このところ、ブラームスのピアノ五重奏曲に集中しています。通勤の音楽として聴き、アパートのミニコンポで聴き、自宅ではリッピングしたファイルをパソコンで再生し、何度も繰り返し聴いております。ヤン・パネンカのピアノ、コチアン四重奏団の演奏で、DENON のクレスト1000シリーズから、COCO-70923 です。
本作品は、弦楽四重奏にチェロをもう一本加えた弦楽五重奏曲として1862年に着手したものの、ヨアヒムやクララなどの助言を入れ、二台のピアノのためのソナタに改作され、さらに現在のようなピアノ五重奏曲としてもう一度作りかえられ、1864年に完成したものだそうです。三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)によれば、1864年という年は、ローベルト・シューマンが没して八年、故郷ハンブルグのフィルハーモニーの監督のポストをついに得られなかったブラームスが、ジング・アカデミーに指揮者として招かれて漂泊の時代を終え、ようやく最終的な本拠地ウィーンに腰を下ろした翌年、母クリスティアーネが没する前年にあたります。作曲家31歳、音楽は渋いですが、気合の入った大きな作品であると感じます。梅雨の合間の、カッと照りつける昼の太陽とは縁遠いような曲調ですが、そもそも当地の朝晩の通勤時にはまだ涼しさが感じられますので、細かな雨にけむる郊外路を疾駆する車内には意外に良くマッチします。
第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。がっちりした構成を持ち、ほんとにスケールの大きな音楽です。それだけでなく、ヴィオラとチェロがソット・ヴォーチェで歌い出すところなど、実に魅力的。この楽章だけで15分以上、満足の時間です。
第2楽章、アンダンテ、ウン・ポコ・アダージョ。弛緩ではなくてむしろ集中力を求められる、緊密な緩徐楽章。耳目をひく耳当たりの良い旋律こそありませんが、この気分は繰り返し聴くほどに良いものです。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ。チェロに導かれて始まり、最後に繰り返されて終わる、まるで軍隊の行進のようなスケルツォ。低音を連打するピアノの響きは、ロココの時代が遠くへ過ぎ去ったことを感じさせます。
第4楽章、フィナーレ:ポコ・ソステヌート~アレグロ・ノン・トロッポ~プレスト、ノン・トロッポ。一瞬シェーンベルクかと疑うような半音階的進行による始まり。かと思うと、力強いピアノがエネルギッシュに活躍します。
実は惚れっぽいブラームスが、美声のアガーテ・フォン・ジーボルトと仲良くなり、これを良しとしないクララと一時不和となりますがようやく和解し、1864年にバーデンバーデンのクララの家から歩いて五分のところに部屋を借り、この難産の曲の構想を練ったのだそうです。ヨアヒムの具体的な助言が功を奏したようで、この魅力的な音楽が完成したことについて、この偉大な友人に感謝したいところです。
譜面を眺めてあらためて感じましたが、当初、チェロ二本の弦楽五重奏曲として構想されたように、ブラームス好みの中~低音の印象の強い曲で、特にピアノの左手の、ごく低い音の多用は、この時代のピアノが、モーツァルトの時代のものとは違い、格段に進歩したものになっていると感じさせます。産業革命を経て19世紀も後半に入り、鋼鉄のフレームを持った強靭な楽器として、ピアノがその表現力をすでに相当に拡大していたためでしょうか。
1988年12月6~8日、プラハの芸術家の家にて収録されたもので、たいへん自然で鮮明なデジタル録音です。ジャケットの絵は、晩秋の大きな木立とお屋敷の間の道で、花売りの娘が去って行く馬車に置き去りにされている場面を描いたもの。CDではなく、LPの大きさのものであれば、さらに雰囲気が出ただろうと思われます。いかんせん、小さいのが残念です。
■ヤン・パネンカ(Pf)、コチアン四重奏団
I=15'13" II=8'28" III=7'49" IV=10'21" total=41'51"
本作品は、弦楽四重奏にチェロをもう一本加えた弦楽五重奏曲として1862年に着手したものの、ヨアヒムやクララなどの助言を入れ、二台のピアノのためのソナタに改作され、さらに現在のようなピアノ五重奏曲としてもう一度作りかえられ、1864年に完成したものだそうです。三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)によれば、1864年という年は、ローベルト・シューマンが没して八年、故郷ハンブルグのフィルハーモニーの監督のポストをついに得られなかったブラームスが、ジング・アカデミーに指揮者として招かれて漂泊の時代を終え、ようやく最終的な本拠地ウィーンに腰を下ろした翌年、母クリスティアーネが没する前年にあたります。作曲家31歳、音楽は渋いですが、気合の入った大きな作品であると感じます。梅雨の合間の、カッと照りつける昼の太陽とは縁遠いような曲調ですが、そもそも当地の朝晩の通勤時にはまだ涼しさが感じられますので、細かな雨にけむる郊外路を疾駆する車内には意外に良くマッチします。
第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。がっちりした構成を持ち、ほんとにスケールの大きな音楽です。それだけでなく、ヴィオラとチェロがソット・ヴォーチェで歌い出すところなど、実に魅力的。この楽章だけで15分以上、満足の時間です。
第2楽章、アンダンテ、ウン・ポコ・アダージョ。弛緩ではなくてむしろ集中力を求められる、緊密な緩徐楽章。耳目をひく耳当たりの良い旋律こそありませんが、この気分は繰り返し聴くほどに良いものです。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ。チェロに導かれて始まり、最後に繰り返されて終わる、まるで軍隊の行進のようなスケルツォ。低音を連打するピアノの響きは、ロココの時代が遠くへ過ぎ去ったことを感じさせます。
第4楽章、フィナーレ:ポコ・ソステヌート~アレグロ・ノン・トロッポ~プレスト、ノン・トロッポ。一瞬シェーンベルクかと疑うような半音階的進行による始まり。かと思うと、力強いピアノがエネルギッシュに活躍します。
実は惚れっぽいブラームスが、美声のアガーテ・フォン・ジーボルトと仲良くなり、これを良しとしないクララと一時不和となりますがようやく和解し、1864年にバーデンバーデンのクララの家から歩いて五分のところに部屋を借り、この難産の曲の構想を練ったのだそうです。ヨアヒムの具体的な助言が功を奏したようで、この魅力的な音楽が完成したことについて、この偉大な友人に感謝したいところです。
譜面を眺めてあらためて感じましたが、当初、チェロ二本の弦楽五重奏曲として構想されたように、ブラームス好みの中~低音の印象の強い曲で、特にピアノの左手の、ごく低い音の多用は、この時代のピアノが、モーツァルトの時代のものとは違い、格段に進歩したものになっていると感じさせます。産業革命を経て19世紀も後半に入り、鋼鉄のフレームを持った強靭な楽器として、ピアノがその表現力をすでに相当に拡大していたためでしょうか。
1988年12月6~8日、プラハの芸術家の家にて収録されたもので、たいへん自然で鮮明なデジタル録音です。ジャケットの絵は、晩秋の大きな木立とお屋敷の間の道で、花売りの娘が去って行く馬車に置き去りにされている場面を描いたもの。CDではなく、LPの大きさのものであれば、さらに雰囲気が出ただろうと思われます。いかんせん、小さいのが残念です。
■ヤン・パネンカ(Pf)、コチアン四重奏団
I=15'13" II=8'28" III=7'49" IV=10'21" total=41'51"
ピアノ、アンドラーシュ・シフ。タカーチ弦楽四重奏団が唯一の手持ちです。
東京は梅雨の蒸し暑い日が続いています。大曲やオーケストラが重圧的に押し出す作品より室内楽に入ってしまうことが多いこの頃でもあります。
この曲はヨアヒムやクララから受け入れられなく、最終的に「ピアノ五重奏曲」が現行版となり成功した。それが縁で運命的な傑作が生まれた。この2人はたびたび不仲説があったが、ブラームスにとっては良き友ですね。
今日も蒸し暑かった。そして、週末の疲れが出てしまいました。でも、シブいブラームスは落ち着きます。