、国家間においても
ネットを使ったサイバー攻撃が問題となっています。
当然、東京に多くの人々が集中するのも、このネットに依る情報操作が
人々を集めているとも言え、いまや、日本の一部の富裕層が大多数の
国民をネットで管理する事で、より豊かな生活を手に入れているとも
言えるのです。


このネットは、世界中どこに居ても、情報を得られる事から、
それを利用し、人々を集める事も自由に出来るのです。
地方に居る人たちに、ネットを通じ、より豊かで便利な生活を
紹介する事で、都会に居る人と同じ物を手に入れたいと思わせ
購買意欲を誘発します。

若者達だけでなく、高齢者まで、自分達の幸福基準が都会となり

メディアに紹介される経済的に豊かな生活が幸せと思わせます。
都会に居る人と同じ生活用品を持ち同じ消費を行う事を幸せと
洗脳する事で、日本中の人達から収益を得る事が出来るのです。

しかし、所得が高い都市部の人達は、その生活が出来るかも

知れませんが、所得が低い地方の消費者は、同じ生活をすれば、
当然出費がかさみ、生活が苦しくなります。
当然高齢者は、残された生活費を食いつぶし、若者たちは、
そんな地方を棄てて、益々都会に向かって行きます。

日本社会は、国民に、より一層消費を促す事は有っても、

本当に人々に安定した幸せな生活を提供する事がないのです。
多くの人々は、より消費を増す為に、日々苦しい労働に明け暮れ
一部の人達は、より豊かな生活を保障されて行くのです。

東京の街に溢れる若者達の多くが、地方から遊びに来た人達です。

華やかな大都会の中で、見るもの聞くもの食べるもの全てが
彼らの心を刺激して、多くの若者は、東京に住む事を決意します。
しかし、殆どの若者は、夢を実現する事無く、田舎に居た時以上に
都会の厳しさ、現実の苦しさを体験します。

ネットの発達は、人々を幸せにしなければならないのですが、

ネットを利用して金儲けを目論む人たちの助けと成っているのです。
テレビを見ていると、次から次に魅力的なコマーシャルが流れ、
日本中の人々を洗脳していきます。

あらゆる同じ会社の生活用品が日本中に溢れ、ネットやメディアで

繰り返し流れれる場所や店は、連日、日本中から訪れる人たちで
ごった返します。
その反面、ネットやメディアに取り上げられない所は、いつの間にか
寂れたり消えて行ったりしているのです。
今や、人々は、情報によって振り回され、ネットによって管理され
自らの行動や嗜好は、誰か利益を目論む人によって操られている
と言えるのです。

原宿や渋谷で、様々な奇抜な衣装に身を包む若者たちの姿は

彼らの自由を求める象徴と言えます。
誰一人同じものは無く、それぞれが自分の考えで身をまとい
自由気ままに街中を歩いています。
彼らを見て、奇異と思われる人もいるかもしれませんが、
人の心は、それ程にも自由であり、それが認められていると
本当に幸せを感じることが出来るのです。

経済的で便利な社会で、誰もが自由に生きている様に思っても

実際は、誰かに管理されて、自由に動かされているかも
知れないのです。
若者たちの屈託のない笑顔をいつの間にか忘れて、情報管理され
いつも、より経済的に豊かな生活をしている人の物を欲しがり、
自分の本当の気持ちに気づいていな日本人が多いのです。
幸せは、身近に在るものです。
自分の心を本当に満たしてくれて、幸せにしてくれるものは何か
見つけられた時初めて、自分自身の価値と生き方が解るのです。