電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

1980年代中頃のファミリー向けOA機器カタログ〜キャノン

2020年03月04日 06時03分57秒 | 手帳文具書斎
書棚を整理していたら、古いキャノンのカタログを見つけました。「わが家にだって事務はある」として、ミニOA機器のラインナップを紹介したものです。石坂浩二さんには「僕のOA」、ビートたけしさんには「俺のOA」というキャッチフレーズがありますが、製品の発売時期をみると、おそらくは1984年ころのものと思われ、お二人の笑顔が実に若々しいことにびっくりし、また当時を知るものには懐かしく思い出されます。



全体は4区分に分かれており、(1)パーソナル複写機、(2)パーソナル電子タイプライタ、(3)パーソナルコンピュータ、(4)日本語ワードプロセッサ、そして最後にカード電卓がちょこんと紹介されている、というものです。

(1)パーソナル複写機


複写したい資料を上に載せ、それが移動してスキャンされるしくみで、百科事典のような大型のものは苦手としていました。

(2)パーソナル電子タイプライタ

2書体内蔵の電子式の英文タイプライタで、32×26ドットの熱転写プリンタを持っていました。

(3)パーソナルコンピュータ


8ビットのMSXパソコンに加えて、アップル社の Apple IIc が掲載されています。当時、キャノンはアップルの代理店契約を結んでいたはずです。

(4)日本語ワードプロセッサ


キャノワード・ミニCM-5が1983年の発売で、CM-3が1984年、また50音図キー配列のワードボーイが1984年の発売です。キャノワードが QWERTY配列のキーボードなのに、ワードボーイは50音図配列と、なんとも腰が引けたどっちつかずの戦略です。それだけキーボードへの抵抗感は大きかったのでしょうし、逆に日本語ワープロへの期待は大きかったのでしょう。PW-10J に「新・発・売」と赤字で記してありますので、1984年のカタログのようです。

おまけで、カード型電卓です。


当時、OA化というのは、コピーと日本語ワードプロセッサが本命の、文書処理が中心だったことがよくわかります。私自身は、こうしたパーソナルOA機器に魅力を感じながらも、まだ職場の 8ビットの PC-8001MkII で BASIC プログラミングをやっていた時代です。この数年後に、16ビットのパソコンが普及し、自分でも購入して日常的に利用するようになりました。その時には、ワープロだけでなく表計算やデータベース、パソコン通信といった利用が、できるようになっていたのでした。この時期、1980年代後半のわずか数年の出来事が、OA化への姿勢やOAに関する素養の度合いを決定してしまう第一関門だったように思います。


コメント    この記事についてブログを書く
« ジャガイモのポタージュ・ス... | トップ | 新型コロナウィルスの脅威〜... »

コメントを投稿

手帳文具書斎」カテゴリの最新記事