電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

カラヤン指揮ベルリンフィルでモーツァルト「交響曲第29番」を聴く

2014年09月23日 06時05分54秒 | -オーケストラ
ステレオ初期の音源が次々にパブリック・ドメインになり、若い頃には手が出なかった録音も、かなり自由に選んで聴くことができるようになりました。たとえば、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルが演奏するモーツァルト「交響曲第29番イ長調」K.201、1959年のステレオ録音です。

この曲は、後の三大交響曲とは違い、一般的な知名度はそれほど高くはないと思いますが、でもたいへん魅力的な音楽です。そして、1959年といえばカラヤンがまだ若く元気だった頃、トスカニーニ流でフルトヴェングラーに対抗し、1955年のフルトヴェングラーの急逝により、ついにベルリンフィルを手中にして4年が過ぎた時期の録音です。

Wikipediaによれば、モーツァルトが18歳にあたる1774年の4月6日に、ザルツブルグで完成されたとあります。イタリア風の様式から脱却しつつあった頃のもので、10代の作品の中では第25番とともに人気のある作品なのだとか。楽器編成は、オーボエ(2)、ホルン(2)、弦5部。

第1楽章:アレグロ・モデラート、イ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。ふんわりとやわらかな、優しい表現です。
第2楽章:アンダンテ、ニ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。誰だろう。オーボエの音色が素晴らしい。
第3楽章:メヌエット~イ長調、トリオ部~ホ長調、複合三部形式。ここはほんとにベルリン・フィルの威力を感じます。
第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト、イ長調、8分の6拍子、ソナタ形式。堂々とした響きのフィナーレです。

ふーむ。レガートに傾斜した後年のカラヤンの様々な演奏・録音と比べると、実にふわっと軽やかで、オーケストラの大きさをあまり感じさせません。もちろん、低弦を響かせるところなどは、しっかりとベルリン・フィルの威力を発揮していますが、全体に夢見るようなやわらかな気分に満ちています。



廉価盤が主体だった若い頃は、グラモフォン中心のカラヤンのレコードなんぞはそれこそ「高値」の華で、貧乏学生の手に入りやすいものではありませんでした。したがって、カラヤンのレコードなどは接する機会が少なく、比較的お小遣いに余裕ができた中年期以降に聴き馴染むようになりました。そんな程度の経験ではありますが、カラヤン氏、どちらかといえばオペラ的な劇的な音楽を得意としていたように思います。何かで「モーツァルトはあまり得意ではない」と言っていたという文章を読んだ記憶がありますが、後にザルツブルグ音楽祭を主宰するようになるくらいですから、あながちビジネス的視点からばかりではなく、モーツァルトの音楽自体は好きだったのでしょう。この録音などは、カラヤンのモーツァルト像をよく表しているように感じます。


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6 コメント

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モーツァルトの29番 (パスピエ)
2014-09-23 10:45:40
このLPは中古で買ったものを持っています

29番という交響曲はベームやクレンペラーなどの大家も好んで指揮していたようでライブがFMでも放送されたのでエアチェックしてよく聴いていました
この交響曲は大好きでモーツァルトの交響曲では一番聴く回数が多いです
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代表的な名演奏 (pfaelzerwein)
2014-09-23 18:47:06
良かれ悪しかれこの演奏がカラヤンのモーツァルトそれどころかカラヤンの芸術を体現しているかと思います。この冒頭のようにフワフワと始め、ふにゃふにゃで通すカラヤンサウンドは、あまりにも巧妙で時代性や流行性があったので、オーマンディーやセルやストコフスキー以上に気が付かないうちに強烈で深い影響を管弦楽団演奏に与えたかと思います。ある意味で大管弦楽演奏の終焉だったのでしょう。

ドイツ盤のLPを鳴らしていますが、ソフトフォーカスの感じの録音で高品質であり、余計にこの内容のある意味陳腐さを歴史に残すことになるかと思います。ご本人は録音を通じて後世に名を残したいと考えていたようですが、芸術性というよりも明らかな戦後西ドイツのドキュメンタリーといった感じで残るに違いありません。

戦後のこの時期は恐らくカラヤンの働き盛りの頂点で、既にサウンドを確立しており、あとは惰性で行った感じがします。フルトヴェングラーのそれと比べると如何に大衆化して綺麗に梱包されたサウンドであり、電蓄からステレオの家庭ハイファイ時代の要求に堪えて容易に家庭で出せる音かも理解できます。芸術的に磨かれ洗練された特別な音色感などはここでは明らかに無視されています。だからこうしたデジタル再生にも叶うのです。
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パスピエ さん、 (narkejp)
2014-09-24 06:28:10
コメントありがとうございます。LPでお聴きですか。ザルツブルグ時代のモーツァルトの、ギャラントスタイルの代表的作品と言ってよいかと思いますが、ほんとにステキな音楽です。セルの放送録音もあるようですが、それとはだいぶ違うスタイルで、これがカラヤンの描いたモーツァルトなのでしょう。当時の(ベーム等の)劇的で重々しいモーツァルト演奏とはだいぶ違いますね。おもしろいものです。
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pfaelzerwein さん、 (narkejp)
2014-09-24 06:32:15
コメントありがとうございます。いつもながら刺激的で示唆的なご意見、興味深いものです。当地の山響「アマデウスへの旅」全曲演奏会の第3回で取り上げていますが、現代のモーツァルト像とはだいぶ違います。モーツァルト演奏の流れの中で、どんなふうに位置づけることができるのか、私なりに考えてみたいと思います。
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現代のモーツァルト像 (pfaelzerwein)
2014-09-24 16:51:55
一連の記事から刺激を受けて、この課題を考えています。例えば「当時の(ベーム等の)劇的で重々しいモーツァルト演奏」とするものと、その前のヴァルターやフリッツ・ブッシュの解釈、その後のアーノンクールなど古楽器等です。

ご指摘のように管弦楽の奏法でサウンドだけでなく、装飾音の可能性なども全く変わってきて音楽が違ってきますよね。勿論そこでは録音が残っているだけでもポルタメントを音楽的に使っていた頃から現在の古楽器奏法まで様々です。

そこで流行に囚われずに、結構信頼できるのはやはりカストラール以外はあまり変わりようが無い声楽つまりモーツァルトにおいてはオペラの演奏実践が巧く行くかどうか鍵だと考えます。

ベームやアーノンクール以降でホグウッドなどがそれで成功したとは聞いたことがないのです。最近ではルネ・ヤコブスが成功しているようですが。
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pfaelzerwein さん、 (narkejp)
2014-09-24 20:12:46
コメントありがとうございます。私は演奏スタイルの歴史を論評する力はありませんが、素人なりに考えてみるのはおもしろいですね。声楽で古楽奏法ならぬ古楽唱法というのがあるのかどうか? はて、どうなのでしょうか。私には論じる知識も根拠もないことだけは確かです。空想力だけはありますが(^o^;)>poripori
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