柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

恬淡

2011-03-31 08:18:29 | Weblog
読売朝刊一面の写真、これだけで泣いてしまいます。両親を亡くした4歳女児の写真です。こういう子たちが多くいるんでしょうね。これも現実であります。
 原発事件、東電の会長が初めて顔を見せました。賢そうな爺さんです、雛段(晒し場とも言えますか)に並んで立つとこの人が小さいのか隣のおっさんのガタイがでかいのか、見事な凸凹で笑うことでしたが。言葉を選びながら上品にという印象でしたが、これがこの人の物言いなんでしょうが何だか人ごとのように聞こえました。えらく爺さんなので、例えば息子の不始末を謝ってる父親という風情すらあり、さらりと流れ過ぎという物足りなさです。具体的にはごめんなさいが少ないんですね。平身低頭しなさいとは言いません、そこはその人ひとの性格ですから、でも十のうち七は謝らねばなりますまい。しれっとし過ぎ。そういう第一印象です。そして新聞も書いてますが、廃炉に未練、ですか。建屋(これをたてやと読むこと初めて知りました、そもそもこの単語は業界用語なんでしょうね、一般には使いませんよね)ごと吹っ飛んでいる、海水でばちゃばちゃになってる機械を修繕もくそもないでしょう。でも賠償のこと考えるとこれ膨大です。原発の再興にかける金が・・です。現実問題に苛まれる心情がのぞきました。辞任で事は済みませんが、辞任でしょうねぇ。
 天皇皇后両陛下が東京武道館に避難してきている被災者達を見舞われたとの報道です。このお心です。大御心です、おおみこころです。いつものことですが、連中の前に座られてお話になります。彼らをどれほどに励ますことでしょうかと感動します。私はこっちに強くバイアスのかかった男ですので、こういう感じ方は強すぎるのかもしれませんが、が、こういうお立場でありこういう存在であられる、平たく且つ失礼を顧みず言えばこれがお仕事のお方がきちんと民草をいたわっていかれる。このお気持ちです。有難いことと思うのです。こういう関係こそが日本のだと思うのです。国体です。・・少しきつい流れでしたか。すみません。
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交換

2011-03-30 08:21:28 | Weblog
昨日の新聞に載ってました、福島の原発の町の町議が今回の事件を悔いていると。安全を信じて原発を誘致したのにこの現実・・というトーンではあるのですが、地域振興という名の多額の補助金に釣られた現実も並びます。誘致、というか国が場所を決めてきて(電力会社が狙いを定めるのかもしれませんが、結局は国策に化けますから同じことでしょう)当該地域の住民に承認させるための手続きのうえでのあれこれです。地元が誘致したという事実も必要なんでしょね。当地上関が今その真っただ中ですからよくわかります。推進団体があり、反対団体がいます。当地は反対勢力が強いのでしょう、なかなか中電(当地は中国電力です)の工事が進まない状況(に見えますが、実のところは計画通り進んでいるのかもしれません、大マスコミの報道を見るばかりですから)です。他の原発地区がどうだったのか知りませんから比較できませんが、当地も計画が持ち上がって20年以上が経過してます。遅々たる歩みですが消えもしません。懐柔策は具体的に金です。中電からの多額の寄付が地元に落ちているのは周知の事実です。そしてついこの前に、国から原発に対する補助金が現地だけなく周辺自治体に配布されると報道されました。現地が80数億円、柳井に23億円です。凄い額。こんなものぶら下げられたら考えますよね。それでなくとも税収の減少、交付金のカットで地方財政はきついところです。もらえるものは貰っとけ。そういう流れを咎め切れないところです。現存の原発地区はどこもこの札束攻勢に負けて(こう表現すると色々反論もあるのでしょうが、しかし一側面には違いありません)、記事で町議が言うように地域振興という大義と天秤にかけて、安全の保障を完全なものにすればいいか、と気持ちを作り直す(した)わけです。当地にもどれだけの金が落ちてきたか。中電も簡単には引き下がれない事情があるわけです。悔い。さてこの町議さんたち、自分の懐を潤した悔いも同時に感じているのでしょうか。目先の利権に弱いのは人の常ではありますが。
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大計

2011-03-29 08:21:44 | Weblog
平成の後藤新平出るか、という話になってます。関東大震災後の大東京改造計画が有名です。復興院の新設云々です。結果としての評価はそうでもないのでしょうが、ああいう大風呂敷広げて早くやってしまえという論です。確かにグズグズしていると人々が銘々に住み始めます、一旦そうなると動かせません。歴史が教えるのはそこです。神戸の時もそうでしょう。元通りにするというのも一策ですし、普通はそこに住んでいた人はそう望まれましょう。しかし大計を図るなら今なのです。海沿いに住むのはやめて住居は今回の大津波が届かなかった高台に定める。海岸沿いはあくまでワーキングスペースに限定使用する。そういう計画です。言葉は適切ではないですが、これほど広範囲に更地化できる機会は金輪際ありますまい。がれきの撤去、整理。町の市の県の国の手が届かない内に当然人々は動き始めます。誰もやってくれないから自分がやるしかないのです。もちろん人々は自分の家を守りたいし、使えるものなら少々の無理してでもそこで住みたいでしょう、その気持ちを説得するだけの強い大計を腹に据えられるリーダーが出るか。こうやっているうちにもどんどん時間が過ぎて行くのです。仮設住宅にしても建てる場所を考えてるんでしょうか、一旦建てると何年も十何年も動かせません、それは過去の災害が教えてます。ここしかないから取り敢えずここに、では元通りの町が再興するばかりです。いえ、それを目指すのならそれはそれで選択です。元通りの美しい町の再興を求められるなら外野がとやかく言うことではありません。が、また繰り返される、というわけです。そこのところ。そこの大局観です。何年、十何年越しの計画と多額の資金が要ります。とても小さな自治体で賄えることではないのでしょう。しかしそこが動かないとできぬことでもありましょう。出るか、平成の後藤新平。
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利権

2011-03-28 08:26:51 | Weblog
TVや新聞の画一的な報道に慣れてしまいますからわからなくなるんですが、ですから週刊誌やインターネットを読む価値があると、またここに気付くまでが時間がかかるのです、ジャーナリズム業界にいない、降ってくる情報を受けるしかない側とすれば。溢れている情報、なんて表現されます、取捨選択が必要だなんてもよく言われます。けれどそれは情報を採りに行った場合の話です。殆どの人達はTVだけです。ラジオを聴く人、新聞を読む人はうんと減りましょう。でもよく見聞きする人でもせいぜいそこ止まりです。インターネットこそが情報のるつぼなのですが、取捨選択しなければならぬほどにどれほどの人が調べてましょうか。業界人だけです。その取捨選択の基準もどこにもないのですから。何が正しいんだ?結局自分の目で確かめるしかない、なんてジャーナリストが知った気に嘯く。そんなことこそできはしない。だから大マスコミの(TV局、全国紙)の使命はとても大きいのですが、あの茂木健一郎さえクズメディアとやってます(きっとこの人NHKやらから干されるんでしょうね)。原発事故報道について週刊ポストで暴かれてます。原子力利権に群がる連中による情報操作です。国と東電が過小に発表するのは自己防衛のために仕方のないこと(と資本主義に則って)、がそこに本来きちっと管理管理せねばならぬ立場のはずの保安院やらその他の外郭団体がぶら下がり、そして東電という大スポンサーと見事に利益相反する大マスコミのお追従。正確な情報が出てくる筈がないという暴きです。ありがちですねぇ。溜息モノです。で、実害は安全を100%保障された筈の近隣住民にだけ及びます。利権連中は安全地帯で息ひそめてます。あん時金受け取らなければよかった…あとの祭りです、住民さん達。週刊現代が当地でもすぐに売り切れてました。週刊誌、読んでごらんになればいい。こういう時が面目躍如です。
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卑怯

2011-03-27 09:25:25 | Weblog
今日は震災以外の話を。3月23日の中国新聞にあの京都大学のカンニング事件について金沢大学の教授が寄稿してます。この学者(というか大学側の意見です)は、試験中の監督体制の問題を指摘する人々を批判し、大学の社会的責任なるものへの非難に文科省が応えるようだと「大学など教育機関の「監視社会化」を促進することになりかねない」と括ります。見出しにはカンニングとは出ません、入試投稿です。もうすでにここで問題のすり替えが行なわれてます。入試投稿?悪いことじゃないみたいです。つまり言い訳です。大学には責任はないと言ってます。ううむ。誰が悪いかと言えばやった本人です。間違いありません。でも、カチャカチャ(と音がしたのかどうかは知りませんが)携帯電話のキーを打つ、不自然な動作を監督官は見えなかったのかい?というのも至極真っ当な疑問であり批判でしょう。寄稿文には、ネット時代に対応した試験監督体制がとれなかった大学の責任を追及する声、と表現されます。そんなこと言われても実際の場面ではできないんだ、とこの教授は言います。どんな高尚な大局的な論なのかと読めば(そうであれば往々にしてカラカラの空論、大総論に終わるもので、これもつまらぬことなのです、きっとそうならそうで「ったく、学者ってのは・・」と皮肉ってたでしょうが)、えらく具体的です。こうです。TVでは携帯電話を持ち込ませないようにすればいいと批判するが、的外れだと。何故かと言えば、まだ学生ではない受験生にそこまで指示してもよいものか法的・倫理的に疑問があるし、仮に持ち込むなと指示しても、黙って持ち込まれたらどうしようもない、と。ん?完全に防ぐには身体検査か金属探知機かしかないが、それはさらに問題である上、時間と金がとてつもなくかかる、と。ふむふむ。カンニングする方のあれこれの工夫、今回は「股の下に隠して送信(ママ)」していたが、怪しいと思っても、体が接触しそうな距離まで接近してのぞき込まねば現認できない。それもプライバシー侵害の疑いがあるし、受験生が異性の場合、あらぬ疑いを招く恐れさえある、と。あらら。それでも防ごうとすると、服装や試験時の姿勢や態度に対して微に入り細を穿つような警告指示が必要になろう。妨害電波を出して通信を遮断せよという意見に対しては、リベラル派の人達から、人間性を無視しているという慎重論があったはずだ、と。ああ、そうなの。これはこれでびっくりする言い訳です。とっても子供じみて幼稚に聞こえます。厳しくやったらこうこう文句言われるじゃないか、そんなことはできない!と拗ねてる論です。それを権利で隠し言い替えているだけです。この寄稿教授はあるいは人権派の法学者なのかなと思うくらい、見事な人権阿り論です。入学試験という大学行事をどう捉えるのかという一歩目の問題です。ここから違うからこの人の論には腹が立ってきます。こんなのが教授?あるいは入試担当委員長とか?・・というがっかりさです。すぐに警察に調査を依頼した京大の処理に対して、あの京大が学内問題を権力に委ねるのか?という表現で、大学自治権はどこに行った?という批判がなされました。こちらにはこの教授は全く触れません。そういう意識すらないのでしょうね。その大学に入りたくて試験を受ける連中に、まだ当大学生ではないからあれこれ強制はできないという論です。何~に言ってる?京大に入りたいなら京大の指示決まり慣習に従いなさい、が当然のことですわ。携帯持ち込むな、が法的倫理的に問題ありますか?こうやってわざと言葉を大きくして大袈裟に叫んで火を大きくする、そしてそんなことできないじゃないかとその火を消そうとするマッチポンプ。この手の人たちの常套です。倫理的に許されないんですカンニングは。倫理的に許されるんです、入試での不正を謗ることは。で、金属探知機まで話を進めます、こんな非現実的な極端を持ち出しても何の説得力もありませんが、悪いことは全て人の所為にしたい連中の思考はこう繋がっていきます。この傾向は人権至上主義に基づいてますから、監督官の行為がプライバシー侵害につながるなんて考え方もこの手の人々の常です。もっとも、今時の大学人達は何をするかわかりませんから、監督行為と称しての痴漢行為や脅迫事件に進展することはありましょう、そっちの危険は十分に高いのです。そしてこの手の人々のおかげで、権利意識が異常に昂じている連中も多いでしょうから、ちょっとしたことで大声出されることも確かにあり得ることです。ですから怪しい動作している女子受験生に対してあれこれ手を出せないというのもわからぬ論ではありません。が、それにしてもです。その場でいちいちチェックできないのなら、その前にもっとやることがあるでしょうという話なんです。試験の始まる前に諄々と説く、カンニング行為を愧じよ、卑怯な真似はするなと。現認という言葉遣いがこの人の考え方を如実に物語りましょう。現行犯という意味でしょう、やはりこの教授は法学関係ですかね。確かにTVでは試験会場で携帯が使えなくすればいい、そういう装置はあるという話になってました。でも、そんなことこそ非現実的なのであって、本質のすり替え論なのです。でもこの教授はそうは言わずに、こいう環境操作は人間性の無視だというリベラル派の意見を引用して非難します。違いましょう?人間性の無視なんかじゃないんです、どこまで幼稚なんだ?という問題です。カンニングを愧じろ。そこなんです。そこですべてが解決するんです。天下の京大に入ろうかという者が卑怯なマネをするな。これで十分でしょう。人権至上を言い立てて、自らをその安全地帯に置き、職責を平気で放棄する。職責(これは意地や誇りや肚といった気概と言い替えられましょう)より卑怯な奴の人権を優先して見せるわけです。自分達が作り上げた虚構の中で自作自演するわけです。やってはいけないことをいけないと言わずにあれこれよそ事で(多くは人権がらみの言説で)ごまかしすり替える、この手の人々のいつもの手です。がっかりです。日教組の悪弊は日本中に蔓延している、のでしょう。ご一読を勧めます。
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台詞

2011-03-26 08:21:42 | Weblog
昨日書いたからでもないんでしょうが、菅さん久しぶりに喋ってますが、どうにも聞きたいセリフが出ません。私もしつこいことで、菅さん側の方々には耳障りなこととは思いますが、言います。頑張れ頑張れじゃぁダメです。この立場の人が言わねばならぬは励ましじゃありません。そんなのは日本中が声上げてます、甲子園では18才にも満たぬ子どもたちまでが周りの目を意識しながら、元気を与えるとやら勇気を見せるとやら言ってます。そんなことを匂わせてもダメなんです、あなたの立場の人は。原発事故はどう始末する、放射能問題はこうこうこういう見通しだからこうする、被災地への救援は今後こういう方針でやる、そういう具体策を示しておいて、最後に強い言葉です、俺があなた達を守る。必ず助けに行くからここは辛抱してくれ。この言葉です。そこまでできるかできないかわからないから、いい加減な約束はできない。きっとそう言い訳するんでしょう。原発事故も見通しがつかないのに何を言えというんだ。嘘を言う方がうんと悪い、と目を三角にしますきっと。でもこれは保身のためにどちらを採るかという天秤なんです。結果的に大ホラだったという遡っての非難と、見通しのつかぬことを理由にしてのグズグズして優柔不断で行動が後手後手に回ることへの非難と、比べれば連中は後者を選ぶんです。後者はその場面場面で正確に対応したという免罪符が得られるからです。官房長官があれこれ事細かに言いながら不安を煽るのはそっちを選んでいるからです。このくらいの放射能は問題ないことだから、現地の復旧復興に向かってくれとは絶対言わないわけです。だから原発のある地域が全く手つかずのまま(そんな「危険地域」に誰も行きませんから)放置されてます。原発内では汚染がひどいようです、ですから当地への注意は必要でしょうが、東京の貯水池の微々たる線量なんかをいちいち問題にしなさんな、という肚です。そう言い放つこと(政府見解にすること)に対する非難を一番に怖れるわけです。もともと人に文句ばかりつけてきた連中です、自分で何かを決めてきた連中じゃないんです。急にできぬことを求めても・・という話なんですが、いつまで経ってもこんな調子の菅さん見てると、私の推測はきっと当たってるんでしょう。我ながらそう思います。
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現場

2011-03-25 08:06:21 | Weblog
ガソリン料金どんどん上がります。場面が場面ですから、こっちにはそれほど風が当たらないのですが、菅さん昔はあれだけ口をきわめて怒鳴ってましたよ、ガソリン税が、その何十年も続いている暫定税が元凶なんだ!って。この財源難の雨嵐の中、ガソリン税切れないですねぇまさか。そう言えば、菅さん、ぷっつりTVに出てこなくなったですね。全部東京電力の所為にして逃げてるんでしょうか。
 新聞の片隅にNZ地震の続報が載ってました。ああ、吹っ飛んだ事件のその一つでしたねこれも。何十人も行方不明だったのが、今は不明が二人にまで減っているようです。つまり何十人も亡くなった大事故ではあったわけですが、なにしろこっちは二万人規模ですから。仕方ないですか。マスコミの取材が一気になくなって、この辺りの虚無感も辛いことであったでしょうね、追い回されてた遺族の方々には。
 原発事故現場での二次災害、出てしまうことではあるのでしょうが果たして出ました。高線量被曝です。東海村の事故ではこれで亡くなったのでした。TVで新聞で担当記者や科学部記者や専門家が待ってましたとばかりに非難してます。だから言っただろう?あれだけ注意しろって。安全を十二分に確保してこその復旧作業だろう?はいはい。安全地帯であれこれ言うのは簡単でござい。被曝した3人は東電の下請け業者だったそうで、これも何だか悲しいと言うかどう言うべきか。もちろん工事のどれもこれもを東京電力で賄えるものでもないのでしょう、あの工事はその業者が請け負ってたことであったのでしょう。が、こうなってしまうと世間は(マスコミは)一億総正義の味方、総桃太郎侍ですから、許さん!!です。もう一つ、あの宇宙飛行士のような防御服は放射線を遮蔽しないんだそうです、外から降って来るヤツだけを通さないだけなんですって。ええ?ただの雨合羽かい?これもびっくり。現場はこんなことです。危険だけどやれと言われたからやる。そういう需要と供給だけです。ここで嫌と言ったら次の仕事がなくなる。そういう動機です。そこのところの単純さをわかってるのか、専門家達、大マスコミ達。 
 放射線被害について昨夜の「クローズアップ現代」に出ていた学者がやっといいこと言ってましたよ。こんなこと言ったのはこの人が初めてでしょう。言いました、我々がチェルノブイリ事故で知ったことは、外部であれ内部であれ被曝の影響は子供に出るのだ、大人にはあれから25年も経っているが癌の発症が多いというデータはないのだ、だから子供にだけ注意すればいいことだと。直ちに影響はないとか、一年飲み続けても許容量内だとか、胸部X線検査何回分くらいだとか、そんな比較しかしない、できない学者や専門家や各局の担当記者とはくっきり違いました。こういう見解を、こういう指示を待ってるんでしょうにみんなは。大人は大丈夫だ。もっと乱暴に言ったらいいんです、今更年寄りがグジャグジャ言うんじゃない、あんた達はあとは死ぬだけだ、被曝の影響を怖れるほどに寿命がないんだから。子供だ、幼児だ、赤ん坊だ、守るべきは!そうはっきり言えばいいですね。実際にそうなんですから。この人を今後各局が使えばいいです、この見解を中心に据えればいいです。そう思いました。
 
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幼稚

2011-03-24 08:12:12 | Weblog
野球で被災地の皆さんに、日本中の人々に勇気を与えたい、なんてプロ野球人がチョーチン言うんじゃないと、元西鉄の豊田が日経で吠えてます。この人の週一のスポーツ欄でのコラムは辛口で面白いんですが、まことその通りよねと思うことです。勇気を与えるとやら元気をもらうとやら、チョーチンが多すぎます今の世の中。どこまで甘ちゃんになれば気が済むんでしょうね。自己満足もいい所、百歩譲っても、もっと他に言い方があるだろう?と、この幼稚な物言いには辟易します。受ける方も受ける方なのではあります、勇気もらいました!とか目をキラキラさせてますから。いやいや、あなたがどう感じようとそれはあなたのご自由なんですが、安易にマスコミが使い倒すから誰も彼もがそれこそ使わなければならぬように脅迫されます。ナイター興行を強行しようとするセリーグに対しての冷や水なのでしたが、もっと一般論として受け取りたいことでした。
 今次大震災に対しての石原都知事の天罰発言に対して、被災地町長が今尚怒りを表明しています。都知事は珍しく撤回謝罪したことでしたが、地元感情としては許せないことではあったでしょうが、あなた方が罰を受けたなんて意味ではないのは誰もが理解することでしたがねぇ。あの時点での言葉としては不適切だったのでしょうが、そこには含みおかねばならぬ大局観があるだろうとは思います。かたやで、大阪府議長があの惨事は大阪にとっては天の恵みだったと発言して、こっちは自民党が怒ってこの議長の公認を取りやめたそうです。天の恵み、はまずいですなぁ。どいつもこいつも、ではありますけれど。
 大東京にじわじわと影響が出てきます。あの原発は首都圏への電力供給が目的だったそうですから(どこの田舎の原発もそうです、地元の電力用ではないのです)、トラブルを受益者が被るはいわば通常です。言うところの受益者負担。そんな目を三角に怒っても・・ではあります。しかしよくもあれだけ不安を煽るような発表ができますね、というくらい官房長官は上手です。官房長官が話す、東電の担当者が話す、保安庁ですか、また別の組織の発表がある、その後にTV各局がそれぞれの専門家の話を流す。専門家の話す内容は見事に皆一緒、安全だけど避けられるなら避けよ、です。どうすりゃいいのよ!?直ちには被害はない、じゃぁ長期的には?ずっと飲み続ける、食べ続けるわけじゃないんだから大丈夫。でも摂食制限のお触れを出します。どっち?乳幼児に飲ませるな。食べさせてのいいの?食事の支度に水は使うんだから。もう近くのスーパーには水ないのよ。被災地のように水がないのではなくて、たっぷり蛇口から流れてくるのに使えない、こっちも同じくらいの不安と不自由。放射能、という漠然としたイメージと恐怖感は、目の前の水道水を恐れの対象にしましょう。逃げるか。どんどん当地へも戻ってきているようです。時間がかかりそうですね。
 
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安全

2011-03-23 08:15:30 | Weblog
国の制定する基準許容放射線量が厳しすぎるから無用な風評が起こされるんだという恨み声が出ています。確かに基準値を何百倍も超えているのに、直ちに健康被害はないとか、このまま一年間食べ続けたり浴び続けても年間の自然被曝と変わらないとかCT検査一回分に満たないとかの解説ばかりです。なら、そんなに低く(厳しく)設定しなければいいじゃないか!ではあります、確かに。でも安全基準とはこういうものなんでしょう。実際に健康被害(検査値上でも)の出る数値の半分のそのまた十分の一といった低い数値を閾値にする。それが「安全」ですから。何重にも慎重に決めた値です。これはきっと国によって違うんでしょう。そしてきっと日本が一番厳しいんでしょうね、これは容易に想像がつきます。特に放射能については特別の慎重さですから。つまり平時と非常時との区別をつけてないのがこの混乱の原因なんでしょう。平時、こんな事故のない、目の前の原発が通常運転している時にはうんと厳しい規制してこれでもか!というくらいの安全値を維持するよう努力する。でも今回のような非常時には(実際に大事故です)ここまでは安全だという「本当の」閾値を示すべきなんです。でも学者の常で、いつもいつも例外を重要視します、中には少量の被曝でも被害が出たり、将来癌になったりする人がいると言う。学者の性なんです、あの場合この場合をズラズラ羅列せねば気が済まないのです。今は非常時だからより現実的に対応する、とやればいいんです。そうじゃないんですかね。
 蓮舫さん、久しぶりにTVに流れました、プロ野球の爺さん達相手にやってます、どうしてセもパも一緒にできないのか、ナイターはよくないでしょうと。強い口調です。誰か知らない文科相も同じこと言ってます。どうしてここで文科相なのよ、ですが、大相撲も文科省の管轄ですからね、スポーツはここなんです。一斉停電しなければならなくなるかもしれない状況下にナイターだ?という叱責です。蓮舫さんも可哀想なことです、こういう場面だけ、しかもきっちり切り取られた画像だけが流れて。都知事選はどうなったのよ?なんですがこれも大震災に消えてしまったし。ついてない。この人の限界でしたか。
 アンドリアノフの死亡記事です。ソ連の体操の第一人者でした、体操日本の前に立ちふさがった大きな壁でした。日本で言えば加藤沢男の時代の人です。遠藤幸吉、加藤沢男、具志堅浩二(名前はこれでよかったですか)と続く個人総合金メダリストです。吊り輪の中山とかの時代でしょう。名前がいかにもロシア的で、語呂も良く覚えやすく、でしたね。北野たけしがよくやってました、あの格好しながらコマネチ!そしてアンドリアノフ!って。合掌。
 
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使命

2011-03-22 08:13:35 | Weblog
海江田大臣が、原発の放水に向かう東京都のレスキュー隊に向かって「言うことを聞かなければ処分する」なんて言ったそうで、それに石原都知事噛みついてます。ある新聞は「そんな言葉で兵隊が動くか!」と非難したそうです。相手は菅さんです。決死隊、扱いです。昨夜、古館は隊員を呼んで深々と最敬礼してました、国民のために有難うございますと。隊員達の記者会見で三人とも感極まって涙声でしたが、それほどに決死の覚悟だったということで、それだけ強い使命感と俺が行く!という熱いモノに突き上げられていたということで、ここのところ外野の身でも理解します。こんな世の中ですが、きっとこの意気に感ずる男はワンサカいますよ。私はこういう振る舞いに心が震える方です。危険な中だが誰か行ってくれぬか?そこで手を挙げる奴らはきっと沢山います。大勢いると思いますよ。奮い立つわけです。体中にアドレナリンが迸るのです。これが男の、普通の男の元々持っている特性です。女は産む性と定義します。ならば男は?死ぬ性、だそうです。ここで実感するわけです。色々理由をつけます、自らを鼓舞するために、決心が鈍らぬように、例えば国のため、親のため、女房子供のために行くと。危険を顧みず、という表現です。昔戦争にとられた男達はそうやって心を鎮めて心を作り直して死地に向かったんだと思います。切ない。なんとも切ないこと。市井の先人達を誇りに思うし、私もきっと続かねばならぬと肚が据わる思いです。悲壮勇壮な覚悟。肚に決めた者達に対する言葉は一つしかありません、しっかりやってくれ!あなた達の手に日本の安全がかかっている!!あなた達のその気持ちに心から感謝すると。そこを、やらんとは言わせない、やらない奴は処分するなんて言われた日には・・さぞやの落胆だったでしょうね、どれほどがっかりしたでしょうか。こんな奴のために危険な中に入っていくのか・・と本当に情けなくなったでしょうね。例によって当の大臣は言を左右しているそうです。この期に及んで言った言わないの唾棄すべき小狡さ、卑怯さです。菅さんは石原さんに謝ったそうですが、石原さんもしかし出て行く時を間違えません。今だ!でしょう。そう言えば都知事選でした。東が立候補するそうです。このタイミングです。海江田さんの話でした。菅さんは東電が事故当初に社員を引き上げると言った時にお前達がやらんでどうする?と一喝したそうですが、東電が潰れるぞとかなんとか言ったようにも伝わってます。この手の人達にはつくづく公の意識が薄いんですね。そして公のために自分が身を投げうつなんてこと一度も考えたことのない連中なんでしょう、罰則を作らないと、脅迫しないと人は動かない(自分がそうですから)としか思ってないんでしょうね。あんな場面で、あれだけ肚を決めた連中を前に、あんな言葉しか吐けぬ奴は引きづり降ろせ!ったくその通り。石原さん、その通り!
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