今朝も寒さが続いています。ひと頃消えていた窓ガラスの水滴が、目覚めてみると、まべったりとつくようになっていました。冬は、寒いのが当たり前であり、またそうでなければならないとはいうもの、校までさむいと、思わず「おおさむ、こさむ、山から小僧が泣いてきた なんといって泣いてきた さむいといって泣いてきた」とでも呟きたくなってしまいます。なんと言っても、ちょっと暖かくなったので、身体が「春だ、春だ」と勘違いしてしまったのです。
学校の沈丁花のつぼみも、まだあのままです。近くの小学校の柳の芽吹きも、止まってしまったかのようです。とは言いながら、あの沈丁花のつぼみが膨らみ、柳の芽吹きがまた進み始める頃、きっと杉花粉が飛んでくるのでしょうね。今年は千葉県内では半分ほど、他の地域でも例年より少なめという予報が出ていたと聞いたのですが、それでどうにかなるというわけでもなく、そろそろまた病院に通うことになるのです。
さて、昨日は「豆撒き」をしました。今日からは「春」ということで、昨日、「厄落とし」をしたという次第です。
昨日はちょうど、「日本語能力試験」の成績が届きました。開けてみて、がっかりしている人、また合格している人も、がっかりしている人がいると、大喜びをしてみせることができないとみえて、遠慮がちに喜んでいる人など、まあ、悲喜こもごもと行った様子でありました。が、「良いことも悪いことも、この一年の出来事で思い煩うのは、これで終わり。悪いことは、今日の「豆撒き」で出ていってもらおう。追いだしてしまおう」とばかりに、皆「鬼は外。福は内」と合唱しながら、豆を蒔いたのです。…のはずだったのですが、特に「午後のクラス」、彼らの声を聞いていると、「鬼は外、鬼は外」で、「鬼は外」ばかり、「福」は一体どこへ行ったのだ。「福は…」がないのです。
皆、「鬼さん」役の学生目指して、豆をぶっつけてやろうと、そのことのみに集中して、「福」さんのことは、どっかへ追いやられてしまったのでしょう。終わった後、「皆さん、家では、『福は内』を忘れないように」と言っておきましたが、ちゃんとやってくれたでしょうか。
「午後のクラス」にひきかえ、「午前のクラス」は、また違います。午後は「二クラス」とも中級でしたから、説明もDVDも同じものを見せることが出来ましたけれども、午前は「初級」と「一級後クラス」の二つでしたから、DVD係の私は大わらわです。上のクラスは、最初の40分ほどを、日本人並みの「説明」と上級のDVDとに費やし、それが終わると直ぐに、「巻き寿司」作りの講習会が始まります。
材料も何もかも、一昨日、学生達が買いに行ってきました。それに揃えたり、並べたりも教師の指示のもとで、学生達が皆してくれます。私はカメラマン役でしたので、「作っている様子」やら、「できあがってにっこり笑っている作者と作品を写す」やらと、慣れないこともあり、右往左往していました。最初の作品は、写す前に、早速ほおばってしまう輩までいて、シッチャカメッチャカ。それでもとにかく、皆ができあがってから、一緒に試食会です。お皿にきれいに並べ、お茶を入れて、その前にニコニコと座り、はいポーズで、「食べ方はじめ」です。
最初は指導している先生の「あ~あ」というため息やら半分叫びやらが聞こえていましたが、二度目、三度目ともなると、技術もどんどん向上していったと見えて、もうこれなら「初級クラス」でも、「中級クラス」の学生でも、食べてくれるであろうと言うところまで、進化したようです。指導した先生によると、「巻き寿司」よりも、その後の余技のはずであった「三角形のおにぎり」の方に歓声が上がったとか。やってみるまでは何に喜ぶのやら、全く判りません。「初級」、「中級」の学生達は、「おいしい、おいしい」と食べてくれたようでしたが。
この「巻き寿司作り」の時のことです。皆で食べていると、一人がスリランカの学生に聞きました。「お寿司、大丈夫?」。彼女は答えました「この黒い紙は、最初はだめだったけれど、今は大丈夫」。一瞬の沈黙の後に、みんな大爆笑です。「『黒い紙』たぁ、なんのこったぁ。そいつぁ、「海苔」のこったよ」。なるほど、言われてみれば、紙に…見えないこともない。けれども、いくら何でも、紙は、普通食材とはしませんよ。
「節分」行事は、予定通り。非常にスムーズに進みました。雑談もほとんど無く、こちらの指示通りにしてくれました。事後の掃除もそうです。撒いた後、「踏まないようにして豆を拾い、ゴミ箱に入れる」まで、非常にうまくできていたのです。大人なんですからね、「出来て当然と言えば当然」なのですが、それが、今まではそうでもなかったのです。「男はそんなことはしない」とか、「めんどうな」とか、そんなつまらないことで、最後に(双方とも)嫌な思いをしてしまうということになりがちでした。そうなると、こちらもわざわざそんな面倒なことをしてやるかという気にもなってしまいます。
けれど、それでも、例年続けてきたかいがありました。実際にやり続けてくれた教職員の根気の良さには頭が下がります。今回は、あまりにスマートにできあがったので、少々気抜けしてしまったくらいでしたから。
けれども、これが、いわゆる「レベル」というものなのでしょう。「日本語のレベルが高い」年度は、「モラルのレベルも高い」ものようです。相手がまじめで、熱心であると、それだけ、こちらもノッテ教えていますから、そうなるのでしょうが。
日々是好日
学校の沈丁花のつぼみも、まだあのままです。近くの小学校の柳の芽吹きも、止まってしまったかのようです。とは言いながら、あの沈丁花のつぼみが膨らみ、柳の芽吹きがまた進み始める頃、きっと杉花粉が飛んでくるのでしょうね。今年は千葉県内では半分ほど、他の地域でも例年より少なめという予報が出ていたと聞いたのですが、それでどうにかなるというわけでもなく、そろそろまた病院に通うことになるのです。
さて、昨日は「豆撒き」をしました。今日からは「春」ということで、昨日、「厄落とし」をしたという次第です。
昨日はちょうど、「日本語能力試験」の成績が届きました。開けてみて、がっかりしている人、また合格している人も、がっかりしている人がいると、大喜びをしてみせることができないとみえて、遠慮がちに喜んでいる人など、まあ、悲喜こもごもと行った様子でありました。が、「良いことも悪いことも、この一年の出来事で思い煩うのは、これで終わり。悪いことは、今日の「豆撒き」で出ていってもらおう。追いだしてしまおう」とばかりに、皆「鬼は外。福は内」と合唱しながら、豆を蒔いたのです。…のはずだったのですが、特に「午後のクラス」、彼らの声を聞いていると、「鬼は外、鬼は外」で、「鬼は外」ばかり、「福」は一体どこへ行ったのだ。「福は…」がないのです。
皆、「鬼さん」役の学生目指して、豆をぶっつけてやろうと、そのことのみに集中して、「福」さんのことは、どっかへ追いやられてしまったのでしょう。終わった後、「皆さん、家では、『福は内』を忘れないように」と言っておきましたが、ちゃんとやってくれたでしょうか。
「午後のクラス」にひきかえ、「午前のクラス」は、また違います。午後は「二クラス」とも中級でしたから、説明もDVDも同じものを見せることが出来ましたけれども、午前は「初級」と「一級後クラス」の二つでしたから、DVD係の私は大わらわです。上のクラスは、最初の40分ほどを、日本人並みの「説明」と上級のDVDとに費やし、それが終わると直ぐに、「巻き寿司」作りの講習会が始まります。
材料も何もかも、一昨日、学生達が買いに行ってきました。それに揃えたり、並べたりも教師の指示のもとで、学生達が皆してくれます。私はカメラマン役でしたので、「作っている様子」やら、「できあがってにっこり笑っている作者と作品を写す」やらと、慣れないこともあり、右往左往していました。最初の作品は、写す前に、早速ほおばってしまう輩までいて、シッチャカメッチャカ。それでもとにかく、皆ができあがってから、一緒に試食会です。お皿にきれいに並べ、お茶を入れて、その前にニコニコと座り、はいポーズで、「食べ方はじめ」です。
最初は指導している先生の「あ~あ」というため息やら半分叫びやらが聞こえていましたが、二度目、三度目ともなると、技術もどんどん向上していったと見えて、もうこれなら「初級クラス」でも、「中級クラス」の学生でも、食べてくれるであろうと言うところまで、進化したようです。指導した先生によると、「巻き寿司」よりも、その後の余技のはずであった「三角形のおにぎり」の方に歓声が上がったとか。やってみるまでは何に喜ぶのやら、全く判りません。「初級」、「中級」の学生達は、「おいしい、おいしい」と食べてくれたようでしたが。
この「巻き寿司作り」の時のことです。皆で食べていると、一人がスリランカの学生に聞きました。「お寿司、大丈夫?」。彼女は答えました「この黒い紙は、最初はだめだったけれど、今は大丈夫」。一瞬の沈黙の後に、みんな大爆笑です。「『黒い紙』たぁ、なんのこったぁ。そいつぁ、「海苔」のこったよ」。なるほど、言われてみれば、紙に…見えないこともない。けれども、いくら何でも、紙は、普通食材とはしませんよ。
「節分」行事は、予定通り。非常にスムーズに進みました。雑談もほとんど無く、こちらの指示通りにしてくれました。事後の掃除もそうです。撒いた後、「踏まないようにして豆を拾い、ゴミ箱に入れる」まで、非常にうまくできていたのです。大人なんですからね、「出来て当然と言えば当然」なのですが、それが、今まではそうでもなかったのです。「男はそんなことはしない」とか、「めんどうな」とか、そんなつまらないことで、最後に(双方とも)嫌な思いをしてしまうということになりがちでした。そうなると、こちらもわざわざそんな面倒なことをしてやるかという気にもなってしまいます。
けれど、それでも、例年続けてきたかいがありました。実際にやり続けてくれた教職員の根気の良さには頭が下がります。今回は、あまりにスマートにできあがったので、少々気抜けしてしまったくらいでしたから。
けれども、これが、いわゆる「レベル」というものなのでしょう。「日本語のレベルが高い」年度は、「モラルのレベルも高い」ものようです。相手がまじめで、熱心であると、それだけ、こちらもノッテ教えていますから、そうなるのでしょうが。
日々是好日