柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

メモ事件顛末

2006-07-31 08:41:02 | Weblog
カルト集団の話題を昨日さかんに日テレが放映していました。同じ画像ばかりでいささか辟易しましたが、不思議ですねぇ、あれだけオウムの時に注意なさいよとなったはずなのに、いくらでもいるんですね、それでもひっかかる連中が。初めは普通のサークルへの勧誘だったのに、なんて手口です、これも常套手段の筈ですよねぇ。引っかける方が悪いんでしょうが、いいえ、こうなると引っかかる方がもっと悪いというか大馬鹿ということです。金を要求されたり、体を触られたり、そんな宗教ないでしょうにね。これだけあの手この手で周知されていることであれば、やはりやられる方が悪いんでしょう、保護に値しないというか。でも、そう決めつけると向こうさんのやりたい放題になりますからね、そうもいかないでしょうが。弁護士が得々と喋っていました、背が高くて髪が長くて知性的な女を教祖は好んだと。そんな甘言に引っかかるのが人だということなのでしょうね。お気をつけなさいませよ、モデルの様なお美しい方々。
 ミスユニバースで日本人(沖縄の人)が二位になったとこれまた大騒ぎですが、日テレの番組で、よくTVに出てくるヤメ検弁護士がガツンと言ってました。もともとミスコンは男の玩弄物の趣であり、ここで一位になった女は碌な人生を送っていないと。しれっと言い放つもんだから、司会の福沢氏困ってました。まぁ、そういえばそうですわね。でも玩弄物とはよくも言ったり、天晴れじゃ!
 朝日新聞の論説委員が例の宮内庁長官のメモ事件について書いています。天皇に対して敬語を使わないこの連中の言葉遣いはいつ見ても気に入りませんがそれは今回は措きまして、あれだけ天皇の戦争責任を言い立て、天皇の存在自体を否定しようとしてきたその口で、今度は天皇を利用とするご都合主義には今更ながらに呆れます。文中、まるで人ごとの如く「右も左も同様に困惑の様子なのだ」と書きます、左の筆頭であるのにもかかわらず。A級戦犯合祀否定が東京裁判肯定を意味するから分祀には反対するというのが東条英機の遺族の反論ですが、東京裁判は戦後日本の再出発に他ならないから天皇が裁判結果を自らの保身目的ではなく受容した、だから裁判否定に繋がる合祀を天皇が嫌ったのだと書きます。そして「国家の命令で出征し、命を落とした兵士たちの慰霊に、戦争を命じた指導者達を交ぜてしまったら、天皇が痛感する戦争への反省も、日本の再出発もうやむやになる。そんなところには参拝できない」との忖度が続きます。最後は、小泉、安倍と名指ししての掣肘で括ります。あっさりとその姿を現しましたが、それにしても天皇陛下の気持ちの忖度にしては安易に過ぎませんかね。そんな我々庶民が思うようなお考えではなかったと思いますよ。軍部の独走にはおそらく苦々しくはがゆく思っておられたでしょう。しかし、国民が自分のために死んでいっているという現実の重さは陛下でなければわからぬこと、帝王学を修めた人しかわからぬこと、戦争を命じた指導者達もまた国民であり、股肱であり、赤子であるのです。天皇陛下の中でそんな差別があったのでしょうか。安易に過ぎます。この誘導は安直でしょう、そう思いました。特に敗戦という国家存亡の危機に当たりそんな気持ちなど、ということです。合祀はもっと後のこととはいえ、そこの混同もやはり恣意的でしょうか。
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人の限界

2006-07-30 09:15:18 | Weblog
昨夜、当地周防大島町の小松(旧大島町)での夜市に行きました。実行委員長さんに聞くに(高校の同級生です)20年ほど途切れていたのを復活して5年くらいじゃとのこと、ああ、まだ5年なんだとの感想でした。毎年毎年見た目に人が増えてきています。繰り出す人が多くなっています。まだ盆前です、帰省客ではないわけです。地元の柳井でも、盆に合わせてのものですが祭を創り出して、これまた年次凄い人出になってきています。もちろん関係諸氏の尽力の賜ですが、でも繰り出す人があればのこと、行ってみようと思わせていると言うことです。いや失礼ながら、特別なイベントがあるわけではなく、特別な仕掛けがあるのでもないのです、出店が並んで、それだけのことです。でも、人が出てくるんですね。夜には灯りに吸い寄せられるという人の特性でしょうか、子供時分に夜の外出に胸ときめかせたあの感覚です。TVの、DVDの、ゲームのの時代になっても、人の特性習性は変わらないのでしょうね。何だか、人の波を見やりながらほっとした感じになりました、皆汗一杯かいて。
 夜市余話もう一つ。彼の地の保育園幼稚園の出し物があって、私は暫く裏(いわゆる back stage 楽屋です)にいたのですが、まぁ来るわ来るわ小さい子ばっかり。ああ、ようけぇおるじゃないか、と思わず笑ってしまいましたが、何故かどの子もどの子も可愛く見えて思えて。子供の数だけ付き添いの母親やら父親やらがそばにいるのですが、この連中はどちらでもよろしい。せっせと世話をしている人、知らん顔している人、友達と喋ってばかりで子に全く構わぬ人、種種多々の面白さではあるのですが、まぁどうでもよろしい。子供達の可愛いことです。踊るにしても、先生に教えてもらった通りを誰が見ていようと見ていまいと間違えぬようにやろうとする仕草の可愛さです。思わず笑顔で見ています。自分の子供にこんな気持ちになったかいな、とも思っていました。ははーん、爺さんの孫に対する気分というのはこんなのかいな、と気づいたことでした。そしてそんなに遠い先の話でないことにも気づきました。おお!
 ベタ記事扱いで、TVもただ報道しているだけの事件ですが、またまた幼児虐待です。3歳児に食事を与えずに、さらに暴力を加えて殺したという事例です。こんな親を持った子の不幸なのです、逃げるに逃げられぬ宿命です。この何ともしがたい不幸については以前書きました。今日TV見ていて憤りを感じたのは、関係者の無策です。法律を整備しても役に立てないのであれば意味がありません。たとえそれがザル法であっても、実際の運用者、施行者の意向意欲問題意識ひとつでどうにでもなるでしょうに、どうしてあの児童相談所の連中はどいつもこいつも閑職に追いやられた能無し顔しているんでしょうか。実際に閑職なんでしょうね、あの職はいわゆる「窓際」。だから、一番役人らしい役人がいるのです、規則は曲げない、文句が出たらやらない、自分からは何もやらない・・のないない役人達。記者会見はいつも同じ状況です、小汚い、役所然としたコンクリート部屋、三人くらいがカッターシャツと太いネクタイで坐り、前には分厚い本、一人が喋りながら一人がその本のページを繰っている、あれやこれや言い訳した末にガバと立ち上がり雁首揃えて謝罪です。何とかならんのか、そのあんた達の無能さは。もちろん、人の子ですから、親が嫌と言うことを無理強いのできぬことはよく理解できます。じゃぁ、お為ごかしにそんな法律整備せずに、人の家庭は放っておきましょうと決めればいいですよ。自分の子を殺すのなら仕方ない、とね。人の子を殺すんじゃないんですから。特に、男が思うに、自分の腹を痛めた我が子を殺す母親の思いは理解できません、理解できませんから手をつっこめないです。子を保護して親から物理的空間的に引き離すことしかできません(でも、これが一番適当且つ効果的な手ですが)。でも、それすらしない。いや連中は反論するでしょう、ちゃんとしている、でも親が連れに来たら帰すしかないじゃないか、と。でも、そうやって帰して殺された例がいくつあるんです?同じ事の繰り返しです、それを能無しと誹っているんです。保護するならずっと成人させるまで、少なくとも親の無体な暴力に抗える歳になるまで保護する、そこでちゃんと教育すれば子を虐待する親を作らずにも済みます。子は親を見て育つんです、今回の馬鹿親達もその両親(両親揃っていない場合も多いのでしょう)の馬鹿さを見て育って来ているのです。こういう連鎖輪廻なのです。どこかで切ってやらねば続くばかりなのです。だから、法律まで作って本気で子供を救う気があるなら、成人するまできちんと面倒を見る構えが必要でしょう(でも仮にそうなれば、今の生活保護や母子家庭の如き優遇になだれこむ連中も増えてきましょう、そこまで踏まえての強い意志、腕力が必要ではあります)。そうでないなら、現状のような能無しを並べてのやっつけ仕事でお茶を濁しているんでなく(これが行政の常套ではあります、やっているじゃありませんか、でも結果がでないのは仕方ないじゃありませんかとの言い訳です。でそのうち文句が沈静すると、やっていればいいんだ、やっているように見せればいいんだと変わっていきます。易きに流れるばかりです)、国は関知しませんとやってしまえばいいんです。こういう話を聞くたびに多くの国民は可哀想に、哀れに思い、こんな両親を憎むわけです。今のような中途半端じゃ被害者が増えるばかり、TVや新聞の訴え方に沿った(つまり世論に対する)対策にはならないのです。役人達のいかにもマニュアル然とした謝罪劇を見る度に思います。爺さんや婆さんは何やってんだ?親が無茶するなら祖父母に預ければいいだろうに、なんて話になると思いますか。そんな親になるようにしか育てられなかった連中ですよ、預けたらそちらに殺されますよ。なんたる不幸、でしょう?今時の子が切れやすい、他人のことを考えないのは親に抱きしめられないからだなどという謂いがあります、なればやはり日本の将来を思うなら(20年先の日本を思うなら)馬鹿親から引き離してしっかり抱きしめてやれば、そして成人まで育ててやればいいのではないでしょうかね(金ですか?無駄遣いを止めればすぐ捻出できます。これはわけないことのはずです)。馬鹿親を信じては(そういうトラブルを避けていたのでは)事態は進まないのです。そう思われませんか?
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しつこいこと

2006-07-29 08:40:36 | Weblog
教諭が生徒をいじめて(差別発言を繰り返して)PTSDになったとする裁判の記事です。同じ三面に、眉を剃っていた女子バドミントン選手が勝利を剥奪されたと言う記事。23日の産経には、保護者から学校への無体な要求、クレームが列挙されています「うちの子は箱入り娘で育てたいから、誰ともけんかさせないという念書を出せ」「行事のスナップ写真でうちの子が真ん中に写っていないのはなぜだ」「石をぶつけてガラスを割ったのは、そこに石が落ちていたのが悪い」「義務教育だから給食費は払わない」「(保護者がクレームを言いに来た日の)休業補償を支払え」やれやれ、です。鶏が先か、卵が先かの典型例でしょう。親が馬鹿になったのか、そういう親を作った教育が悪かったのか、そしてもちろんそういう教育を受けてきた者が教諭になっている。悪循環。誰も直そうとしない、教諭が役人仕事であることに乗じた、平等公平至上の空論を盾にした大破壊劇。きっとこれは作為的なもの、その勢力から見れば大成功な結果なのでしょうが、暴力(体罰)はどんな場面でもいけないと形式的に通達するから、常識の抑えの効かない(もともと常識のない)馬鹿な親を増長させ、馬鹿な教諭を萎縮させる。裁判所がその流れを助長する。訴えればいいという風潮を作る。言うた者勝ちの流れ。常識、節度、節操、バランス、社会性、公共性、そして品性品格。欠落するものをあげつらうだけなら、そしてそれを社会の所為にする、やれ地域力の、うるさいおばさんやおじさんがいなくなったのと言い募るなら何年も前から何百何千の凡百な専門家、評論家の戯れ言に何の相違もなく、現実を見ようとしない無駄話。どれもこれも根は一つです。馬鹿な親を作ってきた教育、そんな親に育てられた子が立派になりますか?当然の結末です。いつの時代にも、年寄りは若い者を非難します「今時の若いもんはなっとらん」と。でも、その年寄りも若い頃には年寄りの眉を顰めさせてきたのです。世の中とはそういうものなので、我々歳をとった側の人間がやれやれと思うのは必然のことではありましょう。でも、日本人の品性、特性に関わる問題であれば、教育という国家事業に因を求めねばなりますまい。地域のこわいおじさんに頼るわけにもいきません、そんな人はもういないのです、自由平等公平の御盾は他人への介入を許しませんから。そうじゃないでしょう?だから、教育なのです。20年先を見据えた改革なのです。違いますかねぇ。少子化問題も同根でしょう。今の姑息的瀰縫策はそれとして、その奥に太い芯を注入してもらいたいと切に願うのです。20年かけて立て直す意気込みです。
 朝日新聞、しつこいですよ。今日のトップ記事は、靖国の合祀者を当初は国が決定しようとしていた、というスクープ(なんでしょう)です。戦前は軍が選び天皇が最終決定していたのを、国が決定するとしたというものです。そんなに大したスクープじゃないと思いますがね、これも朝日の一連のキャンペーンなんでしょう、反靖国、反小泉、そして反安倍、ひいては反日、親中。しつこいですね、第一印象です。
 先の宮内庁メモに対して週刊誌が書き始めました。週間新潮は櫻井よしこと福田和也が慎重論を述べています。天皇の言を利用しての靖国参拝ならじとの世論誘導に反対する論です。私は彼らの論に与します。週刊文春には個別にコメントを載せています、丸谷才一は靖国神社は軍国主義と結びついていて、敵を祭る発想がない、総理大臣は参拝すべきではない、という左よりの論を寄せています。何だか理由がおかしいなぁ。そして、古賀日本遺族会会長のA級戦犯分祀論。この人もよくわからん人です。考えが態度がわかりにくい人です。さてさて面白くなってきました。明日のサンデープロジェクトが楽しみです、左翼田原さんまた吠えるんでしょうね。
 具志堅さん、盛んに亀田三兄弟に噛みついています。毎日の記者が間を取り持つような記事を書いたりして面白いのではありますが、結果はすぐに出ることです。こいつが勝てばまたあの品のない言動に付き合わされるだけのこと、負ければ大叩きされるだけのことです。見とけばいいですよ、結果は必ずでますから。
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いかにも弱い!

2006-07-28 08:40:19 | Weblog
谷垣さんの記者会見、がっかりしました。消費税の話しなんぞはどっちでもいいのですが、靖国問題です。隣国との関係が異常であり、関係修復する必要がある、だから私は首相になっても靖国には参拝しないと明言しました。記事で読むのと、話し言葉を聞くのとでは大違い、ああ、この人なんて弱々しいんだと思いました。そんなことしたら、それこそ隣国の思うつぼじゃありませんか。先の昭和天皇の会話メモ記事や広田弘毅の遺族の発言記事との、このタイミングの符合は偶然じゃないでしょう。明らかに、小泉路線への掣肘、ひいては安倍晋三掣肘狙いでしょう。そんなこと誰がやるのかって?誰が記事にしたんですかということです。こんな人が首相になった日には、日本は乗っ取られますよ、笑い話じゃなくて。
 Ichiroがイチローを超えた、と言う表現です。54試合も早く日本でのヒット数を抜いた事を指しての記事です。ヒットの数も凄いですが(すぐに張本を抜きますね、ひょっとするとピートローズを抜くのかも知れません)、やはりこの人の言葉でしょう。ヒット打ったと言っても所詮日本でのことだろうと言われてきたが、これでそうじゃないことを証明できたといった趣旨の言です。こういう物言いが嫌われる因にもなるのでしょうが、いえ、これだけ実績を伴っていれば少々の批判など吹っ飛びます。凄い奴だ、それで十分ですよね。
 昭和天皇のお言葉メモに対する評が出始めました。今日は毎日新聞に特集されています。論客三氏の評です。是非ご一読下さい。但し、三氏とも「昭和天皇の御内意に近い(所氏)」という前提で話をしていますが、このメモ自体が公式のお言葉でも何でもないのだからさほど重要視するべきものでもない、昭和天皇はお言葉を慎まれてきたお方だから、という論も存在します(櫻井よしこ氏など)。今後の展開がきっと面白いですよ。
 阪神、もうだめです。この三つを詰めることができないでしょう、今後。この三連戦こそがペナントのポイントだったのに、なんたること!福留、本当に怪我してたのか??!!
 毎日新聞のコラム(発信箱)、今日の記事はなんとも若い、浅いものです。欽ちゃんが辞めると言ったのが、意味わからないそうです。確かに唐突で、違和感がありましたし、その後の顛末も何とも演技めいていて、ではありますが、ありがちなことです。それを、わからないと言うは、それはあなた(記者)の思慮不足、未熟さのなせるところです。そう言ってやりたい思いになりました。うるさい爺ぃになりましたかなぁ・・。
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靖国

2006-07-27 08:40:52 | Weblog
NHKニュースで、大阪市が同和行政の見直しをすると報道されています。大阪市です、さてどこまで進められるものでしょうか。市の役人の優遇(というか少しでも多く金を取ろうとする制度、給料を初めとして何やらかにやら理由つけてやれ補償のやれなんちゃら費のを、自分たちで作るんですから、餌にたかった蠅状態です)で大問題になっている所、また全国的に有名な同和関連団体の力の強い所です。大阪市長はトーンを落としてインタビューに答えていますが、さてぶちあげたアドバルーン是非天まで上げてもらいたいものです。全国に与える影響は甚大でしょう。
 またまた朝日新聞の記事です。A級戦犯と処された広田弘毅元首相の遺族(孫)が、広田家として靖国合祀に合意した覚えはないと考えている、と表明したそうです。「今も靖国神社に祖父が祀られているとは考えていない」そうです。一方の靖国側は、御祭神合祀の際には遺族に対して連絡はするが、事前の合意は得ていない、と答えているようです。ここで何が問題なのかと言えば、本来靖国神社とは軍人で戦場で亡くなった人を祀るところであるから、軍人でも戦死もしていない文人たる広田弘毅が祀られる謂われはない、という反論であるところです。東条英機の遺族は分祀に反対したのです。その理屈で言えば、東条英機も軍人でしたが戦死はしていません。拡大解釈のその末に原義が霞んで見えなくなるのは世の常ですし、そう考えれば、靖国神社はあくまで精神的支柱、天皇への忠誠、日本国への貢献への顕彰を目に見えるものにする当時の政府の意図であったものでしょうし、本来定義とすれば曖昧なものであるはずです(西郷隆盛は西南戦争で政府に歯向かった廉で祀られていません、そういう意味ではしっかり線は引かれているのではありますが)。拡大であれ過小であれ、解釈は拡がりましょう。合祀を決めた当時の責任者には責任者なりの国思う、死者思う気持ちがあったわけでしょう。それを、今このタイミングで天皇の侍従への片言隻句をとりあげたり、戦犯遺族の意向を公表する。靖国への意識を負の方向に高めようとする意図、それはきっと小泉首相に向けられるものでしょうし、その後継と目される安倍晋三への掣肘意図なのでしょうね。ううむ、政治の臭いがぷんぷんします。いかがですか?
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スクープ

2006-07-26 08:40:57 | Weblog
阪神、いや井川この野郎!せっかくこの前の三連戦に2勝したのに、だからこの初戦こそが大事で、だからお前だったのに~~!だめですなこのエースは、負けたけど調子は悪くないなんてぬかしてます。調子が悪くても負けないのがエースでしょうに。でも中日、ピッチャーがいいですわ。今年は残念ながら中日でしょうね。
 日経新聞社員のインサイダー取引事件、えらく取り沙汰されていますが、ありがちなことですよね。本当に今回が初めてのことなんでしょうか。新聞掲載分の広告は当然、一般の目に触れる前に関係者が先に知るわけです。その場にいるものなら誰でも考えそうなことです、今まで誰もやっていなかったことなんでしょうか。それとも、今回は額が大きかったから流石に問題になっただけのことなんでしょうか。おそらく今戦々恐々としている連中が多くいるんじゃないでしょうかね、この手口で小金を儲けていた連中です。職務上知り得ることと、自分が集めた知識とを峻別する意味合いでの証券取引法なのでしょう、職務上労作なく情報を得られるものが一般を出し抜くのは狡い行為だという判断です。が、他の法律と同様その境目は曖昧、グレーゾーンが大きく採ってあるわけです。つまり裁判官を初めとした、是非可否判断する人の裁量部分を大きく採ってあるわけです。不問に付されているケースが多いだけなんでしょうね、そう思います。こんな事、誰でもやりがちなことです。一度やってしまうと、きっと止まりません、おいしいことですから。ですから、こんなことはやってはならないという行動規範を持っているか否かの倫理観、社会的常識、生きる上での品格の問題であります。ばれねばいいのだ、か、やってはならぬのだ、かです。目に前に金がぶら下がり、手を伸ばせば手に入れることができる状況におかれれば、あなたは高潔に後者を通せますか?誰が役人になっても同じ事をするのです、人は。
 今度は昭和20年9月25日の昭和天皇の、ニューヨークタイムスの記者の質問に答えての文書の控えが見つかったそうです(朝日)。この記事によると、通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃したのは東条英機元首相の判断だったと語られているそうです。嗚呼、これはいかがか。詳細はまた追々明らかにされていきましょうが、さてさてマスコミの取材にいつも毅然と応えてこられている東条英機の孫さん(女性)のお気持ち察するに余りあるところです。A級戦犯靖国合祀の問題にしても、分祀に強く反対されたのは東条さんのご家族で、理由はそれを認めると東京裁判を正当と認めることとなるからというものでした。ひとえに当時の日本の選択として誤りではなかったという信念によるものでしょう。そこには当然に国体の維持という大前提があるわけです、平たく言えば天皇様を守るということです。いえ、当時の考え方を、今の理解で判断してはなりません。軍部の独走、専制といった表現にはなりましょうし、一般国民が否応なく引きづられていったという表現にはなるにせよ、あの時の判断すべき人の判断であったわけです。で、東条首相の頭にはやはり天皇陛下の護持という思いが前提としてあったに違いないのです、そこをお孫さんも強調され、多くの糾弾に反論される根拠にされているところ、そこをこんなものが唐突に、しかも朝日の紙面に出る。さきの戦犯メモは日経新聞のスクープだったそうです。ううむ、もっともっと検証がいるように思いますが、なぜこの時期にこんなに出てくるのか?まず湧き起こった感想はこういうものでした。ううむ、今後注目に値します、そう思います。
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芋蔓

2006-07-25 08:39:43 | Weblog
群馬大学病院の医療事故、新聞やTV報道ではおそらくうまく理解できないものと思われます。「肝臓の手術の後に、どうして脊髄の麻痺なんだ?」「ヘパリン?」解説します、おそらくこういう経過です。術中および術後の疼痛管理(除痛)目的で、硬膜外麻酔と言って、背中から脊髄の周囲(硬膜外腔)に管(カテーテル)を挿入してそこから麻酔薬を注入する手法を、全身麻酔と併施します。手術が終わると、全身麻酔はやがて解けますが、背中には(脊髄周囲の硬膜外腔)管が入ったままです。術後の疼痛により薬剤を投与する目的です。で、新聞によると「術後の肺血栓などの合併症予防のために(毎日)」ヘパリンを投与したところ(血管内投与です、背中に入れたのではありません)、背中の管の回りに出血がおこって、それが脊髄を圧迫して、下半身麻痺が起こったというわけです。ヘパリンというのは血液凝固を抑制する薬剤です、だから血栓の予防薬になるのですが、それを通常の2~5倍量投与したというのです。で、思わぬ所に出血したという顛末です。新聞によると、当の移植を受けた本人(夫)は術後3ヶ月で感染症で死亡したそうです。ああ、なんたること。おまけに、大学、今初めて気づいたように肝移植の成績を公表して、他の施設より成績が悪いので調査する、らしいです。何たる偽善、ぶざま、隠蔽体質。総身に知恵が回りかね、の典型です。何のための移植だったのか。当該教室の教授は「重症患者が多かったので」なんて言い訳しています。これもなんとも保身意志がぎらぎら浮いています。そんな重症例に(三ヶ月後に感染症で死んでいるんです)手術の適応自体があったのかどうか、です。患者側の藁をも縋る思いに、医療側が一か八かで応えていては、悲劇が増えるばかりのことです。この教授の考え方は、自らの業績を高めるためかと疑われても仕方ありますまい。しかし、世の中の医療は概ねこの流れなのです。図体の大きな病院になればなるほど、誰の責任でもないマニュアルが一人歩きするわけです。諸兄、医者の言葉を丸呑みしてはなりませぬ。不審な点はどんどん聞いて下さい。専門バカの壁の一番高いのが医療界でありましょうから。
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口利き

2006-07-24 15:02:48 | Weblog
今日は2回目の、メインテナンスによる昼の書き込みです。何だか違和感溢れています。
 昨日の千秋楽ご覧になりましたか。今場所は見送られたようですが、白鵬立派に横綱相撲でしたね。朝青龍は小さいから、白鵬のような大きな相手にはきっとスピードで圧倒しないとまずいわけでしょう、で、途中切れ味の鋭い投げを土俵中央で打って白鵬ぐらりとしましたがこちらもさるもの踏ん張って胸が合いました。ああ、捕まったらだめだ、とおそらくあれを見ていたほとんどの人は思ったでしょう、何と白鵬の背中の大きいこと、横綱一度は吊り上げようとしましたがダメ、そのうちじりじりと俵に押され、寄り切りというか浴びせ倒しのごとく白鵬体をあずけました。ううむ、強かったですよね。ああ、新しい横綱の誕生だと思いました。以前にも書きましたが、大鵬と言うより(実は大鵬の若い頃はリアルタイムではないので、正確には比較できませんが)貴の花じゃないですか。あの人もググッとからだが大きくなって、盤石観が出ましたよね。ここ何場所かの白鵬の充実ぶりはすごいものがあるでしょう。今後はきっと白鵬が中心になるんでしょうね、朝鵬時代なんて新聞にありましたが、間違いなくその時代が来ますね。他の大関さん達、早くお辞めになればいかがですか?
 呉の口利き事件も、今更の感ですね。官製談合なんて言葉もすっかり定着して。誰かが順番決めなければならないから、その誰かに皆が寄るんですよね。談合も、まるで世の中の大罪のように叩いていますが(田原某とかが特に)、順番を待てば自分の番が来るんです、そういうことなんです。贈収賄とか恣意の分配とか咎め立てる事々はさることながら、大手ゼネコンが受注して相応の下請けに分配するという機能、その大手ゼネコンの順番を決めるのが役人達(これが官製談合)、そういう図柄。相当に饗応して順番を待つ(得る)。待てばまず間違いなく仕事が入る、収入を得られる。いけないことなんでしょうかね。もちろん新規参入者には面白くないことが続きましょうよ、順番を待たねばならぬ歯がゆさだけでなく、その集団(同業者)内での立ち位置を得るまでの下働きの強要等々。でもその集団に入らず、独自で安い値段で仕事を取るなんてゲリラ戦術は、まだまだ日本じゃ無理です。少なくとももう一世代死に変わらんとだめです。具体的には今の60歳台の経営者達が死んでしまった後の話でしょう、それこそまともなガチンコ勝負になるのは。一時さかんに田原某の番組で談合糾弾した勇気ある中小企業社長物語を特集したり、長野の田中知事やら横浜の中田市長やらが公共事業の談合を廃絶するなんて色々やっていましたが、談合の証拠を落札価格と予定価格との差で測る手法。落札率なんて言ってそれが90%以上の事業ばかりだ、これは予定価格のリーク、談合の動かぬ証拠だとやるわけでした。予定価格で落ちればいいんじゃないのかい?例えば7掛け8掛けの数字でどこか正体の見えぬ企業が落札しても、はいどうぞと決定せよという理屈です、競争の原理盲信者達の要求です。地元企業への配慮があっても当然でしょうし、今までの業績や当該自治体への貢献度が加味考慮されても当然でしょうに。そういうことを含んで、実績のある、ちゃんとした仕事のできる企業(大手ゼネコン)に依頼して、そこが胴元で仕事を分配すればいいわけでしょう。どのゼネコンの傘下につくかこそが下請け業者の風見具合、そこにも饗応付け届けはあるわけです(もっとも、相手が公務員でなければ贈収賄罪なんぞはないのですよ、中元歳暮が犯罪でないように)。その口利きに色んな人が登場するわけです、そしてそこに利権が発生する、饗応が当然に行われる。これが人の世の中なんですね、どう網をかけても、この所業はなくなりません、網にかかる人とそうでない人がいるだけのことです。こういう社会構造なんです。これを壊そうと思うなら、あなたが行政トップになるしかないのです。そう思います。でも、誰が役人になっても同じこと、という格言からあなたとて例外ではいられないのです。ううむ。
                                                                                           
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マニュアルか、人か?

2006-07-23 10:59:36 | Weblog
大雨大変です、いつもいつも南九州が被害甚大です。そういう地域なのだという諦めしかないのでしょうが、それにしても百年河清を待つというか、国やら自治体やらに多くを求めても詮無きこと、できぬ事はできぬわけで、ああじゃこうじゃと対策もし鶴首協議もしあれがよかろうこうしようとやってもやってもまた大雨は降るわけです。山が崩れるわけです。川が切れるのです。去年の当地、今年の長野と毎年注目される地域は変われども、毎年毎年同じように災害を受け続けるのが南九州です。行政の無策を叱れましょうか。
 パロマも大変です。出るわ出るわの態です。どうして最初にあれだけ居直ったんでしょうねぇ、データは揃っていたでしょうに。それともトップに届いていなかったとでも言うのでしょうか。でも、安全装置をわざわざに外すようなshort cutを施す、しかもパロマなんとかという会社が請け負っていたという事実はどうやっても弁明できませんわねぇ。ま、ばれてから文句言うは簡単なこと、正義の道義のと振り回せばいいのですが、そうじゃなく会社としての対応の拙劣さですわね。隠せると踏んだんでしょう、三菱の如く、他の不祥事一般のごとく。でも、隠すより現るるなしの格言は寸分漏らしません。何でもかんでも公表すればいいのでもありません(これは特に医療過誤事例に関して該当するでしょう、何でもかんでも悪うございましたと言えばいいという風潮です、そうでしょう?当事者(被害者)とすれば聞きたくないこともあるでしょう?情報公開なんて言葉で誤魔化していますが、実は正直に言えばそれでいいんだ、なんていう身勝手な免罪意識、居直りなんです、お気づきの如く)、でも最初の一歩を躊躇するとこういう羽目に落ちるわけです。こういう常識は誰もが持っていることで、そうねと誰でも頷くことなんですが、できないんですよね、いざその場に立たされると。だからやはりそこは会社でなくその人の問題なんです。トップ個人の資質の問題、普段の信念の問題なんです。急に危機管理もくそもないんです。トップになると、マニュアル意識がなくなるんでしょう、マニュアルは下々が守ること、トップはそれを判断する役目だなんて、勝手に思いこんでいるんですから。つまり、マニュアルに沿って進めばいいんです、なんてそこまで十分にマニュアル順守意識(世に言うコンプライアンスです、この横文字わかりにくいですよね、どうして横文字にするんでしょう、マスコミの馬鹿さの露呈です)が浸透していれば、誰がトップにいようが自動的に事が進むんでしょうが、この事例の如く実際は、才の足らぬ個人(トップ)の思い違いによってその会社の危機管理体制なんぞは一瞬にして吹き飛ぶんです。マニュアル至上思考の大陥穽です。どいつもこいつも能なしだという前提であればこそのマニュアルですから、みんなが忠実に厳格に順守すれば形式張った嫌な印象は残りましょうがでも間違いはない結果になろうわけです。が、一番の能無しが社長であり、マニュアルを守らないのが社長であるわけです。皮肉なことですよね。でも、世の中はこう回っているのです。誰が役人になっても同じ事、誰が社長になっても同じ事なんです。役人のこういうところがいけないと常々批判していても、自分がその役につくとすぐに同じ事をし始めます(そういう現象をピーターの法則といって体系化している学者がいます、是非ご一読をお勧めします)。さてさて、マニュアルの順守を社長から下々まで徹底強化するがいいか、才能溢れるトップを戴くがいいか。でも、どちらを選択しても階層社会にいる限り上意下達は崩れませんから、つまり下の者は上の無能さを受け容れるしかありませんから、所詮はその時々の運に(上司がどういう人間かという全くの確率論的な不確かさ)左右されるばかりなのです。パロマの事件も、ああいう人を社長に据えた不幸だけなんです、ことがこれだけ大きくなった理由は。そう思います。
 あなたの会社は、組織はいかがですか?あなたは有能な上司ですか?
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事実と思想

2006-07-22 08:40:13 | Weblog
オシム新監督、期待させますねぇ。ああいう言葉を吐けるというのは頭のいい証拠です、いつもああいう風に考えていなければ言葉になりませんから。「(ワールドカップに惨敗したことに)失望したのは、楽観が過ぎたからだ」とグサリと刺すあたり、ただものではありません。日本は勘違いしているというわけです。ジーコのやり方が間違っていたという明快な見解です(そんなことは言っていない、ときっと反論されましょうが)。いいですねぇ、期待するところ大です。
 昭和天皇のお心問題で、昨日は朝日新聞「それ見たことか!」調の論を張り、ご丁寧に保守論壇(自分たちと思想を異にする人々をこう表記します)が昔ああ言ったこう言ったとあげつらう囲み記事まで載せ、岡崎久彦、小堀桂一郎、稲田朋美の三氏を具体的に名指しての非難です。お前達の言っていたことは間違いだったじゃないか、という論調です。だのに、あらら今日の天声人語はぐっとトーンをおとしての抑制調です。急に諭す調子です。やーいやーいと囃した後にそれじゃぁいけないよ諸君、と来るわけです。何だかなぁ、です。でも、これが新聞ですよ、これがマスコミです。鵜呑みはいけません。とはいえ、私達にはその事々の詳細を知る術がないわけで、情報源としてマスコミに全面的に依存せざるを得ない状況です。それを読む我々は、記事内容として事実の一部の如く新聞社の(記者の)感想やら思想やらもふきこまれるのです。全部をひっくるめて真実だと思いこまされるのです(もっとも、新聞社はそうは言いますまい、判断するのは読者であるとの反論です、おそらくこちらの方に理がありましょうが)。正論で、誰も否定反論できない空疎な正論で閉じられる論にはどうぞ眉に唾を付けてください。取るに足らぬ駄論であることも多いのですが、その気で嗅げばイデオロギィぷんぷんの書き物であることが多いものです。自分の考えで判断しなさいなんて言うのは言葉としてはとても簡単なこと、でも実際には余程知識を貯めてその気で考えないとできぬわざでもあります。ですから諸兄、正義じゃ大義じゃ平和じゃ平等じゃ公平じゃ博愛じゃという言葉のばら撒きには重々ご注意あらんことを!
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