日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「国、民族によって異なる価値観。その価値観によってなされる言動。学校では…」

2010-02-12 08:18:08 | 日本語の授業
 驚きました。二度目に目が覚めた時は、なんと6時20分。一瞬、何かの間違いではと思ったくらい…驚きました。けれども、それからが速かったですね。6時45分には、こうして学校に着いていましたから。「学校に近い所に住んでいる」ということは、学生のみならず、教師にとっても役に立つようです。

 さて、学校です。
 学生達の価値観の違いについてです。彼らは、それぞれ生い立った国で、先人達が創り上げてきた価値観をもって日本へやって来ます。いろいろな事をしたり、言ったりした時に、こうした価値観の違いというものは如実に表れてきます。

 私たちは日本人ですから、私たちなりの(日本人的な?)価値観を持っています。おそらく大半の日本人の価値観は大して違わないでしょう。また、たとえ多少違っていたとしても、そういう価値観を持っている人が多いということは認識し合っていると思います。
ところが、日本語学校では、日本人は圧倒的に少数派ですから、その時々の学生の出身国、乃至民族に偏りがあれば、彼らの価値観が(学校内で)幅をきかせるようになってしまいます(最初は学校、次はアルバイト先へと、彼らの行動半径が拡がるとともに、その範囲も拡がっていきます)。

 それを、その都度、一番よいと思われるタイミングで潰していかないと、彼らの価値観そのままに、学校が流れていってしまいます。それは、学校だけの問題ではありません。(それでいいと思ってやっているのですから)どこでもやるでしょう。アルバイト先でも、それから進学した先でも、自分の国のやり方でやれば、反感を持たれるのは当然です。その結果として、不幸な目に遭うことになるのです。

 「おかしい。どうしてだめなんだ。いけないんだ。どうしてみんな嫌うんだ」と、人間ですから、不安にもなるでしょう。けれども、そこで、嫌われる所以を、自分一人で考えるには、かなりの労力と知性と時間を必要とします。アルバイトや勉強で暇のない学生達にはどだい無理です。

 それは、経験のある学校側がしなければならないことです。学生に不安を与えないというのも、日本語学校の仕事の一部なのですから。ただ、気の毒なことですが、往々にしてこのような留学生を目にします。

 勿論、日本語学校や、アルバイト先でいくら注意されても、判らない人も、変われない人もいます。けれども、「注意されたことがない」ので、日本でも、自国流のやり方で通している人も少なくないのです。彼らは、自分が日本人に疎まれる理由が解らないのす。だから、日本人は自分を差別すると言って、日本や日本人に嫌悪を抱くようになるのです。

 「鉄は熱いうちに打て」と言います。若いうちに、そのことを知れば、「ここでは、そうしない方がいいようだ」くらいの知恵はつきます。この「若いうち」というのは、年齢もさることながら、「来日して直ぐ」という時間も指します。

 来日後、二週間くらいが勝負でしょう。その間に、およそ日本では認められないような言動が見られれば、直ぐに注意しておかなければなりません。放っておいて、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎしてしまうと、もう注意してもきかないでしょう、よほど知性のある人でない限り。それくらい、人は変われないものなのです。

 この時に、「ことば」が必要になります。来日直ぐですから、彼らの日本語のレベルは低いものです。せいぜい「本」とか「学校」とか、具象的なものの名前がわかる程度でしかありません。その人達に「これはしてはいけない」と伝えなければならないのです。この場合、「なぜそうしてはならないのか」という説明はカットです。したくとも出来ないのです。私はタイ語もわかりませんし、タガログ語もわかりません、スワヒリ語もわかりませんし、ミャンマー語もわかりません。わからなくとも、「だめ」は伝えることが出来ます、だれでも。なんとなれば、人には目があり、手足を使うこともできますから。

 一つ一つ、「日本と自分達の国とでは、やり方が違うこともあるんだ」ということを、まず身体で覚えてもらうのです。自分達のやり方が日本でも通用するという先入観をこの時期に持たせてしまうと、後々大変なことになります。尻拭いさせられるのは、日本語学校にいる間は私たちであり、進学した後では進学先の学校なのです。そして、一番辛い思いをするのは、学生達なのです。

日々是好日
コメント
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