文藝春秋社から2017年11月に刊行された単行本で、遠藤展子著『藤沢周平 遺された手帳』を読みました。作家のエピソードは多くの人に様々な形で書き残され、語られていますが、作家本人がどう感じ考えていたのかはわかりません。その点、作家が遺した四冊の手帳に書かれた内容は、まるで作家本人の肉声を聞くようで、その人となりをよく表しているようです。当方、初めて知ったこともありましたし、あらためて確認できたこともありました。
例えば、娘が幼い頃に歌っていた子守唄がレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」であり、その歌詞の意味がいまだに愛している別れた恋人を思う内容であること(p.83〜4)。若くして亡くなった妻を思いながら幼い娘に歌う子守唄としては、実に切ないものがあります(*1)。
また、「直木賞受賞」前の記述には、
とあります。おそらくは、多くの作品が英雄豪傑ではなく無名の下級武士や市井の人々を取り上げている背景には、こういう自戒が深く作用していたのでしょう。
そのような姿勢は、作品を書く際の言葉の選び方にもあらわれており、
というような記述として手帳の中に遺されています。こうした考え方や姿勢はたいへん好ましく思え、共感するところが大きいです。
そうそう、作家の手帳の中に直接的な記述があったわけではありませんでしたが、運命を憤る暗い情念をぶつけるような作風が少しずつ変わっていき、明るいユーモアの要素が増え、結末にも救いが見えてくる理由として、作品に対する教え子たちの感想が影響しているのではないかという私の推測(*2)は、どうやら当たっていたようです。(p.258)
(*1):YouTube より、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」の歌詞はこんな意味だそうです。
■愛さずにはいられない / レイ チャールス / 歌詞
(*2):藤沢周平のユーモア〜「電網郊外散歩道」2007年2月
例えば、娘が幼い頃に歌っていた子守唄がレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」であり、その歌詞の意味がいまだに愛している別れた恋人を思う内容であること(p.83〜4)。若くして亡くなった妻を思いながら幼い娘に歌う子守唄としては、実に切ないものがあります(*1)。
また、「直木賞受賞」前の記述には、
一人の人が世に出るときは、その背後にそうでない人を多数置き去りにしていることを思う。(p.141)
とあります。おそらくは、多くの作品が英雄豪傑ではなく無名の下級武士や市井の人々を取り上げている背景には、こういう自戒が深く作用していたのでしょう。
そのような姿勢は、作品を書く際の言葉の選び方にもあらわれており、
選びぬかれた日常語というものがあるのかもしれない。陳腐で、手垢のついた言葉の中に重いものがあるかもしれない。気のきいた表現は不必要かもしれない。人生の重みをになってきた言葉があるかもしれない。そういう言葉で一篇の小説を書いてみたい気がする。(p.191)
というような記述として手帳の中に遺されています。こうした考え方や姿勢はたいへん好ましく思え、共感するところが大きいです。
そうそう、作家の手帳の中に直接的な記述があったわけではありませんでしたが、運命を憤る暗い情念をぶつけるような作風が少しずつ変わっていき、明るいユーモアの要素が増え、結末にも救いが見えてくる理由として、作品に対する教え子たちの感想が影響しているのではないかという私の推測(*2)は、どうやら当たっていたようです。(p.258)
(*1):YouTube より、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」の歌詞はこんな意味だそうです。
■愛さずにはいられない / レイ チャールス / 歌詞
(*2):藤沢周平のユーモア〜「電網郊外散歩道」2007年2月
お正月にNHKで放送していた「立花登青春手控えスペシャル」も観たところだし、藤沢周平さん、また読みたくなってきました!
https://blog.goo.ne.jp/mikawinny/e/d8fc5ce0d9d1ab226167518b23134c20
1970年代後半だっと思うが、度々仕事で山形・新庄等に出掛けた。
ある時お客様と霞城近くの七日町にあるミニミニ・バー「狐狸庵」にご一緒させて頂いた。
その時、ママさんより遠藤周作氏が時々来店されていること、先生の了解を得て、お店の名前を「狐狸庵」と名乗らせて貰ったと言うような話を伺った記憶がある。雰囲気の良いお店で多分2,3回お邪魔したと思う。
お店で頂いたマッチは何処かにあるはず。
こんなお店ご存知でしたでしょうか。鶴岡の藤澤周平さん、展子さんとは何の関係も無い話で済みません。
藤沢周平さんが通った山形師範学校旧校舎は、現在は山形県立博物館・教育資料館として現存しており、国指定重要文化財です。学生時代の同人誌「砕氷船」「プレリュウド」が展示されていますが、現物はここに保存されているはず。七日町のすぐ近く、緑町ですね。山形北高等学校の一部になっています。
出てきました!! 改めて当時の事を思い起こしております。黒色の上に一面は狐が赤色で、もう一面は狸が赤と白で描かれ、狐狸の文字は白抜きと粋でインパクトのある趣のあるマッチ、古き良き時代でした。