柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

後講釈

2008-05-11 08:13:30 | Weblog
何と肌寒いことです。北海道の異常気象を挙げずとも当地でも十分に実感します。この時期ですからこういう不順さは珍しくないんでしょうが、「伊達の薄着」を体感することです。
 阪神強いんですが中日もすぐ側にいます。ここも強いです。この前TVのダイジェストで中村紀の低めの玉をしゃくり上げてバットをパーンと放り投げるホームランシーンを見ました。誰が打ってもホームランシーンは綺麗なんですが、この人のは特別綺麗だと昔から思ってました、その印象通りのフォームでした。なんやかやできっちり中日のレギュラーですからね。いつ本性現れるのかはわかりませんが、殊勝に謙虚に控えめに、今のところこの方針は間違いじゃなかったですね。
 今日は母の日で。だからどうしたって事なんです、誰が決めた?迷惑なこと、なんですが、何とかの日というのが日本人は好きで仕方ないですかね。カーネーションをひっつけてビジネス化する(させる)。クリスマスやら誕生日やら(私の幼少時には誕生日に何かするなんて習慣はなかったですがね、ひとえに親の意識の問題で経済状態の問題、生活様式の問題だったんでしょうが)の金儲けを拡げよう、柳の下のドジョウを捜しているわけです。キャンペーンです。今日はカーネーションを買いましょうです。お母さんにあげましょうなんて目先すり替えて買わせる。子供を騙す(こんな書き方するとまた叱られましょうか)。ま、世の中も適当に乗っていくわけです、カーネーション代で済むなら安いもんだって。そこが業界の狙い目ではあるのでしょう、そう行事化すればこの日の需要は計算できるわけです、するとここから逆算しての計画も立つわけです。この手立ての有効さを実感するのです、女の花好きを利用するいい手ですからね、他にそんな日を創れないかい、バラの日とかボタンの日とかマーガレットの日とかって。なるほど。母親に感謝しましょうなんてのが嫌なんですね。言われてやる事じゃない!って反感です。子供じみてるって言われればその通りでもあるのですが。この人がいなければあなたは(私は)この世に存在しない、なんて理由を持ってこられて。その母親にもまた母親がいて・・あなたのこの世での存在にはどれだけ多くの人が関わっているのか考えて、十分に感謝なさい!。嫌です。こういう考え方が本当に嫌で。まことしやかな感情論をまるで宇宙の真理のように鼻の穴膨らませて強制する。動物行動学学者のよくやる自分(人間)勝手な後講釈です。子供を儲けるときに誰がそんな崇高な意欲意志を持ってますか?全く馬鹿馬鹿しいこと。人として当然な事をしているだけのことでしょう?自分が育てられて成人したら、次は役目を代わって自分の子を育てるだけのこと。そしてこれも順番に年老いて死んでいくんです、親が通ってきた道のままを。この順番、何百何千年も前から続いていることです。こっちは十分に肯きます、こうやって人は生きてきたんです。でも、だから感謝しろなんてのは全くの感情論でしょう?後付け講釈でしょう?そう思うわけです。
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逆順

2008-05-10 08:42:29 | Weblog
去年の十月の岩国基地所属米兵による婦女暴行事件(兵隊は当時19歳、相手の日本人女は20歳)、日本の検察は不起訴処分にしましたが、米軍は軍法会議で懲役二年と不名誉除隊の判決言い渡したそうです。それを受けて広島県と市がまた遺憾遺憾の合唱しているようで、検察への不満も出てきているようです。今回の米軍の珍しく素早く且つ厳しい処置は、昨今続いて起こる兵隊不祥事への見せしめでありましょう、今後ちゃんと対応しますとの日本へのポーズでしょう。そういう背景があるにせよ、不起訴と懲役二年では大きな差です。ここに日本と米国の罪に対する考え方の差がでているように思います。今回の争点は強姦だったかどうかです。強姦和姦(和姦てのもおかしな言い方ですが、いかな法律専門用語とはいえこれも文化の変遷を示していましょう、夜這いの手籠めの身請けのと男と女はこういうもんだという文化、姦の字自体に無理矢理ってニュアンス感じます、それに和をつける不自然です)の定義の問題です。いくら無理矢理でも、例えばハンカチを敷いていれば合意の上と認められるなんて、端々の一具体事例ばかりが面白おかしく言挙げされているのですが(私でも知っているレベルです)、ここを厳密に区別するか、やってしまった事実を重く見るかの違い。新聞によれば、日本検察の根拠はこの女が一人目の米兵との性交渉は同意していたらしいから、本人の不同意の確からしさが保障されないという理由で、同意のない不当な性行為、性的不法行為を立件できないとしたんでしょう。つまりノコノコ付いていったお前も悪いと言うわけです。うむ、これは正しいこと、この手の事件は女が一方的に被害者じゃないはずです、それらしい態度をして誘う、女も若いなら相手も若い男ですわ。むろんだから男が無茶やってもいいということにはなりますまい、もちろんそう思います、思いますがしかし女が面白がってついていくと言うところに事件の元がありますね。そうなってもいいと思ってついていく(そうに違いないです)、いざとなったらこんなつもりじゃなかったなんて騒ぐ。男がやらねば(こういうときに姦という字を当てるんでしょうね、姦らねば)事件は起きません、ですから一に男が悪い、そうです。でも同等に女も悪い。状況判断すれば無理矢理でもなさそうですから。昨今の女子高校生殺害事件(まだ真相が明らかじゃありませんが)や通り魔事件のような「無理矢理」とは全く違いましょう?かたやの米軍軍法会議は、肉体的暴力や脅迫行為がないから軍法上は強姦ではないが、性的不法行為には違いないということで処罰します。強姦じゃないけれど罪一等減じて不法性行為とするという、多分に政治的臭いのする判決ではありますが、この違いです。女も悪いんだろうが本意でない女をやった(姦った)男が第一に悪いと言うか、女の不同意を証明しきれないから男も罰しないと考えるか。でも前者は過大に解釈が膨らみそうです。事に及んだあとで「こんな男とは思わなかった」なんて言えば、不本意だと言えば御用です。痴漢冤罪事件のような何でもかんでもになりそうです。もっともだから親告罪(本人が訴え出ねば罪にならぬ、他人が代わりに訴え出る事は出来ない仕組みです)という安全装置がついているんでしょうし(これとて誰に対しての安全装置かわかりませんが)、状況証拠が大切にされるんでしょう、曰くハンカチとやら場所やら時間やら。米軍も脅迫行為はなかったと言ってます。なれば強姦じゃないんでしょう。なれば検察の処分も間違いじゃないんでしょう、それが日本の司法の常道なのですから。刑事事件は灰色は処罰しない、しっかりクロと固まらねば起訴しないんでしょう?そこを見越してますから、どんな殺人事件でも弁護士どもは精神鑑定を要求しますね、真っクロにしない手立て、マニュアルですから。おまけにこの事件、相手は米兵です。まぁまぁ、ってなことで。関係団体がまた「憤慨」声明なんかを出して騒ぐんでしょうが、米兵には近づくな!ってお触れを出すのが先じゃないんでしょうかね。順序が逆でしょう?いつもの如く。
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日落つる国

2008-05-09 08:38:32 | Weblog
中国主席、気味の悪いことですね。五輪のためになりふり構わずって感じですか。こっちの首相も尾っぽを振る振る。福原と卓球している場面には「おぞげ」が立ちましたね、あれだけお追従達に囲まれて尚笑顔を振りまいている厚顔というか役者ぶり。親交してますよ、私達は友好関係にありますって、首相も馬鹿笑いして・・。あんなところは私達に見せて貰いたくないですね、交渉事によいしょの接待のは必要だと皆分かってますから余計に。餃子隠しなんだそうですよ、東シナ海の油田問題に柔軟な態度を示したり。何年か前の反日デモもひっかかっているんだそうです。ほんまかいな。NHKがさかんに言うには、この主席、若い世代の交流が必要だって何度も強調するところがいつもと違うんだそうです。と言うことは、今の世代では解決つけるつもりはないっていうことでしょう。明らかに斜陽、日落つる国は日本の方です。東南アジアをいわば食い物にして一人勝ちしてきた、何の備えもしていなかったツケが今吹き出しているのです。中国、インド筆頭に他の「後進国」が追いついてきたのです、世の中の必然ですか。アメリカの一人勝ちを止めたのが日本であったように、強烈にブレーキがかかっています。資源のない国の資源のなさが手足を縛っています。中国は強気です、見切っているのでしょう、日本の国力も為政者の弱さも。前者の轍を踏んでいるのかも知れませんね、きっちり。前者とは昔の為政者達。日本は強いんだと信じて疑わず、現状の正確なリアルな分析をわざとしなかった昭和戦前戦中の為政者達。もの(原料)が入らなくなったらどうするんだ?ものを獲りに行きますか。どこへ?どうやって?中国はこのまま大国化して技術も経済状態も日本を凌駕して、というプランなのですが、もちろん第二第三の天安門事件が起こりましょうしそういう大変革は十分に推測されますけれど、北朝鮮とさえうまく交渉しきれない今の日本の体力のなさは相当なもので、誰からもナメられて仕方のないものなのでしょう。ここは辛抱して体力蓄える時期と認識すべきなのでしょう。東京オリンピックを機に一気に駆け上がり走り続けてきた経済発展、裕福さへの道でしたが、石油ショックやらバブル崩壊やらの山谷はありましたが、真の体力のないことに気づき、今こそが本気で立ち止まって自らを振り返る時なのでしょう。主席のナメ具合を見て、つくづく思うことでした。
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語感

2008-05-08 08:42:37 | Weblog
「山中に姉弟の遺体」なんて見出しです、ああまた子供が殺されたのかって思います。実は54、51歳の「姉弟」です。いやいや、姉弟には違いないんだろうけれど、こういう時にこういう書き方はどうかなぁ。毎日新聞だけが男女遺体と書いてます、東京資産家姉弟失跡事件と言うんだそうです。姉弟があばさんおっさんになってしまったら、姉です弟ですなんてのはただの昔話というか法律上の立ち位置を示すだけのこと、知らん顔してそれぞれに生きていればこそ普通だと思います、親の葬式で顔を合わすくらいの疎遠が適当。爺さん婆さんになったあとは、それこそ身を寄せ合ってっていうのもそれなりに絵になる感じもしますが、そうなると今度は息子娘の責任なんてことにも波及します。やはりきょうだい(兄でも姉でも妹でも弟でも)は他人の始まりという謂は正しいんだと思います。同じ遺伝子を持つ者同士が一緒に暮らすはよくないことなんでしょう、だからこうやって気味の悪さがふつふつと沸き上がってくるのでしょう。この歳になって一緒に住んでる?それだけで違和感です。資産家だから?三面記事的興味をそそられる話題ですが、姉弟という言葉の語感、字面のイメージの強さを知ることでした。
 水連、水着問題でドタバタです。現場があのイギリスの水着を着せろと要求するわけです、メダルを獲る獲れぬの重大問題ですから。幹部は言いました、契約している国内三社に品質改良を要望する、それに応えてくれぬ場合は契約破棄(そこまで言ってませんか)してもイギリスの水着を着ると。どんな契約なのか詳細は知らされてませんが、この三社から水着を提供される代わりに水連登録している選手はその水着しか着ちゃならぬでしょう。コマーシャル契約と同じことでしょう。でもそれは選手個人に対してのこと、選手は動く広告塔ですから。他にもちろん水連にがっぽり寄付金(どんな名目かは知りません、協力費とか強化賛助費とかなんとか、どうにでも言えますから)が行ってましょう。そこが痛し痒しの所なんですね、金貰ってるパトロンに強く言えないでしょう?国内三社も業者としてのメンツがありましょうから、イギリス並みの水着を作ってくれと請われれば嫌とは言えないし言わないでしょう。でも、面白くないでしょうね、開発競争の後塵を拝した上に真似っこしろと強要されているんですから。それともこの水連との契約こそが命綱的に、この業界も外資に押され圧迫されているのでしょうか。どっちが強いんでしょうね。そういう目で見ると面白いですよ。外見上はきっと業者(売り手)が協会(買い手)に従う、協会が業者に命令するという形になりましょうが、その実は?というところです。金は要らんの?ですから。
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思い込み

2008-05-07 08:42:28 | Weblog
玉三郎が京劇(昆劇というのだそうです、この違いわかりません)に挑戦、なんて報道です。いつものおやまでなく、あの派手な化粧の、チャラチャラ飾り満載の、胡弓と鉦太鼓をバックに踊るあれです。それでも女真似は万国共通と見えます、流し目やらシナの作り方やらはいつもの仕草ですが大喝采のようです。向こう(京劇)では女は女ですよね、違いましたか。男が女を演じる無理を楽しんでいるという、いわば異様倒錯した世界ですが、人は玉三郎に女を見て楽しんでいるのでしょうか、単に上手な女真似を愛でているのでしょうか。どちらでもいいことなんでしょうが、あの強烈な流し目を見るに、あんな仕草は隣のおばちゃんでもできることなんだろうに(もちろん我が女房様にも)と思うとそれがどうしたのよって気分になる、天の邪鬼でした。芸事とは無駄を愛で楽しむことなのだ。そういうことなんでしょうね。
 日高敏隆という動物行動学者をご存知でしょうか。週刊誌とか雑誌に結構エッセイ書いている人、もちろん著作も多い人です。同じ分野に女学者がいますね、なんとか久美子(最近本当に人の名前が出てきません、危ないかなと思っています)って人、この人の方が有名かも知れません、雄の鳥は尾羽の長くきれいでシンメトリッなものが子孫を残していくなんてことを言ってる人ですそういう学問です、その人のお師匠さんと思います。この人が新聞に特集されてました。この人の属する学問の世界ではこうなるそうです、少子化に対しては、天動説やら死後の世界で象徴されるように人間は物事に変な話の筋をつけ、それを信じ込む動物。出産だけでなく自己表現をしようなどと勝手な理屈を作り、縛られていると。格差社会については、利己的な遺伝子を人は持つ、だから仕方のないことだと。動物は種の繁栄のためではなく、自己の遺伝子のコピーを増やすため利己的に振る舞うのだという説、動物や人間を「遺伝子の乗り物」としか見ない考え方に乗っての話です。種の繁栄のために生き物は淘汰されて進化してきたというダーウィンの説は廃れて今はこういういわば身も蓋もない説が科学的に解明された真実なんだそうです。遺伝子の乗り物、というのを言い換えれば、生殖細胞を保持するためにこの体があり頭脳がある、例えば男の一生は受精(授精というべきなのか、奉精、捧精と書くべきか)こそが目的であり、次の個体に自分の遺伝子を保全するためにあるもの、それ以外は付け足し、余分という考え方です。それが科学で解明された真実だそうです。そういう前提でモノを言うならまぁこういう捉え方になりましょうか。格差社会は仕方のないことだそうです。遺伝子まで話を持っていくと(遺伝子から人を眺めると)、全ては決まっていることだとなります。つまりは神の思し召しのままにとなります。宗教的諦観に繋がります、というよりその強要になりますか。私は運命論者だとこの欄に書きました。人生は必然の積み重ねだと思っていると書きました。でも、さすがにこんな身も蓋もない諦めでもないのです。もっと余裕のある、ふくらみの残った諦めなのです。学者の悪い癖で、学説こそが人生の真実だって思い込むんです。人間は・・する動物だって決めつける。こういう断定に人は弱い(それが適当なものであればあるだけ信じます、都合いいですからね)のです。人も動物だって言われると人は安心するんでしょう、ああそうなんだ俺も犬猫と同じ動物に違いないんだ、だからもっと楽に生きればいいんだなんてね。違うぞ!って。誰でもいいから人を殺したかったなんて言うおかしな奴らを指して、遺伝子のコピーを増やすという観点から見ておかしい、んだそうです。そうですかね。自分しかいなくなれば自分の遺伝子が残る確率は高くなりますわね。他の男を全部殺せば、ね。誰でもいいというのが引っかかるんでしょうか。女殺したら遺伝子残りませんからね。ライオンの雄の有名な行動、出産間もないメスを手に入れようとしたら産んだ子を全部殺すんだそうですね、その理由に利己的な遺伝子なんて概念を持ってきて説明しているだけです。ライオンに聞いたのか?いえ、おちょくっているのではなくて本当にそう思います。先の雄の鳥の尾羽の形の話にしても、それは人が勝手に作ったストーリーでしょう?これが一番確からしいってだけです。何の確証もありません。雌の鳥に聞いたんですか、あの雄鳥が格好いいと思うの?って。勝手な解釈に過ぎぬでしょう?それに科学の衣を着せてまるで古来からの真実なのだと言い騙る。私はこの手の学者の思い上がりには注意するべきだといつも思っています。
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正義

2008-05-06 08:57:15 | Weblog
朝日の記事です、秋篠宮の長男さん悠仁さまが天皇陛下宅を訪問されて夕食を一緒にされたというものです。昔から朝日は皇族に対して敬語を使わないのですが今回もこうです、悠仁さまとさま付けする、天皇陛下と敬称をつけておいて、夕食を共にした、悠仁さまは元気に遊んでいる、犬の写真を見てわんわんと言って喜んでいると。記事は続きます、何でも公募で選ばれた小学生達が皇居の吹上御苑で自然観察会が開かれたそうで、連中は網で昆虫を捕ったり、巨木の幹をのぞき込んだりして楽しんだと。二歳に足らぬ赤ちゃんですが皇族ですからね、その辺りの小学生と一緒くたというのはどうですかねぇ。いえ、単純にイデオロギー問題ですから朝日には朝日の譲れぬ信念があるのでしょうが、悠仁さまが遊ばれている、仰言っている、喜んでおられたと書けませんかねぇ。他のガキどもは虫を捕って楽しんでいたでいいんです。これは厳たる日本の文化の筈ですがね。理由なんか要りません。昔からそうだったし、今の皇族方もちゃんとその伝統を守っておられる、公務を粛々と果たしておられる(皇太子妃はどうか知りませんが)、なれば下々としてもちゃんと対応せねばなりますまいにと思うのです。お上とやら下々とやらの謂が気に入らぬは重々承知の助で言ってます。それとも人間皆平等!なんて振り回しますか、あなたも。
 今朝の天声人語、ホームで不意に背を押される事件、船場吉兆の食べ残し再調理事件を挙げて、「暗黙の信頼」が揺れていると書きます。そんなことをするはずがないという信頼が揺らいでいると言います。確かに。料理屋の厨房という密室性は、客の信頼だけで成り立っているわけです。ちゃんとするだろうという信頼有ればこそ人は密室性を許すわけです。ま、バタバタしているところを見たくはない、魚捌いているところなんぞ見たくもないという気持ちも加わってはいますが。食べ残しを他の客に出す。手をつけてなければいいだろう、もったいないから。ここを糾弾するにコラム子はこう書きます、(もったいないを言い訳にしては)もったいないに申し訳ない、食べ物を大事にする思いと、商売のそろばんは顔つきは似ていても心根が違う、と。商売のそろばん云々はその通りですが、そのまま捨てるのはもったいない、誰も手をつけていないなら汚くもないじゃないかという理屈とは別の話ですよね。商業倫理というか、食べ物商売する者として守らねばならぬいろはのいじゃないかという誹り、それは安全性と衛生面での品質担保であり、それが客の安心信頼に繋がり、ひいては物品流通の促進、食品業界、経済の発展に繋がるという大上段の大風呂敷になっていって、そういう仕組みの根幹を揺るがす大変な不祥事だ!って怒っているんですね、それはわかります。でも、捨てるのはもったいないというあの女将のセリフとは食い違ってますでしょう。すれ違ってますよね。別の次元事ですよね、きれい(汚れてない、誰も箸を付けていない)なものを出すんだからそんなに怒られる事じゃないだろう。例えば(これは経験したことですが)ビアガーデンで客の飲み残しをそのままドバドバとサプライヤーに戻したり、シュウマイやら焼き鳥の残りをまとめて余所に出したりなんてこととは違うわけです。いや、同じことだと言われればそれもそうです、でももったいないという感想を非難できませんでしょう?食わぬなら、飲まぬなら頼むな!って。残すくらいなら初めから食うと言うなって。こうも言うじゃありませんか、肉を食べる魚を食べる野菜を食べる時、それぞれの命を頂くという思いで有り難く食しなさいって。食べ物を粗末にするなという道徳則と、客商売の倫理とはきっと交わりません。大量生産(調理)大量消費(全部捨てる)で成り立つのが後者です。「もったいない」に申し訳ない、なんて言い回しでごまかしているだけなんですね。女将の言う「もったいない」はどこのファミリーレストランでもファーストフードの店でもごくありふれた光景であって、一旦客に出した者は一も二もなく捨てるというとんでもない無駄浪費を指しているのです、大きく言えば。これが一般家庭なら(今時の若い主婦達はどうだかわかりませんが、少なくとも我が女房様辺りの年代の女の人達は)もったいないが優先されます、もっとも作らない買わないというより残さないが優先されましょうから女房殿は肥えていくわけですが。これは例の賞味期限消費期限の決め方にも及ぶ問題でしょうし、世界中で食糧が足りなくなってきている現況を思えば、それこそ「もったいない」をもっとちゃんと考えるべきだということでしょう。具体的には食べられるものを粗末に扱うなという簡単なことなんですが、商売商品の衣を着ると大量生産大量消費(破棄)の流通機構から抜けられません、作る者も売る者も買う者も金儲けですから。コラム子はそこを、同じに見えても心根が違うと書いています、利を上げようとする(卑しい)欲と食物を無駄にしないでおこうとする(美しい)気持ちとの差を言いたいのでしょうが、「もったいない」はつまりは節約倹約の勧めです、もっと平たく言えばお金を無駄にしなさんな、です。商売っ気が下等で、本来の「もったいない」精神はもっと上等高等なものなのだと言いたいのでしょうが、女将の言い分は商業倫理には反するものでしょうが「もったいない」という言葉の使い方には全く問題のないことだと思います。山本夏彦が言いました、正義と平和には気をつけろと。このように正義の味方を気取って書いている文章にこそ、嘘とすり替えが満ち満ちているのでしょう。そう思います。
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子供の日

2008-05-05 10:05:19 | Weblog
子供の日です、新聞はマニュアル仕掛けでしょうか、少子化と虐待話題です。27年連続で子供の数が減少しているそうです。何とか率よりも実数の方が分かり易いです。15歳未満の子の数は、多いときには三千万人いたのがここ20年で一気に急降下、千五百万人を今にも切ろうかという数です。高齢化と合わせてもう何年も言われていることですが一向に改善の兆しが見えません。行政の対応が的はずれであることも理由の一つでしょうね、同じ「結果が出ない」にしても大金を落としている分相対的に無効さの印象が大きいわけです。もっとも何もしなければそれはそれで大叩きされましょうが。行政は金を落とすばかりです。母親の負担を少なくしろ、父親にも子育てさせろ。夜間の保育所を建てろ、補助金を出せ、男にも育児休暇を義務化しろ。どれも間違いでした。失政失策でした。小泉さんが郵便局潰しの理由付けのためについでにやった規制緩和が日本を潰しちゃった(非正規雇用問題やら医師不足問題やら)のと同じ系の、つぎはぎ手当ての典型です。で、それもこれも効果がなくて、それでも支出は増えて、やめるわけにもいかずさりとてどんどん拡げていくわけにもいかず、マスコミからも飽きられて知らん顔されてしまうと、行政も知らん顔するしかないというわけです。少子化?そんなこともあったですねぇって。現在進行中なんです。どうしましょうか。なぜ少子化傾向になってしまったのか、なぜ女が子を産まなくなってきたのか、管見はこうです。民主主義の果てに必然的に現れる個人主義の爛熟。年寄りが死ななくなったこと。まず後者。日本にはこの対極の時代がありました、産めよ増やせよの時代です。これはひとえに人がどんどん死んでいったからです、結核で戦争で。とっても具体的に物理的に「駒」が要ったからです。今はその「大きな必要」がなくなりました。大なる力が逆方向に向いているのです。世の中の意志というか社会構成を正す大きな流れというか、横文字で言えば something です。人口減らせ、という大なる意志。エイズ禍の中にあるアフリカ諸国の子沢山が、昔の日本のようなたくさん死ぬからたくさん産まれるという単純則を証明しているように思います。中国やらインドの大人口は、まだこの国の(この広さの)器一杯に達していないことの証しのようにも思いますし、この国ではまだ多くの人が死んでいっているのでしょう、推測に過ぎませんが。そしてもう一つは、産めよ増やせよなんて今から思えば乱暴極まりない号令に人が(女が)素直に従っていたということ。これは、前者に関係しますが、今の言葉で言えば男女差別、女性蔑視抑圧の常態あればこそのことでしょう。むろん懲罰で裏付けられた恐怖政体、全体主義も理由の一つですが、ここでは措いて。女は結婚して子を産んで育てて、それ以外は要らぬといった断定。民主主義は必ず個人主義を先鋭化(極端化)させます、訴訟の国アメリカ然り、人権の国フランス然り、大保守王国イギリス然り。伝統や文化が壊れていきます。なぜならそれらは社会をうまく機能させるための装置だからです、民主主義は成熟すると自らを壊していくのでしょう。社会(集団)と個人とどちらが先かという古来からの思想家の論争の的に行き着くのですが、敗戦による天と地ほども違う思想の大転換から六十余年を経て日本にも個人主義が蔓延してきた証拠なのでしょう。あなたの好きにすればいいのよ、です。産もうが産むまいがそれはあなたの自由なのよ。女が結婚しなければならないってことはないのよ。どんどん仕事をなさい、社会に出ていきましょう(専業主婦を否定していく上野千鶴子やら大沢真理やらの煽動したフェミニズムはさすがに下火になったのでしょうか、ご本尊が女一人の老後に不安になってか、おひとりさまのなんとかって本を書くほどになってます)。でも、それが原因だとやってしまうと解決策が見えないです。民主主義という名の個人主義を我々は皆大なり小なり享受して生きていますから、否定など出来ませんし、これのない社会には今さら進めません(戻れません)。個人主義の世の中で相互扶助という概念がどこまで維持できるか。これはすぐれて日本人の国民性を問われる問題でもありましょう。アメリカに日本式の国民皆保険制度ができないのは相互扶助という高級理念が理解されないからだという評価もあるくらいで、この精神は日本人特有といっても言い過ぎではないのかも知れません。しかしそうは言っても、社会維持のために子を産むなんて図式は、先の国家政策の臭いがするようでいやですね。子は可愛い、子を持ちたい育てたいから儲ける、そういう流れの中にいたいですよね。そこを国が補助するってのもおかしな話なんです。フランスの出生率ですか、これが持ち直したのはシングルマザーを積極的に保護補助するようになったからだという話を聞いたことがあります。つまり日本語で言えば「父(てて)なし子」を奨励するってことです。結婚するという形態自体を嫌う女が多いって事ですか。これもどうだかなと思います、さすが人権の国ではあるのでしょうが、私はこうやって皮肉を言って日本はそうじゃない!と言い続けたいです。金銭的に若い夫婦を補助する、育児環境を整備する。そんなことで子は増えなかったのです。この意味するところは何か。親としての肚の据え方を知らずに子を育てる親を、何でもかんでも人の所為にして恬として恥じぬ馬鹿親を増やしただけの結果でした。相当の年齢になったら結婚して子を儲けて、という考え方生き方が普通にならねばならないということです。女がこれだけ社会に出て、男がどんどん脇に追いやられて、それでも女が子を儲けたいと思うような環境を作らねばならないということです。その為には単純に保育所やら育児休暇やらの仕様変換では足りないのです。何がいるか。私が思うには一に年寄りが順当に死にゆくこと、二に男がもっとシャンとすることじゃないのかと。それじゃぁ何も手を出せないということじゃないかとなりましょうか。その為には教育ですかね。何をやってもいいのよ式の刷り込みを止めることじゃないんでしょうか。人が生きていくためには自ずと制限があります、男女の差は歴然してあるでしょう、そこをセックスのジェンダーのとお利口に都合よく区別するのではなくてガッと一掴みにこういうもんじゃと教えることが必要じゃないんでしょうかね。産む産まないなんてのは男には到底思いや考えが届く所じゃありません、女の方々この辺りどうお考えなのでしょうか。少なくとも女国会議員達には事の本質がわかっていないようです、彼女たちもその辺のおっさんと同じ、姑息な瀰縫策しか思い浮かばぬようです。いかがですか諸姉。
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ポパイ

2008-05-04 07:38:36 | Weblog
popeye物語という本の書評を新聞に見つけ、ああこの本には世話になったと釘付けになりました。丁度私が大学に入った頃、昭和52年です、の創刊でしょう、田舎もんの私にはとても適当な(厚さといい値段といい)教科書だったことを思い出します。男用のファッション雑誌、情報誌、どう分類されるのか知りませんが、とにかく何でもかんでも真似していた頃がありました。私は二浪のすえやっと大学に入った間抜けなんです、その二年間京都で予備校通いました、そこでまずカルチャーショック!何じゃこいつら?って格好ばかり。髪の毛の逆立ってる奴がいる、女たちはバリバリの化粧、赤やらピンクやら目がくらくらする、一番印象深いのは衣服もさることながら靴やら靴下の派手さ多様さでしたか。こっちは田舎もんそのままです、いえ、精一杯考えて着て来てるんですよ、でもこれでもかって落差。大人と子供、おしゃれなお兄さん達と山猿って落差。身なりなんて関係ないって奴でもなかったんです、十分にこっちに興味があったもんですからこのショックは大きかったですねぇ。そうそう靴下です。高校時代は外出時は制服(黒詰め襟の普通の学生服)って校則でした、制服と私服って概念のなかで中学高校を過ごして来ましたから制服と家着という区別しかないのです。靴下は白です。健康な白です。他の色を組み合わせるなんて考えたこともない、というかTシャツとかポロシャツとかはさすがに何着か持ってました(でしょう)が、下はGパンです、靴下は白、靴は運動靴です、他がないんです、必要もなかった、周りが皆そうなんですから。そんなタコが京都ですわ。一時外へ出るのも嫌になってましたね(予備校サボる口実にして)。それでも浪人でしたからね、こっちに血道を上げるわけにも行かないわけです、その感覚を磨かぬままにやっと大学に入って、そこからがまた一からやり直し。まぁおるおる、キンキラ派手なのが大勢。でも、予備校と違うのはやはり山猿も多かったですわ、これは大学の特徴でしょうが。すぐバスケット部に入って「謳歌」するわけですが、コンパやら色々あるでしょう?そこで困るわけです。どうしても靴と靴下が鬼門。上と下がバラバラ。自分でもわかるんですがどうすればいいかわからない。色を合わせる?コンビネーションなんて言葉がカラカラ回るだけ。メンズクラブを買ってきて読んでみるけれど、どうもこっちはスーツ系が主流でちょっと違う。そこにポパイです。ほうれん草のあのポパイが表紙の雑誌です。週刊誌タイプの装丁で読みやすい、その時の私のニーズにぴったりでした。言葉遣いも今風(その時風)でした、お楽しみグッズとか必須アイテムとか。グッズなんて受験英語の知識だけです、名詞になると品物って意味だと。ああ、こういう使い方するのかという驚き。アイテムもそうです。何のこっちゃわからなかったですから。お手軽グッズがこの夏の必須アイテムだ!なんてね。靴下です、靴です、あれこれ試しましたよ。よくクラブの後輩にからかわれました、ポパイから出てきたみたいですよって。つまり全然身についてない、着せ替え人形的風貌だったということです。今から思えば恥ずかしいことですが、この本にはそういう熱い思い入れがあります。読まなくなってもう何十年も経ちます、別に廃刊になったわけでもないんでしょうが。漫画のポパイも popeye と綴るんでしょうか、寡聞にして知らないのですが、この本を見たときあのポパイと pop な eye という意味を合わせたおしゃれなネーミングだことと感心したことも覚えています。すぐあとにブルータス Brutus という雑誌が出てきて、こっちはもう少しヘビーな感じの内容でした、あまり読みませんでしたね。ブルートとかオリーブとかいう名の雑誌があったかどうか、これも記憶にありません。今は昔の物語でした。
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閉塞感

2008-05-03 08:29:57 | Weblog
憲法の話題を取り上げるのは憲法の日だけ。それだけ何の盛り上がりもないって事ですが、安倍さんがあれだけパパッと駆け足で準備した改憲への道(手続き)でしたがいまは苔むして落ち葉に埋もれています。安倍さんがあれこれ決めた何とか委員会は開催もされず(むろん野党、民主党の反対でです)全く進展がないなんてNHKは言います。朝日は憲法九条支持が六割を超えている、改憲を望まない人が過半を超えていると一面に載せます。確かにこれだけ次から次に失着が続けば改憲論議なんかはできません。こんな気が散った状況では声を掛けるのも憚られましょう。また、そんな時に答えを出す事でもありません、その辺のチンケな法案とはわけが違います。ということは民主党の作戦勝ち、倒閣作戦がこっちにも奏功しているということです。私は安倍さんの考え方が正しいと思っている者なのですが、つまり改憲賛成、軍隊をちゃんと持て、正式に軍備せよという考え方です、こんな私でさえ今この時期でのこういう話は不適当だと思います。目の前のチャラチャラを解決してからのことでしょう。そのチャラチャラ。年金、ガソリン、道路、医療、教育、治安不安出るわ出るわ。福田さんではどうにもならぬのでしょう、何も喋れない男ですから。だからといって小泉さんはダメです、この男のやったことが間違いだったと証明されての今ですから。誰?混沌、閉塞感、失望をうち破ってくれそうな人。週刊誌には小池女元大臣の名が取り沙汰されていますがどうですかね、この女にはどうも胡散臭さがつきまとってますよね、もっとも政治家は皆胡乱なのですが。戦前の、戦争前夜の世相空気に似てきたなんて評価をよく目にします。当時を知らないので私には比べようがないのですが、石油がない、物がない八方塞がった状況に皇国全体主義が先鋭化して世論が誘導される。開戦に手を叩いた人も多かったという事実。スパッと斬ってくれるのを待つという心情は同じなのでしょうか。馬鹿野郎!きちっとしやがれ!と啖呵切れる人。小泉さんじゃダメですが、この人が出てきたときのような感覚をまた味わいたいのです。小沢さんのやり方が当時のアメリカ(ハルノートの如く)、追い込まれていく日本(福田さん)。結果として破滅への道ではありましたが、そういう逆向きの評価(後出しじゃんけん風の)では当時のこの決定の背景はわかりません、きっと「閉塞感の打開」が指導者の共通理解だったのではないでしょうか。今まさにそういう心持ちになってきましたね、そうじゃありませんか。いい加減にしろ!って。麻生さんでしょう。この人にどれだけの肚があるのかそれは知りませんが、こういう時だからこそ悪人顔、柄悪顔、べらんめぇ調の乱暴者の出番なんでしょう。民主党にやらせてみるという選択じゃなくて、麻生さんにバッサリ斬らせてみる。多くの人達も民主党(小沢さん)に政権渡すことは不安じゃないんでしょうか、よく見ているとこの人も福田さんと同じです人に指示するばかりで自分じゃ動かない、大号令を掛けるってタマじゃないです。菅やら鳩山やらの口先だけの有象無象集団よりも、その前に一度麻生さんにやらせてみる。早く何とかせぇ!という思いを満たしてくれるのは麻生さんだと思いますがね、いかがですか。
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契約

2008-05-02 08:42:25 | Weblog
昨日ガソリン注油に行きました、160円。新聞の書く通り閑散。もっともいつももそんなに混むスタンドではないんですが。スタンドの若い大将は苦笑いです、ええかげんにしてほしいと。そういう感想でしょうね。今朝のTVは、暫定税率復活によるガス代値上げするスタンドが増えているって、まるでそうでないところが多いような、値上げするのが悪いことのような言い方してます。この税金が撤廃される時にはこれだけ安くなります!なんて煽って、安くしないスタンドをこれまた欲に駆られた悪者扱いしたのはついこの前のことです。安くしなければ売れない、周りが安くするなら赤字も仕方ない、その時出た損失を今度はここで取り戻さねばどうしますか、即値上げです、当然です。そしてこれが普通の対応となれば、ビジネスチャンスでもあるわけです、そうでない対応して短期にでも多くを売る(どれだけ利があるのかどうか知りませんがいわゆる薄利多売)、安い税金で仕入れた油は安く売りますなんていうスタンドが紹介されてました。ま、いくら多くてもそのスタンドのタンク以上のものはないのですから、心意気!って言うほどのことでもないわけですが。ほんとにマスコミというのは勝手というか、庶民の味方を気取っていつあなたに歯向かってくるわかりません。混乱を収拾しようとしない政治屋どもと同罪です。端々を振り回して面白がっている。今回の対象はガススタンドです。大手石油会社じゃありません。ここはたっぷり儲けているんですから。TVは相変わらず間抜けなインタビュー流してます、こんなに高くなったら車で遠出も出来なくなりますなんて子供を後ろに乗せた若い父親。そうは言ってもこの連休、どこかへ行くんでしょう?それとも本気で地球温暖化対策とやらに協力しましょうか?
 オリンピック水泳選手が好きな水着を着せろって言ってるそうです。イギリスの会社がいい水着を開発してそれを着た選手が世界記録を連発したからです。実際着てみるといいんだそうです、記事にはあれこれ書いてあります、やれ浮力が強いとやら推進力が強いとやら、ほんまかいな。そう思うだけじゃないのかなぁ、成績を水着の所為にするんでしょうどうせ。関係者が言ってます、オリンピックの決勝レースでレーンに並ぶ他の6人が皆この新しい水着を着ていたら絶望感に襲われてレース以前の問題になってしまうだろうって。なるほど、話はどんどん大きくなっていくわけですな。コンマ何秒を競うレースなればわからぬではないですが、前にも触れましたが、ステロイドやらドーピングにあれだけうるさいのに、こういうものには何も言わぬのですねぇ、これも不思議。薬飲んでもヒトはヒトです。サイボーグ化するわけじゃありません。自分の筋肉で走り投げ泳ぐんです。道具については「進歩」「開発」で済ますのでしょうね。ま、それはさておいて、この問題は水連が水着メーカーと契約していることが原因なんです。日本の三社と契約しているので、ここ以外を着て公式戦には出られないんでしょうきっと。とくにオリンピックなんて晴れの舞台、こんな宣伝の舞台もないですからね。水連が困っているのは契約云々の縛りももちろんでしょうが、たっぷり金を貰っているから身動きができないことなんでしょう。物心両面でお世話になり、というあれです。同等品をこの三社が開発すれば問題ないんでしょうが、どうせパテント品でしょうし、はい真似して作りましたとはいかないでしょう。関係者の言は相当に面白い図柄で、もしこのままの状態が続けば、レースの興味はどこの水着着ているかなんてことに移ったりします。それでも勝つか北島。負けたら水着の所為にできるよ、代表選手達。それもそれでいいんじゃないんでしょうか。違いましょうか。
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