柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

無駄

2007-06-30 08:41:22 | Weblog
朝日新聞に「甲子園アルバム」という連載記事です。今日はあの箕島の尾藤監督の話です。東尾が投げている時代のことは知りませんが、島本講平はアイドルでしたからよく覚えています。そして星陵との延長18回。記事にもありますが、ファールフライを落球した後のホームランで追いついたあの場面、見てました、これもよく覚えています、こんな事があるんじゃと思ってましたね、ナイターでした。名物監督は多くいました、池田の蔦さん、沖縄水産の栽さん、PLの中村さん・・。尾藤さんもそのうちの一人です。高校野球が面白い時代でした。よく見てました。逸材が次々に輩出した時代でもありました。清原、桑田、水野、畠山、荒木、牛島、どかべん香川。あの頃の話なら何時間でもできそうです、皆そうですよね。昨日の記事は審判の話でした。審判員にももちろん相当の涙と汗とがあるのです、物語がある。その中にこういう話です、名審判員郷司さんのセリフです「木陰で着替え、試合がおわれば汗をふいて、すっと帰る。原点は、校庭や小さな球場でやる野球の中にある」ううん、こういう言葉に心が震えるんです、しびれます。郷司という名はよく聞きましたね、甲子園のバックボードによくあった名前です。華やかな舞台で活躍した第一人者の言葉だから効きますね。基本に帰れということです。どんな業界でも言われ続けている事柄でしょう。フナ釣りに始まってフナ釣りに終わる。外科医の場合は縫合に始まって縫合に終わる。でも、こういう風景がぱーっと目に浮かぶ表現がいいですよね。眩しい真っ白な夏の陽射し、大汗かきながら炎天下の野球、くっきり黒の木陰で冷えたお茶など飲みながら汗を拭く。白黒の強いコントラスト、夏の風景です。選手はともあれ、いい歳した大人(おっさん)がわざわざにくそ暑い中汗かきに出ていく、一銭の金にもならないことの目的に。いわばこういう無駄を嬉々としてやることが、馬鹿馬鹿しくていいんですね。心情十分に理解します、十分に共感します。そういう馬鹿さにかけては私も人後に落ちない自信がありますから。
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目論見

2007-06-29 08:41:40 | Weblog
石見銀山、世界遺産登録されたそうです。地元の様子が映されていましたが、まるでオリンピックの招致に成功した時のような、選挙に勝った時のような、くす玉の赤白幟のガッツポーズの万歳のの模様です。何?どうしたの?賞金が出るんですかね。さぞや登録料がかかったんでしょう。運動資金、さぞや大枚使い込んだんでしょう。見返りにどういう利があるんでしょうか。知床やら富士山やらさかんに立候補してましたが、登録されたらどうなるんでしょうね。所詮観光しかないことですから、自らの宣伝でなく、箔が付いて沢山の観光客を見込んで・・という筋書きなんでしょう。なんだかつまんないことです、あのガッツポーズはこれでやっと儲かるぞ!の喜びなんですね。よしんば人がわんさかやってきて、金も落ちるけれどゴミもマナーも落ち落ちて、遺産そのものが傷んでいく。誰もが予想すること、そして予想通りに進んでいくこと。守る人達も一緒になって壊していく予定調和。そんなことなんでしょうね。鄙びていればこそ、人が寄らないからこその今の姿。このことにも皆気づいているのに、寄ってたかって壊していく。何故?金です。景色だけじゃ食えないですから。そうですね。
 宮沢喜一元首相死去のニュースです。ハト派の象徴、信念の人なんて評価が紙面に踊ります。死者に鞭打たぬは日本文化の最たるものです、好き嫌いは別次元です。私のこの人の印象は、古いタイプのトップ、そのものです。小泉という極端を経験した後ですから余計にそう思うのでしょうが、あーうー言いながら時間稼いで、結果として中庸を選択し続ける。この人は頭脳明晰で鳴らした人ですが、そうかも知れないけれど、こっちには優柔不断の爺さんにしか映りませんでした。中国韓国に慰安婦謝罪したのがこの人と河野現衆院議長。そしてこの人の選挙区福山での同和問題。この人が絡んでないはずのないことでしょう。物腰柔らかい上品な左翼。自民党内の左翼。そういう印象でした。合掌。
 
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需要と供給

2007-06-28 08:42:45 | Weblog
米下院が慰安婦決議案を可決したことに対して、あれこれ新聞が喧しいです。総じて外交失敗といいう色調です、特に櫻井よしこ氏らが米の新聞に打った意見広告が逆目に出た、却って刺激して失敗だったという解説です。この意見広告とは、慰安婦なんていなかったんだ、公娼制度下の商業形態の一つだったのだというものです。韓国人老婦がさかんに言い募り、日本での訴訟はその度に敗訴の形に終わっていますが、どうしてアメリカ議会がこんなことに文句を言わなければならないんだという不自然さは拭えません。原告は日系米人議員で、あれこれ取り沙汰されてはいます、中国の陰謀だとか、クリントン時代からの常套手段ですが、例えばこれに似た事例はアメリカ国内にもあるはずですし、戦争時代のことになると、原爆やら日本の主要都市に行なった無差別爆撃など人道に悖る行為を逆に指摘されるのは必定。そこをうまくくぐるために自国民に自国を訴えさせる、そうして米世論を形成していくというバッシングの一形態だとか。日本人あるいは日系人に訴えさせるというのがミソなんだそうです。何だか馬鹿馬鹿しいことですが、安倍さんが一旦は謝罪したのに、この広告でぶちこわしたという流れを作りたいのでしょう。政府が戦争の決着を付けずにズルズル来たことが元凶だなんてステレオタイプな結論にもぐり込む。済んでしまったことに原因をなすりつけて、いつまでもぐじぐじ言い続ける。だから、謝るばかりの政府見解ではない、しかし何の権威も根拠もない三文記事でもなく、確たる有識者の証拠に基づいた見解としてアメリカの新聞にああいう意見広告をうつことには大きな意義があったのだと思うのです。あれだけ反発してくると言うことは、敵さんこんな事を予想していなかったということですからね、いつまでもあんた達の言いなりに、言われるままになってはいないよ、という意思表示としてはこれ立派に効果が出ていることでしょう。外交失敗?そうじゃないと思いますね。慰安婦問題はもう解決ついていることでしょう。「性に鈍感」と中国新聞は見出しを打ち、朝日と毎日は社説で叩きます。でも、これらはいつも言うように、後世の後知恵で当時を裁く愚です。公娼制度が世の中に認められていて、それを生業にする人達がいて、男ばかりの軍隊に商いのチャンスがないはずがないです。そういう商売だったのです、需要と供給の問題です。どうして蔑むことがあるのでしょうかね。娼婦を蔑んで、買う男を蔑んで、その制度を蔑んで、挙げ句最後は国に謝れ!とくる。当時の娼婦を哀れんでいるのか、蔑んでいるのか。まさに表裏の関係でしょう。歴とした職業だったんですよ。これを忘れての論議はまったくおかしいと思います。そう思われませんか?
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人権

2007-06-27 08:42:12 | Weblog
光の母子殺人事件広島高裁差し戻し審、被告が弁護士の尋問に答える形で登場してます。その内容たるや・・原告の夫の心中如何ばかりかあらん。母を見たそうです、なんたること!押し入っておいて、母もくそもないこと、盗人猛々しいとはこのことですか。こいつの後ろでシナリオ書いてる人権弁護士達、当人を助けたいのではなく死刑にしないためのあの手この手です。真実などどうでもいいわけです、いかに裁判官の心証形成するか、つまりいかに裁判官に思い違いさせるかの勝負です。見え見えです。もちろん裁判官にもそのくらいのことはわかるでしょうが(という常識的なレベルを満たせない奴が裁判官にいますから怖いのではありますが)、今までとがらっと戦術を変えて、いきなり猫なで声で情に訴える、僕には母がいません、母が恋しかったんですなんて。馬鹿野郎!母を恋しかった奴が下履きを脱がすか?!原告の夫が悔しそうに、無念を体中に滲ませて言います、妻はカーディガンを羽織っていただけでしたと。仕事から帰ってきて目の前に現れた信じられない惨状。ああ、私の如き一外野が想像するだけでも身の毛がよだつこと、心底から怒り憎しみの湧きいづること。それを何?言うに事欠いて母を見ただ?クソ弁護士ども。この弁護士宛に何やら脅迫文書が送られたらしく、またまた連中らしく過剰に反応してましたが(被害者の人権は必ず守られなければならない、このような暴力には屈しないなんて意味の)、長崎市長が射殺された事件を民主主義への挑戦なんてコピーを被せる手合いの常套手段、すり替えるすり替える。そしてもう一つの素養、厚顔無恥。前言翻しを恬として恥じない。外野(国民)の感情からは大きく外れています。でも、連中それでも一向に構わないことですわね、目的はただ一つ、目の前の裁判官を騙すこと(心象形成と彼らは呼び、大切な裁判技術と目しています。真実よりも裁判官がどう思うかが大切なわけです。とっても実利的。)だけですから。情に訴える。悲しい、気の毒な生い立ちなんです。どうかお代官様お目こぼしを。もういい加減にしてくれ。そんな奴らなら何をやってもいいというのか?でも、裁判官連中は「お上にも情けはあるぞよ」なんて構えで罪一等減じてきた歴史です、更正の可能性はないとは言えないなんてとってもあやふやで、誤った判断でです。もういい加減にしてもらいたいですね。臭い飯もなくなって、監獄が個室化して快適になっていく時代ですわ。手が後ろに回っても大したことないなんてね。民主主義、個人主義の成熟。辿るべき道程なんだとは思います。で、次に私達がやらねばならないのはグイと舵を切り直すことでしょう。些か乱暴でも、悪いことは悪いと徹底的に処すること。そう思いますが、諸姉諸兄、やはり危険な思想でしょうか。
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恣意

2007-06-26 08:41:32 | Weblog
何度も同じ口調で同じようなこと言っていたんではこっちの性格を疑われましょうが、どうしてこんな考え方しかできぬのかと呆れること、ヤンキー先生が参院選に立つことによって空いた教育再生会議委員の席を、次はオール1先生で埋めるんですって。ニックネームというかキャッチーな呼称を付けては嬉しがっているマスコミですが、だからどうだって言うんですかね。特異な経歴の持ち主が何の役に立つんでしょうか。いえ、私の頭にも順番があって、一番役に立たぬが肩書きひらひらの専門家、次にこの手の特殊環境をくぐってきた連中、三番にお飾り常連(PTA会長とか自治会長、なんちゃらのOB会会長などに多い、順番で役についてただ坐っているだけの連中)。ですから腹立たしさに関しては次点のケースなんですが、まるでオール1が立派なことのような馬鹿馬鹿しさ。グレずに「はい上がった」事は称賛に値するのでしょうが、大学院まで行くことのできるような者は普通はそこまで落ちませんよね、この人が何か欠けていたんでしょうにね。やればできる奴が何らかの原因でやらない、で、グレていく。そこを克服して真人間になる、これはすばらしい。そうですかね?やればできる者ならば場面相当に力を出しながら生きて行きなさいよ、そうでしょう?そういう適応力がない奴なんでしょう?波風立てず立たず、外から見れば一本調子で目立たず極々普通にやって行く(来た)人が多いから今の社会が成り立っているのに、多数を否定無視するような言い方が多すぎます。そして、その舵取りを(恣意に)間違えたのは文部省に巣くった毒虫達でしょう。全体からこぼれた連中は教育が悪くて堕ちたんじゃないです、人の所為じゃありません、自分の事です。これが個人差です、環境の個体差です。どうしてこういう特殊な経歴を珍重しますかねぇ、珍しがるのは勝手ですが、重要視するほどのことでしょうかね。
 今、国の教育に必要なのは全体をごそっと持ち上げることです。底辺を掬うことではありません。全体のレベルアップのためには、下を持ち上げるでは決して届きません、何故なら上のやる気を削ぐからです。上を更に引っ張り上げる、すると次に続く層がそれに連れてレベルアップします、要諦はそれじゃないでしょうか。このやり方ではおそらく下は動かないでしょうが、中には連動する者もいましょう(ヤンキー先生やらオール1先生のように)。全体を押し上げようとするときには、あっち向いている連中を振り向かせるよりもまず、こっち向いてる連中をどんどん引っ張り上げてレベルアップすることだと思います。具体的には?私なら、中学高校で学業第一主義を再認識させる、国の栄えには人材です、かたやで社会規範を強制する、自由とは何ぞやと教え直す。学業第一主義の弊害なんか実はなかったんです。あったのは社会規範の軽視だったのです。そこを都合よくすり替えられて、勉強すること自体が悪いことのような印象を植え付けられてきたわけです。何故?もちろん誰かの恣意です。だから、ひっくり返さねばならぬのです。そう思いますが、いかがですか。
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切ないこと

2007-06-25 08:42:48 | Weblog
「選挙」というタイトルそのままのドキュメンタリー映画を広島まで行って見ました。メジャー配給会社のものではありませんから、裏通りに隠れるようにひっそりと立つ小さな映画館で見ました。雰囲気があってとてもよかったです。川崎市議補欠選挙に出馬した自民党公認の落下傘候補の選挙戦そのまんまです。4年前の出来事で且つ当の本人が次の選挙に立候補しなかったという環境が整っての公開となったのでしょうが、時の彼の地の県議、国会議員、市議やら自民党員、役員達がそのまま映っています。この人達の承諾あらばこその公開でもあったのでしょうねと思うと、まぁせんないことじゃったろうのう(面倒なことであっただろう)と感慨もひとしおです、見ている側も。選挙のプロに囲まれて、言いなりになるしかなく、声張り上げてお辞儀して握手して走って。落下傘ですから住む家も仮のもの(カメラはそこまで入り込んでいきます、下手な男学生の下宿よりも雑然未整理未整頓状態、女房と二人住まいです)、夫婦二人になって家に帰る途中の車中でも名前を大書きしたたすきを外しません、そこで女房があれこれ噛みつく不満をぶつける、当の本人は聞き流すしかないわけです、本人も言いなりになるしかない立場ですから。なんとも切ないことです。選挙戦初日に儀式です、たすきは奥さんが掛けるんですね、そして当選の暁にまた奥さんが外す。はぁなるほど、ということはその間は何があっても外すなという謎ですね、車の中でも外さない不自然の理由がわかったようでした。それもこれも選挙のプロ達の助言(という名の強制強要)に沿うものです。奥さんは「家内」です、妻では響きが悪いしお高く止まっているような印象だと。何々の家内でございます!と叫ぶわけですね。家内におを付けるとおっかないで 面白いし、ですって。へぇ~大変。幼稚園の運動会、地元老人会の運動会ではずっと笑顔で一緒にスーツネクタイたすき姿のままに体操して、祭ではへっぴり腰で御輿を担いで。切ない。まことに切ない。何を思い出したかというと、自分の開業当初のことです。私も全くの初めてのこと、親は別の仕事でしたから何も知らない、そこにつけ込んで(本人達はそんな気はなかったにせよです)ああしろ、あれはいけない、あいつを使え、あいつは評判が悪い、こんな無駄していたんでは長続きせんぞ、こんなことじゃぁすぐに潰れる、お前が先か医院が先か・・言われましたねぇ、まざまざと思い出してイヤーな気分でした。初心者を取り巻くその道の「プロ」達。今から思えば、あの時の助言の何一つ当たってなかったですからね、どの業界もそうなんでしょうけれど。きっと連中が正しいと思い込んでいるやり方以外にもスマートなやり方がある筈なんですけどね。でも、この映画のように既存の組織に恃んでしまうと呑まれますわね、これは仕方ないこと。だから余計に切ないというわけだったんでしょう。ううむ、何だか反骨反発心が湧いてきたような、そんな気分でもありました。
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偏向

2007-06-24 09:29:22 | Weblog
大仁田厚がこの参院選出馬しないそうです。何やら講釈垂れているようですが、使い捨ての陣笠であることは一等初めからわかっていたことでしょうにね。所詮は乱闘要員、客寄せパンダです。で、その代わりに今度はヤンキー先生だそうです。自民党もまったく懲りない。これでは参院不要論に対抗できませんわ。参院の意味は有識者はじめ世の中一般から広く意見を集めるなんてことですよね、衆院がプロ集団であるという前提(あくまで前提です、何のプロかは別問題)への対置です。だから、こういう「普通でない奴ら」の意義があるというわけなんでしょう、古くは宮田輝、青島幸男、横山ノック、野坂昭如、野末陳平、参院議長の扇千景、猪木はじめとしたプロレスラー達・・。どんな有意義な意見を述べてきたのかは知りませんが、一芸に秀でたとか、普通でない生き方してきたとか、それを妙に有り難がっているわけです。大仁田にしてもヤンキー先生にしても、つまりは自分がアウトローであった分、そういう者の気持ちがわかる、どうやって立ち直ればいいのかが分かる、貴重な経験を持っているなんて。でも思うんです、奴らはきっと自分たちのやってきた無茶無体がどれほどに人に世間に迷惑を掛けてきたかが分かっていないだろうと。平凡に生きることとはどういうことかが分かっていないだろうと。連中は迷惑な一事例にすぎないのに、「更正」したことを妙にマスコミが褒めそやすもんだからその気になっちゃってる。違いますかね。参院不要論に与しますね、こんな人選を繰り返しているようでは。
 どの新聞も不思議に先の戦争について書きます。そして例によって社によって色が違います。毎日、朝日は教科書検定に引っかけてでしょう、それぞれの事象出来事を否定調で書きます。産経新聞は真ん中からやはり肯定調。私は(なんて今さらに言わずともみなさんおわかりのように)非否定派です、あの時代の、あの時代に生きていた人達の考え方や行動原理動機は、後世の我々には想像の域を出ないこと、後知恵で善悪正邪を判断するものではないという考えです。産経寄り、反朝日毎日です。でも所詮は私の知識とて限られたものです、当然知らないことだらけであるわけです。そこは正直にフラットに受け取ってちゃんと自分で判断しないといけないと心していますが、20日の毎日新聞の特集記事です。(おそらく知覧を立った)特攻機が墜落して民家を直撃して二人死んだ、その同じ日に戦地に赴いていた兄の戦死が伝えられた、兄はアメリカの飛行機に、姉は日本の飛行機にやられた、それでも大っぴらに悲しむことは許されなかった、お国に為に死ぬことが大義であり名誉とされていた時代であるから、という内容です。特攻については、その存在や人の命を軽々しく考えるこの思想について多く語られます、そして、死んでいった若い男達に対する追悼哀悼が表現されますが、思想や結果だけではなく、その実行段階に多くの不詳事があるのです。先に徳山大津島の回天訓練所の映画がありましたね、あそこで描かれていたように、そして石原慎太郎の映画にもあったように、目的を果たす以前に、訓練段階や機体の不備などで「無用に」命を落とす者がたくさんいたんでしょう、そして彼らは名誉の戦死扱いされてそれで終わり、誰がどういう責任を取る取らぬの問題にもならないこと、これは想像の届くことでした。特攻崩れと呼ばれる、機が飛びきらずに途中の島や海に不時着して帰還した者を、博多かどこかの特別の収容所に入れて隔離する、つまり恥だというわけです、戦意に関わる間違い事というわけです、そこで精神を病む者もいたなんて話。これを聞いた時もああありがちなことだと思いました。でもこの記事は結構知ってるつもりでいた私には新たなでき事でした。相手が特攻機であれば文句も言えないけれど、まさか落ちてくるなんて思わないこと、まさか味方の飛行機に殺されるなんて・・。しかし黙って肯いているしかない状況。この記事自体は対象婦人の「不幸」を強調しすぎる嫌いがあります、そこは差し引くにしても、こういう事例も多かったんだろうなと思えば、ああ、いくつの若い命が、戦闘要員であるか否かの区別なくこうやって無用に失われたのだろうかと、索漠たる思いが湧き上がります。事実を隠されて、日常生活のあれもこれも禁止されて、密告を基盤にした軍による暴力恫喝社会に生きていた人々の心情いかばかりやとは思うのですが、もちろん今の時代に生きていることの幸運には感謝するのですが、それでもやはり私はあの時代を否定することはできぬと思うし、軍が悪かった、軍が諸悪の根元だったと断罪してもいかがなものかと思うのです。やはり偏向していますか。主義主張を越えていますでしょうか。ううむ。
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外野2

2007-06-23 08:42:22 | Weblog
先に書きました君が代強制訴訟の原告敗訴の一件、あれは21日に読売で知ったのですが、当日も今日に至るまでも(あまりのベタ記事で私が見逃しているのかも知れませんが)他の新聞には載りません。朝日、毎日、中国、日経。へぇ、そんなもんなんだ、ですが、そう、そんなもんです。新聞とて誰かが書いているわけです、私がここで好きを書いているのと大きく変わりませんでしょう。好き嫌い、主義主張の違い、都合の良い悪い。事象の扱いに差が出て当然です。当然なんですが、しかし情報操作という嫌いも避けられないわけです。事実を事実のまま、それ以上には何も足さない何も引かない(どこかのウィスキーのように)。それが報道の基本でしょうが、それはそれ人のやることです、そして新聞やTVなどマスコミ業界こそが思想的偏向の典型と来ては、読み手である私達の構えこそが要るというわけです。何も考えずに降って来るを浴びていたんでは間違えます。もっともマスコミはそういう意図でこれでもかと大声で叫び繰り返し言うのですが。世論操作、情報操作。聞き手読み手の問題になってきますよ、皆様。
 沖縄県議会が例の教科書問題に対して、検定意見の撤回と記述の回復を求める意見書を全会一致で可決したんだそうです。朝日は待ってましたとばかりに別のページで「歴史隠すな 島の意思」と特集記事です。何だかステレオタイプで嫌ですね、毎度の事ながら。この全会一致というのが一番胡散臭いんです。人が複数いれば考え方も複数です、全員同意見なんてそんな集団こそが危ないです、そう思いませんか(というか、これは昔から極端な全体主義独裁主義の象徴とよく引用されることです、投票率100%とか得票率100%とか賛成100%とかそんな数字は、普通の集団においてはあり得ないってね)。これが沖縄の総意だとアピールしたかったにせよです、議員連中の頭の中はこんなもんなんでしょうね。あの時代を否定してどうしようというのでしょうか。毎日新聞の連載記事に曾野綾子の話が載っています、この人がルポ「ある神話の背景」で軍による強制はなかったと書いた、もう30年以上前の本です、それが今までの関連する訴訟などに重要な参考文献とされてきたといういきさつからのことです。その反対見解が大江健三郎の「沖縄ノート」です。この対比は私のような素人でも知っています。曾野さんは、私の調査では軍隊長が命令を出したと言う人に一人も会わなかったと言います。そして、誰が誰を非難するのか私には分からないとも。この記事には当時を知る男の証言で締めれらています「一つ一つが軍命なんです。隊長一人の問題でなく、日本軍、国の問題です」と。ううむ、曾野さんの感想が一番当を得ているのでしょうね、隊長がそんなこと言ったという証拠はないという事に対する反論が、隊長一人の問題ではない、というものであればこれは解決しようがありませんね。いえ、解決なんて元よりできません、議論そのものが噛み合っていませんから完全にねじれの位置関係です。文相もそんな見解でしたね、この人の位置取りも利口だと思います。そういう基盤に乗っての事象です、県議会の意見書議決の何だか空々しいことですよね。そう思われませんか、これも外野の勝手口ですか。
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外野

2007-06-22 08:42:50 | Weblog
勝手に私が思い込んでいただけなのですが、夏至は6月だったんですね、7月初旬とばかり思っていました。新聞コラムのどれかに、あるいは四コマ漫画のどれかに夏至の冬至のといった節季事が素材になってますので気づかされます。そういえばこの頃が一番日が長いですよね、午後八時になっても外はまだ仄明るいです。で、7月はあまり変化なく過ぎて、八月夏休み終わり頃になるとこれまた急に日が短くなり始めますよね、ああまた学校が始まる・・という切ないような追い立てられるような気分になったものです。季節の移ろいに心しみじみとするのはやはり年齢の積み重ねに比例することなんでしょう。そう思います。
 文芸春秋で塩野七生が、新潮45で曾野綾子が、老いについて書いています。お二人とも年齢的には十分に老女の第一線の作家ですから、どんなこと書くのか想像は付くことですが、そのまんまざっくりやってくれてます。歳取ってから男のお料理なんてみんなと同じことやってどうするのよ?!人と違うことしなさいよ。老いなんて突然にやってくることじゃないんだから、十分に用意準備しなさい。何をもたもたしてんのよ!そういう論調です。バッサリ。痛快。どうぞご一読を。
 昨夜NHKの看板番組で戦時沖縄での集団自決について特集していました。もちろん教科書からの軍の強制云々のくだりの削除に反対する色合いです。通常のニュース番組の中でも何度も流しています、明らかに反対表明です。ま、それはNHKなれば仕方のないことではありますが、昨夜の特集番組です、沖縄史編纂とかなんとかの肩書きでしたが年配の男が女キャスターの質問に答えます、要点は沖縄島民は日本軍の(つまりは日本国の)命令で死んでいったのだ、自ら死を選んだのではない、米軍と日本軍とに挟まれて逃げ場がなくなって死んでいったのだというものです。日本軍は沖縄人を女子供老人まで徴用して飛行場の整備などに使役した挙げ句、彼らが捕虜となり軍のこと日本の実状をぺらぺら喋られることを恐れたために、必要以上に米軍を悪く言い(男は股割き、女は強姦、の類)、捕まるくらいなら死ねと強要したというものです。殉国美談という言葉を何度も使ってました、ご丁寧にNHKも括弧付きでテロップ流してました。住民が進んで死んでいった、国に殉じたなんてとんでもない嘘だ!と言いたいようです。さらに証言を集めている学者のルポもあり、学者は少なくとも軍のいないところに集団自決はなかった、これは確かなことだと言います。番組は、島内で繰り広げられる反対運動を放映し、申し訳程度に藤岡教授(この人は新しい教科書を作る会に関わっている中心人物です、自虐史観反対論者です)の反対コメントを挟んではいましたが時間的に不公平なものでした。ううむ。私は寡聞にして殉国美談という言葉を知りませんでした。でも、私達外野(一般)はどういう理解なんでしょうか、沖縄の人達の、あの崖から次々に飛び降りる衝撃的な映像で象徴される状況をどう理解しているんでしょうか。殉国ですか?そうじゃないですよね。美しい話じゃないです。そんな理解じゃないですよね。乃木希典が明治天皇に殉死しましたね。極めて個人的な感情に拠るものです。この前もありましたが警官が職務中に撃たれて死ぬ、殉職と呼ばれます、美しくはないですが職務遂行の途中の不幸は讃えられます、顕彰されます。他人と助けようとして自ら列車に轢かれた警官、この事例は美しい話にまとめられましょうか。死んでいった人を批判するものでは決してありませんが、美談に仕立てているのはどっちなのかと言いたいわけです。つまり美談に仕立てておいて、それに何倍もする反論を浴びせる手法。違いますかね。美談じゃないですよね。先にも書きました、手榴弾渡すことが死の強要だったんでしょうか。いや、そう受け取った人が多かったのならそうなのです、生きる時代の違う者の後知恵で振り回すのはいけません。でも、そう受け取ること自体がそういう時代だったということでもあるでしょう?ああ、あの時代の女の人は身を固く思い、ああやって死んでいく事を選んだんだと心しみじみと思いいたすにせよ、立派なことなんて思いますか?気の毒、同情の気持ちじゃないですか。世が世ならばあんな思いもあんなこともしないですんだだろうに、という同情でしょう。沖縄がああいう戦場になってしまったこと、その沖縄にあの時代に生き住んでいたこと、そこに言及し始めると何故に戦争始めたのかということに行き着きます、曖昧に溶けます。軍の無体はもちろんあったでしょう。でも、私もくどいですが、あの時代は日本が戦争していたんです、沖縄も台湾も満州も朝鮮も日本だったんです。憎しみの深さには外野の人間は思い至らぬ事です、想像を超えないことですから。でも、こういう思いは不遜なんでしょうか。こういう特集を見る度に違和感も湧き上がることです。
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色々

2007-06-21 08:42:43 | Weblog
ゴーンさん、大変ですね。新聞記事見る限りでは7期ぶりに減収になった途端に叩かれています、そんなに言わなくてもと思いますが違うんですかね。瀕死の状態から日産を救った人なんでしょう?一期凹んだくらいで無能呼ばわりするのはいかがなものでしょう、と何も知らない外野は思います。マスコミこぞってあれだけ持ち上げ褒めそやした人ですよ、カリスマ経営者なんてね。役員のボーナスカットですって。きっと信賞必罰でギリギリ締めてきたんでしょう、失敗を許さない厳しさ、切るべきを容赦なく切る手法、それが自分に向いているという図でしょうか。余程にえげつない手法で立て直してきたんでしょう、返す刀の容赦なさが物語るようです。企業ってそんなもんよ、ってすましていられるうちはまだまだ甘いんでしょうね。サンヨーの女社長野中某も、下着メーカーの雇われ女社長元バレー選手三屋某も、だらだら引っ張って引っ張っての挙げ句でしたから。自分で掘った穴に落ちたってわけですか。厳しいこと。と外野はいつでもお気楽です。
 訂正します。先にバスケット選手のこと書きました、そこでジャイアント馬場よりもっと大きな選手がいて、云々しました、その人のことが今日の毎日新聞に出ています。岡山恭崇、身長228cm、松下ではなくて(松下の長身選手は沼田でしたね)住友金属、81年にNBAからドラフト指名受けていたそうです。先に書いていたことが(記憶が)いかにいい加減であったか如実でした、訂正してお詫びします。しかしやはり、でかい顔!
 卒業式や入学式での君が代斉唱「強制」訴訟、東京地裁で原告敗訴だそうです。都立高校教員がが原告です、内心の自由を侵されたという憲法違反の訴えなんでしょう。同じ内容の別の訴訟で同じ東京地裁は全く逆の判決を出しているのにです。今回の判決の後ろ盾は先の最高裁の判例です。内心の自由と、こういう儀式でのセレモニーとは別物だということでしょう。当たり前です。もういい加減にこういう言いがかりは止めることですな、いつもいつもステレオタイプに同じことばかり言っている。内心の自由とはつまり人が何をどう考えようが自由だと言うことです、これも当たり前のこと。考えること、頭に浮かぶことまで規制統制拘束強制などできるはずもないことです。あなたが君が代嫌いでも、それはそれ、あなたの自由。余程にいやなら、式を欠席するもあなたの自由。家で休んでいるあなたに向かって、さらに君が代聞けとか唄えとか押しかけたなんてことならこれは強制に過ぎますが、のこのこ式には出席して、皆が起立しているのに立たない、儀式の進行を妨げる。立つだけ立って黙っていたら誰も何も言わないのに、立ちもしない。それを内心の自由と言い募る。馬鹿馬鹿しい。しかし東京地裁も何が出てくるか分からない玉手箱のような裁判所だこと。人は色々なんでしょうけど、こんなんでいいんですかね。
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