日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「寒さに慣れない一月生」。「『ふん』と『はい』」。

2012-02-15 14:00:10 | 日本語の授業
 曇り。今日は、日中、久しぶりに10度を超えるようです。予報では、11度から4度と出ていました。が、体感温度としては、朝は、やはり寒い。陽が出てくれば変わるのでしょうけれども。ただ予報官の表情が、昨日までの凍てきったものから見ると、かなり違って感じられました。それからすると、もはや「一雨毎に寒さが和らいでくる候」とはなったのでしょう。北海道は、今も、吹雪いているそうですけれども。

 さて、学校です。
「Eクラス(一月生)」では、風邪引きさんが目立つようになりました。一月に来た学生たちにとって、この寒さが、たまらなく辛いようです。ならば、暖かいものをたくさん着ればいいと思うのは、日本人や寒さに慣れた地方から来た人間の言うことで、彼らにとっては、それが、どうもできないようなのです。

 厚めのシャツにセーター、そしてダウンを着ればいいのにと思っていても、彼らはそういうことをせずに、南国で着ていた服(私たちから見れば、夏物の服です)の上に、ダウンを羽織っているだけという恰好で、学校に来て「ゴホン、ゴホン。寒い、寒い」と言うのです。

 「そんな夏物の服を着ているから寒いのです。ちゃんとセーターを着なさい。暖かい下着は持っていますか。○○で売っています」と言うと、「持っています」という答えが返ってきます。「なぜ着ない」。「気持ちが悪いから、嫌だ」。

 おそらくは着慣れないからでしょう。厚い服が、ゴワゴワとして感じられたり、モサモサとして感じられたりで、どうも落ち着かないようなのです。

 寒さに慣れた人間は、冬になったらこういう服を着ればいいとか、このくらいだったらもう一枚重ねれば大丈夫だとかいった、いわゆる「寒さに対する勘」が、自然に働きます。けれども、それが養われていない南国の人たちにとっては、重ね着をするということ自体が大問題で、そもそも、どう(衣服で)調節したらいいのかわからないというのが本当のところなのでしょう。

 もっとも、二度目の冬ともなると、だいたいは、いかにも着慣れたように重ね着をしてきますから、これは、いわば、最初の、「冬の洗礼」といったものなのかもしれません。ただ、今年の一月生は、最初から、靴下だけは履いてきていましたから、まだましなのかもしれませんが。

 今度は、「Dクラス(10月生)」のことです。
一応多少なりとも、話ができるようになってきたのですが(現在、39課です)、それでも1人でアルバイトを探しに行くほどではありません。行っても、「先生、わからなかった」と言って帰ってくるだけです。けれどもこれくらい(話が少しはわかる)になってきますと、全然話せなかった頃には、それはそれで通っていた(日本語ができないから、しようがないと言われて済んでいた)彼らの習慣というのが、問題になり始めてきます。

 「はい」という返事がどうしてもできずに、日本人から見れば、相手を小馬鹿にしているとしか思われない「ふん、ふん」という返事をする学生がいるのです。私が叱ると、「でも、先生。私の国では、『はい』の意味。大丈夫、『はい』だから」と言うのですが。

 たとえ、そうではあっても、アルバイトが決まるまでには、この習慣を変えておかねばならない…と、そう思っていたのです。ところが、それが習慣になる前に、アルバイトが決まってしまいました。

 ヒアリングがいい学生ですので、却って誤解されはしないかと心配してしまうのです。それで、昨日はいつもにもまして、「『ふん、ふん』じゃないでしょ。『はい』でしょ」。「ふん」。「違うでしょ。はい」。「ふん」。「はい、はい、はいでしょ」。

 全くこうなってしまいますと、どっちが、どっちに対して「はい」と返事せねばならないのか、全くわからなくなってしまいます。いつも最後には(学生の方で)面倒くさくなって「先生、大丈夫。外ではちゃんとできる」と逃げにかかるのですが、うちでできないことが外でできるはずもなく、かといって、そのことだけに時間を費やすわけにも行かず、いつも中途半端なままで終わってしまうのです。

 こういうことは、本人が痛い目を見るまではだめなのでしょう。それがわかっているから、できるだけそういう目に遭う前にと思っていろいろな注意を与えているのですが、そうはいいましても、全く想像できないから、言われていることがストンと腹に落ちないという面も、確かにあるのでしょう。

 中国人学生の時もそうでした。中国と日本という、非常に近い国であってもやはり習慣はかなり違うのです。私たちにとっては、「これは、ゆるがせにできない、大ごとであると思われるようなことであっても、学生からすれば、「(そんなこと)大したことはない」となるのでしょう。結局、こういうことは、外部の人に、言われるまではだめなのだろうなとなってしまうのです。が、学生たちが出会う、最初の外部の人というのは、たいていがアルバイト先の人たちですから、損得付きの関係先からの注意ということになり、それこそ、下手をすると大ごとになってしまいます。その前にわかれば、傷は小さくて済むのですが…。

 ともかく、こうやって、一人が、一応の上がり(アルバイトが見つかったという意味で)。前に、これも卒業生に紹介してもらって、二人、工場の方にアルバイトをさせてもらっていますから、三人目ということになります。もちろん、卒業生に紹介してもらうときも、先にこういう学生なんだけれどもと一言、説明をしておきます。

 卒業生の方でも、「だいたい、いつ頃日本に来たか」とか、「今『初級Ⅱ』のどのくらいを学んでいる」とか聞けば、彼らの日本語のレベルのおおよそは掴めますから、「この仕事は無理だと思う」とか、「あっちの方の仕事はどうだろうか」とか、教えてくれたり、アドバイスしてくれたりするのです。

 とはいえ、まだ仕事を探している「Dクラス」の学生たちは何人もいます。今は派遣で仕事をしているようですが、派遣先の工場がかなり遠いのです。しかも、交通費は自分持ちですから、頑張ってやっていても、かなりの持ち出しになってしまうようです。

 結局は、日本に来て日本語ができなければ、何もできないということが、来日後、初めてわかるという愚は、またしても繰り返されてしまうのです。

日々是好日
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