柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

本当?

2008-05-27 08:43:06 | Weblog
段々と確実に記憶から消えていく北朝鮮拉致事件、思い出したように記事が載ります。何年か前に飛行機で帰ってきた5人のうちの一人、地村の奥さんが証言したんだそうです、北朝鮮は横田めぐみさんは94年4月に死んだと言っている(これとてこちらの別の証言で訂正して出てきた日付だそうですが)が、94年の6月に側にいたと。いや、それはそれでいいんですが、どうして今頃に公表されるんでしょうね。この人の子供が日本に来る前ならいざしらず(下手なこと喋ると殺されるかも知れませんから)みんなこっちに来てから何年経つんでしょうか。どうして今なんでしょう。わかりませんねぇ。帰ってきた5人からあれこれ証言を得ているでしょうし、公表しない約束の事々もわんさかあるんでしょう、そこは理解しますが、どうしてあの人が今さらに?です。新たに思い出したなんてことじゃないんでしょう、とうの昔に(帰国早々に)得られていた情報に違いないじゃないですか。わかりませんねぇ、何が目的なんでしょうか。横田さんが生きていることがわかったんでしょうか、その前振りなんでしょうか。
 長崎市長射殺事件、地裁の判決が死刑と出て、三大紙気持ちの悪いくらい同じ見出しで一面トップです。民主主義揺るがした、と。もっともこれは判決主文で裁判官が言った言葉なんですが。前にも書きましたが、どうして民主主義が問題になるんでしょう、単に個人の怨恨、被告が暴力団員で拳銃持っていたから撃っちゃったという事件です。民主主義ってのは王政とか専制政治、独裁政治に対する(伍する)概念ですよね、馬鹿が人を撃ち殺して、どうして民主主義への挑発とやら冒涜とやらになるんでしょうか。法治国家とか文化国家とか、人を殺しちゃいけない、争い事で個人の交渉で果たせぬ時は暴力やら刃傷沙汰に訴えずに(個人報復に訴えずに)然るべきところに訴え出なさいという規制、決まり、承認事に対する反逆というならわからぬでもないですが(それにしても身振りの大きい抽象語ですが)、民主主義とは違うですよね。そうは思われませんか。が、今日の各紙の社説が教えてくれています。まず朝日、暴力で言論や政治活動を封じ込めようと言うのは民主主義に対するテロであると定義してくれてます。ううむ、言論の自由、政治活動の自由を保障しているのが民主主義なんですね。基本的人権を謳うことが民主主義の本質ってわけですか。わかったようなわからぬような論です、あまりにぼんやりと大きすぎます。王政下にも民主主義はあるんでしょうね。専制政治下にはあり得ないことでしょうか。あのヒトラーも暴動やクーデターで現れたんじゃないですよ、ちゃんと選挙で勝ってのし上がってきたんです。自由を制限することが民主主義に反することなんでしょうか。自由の保障は近代社会の基本的な条件であることは認めますが、民主主義そのものじゃないですよね。定義の問題なのではありましょうが、何だか釈然としません。日経は、裁判官の判決文を引いて、自分の要求の通らぬことを逆恨みして市長の四選を阻止して自分の力を誇示しようとした、それはつまり市民からの税金を行政からゆすり取る目的で民主主義の基礎である選挙を破壊するテロと判断したのだと書きます。こっちは分かり易いです。でも、この論で行けば、選挙期間だったからこういう言い方ができて、じゃぁそうでない時に、例えば夜道コンビニ帰りに撃たれたらどうなるんですか、やはり民主主義の根幹を揺することになりましょうか。この男にとればどこで撃とうがいいわけですよね、もちろん派手にやってやろうという気持ちは働いていたんでしょうが。四選阻止?本当に?ただ憎かったんでしょうに。どう思われますか。民主主義を揺らす事件なのですか?本当に?。
コメント
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