日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

若年層の日本語教育

2008-08-27 08:25:59 | 日本語の授業
 今日は、本当に久しぶりのいい天気。「青空ってこんなに青かったかしらん」と、もう少しで、空の「青」を忘れてしまうところでした。

 来る途中、小学校の桜の樹に「黄葉」を見つけました。少し前なら、陽の激しさに灼かれた「病葉」としか、見なさなかったでしょうに、今では、自然に「黄葉」と見ている自分に驚かされます。

 しかしながら、昔の人は便利なものを考え出しましたね。雨が続けば「しょうがない。秋の『長雨』と昔から言うではないか」とため息をついたでしょうし、晴れが続けば「やはり『秋空は爽やか』と決まっているもの」と喜んだでしょう。

 同じように、五月も厄介です。「五月雨」という言葉から連想するのは、その前の「菜種梅雨」から続く、「雨天」のイメージですし、「五月晴れ」と言われれば、これもやはり「清々しさ」さえも感じてしまいます。

 もちろん、「晴れっぱなし」のお天気の頃には、別に「晴れ」に、希少価値があるわけでもないので、そんな言葉など作られはしないでしょうし、「雨」が多い季節だからこそ、「晴れの清々しさ、爽やかさ」を、よりいっそう強く感じてしまうのでしょう。

 さて、この学校には、今、非常に年若い学生が、6名います。いずれも中学校か、或いは、本来ならば高校に行っていなければならない年頃の子達です。いわゆる、大人と一緒に学んで行くには、本人の資質が関係するとはいえ、多少無理があるといえる年頃なのです。

 この中に、同じ年齢でありながら、全く異なった状況の下で、日本語を学んでいる子が、二人います。

 一人は、日本の中学二年生に編入しており、放課後の二時間ほどという約束で、日本語を学んでいます。

 もう一人は、一年後には母国へ帰り、そのときに学業は続けるので、日本語だけ身につけられればいいと、いわゆる「通常のカリキュラムに則って、『みんなの日本』を、通常の時間に」大人達に混じって、学んでいます。

 これも、どちらの方法がいいのか、私たちの乏しい経験からは、何とも判断のしようがないのですが、我々のこの半年を振り返ってみますと、いくつか考えさせられることがありました。

 もちろん個人差はあります。しかし、両名とも、母国では、「出来る子(学校)」で通っていたということ。ご両親が双方とも勉強熱心であるということ。日本語がここで生きていく上で、必要不可欠なものであるということなどを、はっきりと認識していることが共通しています。

 大人の中で学んでいた、フィリピンの子は、学びながら考えて、考えながらまた学ぶという勉強の仕方が身についていましたから、勉強の面ではそれほど心配していなかったのですが、この14歳から15歳という時期は、勉強だけでなく、友人や友だちとの「遊び」などもまだまだ必要です。(もちろん、『数学』や『社会』などの教科の勉強も)

 勉強を始めてから、二ヶ月くらい経った頃でしょうか、何となく、精神的に不安定になっているような気がしました。友だちがいないせいか(同年齢の子供と、一緒に遊んだり、勉強できないせい、或いは、同年齢の子達との社会生活が出来ていないせい)とも思われましたので、中学校入学を考えてみるように親御さんに勧めてみました。

 私たちに、出来ることには「限り」がありますので、子供達の様子から、何かしら問題が生じた場合は、その解決策を探り、もし、ここで解決できないような場合は、出来るだけすみやかに、親御さんと連絡を取り、対策を考えてもらうようにしています。ただ提案は出来るのですが、決定権は我々にはありません。

 そのうちに、また「戻り」、また「不安定になり」を、それから、二度ほど繰り返したでしょうか。今は安定しています。少々取り越し苦労だったかとも思ったのですが、それは今だから言えることで、この時期の子供は、普通に暮らしていても、バランスが崩れやすいのです。今では、もうすぐ『みんなの日本語(Ⅰ)(Ⅱ)』が終わり、9月の第二週からは、『中級』に入れるでしょう。うまくいけば、帰国するまでに、『中級』が終われるかもしれません。

 この子は、それなりのやり方も(ご両親の考え方、この子の覚悟など)も、分かりましたので、後は残された期間に、出来るだけ日本語を入れることを考えているだけです。それくらい、この学校にいる時間が「濃密」だったと言えましょう。フィリピン人は一人でしたし、初めの頃は、子供も一人だったので、課外活動で外へ出る場合などは、出来るだけいつも一緒にいて、ひとりぼっちにさせないようにしていました。

 そんなわけで、今、私たちがちょっと考え込んでいるのは、もう一人の、日本の中学校に、学年を落として入っている子(本来ならば、中学三年生ですが、ここでは二年生)のことです。

 彼女は、日本に来てからも、タイ語の分かる人達や、ボランティアの方達の間では、「ああ、あの頭のいい子」で通っていたそうです。確かにまじめで、宿題はしてきます。けれども、日本語を学ぶ時間が圧倒的に少ないのです。その上、日本語だけに集中するわけにはいきません。学校の勉強も進んでいるのですから。

 二人は、ほぼ同じ時期(今年の4月)に、この学校に通い始めました。一人は通常の「日本語のカリキュラム」通り、一人は「変則的」で、一日二時間の約束でも、学校の帰りが遅いと、それが一時間になったり、「なし」になったりします。

 一人は、たとえ「大人」の中であろうと、同じように練習し、他の人が練習する時は、それを聞くことが出来ます。いろいろな国の人からなっているクラスなので、共通言語は日本語しかありません。宿題も大人と同じです。この半年間、日本語だけに集中することが出来ました。

 一人は、日本の中学校にいて、言葉の問題はあるにしても、同年齢の子達の中で過ごすことが出来ました。が、日本語は、一時間かそこいらしか、学ぶことができません。

 少し日本語が出来た頃から、まず、それほど日本語を必要としない「数学」、それから今では「英語」も少しずつ入れているのです。そうしないと、中学校において、いつまでも、特別カリキュラムの中でしか、過ごせなくなってしまいます。他の日本人の子達の中で、学ばなければ、日本の中学校に入っている意味がないのです。そうでなければ、ここで、文法などの基礎的なことを学んだだけで終わり、それを生かして使う「場」が、なくなることになってしまうのです。

 この学校の正規のカリキュラムに則ってやるには、時間が少なすぎますから、自然に「練習」や「応用」が少なくなってしまいます。

 初めは、中学校に通っているから、「友だちを通して、会話は上達できるだろう」くらいに、簡単に考えていたのですが(彼女に聞く限り、或いは我々が見る限り)、友人も同じ学校に通うタイ人の女の子、いつも彼女と一緒です。これでは、我々の思っていたほどには、中学校で日本語を使う機会がないのです。

 ご両親は、「この子は頭がよいから」と簡単に考えて、9月からでも正規の中学校の授業に参加できるだろうくらいに思っています。非漢字圏の子供の場合、高校受験は、少なくとも2級レベルの日本語でなければ、難しいのではないかと我々は考えていますが、ご両親の考えは、「すぐ日本語が上手になるはずだ。この子は頭がいいから。だから大丈夫」なのです。

 子供の実態を、説明しても分かってもらえない部分があるのです。漢字の分かる中国人でさえ、中学の二年、三年で日本の学校に入ってしまうと、大変なのに、非漢字圏で「文章が読めない」状態の人が、すぐに(わずか半年、日に一時間程度学んだだけで)日本の学校の授業についていけると考えるのは、どう考えても無理があります。

 初級の教科書『みんなの日本語(Ⅰ)』も20課前後から、スピードが落ちました。頭の中で混乱しているということがよく解ります。夏休みだったこともあり、「初級」の午後のクラスに入れて(彼らはまだ「16課」ですから、復習になってちょうどいい)、今はちょっと息抜きをさせています。年の近い、17歳や19歳の中国人の女の子と話しているのを見ると、私たちも安心します。

 彼女は、確かに日本語は上手にはなっています。けれども、使わなければ(使う機会がなければ)、すぐに忘れてしまいます。まだ、子供なのです。大人のように「頭」で理解し、どうにか出来ると言うものではないのです。

 初級の教科書が終わる「半年」ほどは、中学校へ行かずに、却って日本語に集中させた方がよかったのかもしれないと、今考えたりすることもあります。その方が、勉強の習慣もついている、まじめなお子さんにとっては、学校へ通うことになっても、友だちも作りやすいだろうし、勉強の負担も軽くなるとは言えないにしても、理解できることが増えるのではないかと思うようになっているのです。

 しかし、もう学校に通っていますから、できれば、午前中は「中学校でみんなと一緒に勉強」し、午後は「日本語学校に来て、外国人達と一緒に日本語を勉強する」形をとれないかと、思っているのですが。

 もちろん、これはお金のかかることなので、何とも言えないところもあるのですが。

日々是好日
コメント
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