柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

辛抱

2007-07-31 08:42:08 | Weblog
カールゴッチの死亡記事です。プロレスに興味のない方、すみません。この人初めて見たのはいつだったでしょうか。いやTVでですよもちろん、実物を見に行くほどのファンじゃありませんでしたから。でも幼少時からプロレスが好きでした、力道山対シャープ兄弟なんてのは知りません、対ルーテーズもおそらく後から見た記憶でしょう、でも対デストロイヤー戦、四の字固めかけられて、ギブアップせずにリング中央からぐるぐる回りながら(あの技はひっくり返ると掛けている方が痛いんです、それをアナウンサーが絶叫するんです、見ている方はドキドキするという図です)ロープブレイクした場面はリアルに覚えています。金曜日の8時でしたね。ディズニーアワーの枠で、番組の頭は思わせぶりに西洋のお城とピーターパン、ティンカーベルの絵、そこで今日は何をやるかが告げられるわけです、ミッキーマウスやらドナルドのアニメは滅多になかったですよね、で、ああ今日はプロレスだと普通はがっかりするんですが、私はこれはこれで楽しみでした。三菱の提供です、馬場の猪木の豊登の吉村道明の大木金太郎のの時代です、対するはデストロイヤー、ボボブラジル、ブラッシーなどなど、白黒TVです、そして三菱掃除機の生CMです、ただいまリング上掃除しておりますのは三菱の電気掃除機ですなんてナレーションが入ってぐぐっとズームするというCMでした。おお、そうでしたね、はっきりと覚えています。吉村道明が弱いんです、いつもボコボコにやられて最後の最後に回転エビ固めでカウントスリー、相手のヒールが怒り狂う、観客は拍手喝采の、今から思えば予定調和、あの頃も「決まっとるんじゃろうのぉ」くらいは思ってましたねみんな。いや、カールゴッチの話でした。新聞記事には新日プロの旗揚げに参加した、と書いてあります。新日プロと言えばアントニオ猪木です、藤波です、長州力です。ブッチャーです、タイガージェットシンです、スタンハンセンです、ブローザブロディーです(ですよね、馬場の方でしたかね)。でも、一等初めは国際プロレスじゃなかったですかね、ビルロビンソンと夢の対戦とかなんとか言って。カールゴッチは「固い」イメージで、ビルロビンソンは柔です、そしてクリーンファイト。昔のことです、人間風車やらジャーマンスープレックスホールドで決まっていた時代、コブラツイストでギブアップの時代です。華があったというべきか、ガチンコじゃなくても面白かったというべきか。でも、カールゴッチという人はTVで見ても怖い感じの人でしたね、関節技を多く使う地味で強いレスラー。私が初めて見た頃でもう盛りを過ぎた爺さんだったはずですよ。ルーテーズも国際プロレスで見たんじゃなかったでしょうか、この人はもっと爺さんでした。記憶違いですかねぇ。国際プロレスは面白くて好きだったから、そういう勝手な思い入れで記憶も作り直しているんでしょうか。どなたかお詳しい方、私の誤りを正していただけませんか。
 安倍さん、内閣改造するそうです。毎日新聞はお友達重用をやめろと皮肉ります。思えばここで、けつまづいたんですよね安倍さん。しかし、よくもこれだけ問題のある奴らばかり集めたもんだという言い方もできるんでしょうね。最後の若い、田舎もん顔の田夫、新農相でとどめでしたね、こいつが一番潔さに欠けましたから。アホな発言にもやられました。その一つ一つを擁護したから、擁護の仕方がとっても下手だったというのも失着でした。もっとも、その都度馘首していったのでは、それこそ任命責任とやらが問われましょうが。ううむ、衆院で強いうちに、憲法やら教育やら、左翼にすっかり呑み込まれて身動きできなくなっている分野をひっくり返すために、強硬手段で手早く足固めをしてきた(強行採決の連続で、手続きを法制化する)のは予定通りだったんでしょうが、彼にとれば思わぬ事で(年金もそうです)足をすくわれた形です。もっとやらせてみたいですよね、彼の頭にあるビジョンが一体どんなモノなのか。見てみたいと思います。反共反左翼の身とすれば、大きく期待しているのです。今まで自民党の誰もやろうともしなかったこと、できなかったことをやろうとしているんです、それが憲法改正であり教育刷新なんです。どうか投げ出さずに、ここは辛抱してもらいたい!首相の地位にいなければきっとこの仕事できませんから。
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縛り

2007-07-30 08:41:43 | Weblog
参院選、えらいことでした。当地のような鄙の地でも、一投票所に3人出口調査員がいました、こんな風景初めて見ました。で、午後八時、各局一斉に予想をうち、どこもが自民惨敗予想。ほんまかいな?でも、結果は寸分の違いのないことでした、なんと精度の高いこと。昨日あれこれ書きました。結果がはっきり出ますから自らの見方も客観的に判断できます、私の考え方こそが自民党のそれであったということでした。何やかんやあげつらわれても、人は安定従前を望むのではないか、変化で失われるものを怖れるのではないか。昔、社会党の風が吹いたことがありましたね、マドンナ旋風とか言って(マドンナなんてイメージからはとっても遠いものでしたが)、あの時に似るんでしょうか。あの時は女候補が無意味に強かったです。今回は「自民党・前職・爺さん」と揃った者がバタバタいきました。中四国、九州で甚だしいこと、保守の基盤でしたのにねこの地方。30代40代の当選者ばかりです。こんな若造に、いわゆる3バン全てに優るベテラン現職が負けるはずがなかったんです、今までは。でも、この顛末。TVでは有象無象が好きなこと言ってますが、ある人が言いました、女をないがしろにしてきた報いだと。夫や他の誰かの言いなりになってきたのが確かに女の歴史だけれど、今の時代人口の半分は物言う女なんだとこの期に及んでも自民党は気づかない、気づこうとしなかったということでしょうか。保守地盤とは、そういう風土、気質の強く残る地域だけでしか通らない理屈になってしまっているんでしょう。ま、昔から新し物好きは都会人の特性、変化を嫌うのは田舎の人間と相場が決まってました。軽佻浮薄の都会人、質実剛健、朴訥無知の田舎者。そういうイメージですか。田舎に行くほど保守色が強まる、それは田舎者を侮蔑する側面でもあったことですが、この時代、田舎に住んでいる者達が田舎者じゃなくなったんでしょう。そこに気づかなかったのですね、変われなかったのです。でも、負け惜しみじゃありませんが、きっと民主党に投票した女たちの動機は反自民じゃなかったんでしょうかね。民主党が良いじゃなくて、こっちにだけは入れない!という選択。・・どう言っても結果は同じです。自民党に愛想を尽かしていることには違いのないことです。私の読みというか見方自体が自民党のそれだったということでした。人の心の拘束感、行動動機が様変わりしているのです、若い者だけでなく、少なくとも女達には今までの「縛り」が効かないのです。そう思い知らされたことでしょうね、プロの連中。こんな素人でさえそういう向きに考えてしまうんですから。
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物見

2007-07-29 12:34:09 | Weblog
参院選です。新聞はさかんに自民党の苦戦を書き立てました。その材料に事欠かなかったのは確かなことでしたが、だからといって選挙の惨敗という結果に繋がるのでしょうか。何が言いたいのか、対立すべき民主党の迫力不足です。党首はさかんに政権交代を訴えますが、あの人が勝手に自分の首を賭けてもこっちは知らんこと、結局自民党のあら探しに終始しているだけ、自民党が勝手に転けるのを策もなく嘲っているだけです。どのTV局で話しているのを聞いても、同じ印象でした。政治生命を賭けるなんて文句も同じ。そんなことは知らんっちゅうの。年金、憲法、天下り、格差、貧困・・あれこれ言いながら自民党に対する確たる対案も示せずにだらだらと過ぎて来た印象です。これは地域差なんでしょうか。当地は自民党現職が強いんでしょう。ついぞ他の候補のこと耳に入りませんでした、私には。民主党の地盤では逆のことなんでしょうね。新聞や週刊誌が書くように一人区(地方区)で自民党が大負けするんでしょうか。ううむ、俄に信じがたいと思うのは、私がここに住んでいるからでしょうか。でも、TVに露出する各党首の話やら党幹部達の話を聞く限りは、自民党を超えるほどの話はついぞ聞けませんでした。こういう時にはやはり少々はったりでも華のある外連が要りましょう。そういう効果を怖れるからきっと安倍さんはさかんに言います、政府与党はできることしか言いません!しかし言ったことは必ず実行します!なんて至極当然のことを強調します。でも、小沢さんはいつもの口調、重たいと言うべきかきらめかないと言うか。人の心に届かないんですね。ついこの前、あれだけ日本中を湧かせたパフォーマンスがあったというのに(小泉劇場)、彼らは学習しない。だから勝てない。皆同じ顔しているからです。まず勝たねばならぬはずです。維持する戦いと勝ち取ろうとする戦いとは違いましょうにね、素人でもそのくらいは分かりますよ。小沢さん達からは勝ち取ろうという気持ちが伝わらないのです。仕方ないことですかね、野に下っているという認識がないんでしょうね。何故?同業者達が必要以上にもちあげるからでしょう。前にも書きましたが、清原状態です。分かってないんですよ。安倍さん、勝手に転けたとなるか、世の中はそれなりにちゃんと比較するか。ちゃんと、というのはこっちが気に入らぬからあっち、ではなくて本当に向こうに任せられるのかのかどうかの選択であるかどうかという意味です。なんて言い出すと、選挙の実態から離れていくんでしょうね、多数の選挙民はそんなに考えません、自分の暮らしを秤にして選びます、天下国家じゃないです、どちらに政権を、なんて選択じゃありません。あの人には世話になっているからとか、この人じゃないと回り回って仕事が来なくなるとか、とっても現実的な判断です。そういうしがらみ選挙から変わろうというのが、前の三重県知事らが言い出したマニフェスト選挙、縁じゃなくて政策で選ぼうって奴ですが、そうは簡単にいきませんやね。若い者ならいざ知らず、です。うむ、天下国家言い出すと抽象に流れ人ごとになって空論化します。そこが選挙対策の要諦ということなんでしょうが、そこはまたそれ、選挙のプロなんて手合いが跋扈する素地になっていきます。今夜はビールでも飲みながら久しぶりにTVを楽しみましょう。この立場が一番いいみたいです。
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的はずれ

2007-07-28 08:40:44 | Weblog
中越沖地震で、トヨタやら日産やらの車製造ラインが何日か止まりましたね。エンジン部品の殆どがここで(リケンというメーカー)作られているから、部品の供給がストップしてラインそのものがストップしたという経緯です。素人(私)の印象は、へぇこんな田舎でシェア握っているんだという驚き、こんなに簡単にラインが止まるんだという驚き、世界のトヨタもこういう弱点持っているんだという驚きでした。後それなりに理由を考えたりしました、有識者達のご高説も聞けました、時間が経ってからTVが新聞が色々解説してくれました。こんな田舎の会社が大きなシェア握っているのはひとえにコストダウンに成功したからでしょう、運搬コストを克服したというか。東京は文化の中心であると同時に技術のるつぼというべきで、よくTVで特集ものが組まれるように下町の小さな小汚い工場にとんでもない技術があることは有名ですよね、体中油まみれの頑固社長がいて。それが東京じゃなくて新潟、トヨタ本社近くでなく新潟なんです。製品精度だけじゃなく運搬費を含めたコスト削減です。その為には有名なトヨタ方式でしょう。カンバン方式。必要なものを必要なときに必要分だけ作る。在庫を貯めない。ギリギリまでコスト削減する。原価の削減を図る。こういう競争に勝ってきたのがこのリケンという業者であったわけです。凄いことですよねぇ。だから二番目の驚きは当然なんでしょうね、余分な在庫などないが道理ですから。今要る分しか供給しないんです。今要る分しかまた要求もしないし。だからラインもすぐに止まります。なるほど。GMを抜いて世界一になろうかというほどの大企業が、一メーカーのシステムダウンで立ち止まってしまう。普通は代わりがあろうにと思うことですが、そうじゃないんですよね、これが面白いというか、このメーカーの凄みというべきか、またそうと知りつつこういうラインを組み立てているトヨタの徹底ぶりの凄さともいうべきか。製品の精度完成度の高さとコストの低さ。このメーカーの努力研鑽は想像に余りましょう、人の数倍数十倍の努力。これがあらばこその現況です。それを産経抄は22日、地震で死んだのが一人暮らしの老人が多かったことを指して、地方が日本経済の心臓部を担うことはできても、高齢者が家族と一緒に安全に暮らすことはできない、豊かな町づくりと結びついていなかったのだ、なんて言います。なんと的はずれなことを。地方の一メーカーにどんな大役を負わそうとしているのでしょうか。シェアをこれだけ握ってのはこのメーカーの力です。不断の努力の結果でしょう。そしてトヨタがあれだけ大きくなったのも、トヨタ方式と呼ばれる徹底したコスト管理意識あらばこそというのが確定した評価でしょうに。それを、一旦不具合が起これば、足りない足りないと誹る。都合よくすり替えるんじゃない、と言いたいですね。おまけに福岡県知事も言ってましたよ、一点集中はいかがなものか、分散しないと同じことの繰り返しになると。こういう発言こそが、民間企業のやる気を削ぐということに心が及ばないのでしょうね。所詮は役人なんです。天下国家を語る振りをして、実は何も考えていない、空っぽの一般論を口にするだけ。あれを聞いて腹立たしく思いました。現状に至るまでのリケンの企業努力に対して何の敬意も払わない。事が起こるまでは何も言わない、考えもしないことだったのに、まるで前から思っていたような口振りで。的はずれの非難には腹が立つことでした。
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博愛

2007-07-27 08:42:39 | Weblog
今朝NHKニュースで「医療ネグレクト」の話題を特集していました。ネグレクトは neglect 、怠る、故意にやらないの意味です。病気の子供の治療を親が拒否するケースをいくつか集めていました。重い心臓病を持つ子、生まれつきに重大な内臓疾患を持つ子。前者のケースは、転倒なのか虐待なのかはたまた病的なものなのか原因は分かりませんが、股関節やら足首やらに複数の骨折痕があり、整復されずにあらぬ向きに癒合しているレントゲン像までが放映されていました。治療されぬままの骨折が多数見つかりました、とナレーションがかぶさります。この特集の論旨(まとめ)は、こういう問題の委員会委員長が言います、いろんな立場の人の意見を聞いて早急に対応策を講じなければならない、という曖昧です。実際にこの東京の大学病院はどうしたかというと、親権停止の法的手続きをして治療に持ち込んだんだそうです。子の治療には親の同意が必要です、とくどく繰り返します。同意がなければ治療できません。だから困ってます。強い法的処置も必要です、と来ます。子どもの命が最優先だからです。人の命より尊いものはないんでしょう。暗黙の了解、つまりは暗黙の強制。でも、誰の子なんですか。この子の人生を看ていくのは社会じゃありません、行政でもありません、親です。多額の医療費を工面しながら希望のない日々を送るのはこの親子です。先をはかなむこと、先に望みを見いだせないこと、誰が変わってやれるんですか。そう思ってこういう行動に至ったとしても、誰が咎められましょうか。親権停止なんてとんでもない手段ですよ。でも、そうすることによって、母親は安堵するのかも知れません、子が死んで嬉しい母親なんていない、とされている女の共通性情感情が正しいとすれば。治療費を払えない、病児を育て上げる自信がない。虐待事例とこの事例、共通してますか、別問題ですか。私は、虐待事例のことについて書いてきたのと同じ気持ちです。人は子を選べない、親を選べないのです。虐待されて死んでいく子、胸が張り裂けるほど可哀想に思いますし、殴り殺してやろうかと思うほどにこの馬鹿親が憎らしいですが、でも、この親子関係あればこその話なんですね。社会は、なんてことを・・と言うばかり、それ以上は何もしません、児童相談所もあくまで役所仕事しかしません。重症の病児を抱えた親がそういう考えに至っても何の不思議もないことでしょう。親権停止を却って望むような皮肉にも陥りかねません。この子が助かるのなら・・という選択です。どんどん捻れていきます、そう思われませんか?TVにはソーシャルワーカーが仲介しているような流れを見せてました。専門家(この連中が一番危なく胡散臭いんですが)を介在させることで問題解決とする安易さにも辟易します。どこまで手を突っ込むのか。個人、親子、家族と個人主義をこれだけ異様に膨らませ拡大解釈を続けてきて、こんな時には平気で手のひらを返して、みんなで、社会の力で!なんて言い出す。こういうのを偽善というのではありませんか。博愛主義は偽善だと誰かが喝破してましたが、私もその意見に与します。いかがですか。
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ステレオタイプ

2007-07-26 08:42:39 | Weblog
サッカー負けました。TVには高原がコメントしています。あんたは評論家か?コーチか?向こうの方がいいサッカーをしていたとやら、決定機が向こうに多かったとやら。別にカメラの前で泣けなんては言わない、そっちの方が芝居がかって反吐が出るけれど、しかしこのシラっとした、人ごとのような物言いはどうだ?と思えば、そういえば連中、とくに海外組と呼ばれている(自分たちはエリートとでも思っているんだろうけれど)連中、皆こういう物言いですね、中村俊輔もそう、昔の中田もそう。お前ら監督か?勝ったら俺達の技量のお陰、負けたら向こうが強かっただけ、なんてね。こんな体質じゃぁ上にはあがれませんね。どんな監督持ってきてもダメですわね、いつか書いたことですが。なんだかダメを押された気分でした。
 昨日BS見ていたら(気づいておられる方いらっしゃいましょうが、見るのは決まって午後6時半前後の時間帯です)なんと山本リンダです。足を露わに出して、胸も開いて、作るだけ顔を作って踊ってました。狙いうち、だそうです。リンダ ワールドだそうです。唄は相変わらずお上手で聞くに辛抱がいること、婆さん然とした顔でイェーイなんて言われてもこっちは顔引きつらせるばかり。ああ、だめですこんなのは。老醜を晒すとはこのことでしょう。痛い。まさにイタイ。見るにイタイ場面でした。
 昨朝NHKの政見放送、社民党の枠でした。女党首とインタビュー役に香山リカちゃん精神科医が出ていました。あらら、左翼表明でしたか。物言いやら書いてる本の題名やらから、左翼の臭いはプンプンしていましたが、正式に名乗ったわけです。ま、それはそれ、好きにされればいいですが、この女党首が演説下手で結局前の婆さん党首と同じでダメダメダメの連呼に終わる人なんですが、聞いてるとこの精神科医、それに輪をかけて喋り下手。場を弁えない言葉遣い、・・ねの連発、ため口の下品さ、人を小馬鹿にする響き。精神科医ともあろうものがそういうところに気が回らない、なんて非難にもなりましょうが、いや精神科医が喋っているのではないです、この女が、この女が通ってきた身につけてきた智恵知識生き様そのままなんです。そういう人だというだけのことです。こちらも単純に驚いて認識を新たにすればいいだけのことです。でも、怖ろしいことです、頭の中はすぐに口に出ます。その人の今までの生き様がそのまま口をつきます。ううむ。
 光の母子殺人差し戻し審。TV報道される弁護側からの被告人質問の模様、怒りが沸き上がりますね。原告の夫(父)ではありませんが、聞くに堪えないものです。これで死刑にならなかったら、国民の持つ法遵守のたがが一気に緩むのではないでしょうか。勝手にせぇ!です。真っ当なお裁きがあればこそ、人は法を守ってきたんです、守っているんです。女を監禁拘束していた男に対しても何だか甘い裁きになりそうな報道があります。被告の勝手気ままな物言いを許す裁判所。弁護士。いい加減にしないと世の中の大元が緩みます。もちろんそれこそが左翼達の目的なんですが。山口県弁護士会が、被告弁護人に送られた脅迫文書に対して「民主主義への挑戦。許さない」なんてわざわざに声明発表しています。民主主義?馬鹿馬鹿しい。問題をすり替えるのもいい加減になさい。大丈夫かなぁ、弁護士さん達。ステレオに流れすぎでしょうに。
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国際比較

2007-07-25 08:43:32 | Weblog
パリに本部のある経済協力開発機構なる組織が出している、各国の医療を比較するデータが中国新聞に載っています。昨今の医師不足を鑑みての記事なんでしょうが、「医師数30カ国中27位」と見出し、一人当たりの医療費は30カ国中17位(この30カ国の具体は記載ありません)、先進7カ国のうちでは最下位だそうです。先進7カ国とは、米、仏、加、独、英、伊、そして日本です。医療費が国際的に比較すれば低いことは何年何十年も前から日本医師会が言い続けてきたことですが、小泉内閣時代にこてんぱんにやられました、いわゆる聖域なき行政改革とやらで。で、今の医師不足(実は分配不全)をも招来したという顛末です。やっと新聞も書き始めたという一種感慨です。医者(中でも開業医)が儲けすぎという論ばかりが先走りして、医療費の削減は当然だという世論誘導でした。医師不足については、この欄で以前に投稿いただいたように数字で表すと認めざるを得ないところで、そのギャップは医者の心意気で埋めてきたのだ、医療問題を医者の怠慢とか勝手傲慢に帰するばかりでは物事は解決しないという論はそれなりに説得力があります。でも、今政府がやろうとしている増員計画では、今でも既に粗製濫造であるのにどんな医者が出来上がるかの不安が大きいことです。弁護士増員計画の如く。理屈の分からぬ弁護士が乱造されて、おまけに容易に訴訟が起こせるような世の中になってご覧なさい、とんでもないことですよ。同じことが医療にも起こり得ます。単純な数の比較じゃありません。要は分配具合です。医療費問題は、そのまま医療の質に直結しましょう。でも、政府が(臨床を知らない、医学部出身の医者役人達が)考えている予防医学優先論では現状を変えられません、余計に問題を増やすだけです。昔軍事費、今福祉費。これが国を滅ぼす元凶なんて説があります。医療を含めた福祉費の抑制は国の運営の要でしょう、そうは思います。今までは医療充実を優先させてきて、世界一の長寿国という結果を出してきた。が、皮肉なことにその結果が今度は介護費という化け物を生んだ。パイを増やすわけにはいかないから、右から左へシフトさせるしかない。介護保険なんて制度考えて、新たな収入源を作ったけれど、これまた予測甘く、医療費削減の妙手のはずがとんだ鬼っ子になってしまって、もはや前にも後ろにも退けない状況です。現場ではどんどん梯子外されて、「介護関係で儲けが出るはずがない」なんて国の関係者が言う始末、あれだけ初めは参入業者を煽り募っておきながら、です。コムスンが生け贄になってしまいましたが、儲けの出ないことを誰がやります?儲けが出ぬなら出ぬで、それなりに名誉や称賛が要りましょうに。そういう手当もなく、どんどん梯子が外されていく。かたやで、「要介護」老人は増えていくばかり。総額をどんどん減らされていくのに加えて、医療費から介護費にシフトしていく。言葉悪く言えば、壮年以下の若い衆よりも倒れた老人優先。病人治療より予防医学(こんなものが本当にあるとすれば)優先。おかしいところを言い出すとキリのないことですが、この国際比較をどう捉えていくか。国というより、日本医師会の力量の問題でしょうか。
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定義

2007-07-24 08:36:11 | Weblog
タミフル、死亡例の家族が製薬会社を提訴したという記事と、琉球大学で飛び降りて死亡した例の解剖結果、脳からはタミフルやタミフルが代謝されて生成されて問題となるであろうと思しき物質は検出されなかった、という記事です。前者は被害者の家族としての通常の感覚でしょう、製薬会社は学者やら政府(厚労省)の見解を盾に因果関係を認めないのでしょうから。因果関係というのは定義の問題でして、法律上のもの、医学上(科学的根拠に基づく)のもの、そして心情的なものという区別があり、そして加害者側定義と被害者側の定義は厳として違うものです、ねじれの位置関係です。そのうち科学的根拠というのが、後者の解析結果です。タミフルが脳内から検出されれば、それだけでは完全な因果関係ではないにせよ、疑わしさが一層増しますわね。逆に検出されないとなると、脳にどうやって影響するわけ?という反論の強力なネタになります。結果は後者であった、で、反対論者を勢いづけます。でも科学的根拠というのは所詮こういうもので、そこにあるかないか、そこにあったかなかったかを実証するだけのことです。今回は脳をすりつぶしていろんな物質を抽出したけれど、そこにはタミフルを思わせる物質はなかったというだけのことです。影響の仕方はこういう直接的なものばかりじゃないだろう、という理屈が生まれます。これは世の中のどんな事象にも当てはまる論議仕様です。因果関係が色々あるからです。ですからタミフルは悪さをしていない、と言う結論にはまだまだ遠いものです。人間の体は機械じゃありません。分かってないことだらけです。科学が究明できたのはそこにある物質をそこにあると見つけただけのことです。まだ見つかってないものがわんさかあるはずです。足りない、不十分な結果でもって全体を判断するのは間違いです。でも、じゃぁどうするんだ?と言われれば、それが科学の、物質的な限界なれば仕方ありません、次は推測、常識、社会的判断という曖昧(科学とて真実とは言い切れません、あると証明できたものをあると言えるだけのこと、見つからないものをないとは言い切れない大曖昧ですから)に委ねるばかりです。でも、この方が人は納得しやすいものです。これが面白いこと。全ては定義の仕方、どこに立脚して定義するかで、白が黒にもなるんです。注意せねばなりません。
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語感

2007-07-23 08:42:45 | Weblog
当地、今朝はすっかり真夏の陽射しです。白い、強い、眩しい、遠くが熱で霞む、「覚悟しろよ」とでも言いたげな早朝の太陽です。梅雨が明ければ真夏。毎年のことですが、今年は雨模様の日が続きましたので眩しさが一層際だちます。暑いんでしょうねぇ。皆様、しっかり食べて、睡眠時間はしっかり取って、汗の出るときは水分補給をお忘れなく。ひとつ秘訣を。寝ているときの発汗は体のリセットに大切な要素の筈です、寝苦しいのは分かりますが、体を冷やすのは程々になさいませ。
 麻生さんのアルツハイマー舌禍、いかがですか。本人早々に謝っちゃいましたから、マスコミも現金というか、手続き至上というか、それ以上何も言いません。まぁ、大したことじゃぁないんですが、それなら貧相な田夫然とした農相の顔中のガーゼの方がとるに足らないこと、でもこっちは当人が妙に隠すから、マスコミも面白がっているという図です。そんなことは馬鹿でも分かること、と言うところを、馬鹿はまずいかと咄嗟に判断して、代わりにアルツハイマーとやっちゃったということなんでしょうが、つまり呆けてしまえば馬鹿になるというこの人の理解というか頭の中の整理具合なんですな。間違いじゃないですよ。でも、政治家は顔と言葉ですからね。その辺のオッさんが言うのとはわけが違います。でも、私はその話の内容に興味がありました、一俵60kg日本では一万五千円(これは以前から知ってますが、なんとも安価に抑えられてます、私はそう思います)一方中国では七万八千円だそうです。つまり、日本で売らずに中国に持っていけば高く売れるということですか。何をさして馬鹿でも分かることと言いたかったんでしょうか。あの話の内容を詳しく知りたいところです。米は日本人の主食です。食糧自給率の低いことはよく言われること、米の買い上げ代をこんなに抑えて、農業従事者が増えるわけのないところにさして、他国から輸入ばかりを増やして国内需要に対応している。この米の値段の差をどう理解しろというんでしょうか。馬鹿でも分かると言いたかったのはどのことなんでしょうね。
 新潟地震での被災者に対してエコノミー症候群というのもなんだか宙に浮いたような似つかわしくないことです。そういう名前ですから新聞も使うばかりのことなんでしょうが、おかしいことです。こういう時にこそ早々に「運動不足やその他の要因による血栓症」とかなんとか一般的な名称を使うべきでしょう。ちなみに私は海外旅行の経験がないので実感がゼロなんですが、これに対するのがファーストクラスですか、こっちは楽々に足を伸ばせて歩けるスペースがあるんですか。という命名由来であるなら余計に、被災者に使うには不適当に思いますがいかがですか。またまたこの語感も私特有のものなんでしょうか。
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アナログ

2007-07-22 08:35:14 | Weblog
産経新聞は当地山口県から撤退していて(何年か前までは配達されていたのですが、山口県から撤退したと本社から聞きました)、毎朝配達されません。ちなみに夕刊というものもありません、四大紙も地方紙も。つまり需要がないということです、とほほ。で、産経新聞はわざわざに大阪なり福岡なりから取り寄せます。わざわざに郵送費を重ねて購読します。私はその物好きの一人です。実際は何日か遅れで二日分三日分どさっと送ってきます。あれも不親切でなようで、良いような悪いようなですが仕方ありません、鄙の住人のさだめです。で、ミヤケン宮本顕治の死亡にかかる記事、やっと産経抄(7/19)を読めました。期待通り、蛇蝎の如き書き方。死亡翌日の朝刊コラム、朝日と毎日とが知らん顔していたのが面白いと書きました。朝日はそのままですが、毎日は翌日のコラム「余録」にとりあげてました。その他、21日には毎日に評論家岩見隆夫(よくTVで見ます、日曜の関口宏の朝番組とか)が取り上げています(「近聞遠見」)。宮本顕治は光の出身ですが(その前の共産党のドン野坂参三も山口県人なんですね、これびっくり)、著者は長州型ドンという括り方をして面白がっています。この人が言うには長州人気質は、権力志向、猪突、理屈っぽくて非妥協的、遠くを見るのが好きで、処世術にたけ、ずるさもある、ぎこちないところもある、んだそうです。岸信介と並べて、「自分の役割を流れの中でとらえ、遠くを見るスケール」があると評しています。この風土は指導的な人物を生みやすく、共産党を仕切った人物だけでなく、なにより首相を8人も輩出していると立証します。うむ、いい方に受け取りましょう、褒められていることにしましょう。切り口が他の論評と違うのでちょっとソフトな印象ですが、やはり産経抄の対極です。肯定しています。宮本権力は群を抜いて長かった、反体制の城にこもる長州型のドンだった、追悼記事が少々派手になっておかしくない、と結びます。面白いですねぇ、立場によって考え方によってこれだけ評価が異なります。人は棺の蓋を覆って初めて評価されると言いますが、もちろんまだ鬼籍に入って数日の人です、毀誉褒貶の波に今から晒されるのでしょうが、死んでから初めて暴露されることも多い一方で、死んだ後には口を閉ざされる事柄も多いでしょう、ドンを長く張った人とあらば尚更。尽くづく、勝海舟の言葉、行蔵は我にありが響きます。評価なんぞは人のすること、何とでも言ってくれということですが、誰が何を言うか分からぬ事、いちいち気にしてはおれません。自分の羅針盤を信じて、平衡感覚を研ぎ澄まして、思う道を行く。中でも平衡感覚を保ち続けることが最も肝要でしょう。そう思うことでした。
 ダイハード4見ました。感想は、おお、やっぱり最後はアナログか!でした。今回は言うところのサイバーテロが題材で、時間短縮を主眼目にした効率化を求め求めて来た結果の情報、機密、金その他全ての物、事象の一点集中の危うさ、頭のいい奴は野にいくらでもいる、才能に飛び抜ける奴は却って野に隠れている(社会人として奇矯偏屈者が多いことはよく知られるところ)、何をしでかすか分からない恐怖。メカニカルな複雑さで安全性が担保されるものほど(卑近にはコンピュータウイルスやらセキュリティー問題)危険という皮肉。誰かが考えて生み出せるものなら、もっと才能のある奴はその上を行けるという単純則です。で、この映画は最後は相手をぶん殴るというこれまた最高にアナログ、アナクロな手段で解決する筋書き。対比の妙とか、現代社会への皮肉とかじゃなくて、これ単純に胸に刺さりました。おお、やっぱり人と人じゃって。人間としての、人間一人としての力を付けねばならぬと思いました。武器を、機械を駆使しての優位は、同じ手立てでひっくり返されます。自分より優れた奴は周りにゴロゴロいますから。自分が優れていると思った時点で次の奴がやってきてます。そして機械や武器を操作するのは機械でない生身の人間であるということ。おお、最後はアナログじゃぁ!実はメカニックにからきし弱いだけなのですが、こういう結論には力づけられることです。いかがですか。
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