日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

(日本の)大学の学費は?

2008-08-28 07:44:27 | 日本語の授業
 今日は曇り空。雷雨の予報が出ていましたが、とにかく、ムシムシしています。暑い。

 さて、昨日、大学の学費のことで、どうも腹に据えかね、学生たちに注意してしまいました。

 日本人の間では、金銭に関することは、普通、話題にするのを「はばかる」という傾向があります。「『銭、銭』と言う人を卑しむ」のです。もちろん、お金は「大切」です。お金が「大切」であることと、それを「口に出す」こととは違います。

 「あぶく銭」だの「『濡れ手に粟』で稼いだ」だの、こういうことを言っている連中は、「堅気ではない」とか「『地に足のついた』生活をしていない」とか言われてしまいます。「バブルで踊っていた人」が、最後に警察に捕まった時も、やっぱり「こんなでは日本はだめになる」と言われたものでした。

 しかし、外国人を相手の仕事では、「お金のこと」を声高に言わねばならぬ時が少なくないのです。「知識は『お情け』でなく、『自分の力で買うもの』」であり、「学校に通うには、お金を払わねばならない」という認識が、一般に、途上国では薄いのです。

 まあ、考えて見ますれば、途上国で知識があるのは、だいたい「有産階級」と決まっています。、働く必要もない人達なのです。つまり、親から子へと伝わってきた、先祖伝来の財産で、食いつないでいる人達ですから、貧しい人に「知識を『施す』」のに、抵抗はないでしょう。どうせ、自分や両親が「汗水垂らして、稼いだ金」で得た知識ではないのですから。

 そこが、日本との違いという所でしょうか。口幅ったい言い方をさせていただくならば。

 日本では、「格差」が広がったと言われる現在ですら、途上国に比べれば、「格差」とは言えないほどのものです。こういう国では、努力すれば、「自分の力で」知識や技能は得ることが出来るのです。

 「熱心さ」と「ひたむきさ」で自分を売り込み、すばらしい「技術(陶芸や染色など)」を身につけた人もいます。この時には、お金がなくても、相手の方(師匠、先生)がその学生(弟子)を見込めば、住み込みにしてくださったり、安いアパートを(保証人になって)紹介してくださることもあるでしょう。

 これは、「お金」の代わりに、「労働」で「学費」を払っているというわけです。

 話は元に戻ります。最初の「大学の学費」の件です。実際の所、「日本の大学の学費は高い。こんなに払えない」という外国人の学生は、少なくないのです。

 しかし、そうでしょうか。

 日本の大学には、多く「減免」という制度(?)があって、外国人の学生を優遇してくれています、それは「外国人に」だけであって、「日本人の大学生にはない」のです。そのことも彼らは知りません。外国人の中には、「『喚き得』の国」から来た人達もいます。こういう人達は「騒いでいれば、(うるさいし、面倒だから)他の人は折れる」ことを、伝統的に身体で知っています。一人が「喚け」ば、すぐに皆が「唱和」します。

 彼ら(外国人)と反対に、私たちの認識は、「外国人は優遇されている」です。

 「日本人」の高校生や予備校生の中には、「(大学の)学費が高くて、大学に行くのをあきらめたり、高校卒業後、何年間か働いて学費を貯めて、それから試験を受ける人もいる」のです。

 そう説明すると、「アメリカ」の大学院を出て、日本へ来たという台湾の女学生が、「ええ!『日本人の方が高いの!』どうして?『アメリカ』じゃ、外国人は『アメリカ人の学費の2倍か3倍』なのに」と驚いていました。

 案外、こういうことは知られていないようです。

 去年、ここで学んでいたチリから来た学生は、その前に、「イギリス」に留学していたのですが、留学生は「イギリスでは、働くことが許されていなかった」ので、とても大変だった。(もちろん、こっそりアルバイトをしていたそうですが)」と言っていました。

 言いにくいことですが、「この『減免』のお金も、私たち日本人の税金から出ている。もし、勉強する気がないのなら、日本へ来ないでもらいたい。来る人が多ければ多いほど、私たちの税金が使われてしまうわけだから」とまで言ってしまいました。

本当に、私たちは、勉強したい人を教えたいのです。その人達だったら、私たちはいくらでも力になれると思うのに、そう言う人達はなかなか、私たちの「『網』にひっかかりません」(なんだか、書いているうちに、自分がいい学生を求めてさまよっている、「蜘蛛」に見えてきました。もう10年もしたら、私の体力もなくなり、教えることが出来なくなるような気がするのです。『上級』は講義形式でもいいのですが、『初級』は「肉体労働」ですから)

 その上、「『日本人』が、学費が高いことが理由で、大学進学をあきらめざるを得ないのに、税金も払っていない父母の子である『外国人』が、安く大学へ入ることが出来るのはおかしい」と、経済的に余裕になくなった日本人が、言い出すかもしれない。そうなったら、もっと高くなるでしょう、日本人と同じになるわけだから。

 それでも、留学生に「アルバイトを禁じている」国や、自国の学生よりも、「二倍も三倍も学費をとる」他国に比べれば、どれほど「まし」か、しれないのですから。

 中国もそうですね。比較にならないくらい、外国人は高かった。けれど、当時、中国は、貧しかったし、私たちも「外国人から『ボル』より仕方がないのだろう」と、ヨーロッパから来た留学生達と一緒に話していました。

それに、北京大学の学生と話している時のことです。彼に「どうして北京大学は、日本の大学に入れなかった人までいれるの。大変だろうに」と言うと、「お金さ。決まっているだろう。自分の国の大学生にさえ、十分な教育が出来ないのに、他の国の学生、特に先進国から来た学生なんかに、教育なんてしてやる必要がどこにある。居させてやって、『北京大学卒業』の肩書きを売ってやって、それで、中国の学生や教師に豊かな生活をさせてやれるんだからすばらしいことさ」と答えていました。それは、国策なんでしょう。育てる必要のある学生は、皆「国費」で来るわけですから。

 けれど、「外国人より『日本の学生の学費の方が高い』」ということ、日本の学生の中には「『学費が払えない』という理由で、大学をあきらめている人も少なくないのだ」ということは、彼らに知っておいてもらいたいと思うのです。

 日本で、「日本の大学に入れる」ということは、「彼らの、つまり、自分の力だけではない」のです。無形の、税金をまじめに払っている無数の、日本人や日本在住の方々のお陰でもあるのですから。

日々是好日
コメント
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