電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

スーパーで中古PCのリサイクル・セール

2005年04月23日 22時10分33秒 | コンピュータ
近所のスーパーに花を買いに出かけたら、中古PCのリサイクル・セールをやっていた。興味があったので少し眺めてきたが、大部分がどこか企業の(もしかしたらそこのスーパーの)放出品らしい、某社の省スペース型デスクトップ・パソコンで、15インチの液晶ディスプレイ付きで49,800円だった。詳細は不明だが、チラシを見る限り、CPUはCeleron(450MHz)、メモリは64MBでHDは20GBくらいか。もちろん、OSやドライバ・ディスクもついていると思われるが、中古パソコンを見慣れた目にはあまりお買い得とは思えなかった。
実際、こうした中古PCのOSは、今のところWindows98やMeがほとんどで、安定性やセキュリティなどの面で不安がのこる。一方、Knopics-CDで調べた限りでは、USBキーボードとマウスを採用し、レガシーフリーを標榜するこの機種は、Linuxの導入には難関が多そうだ。また、64MBというメモリは快適な使用にはいささか不足するだろう。すると、割高な旧型追加メモリを探すことになり、結局あまり経済的とはいえなくなってくるのではないか。

むしろ、注目すべきは中古パソコンが「近所のスーパーで」売られるようになった、という事実だ。今や、ワープロ・表計算用のパソコンは、高いお金を出して買うものではなくなってきつつある、ということを表していると言うべきだろう。CDをいれて線さえ繋げれば、必要なものはダウンロードできるようになってきつつあり、パソコンの知識や技術さえも特別なものではなくなっている。
エンドユーザー・コンピューティングの行く先はパソコンの日用品化の方向と一致する。日用品も上手に使っている人とそうでない人の違いはあるが、「ほっといてんか」と言われれば「そうですか」と引き下がらざるをえない。古くからのパソコン・フリークにとってはいささか不本意だが、たぶん、余計なお世話をしない方がいい時代になってきているのだろう。
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庄司紗矢香のプロコフィエフVn.ソナタ第1番

2005年04月23日 12時49分43秒 | -室内楽
日曜のNHK教育テレビ、N響アワーのあとの芸術展望で、ときどきリサイタルを放映してくれることがある。早朝出勤の身にはつらい時間帯になるので、録画して後からゆっくり楽しむことが多い。2002年12月16日、サントリーホールでの庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタルの映像も、そんな中の一つだ。
今日も、コーヒーを飲みながらビデオで楽しんでいる。曲目は、
(1) W.A.モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304
(2) S.プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調
(3) L.V.ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」
ピアノ伴奏は、イタマール・ゴラン。
プロコフィエフのソナタは、昔から好きな曲目だが、厳粛な表情の中にも若々しい緊張感ある演奏だ。私は、プロコフィエフのこのソナタを、昔の日本コロムビアの廉価盤LP、パルナス1000シリーズにあったピエール・アモワイヤル(Vn)とフランソワーズ・レーニャ(Pf)の演奏(RE-1529-MU)で親しんだ。寺田兼文氏の解説も有益なもので、1938年に構想され、スケッチされたが、映画「アレクサンドル・ネフスキー」の音楽と同名のカンタータの作曲などにより中断し、1946年に完成したとされている。第4楽章の終わりに、静寂の中で余韻を味わいながら弾き切った若いヴァイオリニストに、惜しみない拍手が贈られ、演奏家のほっとした表情がクローズアップされる。このシーンもいい。
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ネットワーク上のアイデンティティのことなど。

2005年04月23日 08時30分01秒 | コンピュータ
ネットワーク上のアイデンティティについて、ふと考えることがある。巨大な掲示板では、始終どこかで自作自演やらなりすましやらでにぎやかだが、ごく私的なつながり方を目指しているはずのWeblogでも、実は同じ問題がありうる。
このブログでの話ではないのだが、たとえばトラックバックをもらった人のブログを、本当にそのまま受け止めてよいのか。もし間違っていたらたいへん失礼な話ではあるけれど、若いお嬢さんだと自称しているものの、しっかりした文章や好みのありようなど、実際そのままには受け止められないと感じる場合もある。もしかしたら、年頃の娘さんを持つ中年の方や、若い娘さんの生態をよく知っている学校の先生などが作者だったりするのかもしれない、などと想像してしまう。また、小説好きの主婦からと称するコメントやメールなども、うっかりすると妙なサイトへ誘導されるしかけだったりする。疑いすぎるのも良くないが、信じすぎるのもよろしくない。ネットワーカー歴15年の古だぬきらしく、あまり律儀に対応せず、適当にずぼらを決め込んでいる。

ネットワーク上のアイデンティティは難しいものだ。CPUからみれば、それぞれの接続先は単なる1個のファイルにすぎない。それぞれのファイルの同一性は、IPアドレスやタイムスタンプやファイル名等で識別されるに過ぎない。それを人間関係に適用したとき、アイデンティティを保証するものではないことを認識する必要がある。

某巨大掲示板で、ある論争に巻き込まれた若者が、自作自演でないことを証明しろと言われて孤軍奮闘したあげく、証明できずにしばらく人間不信に陥った例を知っている。このケースなどは、誰かが「それは不可能。不毛だよ。」と早期に教えてあげればよかったのだろう。子どもの中学時代の情報基礎や高校の情報の教科書などを見ていると、ワードやエクセル等の使い方講座で終わる傾向があるが、他では教えられない、こういう本質を教えてほしいものだと思う。
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