日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『面接指導』…子供に戻る学生」。「変われる学生、変われない学生」。

2010-02-24 08:12:36 | 日本語の授業
 今日も、「春」が続いています。しかも、朝からお日様まで顔を覗かせています。暖かい一日となりそうです。
 そう言えば、気づかぬ間に、二月ももう下旬となりました。「一月、往ぬ。二月、逃げる。三月、去る」ですね。

 とは言いながら、この頃になると、よく思うのですが、本当に、人は年齢に関係なく、「いろいろなモノを背負って生きている」と。

 この頃、つまり、この学校の学生達でいえば、「大学入試を間近に控えて」という頃のことです。単なる「面接の練習」でしかないのに、自分の子供の頃のこと、小学校や中学校、高校での出来事、父母とのこと、友達とのこと、学校の様子…そして、その時々の自分のこと…。堰を切ったように話し続ける学生がいます。

 昨日も、そんなこんなで、帰りがかなり遅くなってしまいました。途中、スーパーに寄って晩ご飯などを買い込んだりしましたから、それが理由ということもありましょうが、家に着いたのは、もう9時近くなっていました。多分、学校を出たのは8時半近かったのでしょう。

 相対している時間が長かったから、充分練習が出来たかというと、そういうわけでもないのです。もう、彼女は某名門私立大学に合格が決まっていましたから、それほど必死になる必要もなかったのです。それに、「面接の練習」は、その時に一度終えています。とはいえ、不思議なことなのですが、この「面接の練習」は、何度繰り返しても、同じにはならないのです。

 その都度、自分を少し深く見つめることが出来るようになったとでもいいましょうか、あるいは、最初は気づかなかった自分の気持ちに少し気づけるようになったと言いましょうか。一点でも違う答えが返ってきますと、それからの道筋は、変わって来ます。またやり直しです。それに「気づいた自分」と、「気づかなかった頃の自分」とは、もう違う存在になっているからです。

 それが面倒だからと、答えの道筋(或いは思考、情感の道筋とでもいいましょうか)をやり直すことなく、それまでのものに、無理に押し込んでしまいますと、質問に対する答えに齟齬が出てしまいます。もう、心の流れが違ってきているのです。

 「先生、前はそう言ったけど、本当はこうだった。今度は、そう言っていい?」といった場合もありました。「ううん。本当は違うの。こうだったんだ」という自己確認を一人でする場合もあります。「そう言えば、あの時はそうじゃなかった…どうだったんだろう」といったふうに、自分で自分を見つめ直し出すのです。

 私はそういう時、ただの「(彼らが自分を映し出す)鏡」、或いは「存在を消した存在」になります。彼らの話を反復するだけの存在に化してしまうのです。もう、こういうことが一人でできるようになったら、後は放っておいても大丈夫。勝手にドンドン進めていけます。私がするのは、彼らがその作業に一応の「けり」がついた時に、日本語でまとめてやる…それだけのいわゆる「作業」に過ぎません。

 勿論、皆が皆、そうなるわけではありません。が、時々、そうやって大きく変わることができる学生が現れるのも事実です。こういう学生(話しているうちに、次第に自分で自分の心の底に下りていこうとする)と対していると、自分がカウンセラーの役割を果たしているような気がしてきます。

 これは、実際にそうだから言うのですが、中には、日本に来ているにも拘わらず、一年ほどの時間を日本で過ごしているにも拘わらず、彼らの国でいいと評価されていた(他国では全く通用しないと思われます)行動しか取れない学生もいます。実際の自分が見えないというより、見ないのです。まるで、歌舞伎の女形が虚構の女を演じるように、虚構の自分を演じてでもいるかのようなのです。歌舞伎の場合は、高い芸術性を必要とします。それで、皆、納得ずくで見ているのですが、彼らの場合、全く芸術性もありません。しかも独りよがりのものですから、ぼろぼろの二重構造に過ぎません。嘘で塗り固め、それで他者の目に(映って欲しい自分が)しっかり映っているであろうと思い込み、その前提の下で、言葉をつなぎ合わせていきますから、その前提が端っから崩れていれば、相手には、その人がなんと言っているのかさえ、わかりません。他者(この場合は日本人や他民族、他国の人)と意思の疎通が出来ないのです。

 そのままの自分で通用すると思い、それで押し通そうとすれば、私との「面接の練習」は成立しなくなります。私は「突っ込み」ますから。私が突っ込まなくとも、本番では大学や大学院の先生方が「突っ込む」でしょう。本人は鼻高々でも、隙だらけ、穴だらけの構築物ですから、一目で模造品だということはわかってしまいます。私が、本番前に、先に「突っ込む」のは、彼らに対する親心からです。そういう惨めな目に遭わせたくないと思って、そうするのです。勿論、そうされて、喜ぶ人は、まず、いません。だいたいは、恨まれます。それどころか、ひどい人だと言われたり、中には悪口を触れ回られたことさえあります。

 とはいえ、「先生にああ言ってもらったから、今の自分がある」と大学院に合格した後に、わざわざ言いに来てくれた学生もいましたから、結局は私を「罵る」のも、私に「親しんでくれる」のも、人なのです。教育というのは「人」相手の商売ですから、当たり前と言えば当たり前のことなのですが。私も言ってやってもどうしょうもない相手に言ったのはまずかったと反省したりもしましたが、で、やりかたを変えたかというと、そうでもなく、この年になるまで、待たなければならなかったというわけなのです。

 今では、よほど目に余る場合以外は、それをしなくなりました。勿論、それをやって、自分を見直せるような、そういう資質がある学生には、まだ「老骨に鞭打って」しますけれども、ね。

 なんといっても、これは大変な作業で、時間もかかります。それに、精神的にも、非常な集中力を要しますから、疲れるのです。私ももう年ですから、やってやっても、意味がないような相手には、してやらなくなったのです。彼らはもう子供ではないのですから(義務教育年齢の相手であったり、せいぜい高校生レベルであれば、考えます。そういう状態で日本にいても、決して幸せにはなれないと思うからです。大学を卒業しているか、すでにそういう年齢に達しているような人には、無理はしません。彼らが日本とは相性が合わないと思えば、帰れば済むことですから。それに、そんなことで、自分の寿命を縮めたくはありませんから)

 この学校へ来たら、相手を見て、その人の資質や人柄に合わせた教育を施していく。それしかないのです。彼らの国で、しっかりと習慣づけられ、刷り込まれたものは、私たちが一年や二年、懸命に努力したとて、ちっとやそっとのことで変えられるような代物ではないのです。

 というわけで、昨日のことなのですが、「よし、終わった」と、何度か席を立とうとしたのですが(敵は気づいていたと思いますけれどもね、それに)、そのたびに、このかわいい敵は、「ね。先生」、「あのね、先生」と話を続けるのです、帰りたがっている私を無視して。

 この「あのね、先生」と「先生、あのね」と言われ続けているうちに、ひと頃の小学校低学年の作文指導を思い出してしまいました。朝日新聞でも連載があったと思うのですが、子供達が作文を書けないときに、「あのね、先生」とまず書き出して、それから書いていこうという指導であったと記憶しています。全く、昨日の彼女は、その通りだったのです。もしかしたら、昨日、彼女は、小学生の頃の自分に戻っていたのかもしれません。何度も何度も「あのね、先生」、「先生、あのね」と言って、話を続けていきましたから。

 …けれど、昨日は疲れたぞう。今日はビシビシやってやるからな…。実は、まだ作文の指導が残っているのです。

日々是好日
コメント
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