日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今年の七月生(ネパール)は、「N5」に合格しているとはいいながら、教科書は「五課」までしか、習っていなかったという。それでも「合格」できるような試験なのですね。

2024-07-25 12:12:27 | 日本語学校

晴れ。

薄い雲に覆われていた空も、今では雲が切れて、青空がかなり見えてきました。今日も暑くなりそうです。酷暑。

さて、学校です。

「七月生」たちも、一ヶ月が過ぎた頃から、だんだん、「差」が出てきました。この「差」というのは、日本語力の「差」というものではなく、「コミュニケーション力」と言った方がいいかもしれません。まず、表情です。

相手が「何を考えているのか」とか、「どう感じているのか」を考える力、思いやる力の有無というか、その度合い。その上で、自分がどう反応すべきなのか…つまり適応力。

これは日本語がまだまだの人でもできること。表情や身振り手振りで、それとなく、表すことができますから。これがないと、無表情で、とりつく島のない人ということになってしまう。言葉ができない上に、表情が読み取れないというのは、ちょっといただけない。かわいげがないと受け取られてしまいがち。

このクラスは一人の在日生をのぞけば、スリランカ人とネパール人しかいないので、両者を、つい比べてしまうことも…少なくないのです。

ちなみに他のクラス構成を見てみると、二年生の二クラスでは、まず「Aクラス」は4カ国からなる八人で、「Bクラス」は7カ国からなる十二人。そして、今年の一年生クラスでは、四月に来た「Cクラス」は20人からなる6カ国となっていて、この「Dクラス」のように、留学生が2カ国からだけというのは、この学校では珍しいこと。少なくとも、一人二人は、別の国からの人がいて、いわゆる多様性が保持されているのが普通ですから。

で、先の「七月生」です。

ネパールからの学生がどうも呑み込みが悪いので、訊いてみたのです。(一応、留学生は皆、「N5」の試験に合格してから来ています)「国でどこまでやった?」。教科書はスリランカもネパールも、『みんなの日本語』で勉強したと言っていましたから、比べやすい。最初に尋ねた学生は、(四月生の助けを借りて)「三課」。もっとも、その後、他の学生が「五課」と言ったので、慌てて言い直し、同じく「五課」…本当かどうか判りませんが。まあ、「三課」でも「五課」でも同じようなものですが。昨日、学校では「四課」が終わっていますから。…ということは、もう貯金は使い果たした?

すると、別の学校から来た一人(ネパール人)が、「私は十二課までやった…」そう、少しはいいか。

スリランカの学生は『みんなの日本語(Ⅰ)』は終えており、「N4」の勉強までしてきたと言っていましたから、最初から差がついていたわけです。もちろん、個人的な差がありますから、『(Ⅰ)』を終えていても、さっぱりの人もいますから、だからどうだというわけではないのです。言語に関して勘のある人やセンスのある人は、勉強してから来ようが、していなかろうが関係ありません。ここで勉強すれば済むことですから。それに、頑張れるという人も関係ありません。そう言う人はどこでもどんな状況であろうと、頑張れるものなのです。

ただ、こういう日本語学校に来る留学生については、それはあまり期待できることではないのです。そういう学生が来たら、めっけものくらいの感覚でいた方が、いい。その方が苛つかずにすみます。

と言いましても、この「5課」には驚きました。以前は白紙状態で来ている人もいたのですが、それはネパールからの留学生がボチボチ増え始めた頃のことで、今の状況とは全く違っているはずです。

その時も、ネパールに行って初めて判ったのですが、先生がいない…のです。日本語の先生と紹介されたのに、私たちの簡単な日本語が判らない。その上、これがひらがな???という文字を書いていたり…。それでも、現地に行って、彼らの先生や留学予定者に会っていたので、それなりに選ぶことができました。

目的が「勉強」ではないと明らかに見える人や、先生からして、ひどかったり、あるいは「これは無理だ(ひらがなも読めないし、まして書くことなど全くできない)、本当に勉強したんですか」という人は、総じて、お引き取り願いました。…こちらが断っても全く関係ないのです。「数打ちゃ当たる」くらいの考えで連れてきていたのでしょう。それでも、日本のどこかの日本語学校には入れるそうですから。

それとは別に、「ひらがな」なんぞは書けなくとも、面接の時に、(教科書は持って行き、個人レッスンのような形で)教えながら様子を見て、これは頑張れそうだと思ったり、言語に関してセンスはあるなと見えた人は、候補に入れました。

もちろん、こちらの勘が狂うこともありましたが、現地に行って、見て(学生や教師を)判断できたというのは強みでした。二度、三度とそれを繰り返せば、向こうでも、だいたい察しはついて、こちらが断りそうな人を私たちに紹介しなくなりましたもの。回数を重ねていけば行くほど、面接が楽になりました(予定者の数も減りましたから)。

ただ、この「コロナ」です。それで、それがぷっつり切れた…。あの「普通の学生」を紹介していたグループが、たった「5課」くらいしかしていない人を寄越す???どうも、同じグループで代表者は同じでも、受け持つ人が変わっていたようですね。こちらも、ほどほど注意しておかねば。

スリランカでは昨年、新しい所からの学生を二期(四月と七月)に入れて、問題があったので、10月からは断っています。もう一カ所、新しいところがあるのですが、何か問題が生じると、すぐに在日の関係者が駆けつけてくれます。それに、向こうで『みんなの日本語(1)』が終わってから、「N5」の試験を受けさせているようですので、来日後の勉強においても、基本的に問題はありません。あとは個人的なことだけです。

留学生達が来日後、日本語学校で学べるのは、最長で二年。その間に私たちは彼らが希望する進学先や会社などへ入れるように、指導していかねばなりません。もし、この「二年」という縛りがなければ、それぞれに適した教え方で、もう少しゆっくりとやれるのでしょうが、最長で二年と言うことは、四月に来た場合ですから、もし七月に来れば、一年と九ヶ月、十月に来れば、一年と半年、一月に来れば、一年と三ヶ月ということになってしまいます。

その上、「日本語能力試験」は、七月と十二月の2回しかありませんから。四月か七月に来ていれば、どうにか3回受けることができますが、十月ならば、2回しか受けることができません。しかも、専門学校や大学を受験する場合、十二月の試験(結果)は間に合いませんから、一発勝負ということになってしまいます(十月生の場合)。素質があると思われても、一年に満たぬ間に、「非漢字圏」から来た、ごく普通の学生が「N3」に合格するというのは、かなり難しい。まして「N2」においてをや。

彼らは(来日前)働いたこともなければ、掃除・洗濯・食事の支度などもしたことがないというのがほとんどで、それに、普通の人達ですから、受験のために必死で勉強してきたという経験も、いくたりかを除けば、まずないと言ってもいいでしょう。

今の二年生は、学校生活というか、授業を楽しんでくれているようですから、それはそれでうれしいのですが、これからのこと、つまり専門学校などの受験のことを考えると、もう少し、国でやってきてくれたらなあと思ってしまいます。遅きに失するといえばそうなのですが。…なにせ、十月生が多いので。

ただ、彼らは、それらをあまり意に介していないようですね。やきもきしているのはこちらだけか…。それが歯がゆくもあり、まだ同時にやってやらねばという引き締まったような気持ちにもさせるのですが。

日々是好日
コメント
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