電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『プロコフィエフ自伝/随想集』を読み、いくつかの音楽を聴く

2021年09月09日 06時00分18秒 | -ノンフィクション
音楽之友社から2010年に刊行された単行本で、『プロコフィエフ自伝/随想集』(田代薫:訳)を読みました。伝記的事項については、若い頃に購入した同社『大音楽家■人と作品シリーズ』中の一冊、井上頼豊著『プロコフィエフ』(昭和53年発行第3刷)などである程度は承知しておりましたが、作曲家本人の書いた自伝であればそれは興味を惹かれます。本書の内容は、タイトル通り「自伝」と「随想集」に分かれており、前半の自伝については、

I. 幼少時代
II. 音楽院を終えて
III. 外国での年月
IV. 母国への帰国後

となっています。「母国への帰国後」については、完全にソ連に帰国定住した1936年あたりまでの内容となっており、「アレクサンドル・ネフスキー」の音楽あたりまでですので、後年の作品についてはもちろん言及はありません。それでも、「無邪気な悪ガキ」的な雰囲気は充分に感じられる内容、書き方です。

随想集で特に興味深かったのは、「メロディに終わりはあるか」という考察。有限の音の組み合わせに、いつか終わりが訪れるのか、という問いに対して、まずチェスの指し手について考察し、次に作曲について考察していきます。これは面白かった。

それ以上に興味深かったのは訳者の「あとがき」で、プロコフィエフの最初の夫人リナが逮捕され労働キャンプに送られた経緯について、息子スヴャトスラフ・プロコフィエフに尋ねた内容でした。リナはスペイン人とポーランド人のハーフで、スペイン生まれアメリカ育ち、1923年にドイツでプロコフィエフと結婚、モスクワで生活していても夫の助言を入れず外交官の知り合いと友人関係を続けていたために1948年に偽りの電話で外に呼び出され、スパイ容疑で逮捕されて労働キャンプに送られたようです。このときプロコフィエフとリナは別居して七年になっていたそうで、母と暮らしていた二人の息子は父親に相談に行きます。ところがリナを助けたいと思っても、プロコフィエフはジダーノフ批判を受けて作品の演奏が禁止され、収入もなく暖房用のオイルも買えない状態で助けようもなかった、というのが当時大学生だった息子の話でした。

うーむ、これはプロコフィエフ嫌いの人がよく言う「最初の妻を当局に売って二番目の妻と結婚した男」という悪評とはだいぶ違うようです。子供たちを追ってヨーロッパに戻ったリナは、ロンドンにプロコフィエフ基金を設立、1989年にリナが死去した際に、彼女が大切に保管していたプロコフィエフの日記、手紙、写真などが発見されたとのことです。貴重な証言だと思います。



本書に登場する曲名も若い頃のものになるのは当然ですが、それでも「三つのオレンジへの恋」「ヴァイオリン協奏曲第1番」「古典交響曲」「ピアノ協奏曲第3番」など、今でもよく聴く音楽です。

Prokofiev: The Love for Three Oranges Suite, Ormandy (1963) プロコフィエフ 三つのオレンジへの恋 オーマンディ

ヴァイオリン協奏曲第1番 - オイストラフ(Vn) コンドラシン指揮モスクワ・フィル (1961)
Prokofiev - Violin concerto n°1 - Oistrakh / Moscow PO / Kondrashin

ピアノ協奏曲第3番 - プロコフィエフ自身のピアノで (1932)
Prokofiev Plays His Piano Concerto#3 in C Major-Op 26



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