陶芸や竹細工などと違って、シャッターさえ押したら誰でも撮ることができる写真。
写真は趣味の一つだけど、撮るのが面倒でそんなに撮ってるわけじゃない。
スマホなど持っていないので、わざわざ一眼レフのカメラを持ち出さないと撮ることができない。
写真をわざわざ撮りに行くことはまずない。
たいていこの農園の中で済ませてしまう。
幸せの「青い鳥」が家の中にいたように、美しいものは手近なところにある。
公園や観光地の写真を撮っても、後で見たらたいていがっかりさせらる。
そこには誰でも撮るようなありきたりの写真、観光パンフレットや旅行雑誌のプロが撮った写真よりも拙い写真が写っているだけだから。
誰でもが美しいと思う写真を撮っても少しも楽しくない。
「美」を見に行くのでなく「美」に気づきそれを撮るのが楽しい。
何を美しいと思うのか?それは人それぞれによって違うだろう。
そんな心の中がわかるような他人の写真を見るのも楽しい。
普通はしっかり絞り込んだピントの合った写真がいい写真なのだろう。
でも自分では絞りがゆるくて明るく補正したパステル調のもやっととした写真がすきだ。
ピントはもちろん合ってるほうがいいけど、少々ずれてても構わない。
面の組み合わせでなく光と色の組み合わせ、
ピントがしっかりあった緊張感あふれる写真よりも、
もやもやッとしたなんかよくわからない写真が好きだ。
写真は趣味の一つだけど、撮るのが面倒でそんなに撮ってるわけじゃない。
スマホなど持っていないので、わざわざ一眼レフのカメラを持ち出さないと撮ることができない。
写真をわざわざ撮りに行くことはまずない。
たいていこの農園の中で済ませてしまう。
幸せの「青い鳥」が家の中にいたように、美しいものは手近なところにある。
公園や観光地の写真を撮っても、後で見たらたいていがっかりさせらる。
そこには誰でも撮るようなありきたりの写真、観光パンフレットや旅行雑誌のプロが撮った写真よりも拙い写真が写っているだけだから。
誰でもが美しいと思う写真を撮っても少しも楽しくない。
「美」を見に行くのでなく「美」に気づきそれを撮るのが楽しい。
何を美しいと思うのか?それは人それぞれによって違うだろう。
そんな心の中がわかるような他人の写真を見るのも楽しい。
普通はしっかり絞り込んだピントの合った写真がいい写真なのだろう。
でも自分では絞りがゆるくて明るく補正したパステル調のもやっととした写真がすきだ。
ピントはもちろん合ってるほうがいいけど、少々ずれてても構わない。
面の組み合わせでなく光と色の組み合わせ、
ピントがしっかりあった緊張感あふれる写真よりも、
もやもやッとしたなんかよくわからない写真が好きだ。
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