日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「富士山旅行」と「夏休み」を前に

2008-08-02 08:25:57 | 日本語の授業
 昨日、ミンミンゼミの声が、遠くから、か細く聞こえてきました。やはり夏になったのですね。なんといっても、小学校が夏休みに入って、もう一ヶ月ですもの。町が、プール帰りの子供の声で、膨らんで見えます。

 ふと気づいたのですが、これまで静かさで、空気を裁ち切っていた桔梗が、姿を消していました。今そこにあるのは、「静」の桔梗ではなく、濃いピンクのオシロイバナ。あの子供の「おままごと」には欠かせない、オシロイバナです。オシロイバナの色も少なくなりました。白や黄色はあまり見かけません。白い夾竹桃をあまり見かけなくなったのと同じ理由からでしょうか。
 
 お弁当を買いに行く途中、見事な朝顔をフェンスに這わせている駐車場があります。そこの朝顔は、江戸の色、一色。曰く「江戸紫」そのものなのです。ここまで見事だと、植えた人に、何か拘りがあるのかとさえ思ってしまいます。

 さて、「上級」クラスの一学期の授業は、昨日で終わり。次の授業は8月の25日からです。

 「初級(Ⅰ)」と「初級(Ⅱ)」のクラスは、来週月曜日の「富士山旅行」と次の日の「お休み」を挟む、水曜日まで、お休み。本当の夏休みは、8月11日から15日までの1週間。その間も必要のある人には学校で勉強してもらいます。

 何でもそうですが、心の緊張が途切れてしまうと、また続けることが億劫になってしまいがちです。この緊張が途切れないように指導していくのも、こういう学校の「教師の務め」でしょう。

 「上級クラス」は、「ディクテーション」のノートの持ち帰りと、後は、一人一人に、この3週間の休みのうちに、しておかなければならないことを指示(もちろん、指示を出さなくてもいい人には、何も言いません)しました。その中には、「オープンキャンパス」の参加も含まれています。未だにどこか、目的を絞れない人もいるのです。夏休みを挟むこの時期は、教師も授業に追いまくられるということが少なくなり、彼らと最終的に話し合う機会が増えます。やりたいことは何か。教師は相づちを打つだけでいいのです。自分で自分に語らせて、考えさせていきます。

 六月から、新たに参加した二人には、休み中、教科書を借りて、「初級(Ⅱ)」クラスの授業に参加するよう、促しました。「独学」の人や、学校に通ったといっても「独学に等しい状態」の人には、往々にして、「基礎編」が欠けている場合が多いのです。特に中国の人は、「文法を理解した」状態だけの人が多く、「文章の中から文意を読み解く」ことが出来ないという悲惨な状態になっている人もいますし、「読める」が「聞き取れない」し、「話せない」、当然「書けない」状態になってしまっている人も少なくありません。

 その上、困ったことにそういう人に限って、「解る」と言い張って聞かないのです。まじめに通うだけの「根性」があれば、それなりの手は打てますが、「変なプライド(?)」から、出来ていないことを、認められない人には、本当に困ってしまいます。それでいて、「どうすればいい?」「どうすればいい?」と騒ぐのです。その上、こちらが話そうというと、(聞き取れませんから)話させません。すぐに話の腰を折ってしまい、勝手に一人でまくし立てようとします、めちゃくちゃの「助詞」を使って。いっそのこと「助詞」がなければ、こちらも類推できますから、その方がいいのですが、もう「助詞」がめちゃくちゃだと、どうしようもないのです。何を言っているのかわからない。手がつけられません。

 そのときは、どうしてこんな状態の人に、「日本語が上手だ」と言う人がいるのだろうと、見ぬ、「良心的な」ボランティアの人を恨みたくさえ、なってしまいます。もう、こういう状態の人には、当方としても手の打ちようがなく、本人も「欲求不満」のまま、引き下がってしまうということになってしまいます。

 習い事をする場合は、まず「自分のレベルを知る」、つまり「現実を認める」ということが、何よりも大切なのですけれど、それを認めるだけの「度胸と知性」がなければ、しょうがありません。本当に、気の毒ですが、それはそれでしょうがないことなのでしょう。子供ではないのですから、自分の人生の責任は自分でとるということになります。できないのは、自分の責任なのです。

 ありがたいことに、今いるお二人は、こちらの言うことを素直に聞いてくれます。もちろん問題点も多く、時間はかかると思います。けれど、教師の言う彼らの「現在のレベル」をそのまま認めるだけの、「心の広さ(そう言いたくなるほど、これが欠けている人が多いのです、最近)」と「素直さ」、多分これも「知性」の一つなのでしょうが、これさえ持ち合わせてくれていれば、あとは何とかなると思います。まじめに休まずに通ってきてくれていますから。

 ところで、「富士山旅行」です。参加者の中に、「中学生の年齢」の者が四人 、「中学校は卒業したけれど、高校を卒業する年齢は至っていない」者が四名います(小学生の二人は親御さんと一緒なので、大丈夫なのですが)。高校さえ卒業していれば、何となく、「放っておいても大丈夫」の感がありますが、「中学生」や「中学生に毛の生えたレベル」では、完全に私たちは「引率者」になってしまいます。

 目を離した隙に、とんでもないところに飛び込んでしまうようなのが、いるんです、この中に。

 というわけで、役割分担で、私はそのうちの二人を「マーク」することになりました。子供は元気に飛び回りますから、こうなると、肉体労働ですね。よく眠って準備しておきます、前日は。

 でも、本当に子供です。「月曜日は早いから、ちゃんと目覚まし時計をかけておくんですよ」と言うと、「大丈夫です。前の日は、夜寝ません」と答えるのです。思わず、「夜寝るんだ。寝なかったら、不機嫌になって、鬱陶しくなるんだ」と心の中で呟いてしまいました。

 高校卒であれば、だいたいの理屈は解りますが、中学生はまだそれが通用しないのです。しかも、いろいろな国から来た外国人同士ですから、言葉による共通理解に幅が出来ています。馬鹿げた行動をとられて初めて、「わかっていなかった」ということが解る場合も多く、本当に要注意。

 日々是好日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする