これはまた、そのものずばりの題名です。徳田雄洋著の岩波新書で、『デジタル社会はなぜ生きにくいか』を読みました。当方は、コンピュータやインターネット等にどっぷりと浸かった生活をしておりますが、一方で、デジタル社会は生きにくいという感覚を持つこともあります。
たとえば、銀行のATMは苦手ですし、コンビニの多機能ATMなどは、恐ろしくて近づこうとさえしない(^o^)/ ほどです。ふだんは自動車で通勤しておりますので、出張で鉄道の新しい駅で、新型の自動券売機や自動改札を通るときには、ドキドキしてしまいます。職場で、新しく導入されたばかりのコピーやプリンタの不調などには、頼まれなくても手を出す親切心を感謝(?!)される一方で、自宅や単身赴任先では、とっくに最低保証年限を過ぎた電器製品を、だましだまし使っているような状況です。
そんな中年おじんにとって、本書はデジタル社会の本質を理解することで、考え方を整理できる好著です。
本書の構成は、つぎのようになっています。
技術的なことには、なんとか対応できるような気がします。でも、社会的な変化は、今後とも対応していけるかどうか、あまり自信がありません。
ただし、そんな大雑把な話よりも、「電子メールはハガキであり、ハガキに重要な情報を書く人はいない」などの認識の積み重ねが重要なのだろうと思います。その意味で、「3 生きるための心構え」(p.170~)
などの項目は、まことにもっともだと思います。そして、(6) の主張を読んでいると、かつて読んだ本、クリフォード・ストール著『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)を、つい思い出してしまいます。さて、私も画面を消して、畑に出ることにいたしましょう。
たとえば、銀行のATMは苦手ですし、コンビニの多機能ATMなどは、恐ろしくて近づこうとさえしない(^o^)/ ほどです。ふだんは自動車で通勤しておりますので、出張で鉄道の新しい駅で、新型の自動券売機や自動改札を通るときには、ドキドキしてしまいます。職場で、新しく導入されたばかりのコピーやプリンタの不調などには、頼まれなくても手を出す親切心を感謝(?!)される一方で、自宅や単身赴任先では、とっくに最低保証年限を過ぎた電器製品を、だましだまし使っているような状況です。
そんな中年おじんにとって、本書はデジタル社会の本質を理解することで、考え方を整理できる好著です。
本書の構成は、つぎのようになっています。
序章 1984年の日本とアメリカ
第1章 デジタル化した世界
第2章 情報機器との格闘
第3章 情報洪水の中で
第4章 困難は作られる
第5章 デジタル社会を生き抜く
おわりに
付録 パスワード管理法
技術的なことには、なんとか対応できるような気がします。でも、社会的な変化は、今後とも対応していけるかどうか、あまり自信がありません。
ただし、そんな大雑把な話よりも、「電子メールはハガキであり、ハガキに重要な情報を書く人はいない」などの認識の積み重ねが重要なのだろうと思います。その意味で、「3 生きるための心構え」(p.170~)
(1) 半分信用し、半分信用しない
(2) 必要な知識や情報を得て、自分を守り、他人の立場を尊重する
(3) 自分ですることの境界線を定める
(4) 利用することや利用しないことの境界線を定める
(5) 危険性を分散し、代替の方法を持つ
(6) 依存しすぎない
などの項目は、まことにもっともだと思います。そして、(6) の主張を読んでいると、かつて読んだ本、クリフォード・ストール著『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)を、つい思い出してしまいます。さて、私も画面を消して、畑に出ることにいたしましょう。
私もインターネットにどっぷり漬かった生活を送っている一人です(自爆)
しかも私の場合は精神的な問題を抱えていることもあり、インターネットこそが唯一の対人コミュニケーションの場となっています。
尤も本文の終わり近くに書かれている「生きるための心構え」、私も同感してますが・・・ただ「自分ですることの境界線を定める」あたり、少々苦手にしている感があります。
というか、自分でも掴みきれないんですね・・・このあたりは、私自身、前記の”精神的な問題”に端を発していると思っています。
これは、なかなか面白い本でした。