柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

懐古

2008-05-21 08:42:00 | Weblog
野球解説者の豊田が西鉄のユニフォームを着てご満悦です。西武がファンサービスの一環で福岡ドームでの試合で着るんだそうです。当の豊田が不平を鳴らしていたことですが、西武は前身球団と一線を画し球団史も西武のものしか取り上げない方針を採ってきました。つまり前身球団の歴史が全く公式の場から消えてしまっていたのです。その前身球団が西鉄ライオンズです(その後クラウンライターやら太平洋クラブやら変遷の後に西武に買収されたのです)。先に稲尾が亡くなりました。野茂やイチローを見いだした仰木監督も亡くなりました。当時の西鉄の主力はこの豊田と中西が残るくらいですか。新聞は書きます、58年の日本シリーズは伝説の3連敗4連勝のドラマ、当時は西鉄の黄金時代だったって。58年とは昭和33年です。あの長嶋がルーキーの時です。今では考えられぬことですがエースが何連投も平気でする時代です、稲尾も4連投くらいしたんでしょう、先発完投の次の日にリリーフしてその次の試合にまた先発する。そうやって巨人を倒して、日本シリーズ3連覇した西鉄です。福岡の球団です。豊田のお喜びもさもありなんですが、写真に映る彼の顔、なんとも爺さん。次はこの人でしょうか。西武の心変わりの意図は?どうして急にこんなこと言いだしたんでしょうか。堤さんが失脚して何年も経ちます。確かにここ数年戦績の低迷は続いていますが・・この試合見てみたいと思いました。
 野球の話もう一題。朝日新聞に江川と定岡の甲子園を巡る対談が載っています。レベルは江川の方がうんと上でしたが、人気は定岡でしたか。江川は優勝できませんでした、押し出し四球でサヨナラ負けした試合のことを出して、それまでは自分だけでやっていたけれどあの時に初めてバックのみんなと一緒にやってると感じた、解放されたと言います。ふうむ、こういう話に普通は感動して、こんな怪物でもやはりそう思うんだぁなんて感激する、感動をありがとう!なんて言うんでしょうが、へそ曲がりはちと違います。ああ、こうやって気持ちを逃がすんだ、勝負に賭けて、とにかく勝たねばならない、その一点に賭けてやってきていたはずなのに、それが叶わぬとわかると人は楽な方に逃げるわけだと再確認するわけです。勝たねばならぬ!!と気合いを入れることと、みんなで一緒にやってきたんだ幸せなことだなんて「解放」されることと、全く別次元のことですよね。それは勝負を諦めたって事で、それはそれがスポーツの精華だ、そう感じることこそがスポーツ続けてきたことの意味なのだなんて高野連の空言、勝ち負けだけがスポーツじゃないんだっていう大精神論に身を翻したということですよね。こう言っておけば拍手を貰えますから。江川が言うかなぁ、です。定岡レベルが言うのなら笑っておけばいいですから。松坂は負けなかったですからこういう悲劇性を帯びません。本当に強かったのは松坂だってことです。こういう話の好きな国民性にも負うことでしょうけれど。天の邪鬼に過ぎましょうか。
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律速

2008-05-20 08:40:09 | Weblog
福岡県警の56歳巡査部長が売春斡旋していたという話です。驚かなくなりましたねぇもう。もちろん例外は少なくとも同じ数だけあるのでしょうが、捕まえられる方と捕まえる方と、人種はきっと同じ者達が集まっているのです。人種というのはもちろん human race のことではなく、気質、性格、性分、品性、人格の似通った者という意味です。どこかの暴力団事務所に警官大勢で踏み込む(ガサ入れ)画像がよく報道されますが、どっちがやくざかわからぬ風体の警官が多いでしょう?神戸県警と山口組のなれ合いは有名でしたし。取り締まる側(権力側)と「られる」側とのなれ合いは、人種まで一緒でなくても有り得ることです、たっぷり金握らせるとか十分に甘い汁振りかければ緩むところは緩みましょう。でも、人種が同じであれば今回の事件のように自らが手を染めるってわけです。先日有罪判決受けた「ヤメ検」弁護士もそうです。犯罪取り締まる側の人間が犯罪に加担する、逃げ道を知ってますから、また部長ともなれば下の者に抑えが効くんでしょう「黙っとけ」ですむこともありましょう、重宝されますわね悪者側には。そうやって向こうは向こうで取り込んでいくんですが、白い奴を黒に変えるんじゃないんです、もともと黒い奴を連れてくるんですから事は簡単ですわ。もともと黒い奴、それを同じ人種と言いました。同じ穴の狢。類は友を呼ぶ。こういうことには人は大昔から気づいていて、癖は直らないとか、匂いに釣られていくとか表現して極道息子やら仕事しないごくつぶし達に溜息ついてきたのです。そういう奴らはきっと大勢でつるんでますからね。警官ともあろう者が!!という誹りは残念ながら当たらないのです、もともとそういう奴が警官やってたんです。人は制服で作られるって言ったのはナポレオンでしたか、役が付くと人はそういう顔になっていきますね、これは誰でもが経験することでしょう。その逆ですね、つまり人は制服に従うんです、その人の性分や品性なんてわかりませんから。あの服着ていれば高潔な正義難の強い庶民の味方のお巡りさんのはずなんです。違ったらおいおい!なんですが、くどいですがそうじゃない奴が警官やってたというだけのことです。権力笠に着て弱い者いじめするような奴だったってだけのことです。売春唆すにしても、俺の言うこと聞かなければこれこれこういう罪で引っ張るぞなんて脅す。従っても背いても捕まってしまうなんて袋小路に追いつめて強要する。まさに唾棄すべき下郎、ゲス野郎ですがこれも仕方のないことなんでしょう。世の中善人だけで回ってはいません。少なくとも同じ数だけの非善人がいます。その雑多性こそが社会なのです。それを正せるは直接の上司しかいません。いつもの結論になってしまいますが、いかに私達が優秀なトップを戴けるか。世の中の良い悪いはひとえにここで律速されるのです。そう思います。
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観後感

2008-05-19 08:43:51 | Weblog
映画「靖国」見てきました。今から見に行かれる方のために詳細に亘らぬようにしたいと思いますが、多くの人が読後感ならぬ観後感として言っていたように、大したことない、が感想です。土佐の90歳の刀匠が刀を鍛える、その名を靖国刀と呼んで、靖国神社からこの刀の鍛錬会に感謝状が出ている、この中国人監督はこの刀(戦前戦中戦後を通して綿々と作り続けられてきた)を戦争、つまりは自国への侵略(殺戮略奪)の象徴として全編に通し写し、この老刀匠に決定的な言葉を語らせようとさかんに誘導尋問するという運びです。その合間に靖国神社で繰り広げられるパフォーマンスが挿間されます。自ら靖国おたくと称するほどの作家坪内祐三が月刊誌に評していましたが、軍国マニアのパフォーマンス集のような感でした。私は東京という街をつくづく思いました。人が多いんじゃのう・・。母数が多いとおかしな連中もそれだけ多くいるわけです。そしてこの雑多性。ようもこれだけ色んなのがおるのう・・です。夜、ライトアップされた靖国神社の像からパンしてドローして大東京の夜景に変わっていく画面には改めて息をのみました、でかい街だこと・・。ま、これは単に田舎モノの感想ではあるのですが、でもこの手の示威行動なり演技なりは昔からよく伝えられていることで、軍服着て日章旗もって行進する姿には思わず吹き出すわけです。でも、連中いたってマジですから、怖いことは怖い。かの老刀匠は中国人監督の片言日本語の質問にまともに答えません。これも痛快。この中国人の意図は見え見えなのです、なんとかこの老人にこの刀は人殺しのために作っているし使われているのだと言わせたいのです。でもそんな手には乗らないとばかりに口を閉ざします。途中面白かったのは、沈黙が続いてあと老刀匠が言うのです「お茶も出さんで悪いな」と。とっとと帰れというサインですわね。ま、取材している側としてはこんなことで引き下がれないんでしょうけれどこの監督は、いえいえとんでもないです、なんて応えてる。ああ、やはり文化の違う、吸ってきた空気の違う者がその地の文化(心根、国民性)を語ることはできないのです。刀に対する気持ち、そういう一番根っこの感覚からしてこの二人違いすぎます。つまり日本人と中国人の違いです。挿間される映像は「靖国劇場」ばかりではありません、これでもかとばかりに先の戦争のシーン、日本兵が靖国刀でもって敵の首をはねている写真、そして昭和天皇の映像が続きます。映画の終わりは老いた昭和天皇の姿の静止画像でした。うむ、意図はよくわかります。でもそう、大したことないです。そんなに目くじら立てるほどのモノではないです。それほど散漫なんでしょうね、強い訴えとして伝わりませんでした。稲田女保守弁護士が文化庁の助成を出すような映画ではなかろうとクレームつけた気持ちは理解します。そう思います。その程度のもののように思いました。何か御意見を、と問われれば笑ってそのままにしましょう。でも「だろう?日本は無茶してきたんだろう?」なんて言ってくるなら反論しましょう。そんな気持ちでした。これが私の観後感でした。
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責任

2008-05-18 10:59:33 | Weblog
今朝の関口宏の番組でどこかの大学教授が言ってましたが、ミャンマー大洪水への人道支援、人権の国フランスは強硬に(国際社会の)介入を要求している一方で中国がこれまた強硬に反対しているんですって。これ聞いてびっくり。住む大地と(国土)住む人(国民)あればこその国家であり、両者を守り安定させることが為政者の務めの筈、一部人間の既得権益を太らせるために存在するのではないとも言ってました。なるほど、こういう無茶に反対するには正論が次から次から湧き出てきます。大上段に構えれば必ず「正義」が勝ちますから。でもそうじゃない国が歴然として存在します。ミャンマー、中国、北朝鮮、他にもあるんでしょう(日本?ジョークですか、それならそう応えますが)。この地震を彼らはどう乗り越えましょうか。いえ、時間が経てば必ず見た目は落ち着きます、瓦礫は取り除かれます、人は立ち直ります、死者は忘れられていきます、あの時は怖かったねぇという昔の出来事に遠ざかります。そしてみんなが忘れます。だから今、ここで、なんです。普段はどんなに傲慢横着でも許してやりましょう、いざという時にちゃんとしてくれるなら。人の暗黙の了解はこういうことです。為政者の義務権利の関係、住民と為政者との契約上の不文律です。阪神淡路の時もあの村山爺の無力無能さは呆れるほどでしたね。社会党なんてのは所詮は反対反対と口先だけで騒ぐばかりの集団だって露呈しました。ボーっと見ているってイメージでした。いざという時にこそその人の能力が試されるんですが、これは国(為政者)にも当てはまります。国がどう動くか、これは政権の能力でしょうが、その周りには住民の意識(民度と言いましょうか)の高低が大きく影響しますね、その場にいる人達の行動、もっと言えば被災者達の行動規範や如何に、です。偉そうに言ってますが私にはそういう経験がありませんし、いざとなったときにどういう行動をとれるか自信などまるでないですが、被災者にとって一番の安心は救助隊、モノもさることながらやはり人でしょう、列を組んでやってきてくれる、思わず拍手が湧く、あの安心感です。人の姿でしょう、声でしょう、励ましの言葉でしょう。車で行くとかトラック何台連ねるとか、道路寸断されてライフラインも切れているところへそんなことやっても能率の悪いこと甚だしいこと。こういう災害で世界中が覚えているはず事は空輸しかないってことじゃないんですかね。軍事大国であるなら、こういうときこそ世界中にその威力高性能さを誇示すべく最新の機器を投入してあっと言わせればいいのにと思いますね。どんどん大型ヘリコプターを飛ばす、どんどん人を送り込む(人は多いんですから次々に入れ替えていけばいいです)、人海戦術でライフラインを修繕する、ダムが決壊しそうならそっちにもわんさか投入する。初動でも次動でもなんでもいいです、考えているより動く。走りながら考える。私達がしっかり他山の石とし、心せねばならぬ事はこの素早さなんでしょう。つまりは指揮者の能力。能力のある指揮者を頂くことが私達の責任とも言えることなんでしょう。そう思います。
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不幸

2008-05-17 08:42:52 | Weblog
やっとライブの予定が立ちました。トップページに掲載していますが、キャバーン Cavern のライブを7月12日(土)18:30 から柳井市のライブスポット「ゴッチャ」で開催します。チャージはワンドリンク付きで千円です。夏の宵、ビートルズでお楽しみ下さい。今回はスーパーヒッツ群をずらりと並べてお聞きいただきます。乞うご期待!
 三面の片隅にベタ記事です。畑正憲氏賃金未払いで書類送検。そうあのムツゴロウさんです。北海道の「王国」から東京へ進出したはよかったけれど思惑外れで人が来ない、当人の本や講演では賄い切れぬなんて報道も昔耳にしていましたが、こんな善意で無垢で天真爛漫な(に見える)人でもやはり巷の波にさらわれるという感慨ですか。所詮は金です、収入(資金)あっての事業です。北海道なればこその経営だったんでしょう、北海道でしか成り立たぬ収支バランスだったのでしょう。動物好きは世の中に多い、こんな北海道くんだりまで多くやって来るのだ、人の多い都会に行けばそれだけ多く人はやってくるだろう、知名度は十分だからって読みだったんでしょうが、取らぬ狸のなんとやらを地でいってしまいましたか。しかし賃金未払いで訴えられるとはムツゴロウさんも地に落ちましたか。動物好きな人はそんなこと言わないんじゃないの?って。本書いて売れているときはよかったんでしょうね。私も中学生時分でしたかせっせと読みました、憧れて読んでましたね、広いところに犬やら馬やら何やらが放し飼いにされている絵を思い浮かべて。講演がたっぷりあるうちはそれを突っ込めましょう。でもどれもじり貧で・・浮き世の人気に頼る事業の常ですね。こんなのも堅気な仕事じゃないんでしょうね。イメージとの落差にとまどっています。
 中国大地震、日本の救援隊が到着しました。これでもかって派手なユニフォーム、背に JAPAN の文字、見ていてなかなか誇らしいものです。しっかりやってやれよ!と背を押す気分です、当人達も気負い十分、使命感やら日本人としての誇り(これも愛国心でしょう)とやらで全身力がみなぎってましょうね。古館の番組見ていると(外国の報道陣が現地に入っているんですね、取材場所が限られているのかも知れませんが)現地の人達の期待の言葉が流れてきます。日本は地震の国だから慣れているだろう、その力に期待しているなんて。最新鋭の機器を持ち込んで捜索に当たっています!地震後三日を過ぎてもう時間的に猶予がないと繰り返し、人の気持ちを煽るというか、それを面白がっていると言うか。国際救助隊と言いましたが、まさにサンダーバード並みの期待度です。そうですよね、こういうときにこそ一号が飛んできて兄ちゃんが指示を出す、次男が最新の重機を積んで二号を駆る、ジェットジャイロも要りましょうか、そういう場面を夢想しますね。写真は撮らないでくださいって。いやいや、おちょくっているのではありません、もっともっとヘリコプターを飛ばさないと。ヘリコプターで重機運べないんですかね。大きいやつでなくてもユンボで十分に役立つでしょうに。近くのダムが決壊すれば大惨事だってこと古館が言ってました。こうなると人の不幸は大きい方が面白い調です。次はこれ、こうなるとこう、なんて余計な想定は腹立たしいことです。当局もちゃんと知っていましょうから。ううむ、サンダーバードかぁ。誰か五号に連絡しましたか?
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試金石

2008-05-16 08:42:09 | Weblog
阪神広島戦、昨夜はスカパーで久しぶりにしっかり見ました。広島、自分で勝手に転ける負けです。一昨日も信じられないような外人のエラーがありました、昨日もそうでした。ちゃんと適時打が出ての得点ですから阪神は強いという評価なのでしょうが、阪神はJFKで勝っているのでなく(今Kが不調ですけれど)少なくとも広島は自分で勝手に負けているという印象です。中国新聞はカープとサンフレッチェとを贔屓します、負けても負けても自軍のいいところを見つけて褒めたり、若手のプロフィールを突然紹介したりして紙面を赤色(カープの赤です、あっちの赤ではありません)に染めるんですが、解説は辛辣です。ええかげんにせい!って。でも笛吹けど踊らずです。素人目にもちょいとレベルが違うんじゃない?というところ、プロが見ればとんでもないことなんでしょうにね。でもあそこでプレーしている選手達、高校大学社会人野球界にいた頃には皆バリバリの花形だったんですよ。なんだか信じられませんね。というか、レベルの差というのは上にいっても同じだけあるってわけです。負けに不思議の負けはありません。これはおそらく真実ですね。
 中国大地震、被害が拡大(実態がわかってくるだけです、被害が進行しているのではありません)します、死者5万人、被災者一千万人だそうです。ああ、さすがに人口の国。あんな山奥の田舎(に思いますよね地図見てると)に一千万人!です。阪神淡路ではどんな数字だったんですかね、神戸のあの街中ですこっちもたくさん人がいたはずですが。規模の違いというのは、小さい方で暮らしている者にはなかなか想像しにくいことです。災害報道の常で、ここはこんな悲惨な状況なのにまだ支援の手が届きません!という非難調を帯びます、というか暴露調です。それこそ人口の国です、人を送ろうと思えばわんさか、要るだけもってけ!風のはずですが、ことはそうは運びません。あれだけ人が生き埋めになっているのが分かっているんですから、重機をどんどん運び込まねばなりますまいに。軍隊動かして、最新鋭の輸送機とかないんですかね、大型のヘリコプターしか役に立たぬでしょうからどんどん持ってくるとか。軍隊総動員しても、どこもこんな時に攻めては来ませんよ。外国メディアはまだ入れないままなんでしょうか。となれば我々が見ている映像は当局の検閲を経たものですね、その割には結構生の声(らしき)が流れますね。政府の建物は崩れなくて学校ばかりが倒れたのはどういうわけだ?って非難があるそうで、当局はあれこれ言い訳しているそうです。官民つるんでの公共事業ピンハネの挙げ句の手抜き工事の横行の果てだそうです。なかなかの内憂外患の態です。日本からの救援隊を受け入れるそうです。さて大国中国、この災害の処理が試金石になりましょうか。世界が見ています。
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大国

2008-05-15 08:43:25 | Weblog
中国の地震報道、どんどん詳細が(もちろん当局の検閲を受けた映像や情報ばかりでしょうが)運ばれます。今回は学校の崩落による子供の被害が当初から前面に報道されています、子が泣き叫ぶ映像、未だ倒壊した建物から抜け出せないでいる子、ぐったりして親と思しき大人に抱かれている子・・。これは辛いこと、早く何とかしてやれ!と思います。水が、電気が、食べ物がというライフラインの寸断、それはアクセス道路の寸断でお手上げです。空から行くしかないです、どんどん運べばいいと思うことです、首相が飛んでくるのは早かったみたいですが。そして国際支援の申し出を断っているという話。金とモノは受け付けるが人は要らぬ、です。ミャンマーの軍事政権ほどではないにせよ、と各紙は呆れています。阪神淡路の時はどうだったですかね。確かフランスかどこかから救助犬が来てましたよね(そういう報道がありましたね)、生命確認機器なんてのも知りました、下敷きになっている人を見つけようというものでした。あの時も一悶着あったんじゃなかったですかね、バタバタしているところに(統制がとれていないところに)言葉も通じない外人さん達にきてもらっても・・という理由で。でも、こういう映像を覚えているということは、日本では「国際救助隊」に来てもらったんですね。もっともあの時は(思い出しました)村山ゲジゲジ眉毛爺が首相で、初動どころか何もかもが後手後手、自衛隊を神戸が要請するしないなんてレベルでもめてましたね、そうでした。国際救助隊をどうするのレベルじゃなかったんでしたね。あんな山中の田舎です、おそらく当局からすれば外人達に見せたくないようなインフラの遅れとか旧態依然さとかがわんさか残っていましょう、五輪前のイメージダウンは避けたいでしょうね、だからあれこれもっともらしい理由つけて人は要らないって。これはありがちなこと。ボランティア!って目をランランとさせている人達はちょっとね、って。でも、各紙が結論しているように、今この段階ではおそらく人海戦術でしょうね、金やモノじゃなくて。昨日国民性と書きました。新聞には救援物資を配布する兵士(でしょう)に人々が群がっている写真が載ります、他の新聞には水の供給を長蛇の列を組んで待っている人々の写真。倒壊した建物からは明らかな手抜き工事が露呈しているらしいのですが、それは中国では「おから工事」と呼ばれていて常態だそうです、役人と業者がつるんでピンハネする結果だそうです。列を組んで守って粛々と順を待つのは日本では当たり前ですが、余所ではそうでないこと、これはよく対照される事象です。この二枚の写真は情報操作なんて簡単ですよと教えてくれます。我先に手を伸ばしている写真だけ見たら、あらら民度の低いことなんてことになりましょう。でもちゃんと並んで待っている写真もあるから、これは地域による差かいななんて思い直せます。賄賂社会であることはこれは中国四千年を貫く太き棒のようなモノですから驚きません。現代でも堂々と横行している習慣なのでしょう、中国は法治国家ではない人治国家だと言うが如し。中国、図らずも、思いもよらぬところで試されます。五輪に適当な国家か?大国中国、果たして大国の面目や如何。人口の多いだけの大国や?
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惨事

2008-05-14 08:41:56 | Weblog
中国の地震、気の毒なことです。日を追って被害が大きくなっていくのはこの手の災害報道の常です、当初の見込みを大きく上回ります(初めは少な目に報道するってのがルールなのかも知れませんが)。なにせ向こうは人が多いところですから被害も大きかろうと漠と思うことです。子供が多く被害にあってこれは胸が痛みます。学校が崩れてその下敷きにって因果が辛いです。新聞に載る写真も涙を誘います、死んだ子の手とそれを握るおそらく母親の手。耐震?何?天災はこうやって全てを破壊するのです。五輪への影響は?政権への影響は?チベット問題への波及は?人が多く死に町が破壊された、今、ここでの出来事であるのですが、中国の対外的立ち位置やら政治事情やら果ては中国四千年の歴史にまで言及されます。毛沢東が粛清追放という名のジェノサイドを批判された時に言い放ったという、我が国には人間が多いから(少々死んだところでいいのです)とのセリフとか、古代から綿々と続く易姓革命の血筋とか、つまり人の死に対して鈍感な国民性。いえいえ、まさかこの時期に当局が知らん顔するはずがありません、五輪が目の前ですよ、世の中の注目を浴びているさなかの出来事です、首相がすっ飛んでいく、頑張ろう神戸式の檄を飛ばす、一気に救援隊やら救援物資やらが届けられるのでしょう。当局が世界に向けてどう報道するかですね、ここが今から面白いところでしょう。外国メディアをどこまで許すか。さらにはこの大地震、何かの啓示か?って話。中国共産党一党独裁政治の終焉を告げる序章か?!なんて。阪神淡路のあの大惨事のあともインドネシアの大津波の後も世界は割れませんでした。ミャンマーの大洪水はあの国をどう変えましょうかね。うむ、「大国」中国は未だその段階にあるということでありましょうか。
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文化破壊

2008-05-13 08:42:03 | Weblog
昨日の朝青龍の相撲、すごいですねぇ、あんな大きい男(相手は外人のバルト)が宙に浮いてました。下手ひねりという決まり手ですが、タイミングが合うと浮くんですね体が。なんば走りで有名になった古武道の極意もここなんでしょうか、相手の力を利用する、相手の呼吸や重心の移動や気持ちやら。と、こうやってわかったようには書けるのですが、実際に見るとびっくりしますね。ああいう技は練習してかけられるようになるものでは絶対にないでしょう。天性の勘。朝青龍の優れた能力を見せつけられた場面でした。
 常用漢字、当用漢字の区別にはいつも違和感があって、それに粛々と批判なく従っている新聞やら公文書の見るも無惨なひらがな混じりの熟語表記(終えん、装てん、安ど、操だ、ざんきに堪えぬ、花き、ら致の類)の美しくなさ、不細工さには憤ってきましたが、相変わらず学者達は嬉々として使っていい漢字いけない漢字(いけないなんて言いませんでしょう、そういう定義じゃないって言うに違いないのですが)を選別してます。常用漢字に新たに加えるリストができたそうです。辞書繰ると、当用漢字とは日常使用される漢字の範囲を示したもの、常用漢字とは漢字使用の目安なんだそうで、昭和21年に政府が示したものなんだそうです。現在これを決めているのは文化審議会国語分科会漢字小委員会のお偉いさん達だそうです。昭和21年か。日本の恐るべきあの精神性は天皇を頂点とする全体主義とそれを支えた国家神道からもたらされたものであるから、ここをまず潰せというGHQの方針でした。つまり日本文化を潰せです。家族を潰せ、道徳を潰せ、教育を潰せ。その一環として漢字文化を潰せがあったに違いないのです、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の大敷衍、拡大解釈です、教育勅語やら詔勅に象徴される目も眩むかと思うほどの難解で字面の畏ばった漢字で綴られた文章、話し言葉が国民性を形づくっていると考えたのでしょう。明治維新がなった後、日本語表記をローマ字にせよって論が大まじめに出たり、廃仏毀釈が当たり前のように為されたりと同等の破壊です。時代が転換するときの通過儀礼のようなものなんでしょうが、これも狂気には違いないことです。長年積み重なってきた文化を「堂々と」破壊するのですから。学者達はこういう罪の意識が全くないのでしょうね。使える漢字を決めるなんて僭越至極!そんなことするより早く新聞やら公文書からひらがな混じりのあの不細工表記を一掃することを決めなさいってんです。難しい漢字にはルビをふればいいんです。そうやって人は漢字を覚えていくんですから。全くいつまで逆向きの文化破壊を続ける気ですかね。
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忘却

2008-05-12 08:41:49 | Weblog
阪神、ウイリアムスが戻ってきてJFK揃い踏みなんて言ってます。久保田がどうにも不安定なので心強いことではあります。今岡も、この人のキャラクターなんでしょうが、覇気の見えん男ではあります。打ったろう!という気が見えません。あれじゃぁ三遊間抜くが精一杯ですかね。藤本は関本に負けたんでしょうか。今岡がレギュラーで出ないと田中秀太の出番もありません。桧山は代打にすっかり身を落とし。新しいのが入ればはじかれる者も出てくるわけですが。巨人、育成枠上がりが猛打賞!なんて広島みたいな事やってます。ええ?巨人にも育成枠ってのがあったんですか?って話。新聞にはご丁寧に年俸総額三十数億円のチームにあってこの人480万円だって載ります。480万なら少なくないですけれどね一般社会では。誰だか知らない若い連中が出てくるしかないチーム、清原いなくなったらまたすぐに次のお荷物が続々と。どうぞごゆっくり。
 JR福知山線の脱線事故、何年経ったのかこの前記事になってましたのにもう忘れています、遺族が団体組んで団交するという記事です。あんな思いも寄らぬ、全くこちらに落ち度のない亡くなり方です、遺された方々の怒りや憤りは十分に理解します。当然JR側も十分な補償交渉に応じてきているんでしょうが、やはり役所体質は抜けていないんでしょうし、と言うか大企業になればなるほど大事故になればなるほど交渉は前例に沿う、お一人おいくらで総額いくらという掛け算になり勝ちでしょう。そこが気に入らない、被害は個人個人で違うのだって論です被害者側は。新聞にはこう載ってます、JRは一般的な人身事故を上回る基準で補償に応ずると言い、被害者側は二度とあってはならぬ重大事故なのに一般的な補償基準をベースにするのはおかしい、亡くなった命の重さを考慮すべきだと反論します。この団交は亡くなった人への思いをどう具体化させるかを考える機会なのだと言っています。うむ、平行線。JRもこれで間違いじゃないんですね、あとは感情の処理ですから。納得してくれるを待つ、ですか。怒りや悲しみは時間が経てば必ず薄まります。むろん薄めないようにするエネルギーが優ればいつまでも怒っていられるのでしょうが、その源は、大事な者を殺された怒り憎しみとJRの対応への不満(端的には補償金額の少なさへの不満)です。もちろん前者が前面です。金など要らないからあの時死んだ夫を妻を親を子をここに戻してくれ!なんて無茶を言っていればいいんです。相手はうつむいて押し黙るしかないですからね。でもそれでいいわけです、あれこれ言わない方がいい、言われるままでいいんです。これも何だかお定まり、予定調和の感すらあります。返せないんなら金たっぷり呉れよ。時間が経てば経つほど、亡くした悲しみが薄まれば薄まるほど、怒りを保つ源泉は金銭闘争しかなくなります。遺族側の言い分も段々屁理屈になっていきます。外から見ると単純な金銭闘争に変わっていきます。亡くなった人への思いとか亡くなった命の重さとかこういう抽象語になっていきます。直接の悲しみが薄まった証拠ですね。長引いて長引かせて最後は誰か政治家が仲介して政治的決着となるんでしょう、これもお定まり。先頭で旗振っているのが被害者の家族でなくでただの知り合いってのもよくある話(今回がどうかは知りません)「亡くなった人」から事態はどんどん離れていくわけです。こうやって人は忘れていけるのです、次の場面に向かえるのです。個人間の解決手段ではない、集団対企業交渉の過程として必要な事と言えばそういう事柄ではあります。
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