電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平は、映像と原作の関係をどう思っていたか

2009年01月07日 06時45分55秒 | -藤沢周平
去る12月20日に、NHK-TVで藤沢周平原作の時代劇「花の誇り」(*)が放送されましたが、当方は所用があり、残念ながら観ることができませんでした。おそらく再放送があると思いますので、楽しみに待ちたいと思います。

ところで、藤沢周平作品がTVや映画に取り上げられて人気を博し、あらためて原作を読む方も少なくないようです。また、原作の愛読者が映画等を見て違和感を感じたりすることもあるようで、作家本人が、映像と原作の関係をどのように考えていたのか、興味深いところです。

これについては、藤沢周平『小説の周辺』に、「映像と原作」という、そのものズバリの題名の随筆が載っています。1981(昭和56)年に書かれたこの短い文章は、Wikipedia で見る限り、おそらく「こぬか雨」(1980)や「悪党狩り」(1980)などを想定してのことでしょうが、そこではこんなふうに言っています。

原作につきすぎてもいけなければ、離れすぎてもいない、そういう位置で、自由に原作を料理し、まさに映像でしか表現できないものを描きだしているような作品にぶつかると、原作者は、半ば観客であり半ば原作者である立場から、完全に一人の幸福な観客になり切る、つまり脱帽するわけである。
映像は、原作を再現するメディア(媒体)としてあるわけではない。原作に触発されて、そこからまったく別の世界を構築してみせる、映像自身のために存在するものなのである。そしてすぐれた映像(映画、テレビドラマ)は、すぐれた文芸批評と同様に、原作を、原作が意図したところよりも、さらに深いところまで読みとって、そこから新たな自分の生命を得て翔び立つものらしいのである。

ちなみに、中井貴一・宮崎美子コンビにより話題となったNHKテレビの連続時代劇「立花登・青春手控え」は、翌年となる1982年の放送でした。

(*):「榎屋敷宵の春月」が原作~藤沢周平『麦屋町昼下がり』を読む~「電網郊外散歩道」より

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