地元紙・山形新聞で、藤沢周平没後20年の特集を組み、記事を連載していますが、その中で2/24に掲載された鶴岡市在住の作家・佐藤賢一さんの「『海坂藩』という発明」という論には、思わず「なるほど!」と共感するところが大でした。
たしかに、それまでの時代小説の舞台は基本的に江戸であり、お家騒動を鎮めるために地方へ旅することはあっても、やっぱり江戸にもどってきて、「江戸は気楽でいいなあ」というパターンが多かったように思います。でも、藤沢周平作品、とくに海坂藩ものは、藩内で完結するものが少なくありません。誰かが江戸へ出かけて行ったり、江戸から誰かがやってきたり、ということはあっても、基本的に海坂藩の中の物語であることに変わりはありません。この、時代小説が江戸を離れて地方の小藩の物語として成立することを示した点が、藤沢周平の発明だ、と指摘した佐藤賢一氏の着眼に、なるほど!と感心させられた次第です。
もちろん、これは江戸を舞台とした藤沢作品、例えば『用心棒日月抄』シリーズなどの価値は不変であることを前提にしての話ですが、例えば『蝉しぐれ』を代表とする地方の小藩の物語が、多様な後続の作家たちの作品を生み出す力になったと見ることはたしかに可能であり、間違ってはいないはずです。
たしかに、それまでの時代小説の舞台は基本的に江戸であり、お家騒動を鎮めるために地方へ旅することはあっても、やっぱり江戸にもどってきて、「江戸は気楽でいいなあ」というパターンが多かったように思います。でも、藤沢周平作品、とくに海坂藩ものは、藩内で完結するものが少なくありません。誰かが江戸へ出かけて行ったり、江戸から誰かがやってきたり、ということはあっても、基本的に海坂藩の中の物語であることに変わりはありません。この、時代小説が江戸を離れて地方の小藩の物語として成立することを示した点が、藤沢周平の発明だ、と指摘した佐藤賢一氏の着眼に、なるほど!と感心させられた次第です。
もちろん、これは江戸を舞台とした藤沢作品、例えば『用心棒日月抄』シリーズなどの価値は不変であることを前提にしての話ですが、例えば『蝉しぐれ』を代表とする地方の小藩の物語が、多様な後続の作家たちの作品を生み出す力になったと見ることはたしかに可能であり、間違ってはいないはずです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます