柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

本性

2008-09-30 08:43:09 | Weblog
麻生さんの所信表明演説、実際を聞けなかったんですが、朝刊に全文が載ってます。どの新聞も、型破り、野党へ質問するとは何事?民主党批判とは・・と概ね批判的です。見出しが踊ってます、それを読んだ後に演説内容読みました。いいですねぇ。特に前文がいいですよ。こうやって鼓舞してもらいたいんです。日本人はこんな事では負けないんだって。どういう抑揚で喋ったのか、おそらくは野次怒号の中での喋りだったんでしょうけれど、聞いてみたかったと本当に残念に思いました。それくらい活字に起こして読んでもリズムのあるいい文章と思いました。こういう文章が、こういう話し言葉こそが人の心に届くものなのではないんでしょうか。俺達は負けない、俺達の先祖達はそうやって日本を建て維持し発展させてきたんだ、自信を持とう、これから巻き返すんだと。この人が常に言ってる年寄りを使えという論も賛成ですし、不安の解消が第一だという考え方も賛成です。不安要素ばかりを書きだし並べて眺めていても何も生まれません。その通り。いいですねぇ、この意気やよし。非常時なんでしょう。アメリカが沈みそうです、大正時代の大恐慌の再現かなんていう状況です。だからこそオロオロしてはならぬのです。前向け!前に進むぞ!と号令かけて欲しいんです。俺が先頭切るからついてこいと言って欲しいんです。国会ひとつうまく回せない福田さんのおかげで、どんどん国民がうつむいて元気がなくなってきた現状をひっくりかえすのはこういう鼓舞だと思うのです。私はいいと思いました。小泉の比ではありません。いかがでしたか。
 一方で小沢さん。インタビュー放映の中で、あれこれつつかれておそらく腹が立ったんでしょうが、こう言ってました、こっちにやらせてみてそれでだめならまた替えればいいんだ、それが民主主義だって。おお、本性というか本音が出たなと感じたことでした。つまりこの男、政権奪取しか眼中にないんです。選挙に勝つしか目的がない。そうでしょう、ほん少し前に、民主党には政権を担う力はまだないなんて拗ねて党首辞めちゃった人ですから。政権仮にとっても自民党やら自党からあれこれ文句言われたらすぐにやめたって投げますよ。安倍福田より早いかもしれない。この男の本音はそこにあるんでしょう、そう思ったことでした。民主党には任せられないでしょう。私の麻生贔屓を差し引いても客観的に見て民主党にその力はないと思います。小沢さん見ていてそう思います。違いますかね。
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自爆

2008-09-29 08:41:04 | Weblog
男のマラソン2時間3分59秒だそうです。エチオピアの第一人者、先の北京五輪は大気汚染が心配だから走らないと言った男です、条件が揃えばきっちり結果を出すところが本物です。日本人は未だにサブテン(2時間10分以下)が何人というレベルですからね。マラソンのシーズンになりますが実況者も宗や瀬古といった解説者達も基準はそこですからね。6分の差ですよ。男と女の差ですわね。レベルの違い。新聞に専門家が書いてましたよ、日本人には絶対走れないって。それならマラソンに金かけるのをやめたらいいのに。視聴率やスポンサー相手のTV局の商売道具としての価値しかないわけで。箱根あたりのちゃっちいローカルレースでお茶を濁すがお似合いですか。しかし世界のレベルはものすごいところにあるんですね。改めてびっくりします。
 台風予想、いかがです?今回もまだ台湾にいるというのに、きびすを返して日本に向かうという予想です。前々号と同じ予想です。前号は同じように台湾から大陸に上がると予想してそのままでした。どうしてわかるんでしょうね。風向きですか?台風の進路を決める要因は何なんでしょうね。この予想ばかりは不思議です。そして当たるからまた不思議。しつこいですか。
 NHKの朝ドラ変わりました。前回が全然面白くなかったのです。今回はどうかしらという話、NHK好きなマナカナを使うところ何だか多くを期待できぬ感じですが、おお、主題歌は竹内まりあです。この人らしい三連符の曲、この人の得意なジャンルの曲、そして編曲が全くの達郎色。いいですね。朝ドラでその昔松島奈々子がデビューした女弁護士の物語では達郎が主題歌唄ってましたね。うむ、これだけでまずはいいにしましょうか。毎朝竹内まりあを聞くのも悪くないでしょう。 
 中山大臣辞任です。天声人語が抗議してます。一方的に言われた日教組の書記長(こういう役職名が左翼、マルクス主義団体と名乗っていることなんですが)も言い返してます。この二つ、内容は一緒です、憲法で保障された集会結社の自由に抵触する、誤った偏見に基づく中傷誹謗だって。これがまた左翼の常套です、中山さんはより具体的に指摘してしているのですが、反論はぶっ壊すとは何事かなんて論点すり替えて、憲法持ち出しての大上段。二言目には人権人権と振り回すあの手口と一緒です。役人役場との癒着構造やら民主党との関係やら日本中が大阪みたいになるぞとやら、この人勘所をあれこれ指摘しているはずです。つまり連中の痛いところなんでしょう、実際をあれこれ知っている人だからこその急所突き。それをなんちゅう事を言うんだ大臣ともあろう者が、という別の非難にすり替えるわけです。ワーワー大声出してかき消そうという魂胆でしょう。天声人語の、日教組と同じ口振りを見て、ああ同じ穴の狢と思うことです。同類であることは周知のことなんですが。教育改革には日教組の解体が必要。安倍さんもそう言って(この趣旨のことを言って)ましたし、これは別に特別特異な偏見でも何でもないことです。戦後60年を顧みれば普通に導き出せる結論です。そして中山さんはその実際を色々知っているから、「自爆」覚悟で言いまくった。感じる人は感じましたから、十分に意味のあったことなんじゃないでしょうか。選挙への影響については別問題として。
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閾値

2008-09-28 09:39:14 | Weblog
一気に秋になってしまいました。昨夜野外ライブつつがなく終えることができました。ご来場いただいた方々にはまことに有り難うございましたが、寒い思いをさせてしまいました。申し訳なかったことでした。今後ともよろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。
 今日は新聞読んでいてあれこれ思うことが多かったです、こちら閾値が落ちているのでしょうか。一つ、長崎平戸市で消防署に市内の40歳男が迷惑電話(緊急通報とは関係ない電話)を頻繁に架けてきて、それを受けて消防署がこの男に事前通告せずに一ヶ月の間着信拒否の設定をしたそうです。このアホさんが架けていたのは一般加入電話だそうです(つまり119番ではない回線)。さていかがですか。こういう事例を記事にすること自体非難の色合いですが(もちろん消防署へ向けての非難です)、どうですかね。実際は一ヶ月後に本人との間に不急の電話はしないとの確約がとれたので設定解除したそうです。非難の理由はこうです「仮に男性から正当な通報があってもいけられない可能性もあった」。クレーム対応に詳しいらしい弁護士の弁が載っています、正義の味方の記者と同じことですが「緊急事態に対応する公共機関として望ましくない対応だ」「消防本部は本人と話し合い、迷惑電話をやめさせるべきだった」と。いいですねぇこうやって中学校の学活ばりの正論ばかり言っておけばいい仕事は。この弁護士には転けますね。狼少年という寓話を知らないわけはないでしょうに。あれこれ言わずとも大昔から人々が守ってきた嘘つくな、人に迷惑かけるな則で処断すればいいことです。この手のアホには言葉じゃ通じません。そうですよね。
 今TVで山口県の地震対策の話題やってます、どこやらの教授が学者らしい面持ちで重々しく解説していました。四国の太平洋側に起こるとされている東南海地震、広島の瀬戸内に起こるとされている安芸灘地震、この二つを指して「この地震は必ず起こるので対応しておくべきだ」「今までの地震のレベルや被害から推測するに前者は11人、後者は31人が死亡する」らしいです。必ず起こると言い切ってましたよ。へぇ怖いこと。震度3は当地でも何度か経験しましたが怖いです。何とも本能的に沸き上がってくるような恐怖があります。震度6?あちこちで目にし耳にしますが人ごとです。それだけはっきり言い切られてもそれでもピンときません。この学者がどうだ!と示す数字が一層拍車をかけました、両者とも今後30年の間に起こる確率が高々50%だそうです。何~んだ、そんなこと?世の中のあらゆる事象、起こる起こらないの確率はそれぞれ50%です。しかも今後30年と来て。それじゃぁ真実味がなさ過ぎです。起こるか起こらないかわからない出来事に対して予防しろ対応しろというのは脅しに近いでしょう。いや、それこそ一時間先に大地震が来て死ぬかもしれませんが、それとて50%の確率ですわね、これ以上でもこれ以下でもなしです。そんなこと言っていたら予想や予報の意義がなくなるなんて憤慨するんでしょうが、私がここでよく驚嘆する天気予報の高精度の例も一方であるわけで、ここ三十年内に50%とはいかにもアバウト。そしてもう一つ、この確率の出し方や如何。何が分母で何が分子なんだ?あの降雨確率もよくわかりませんが、地震の起こる確率30%なんてどう理解するんでしょうね。50%しか意味がないようにも思いますが。いかがですか。
 次、ここまで文句言わずともと私も思わずでもないのですが、今日は閾値が低いと言うことで。長崎で唯一の小学生女子ソフトボールチームが九州の大会で優勝して広島の全国大会に招待されたんだそうです。マイクロバス内で宿泊したとしても50万円かかるそうで、ユニフォーム姿の子供を前に押し立てて街頭募金している写真が載ってます。この募金活動は「保護者らが決め、街頭にも一緒に立っ」て、「子供以上に声をからす大人もいて、チームの出場と家計の負担減の両立をめざす親心がにじみ出ていた」んだそうです。何?家計の負担を減らしたいから他人に押しつけようって?いたいけな子供をだしに使う(敢えて生の言葉で言いますが)この手のお願いしますがどうも嫌いで。偽善の強要ですわね。いいえ、無理にとは言いません、なんて連中は言いますよきっと、善意の募金をお願いしておりますって。でも前を通りがかる人には大迷惑ですわ。知らん顔するのが悪い人なんて空気でしょう?むろんそれが狙い目ですが。自分の子供に自分の好きでやらせているお稽古事です、そこにかかる金くらい親が賄いなさいな。自分の遊びを人の金で賄おうという心根が気に入りませぬ。子供には悪気はない?こういうときには募金でもすればいいなんてそういう教育しつけ自体が間違いと思いますがね。金がないから辛抱しなさいと諭すとか、市や県の体育協会に補助を求めるとか、順番が間違ってませんかという話です。日本人はこういうときに優しいですからねきっとわんさか集まって、余剰金をどうしましょうかって話になるんでしょうね。飲みましょうか保護者の皆さん、子供の為にやったことですからねぇ。
 最後に中山大臣。確信犯だって評論家達がさかんに非難します、TBSの朝番組で毎日新聞の論者が蛇蝎の如く嫌ってます。日教組をあれだけやられたら腹も立つんでしょう。アイヌ問題と成田問題にはあっさり謝罪し前言取り消しましたが、日教組に対しては余程に恨み骨髄なんでしょうね。きっと文相時代にその実態や実際の「闘争」を肌で経験してきたんでしょう、そしてよほどに我慢を強いられて。日教組が癌だ、ぶっ壊すと息巻くその心意気やよしですし、こういう言葉はこのくらいの地位にある人じゃないと効きませんが、どのタイミングで話しても大抗議を受けたでしょうし辞任は避けられぬ物言いでした。内容はこれでいいんです、要は言い方ですから。こう思っている人は日教組で日本人を潰してきた、未だ闘争している人達と同じ数だけいます。だから手を叩いている人も多いはずです。言葉がいけなかったのでした。なんて奴だ?!なんでしょうが、あの地位にいればこそマスコミが採り上げました、これも確かなこと。宮崎(選挙区がここなんでしょう?)がこの人を落とすかまた送り出すか。是非送りだしてもらいたいものです、大阪の西村真吾(字が違っていますか)と同じように。戦後左翼が誘導した日本の教育が間違っていたことに間違いはないのですから。
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規制

2008-09-27 08:43:09 | Weblog
なんと昨夕から急に涼しくなりました。夜は掛け物が要りました、天気予報通りに秋が駆け足でやってきました。しばらく蒸し暑い日が続いていましたから余計にその思いが強いです、今朝も涼しいことです。どうぞご自愛下さい。
 福岡の幼児自殺人事件、犯人が挙がればパタリと沙汰止み、マスコミ報道から消えます。それはそれとして、殺された子供が自閉症だと私が勝手に推量していました。養護学級なり養護学校に通っていたという報道はありましたから母親の難病と合わせてこの親子のおかれた環境に関して衆人の理解はほぼ同一のものではありましたが、産経抄が24日に教えてくれていました、この子はADHD(注意欠陥・多動性障害)で特殊支援学級に通っていたと。うむ、私の推量は間違ってはいませんでしたが、さて報道というのはどこまで為されるべきかという古くて新しい問題にまた当たるわけです。個人情報保護法なる天下の悪法が社会の自浄効果やら法によらない制裁効果を奪っています。法に拠らないということはより陰湿により私刑的に傾くということでもあるのですが、そうやって保たれてきた社会秩序が確かにあるのです。一括りに乱暴乱雑アナクロと放れませんし、放っちゃならぬと思うのです。この親子の環境知らされたら、母親への同情も湧くわけです。だからと言って手にかけてもいいという理屈にはならぬ!との非難も当然です。社会のレベルアップは(そんなものがあるとすれば)規則で縛れば得られるものではないですね。ケースケースを各人それぞれに咀嚼理解して自分の行動に照らしていく、その繰り返しですか。悪いことは悪い。そちろんその都度「正式見解」は必要ですが、それに対する感想は人それぞれでいいわけです、だからこそ捨てる神あれば拾う神ありの世間の懐が出来上がるのです。だからその大もと、事例呈示はちゃんとするべきなんです。あれも言えません、これも書けませんでは人の心に届くはずもないのです。いかがですか、私の方こそ乱暴でしょうか。
 中山大臣、まぁよくも言ったりですが、さすがにあれは言い過ぎでしたね。アイヌについては、ついこの前に政府見解を出したばかりです。日本は単一民族構成じゃないんですわ。成田闘争についても、あの堂本さんが直々に抗議に来る騒動になるし、日教組問題もこの人文相時代に余程その内情に腹立たしく思っていたんでしょう、一気にマイクの前で思いをまくし立てたって図なんですが、いかんせん大臣という立場を忘れちゃってたという間抜けでした。謝るしかないですが、でもこの人、奥さんがあのイメージですからこんな舌禍起こすようなとんがりには思いませんでしたね。このギャップにびっくりもします。さて麻生さんどうしましょうか。いい加減にこの手の馬鹿はやめられないんでしょうかねぇ連中。口で生きてるのに口で潰れる。それだけのタマだったってことなのでしょうが。
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ヒーロー

2008-09-26 08:44:31 | Weblog
明27日当地柳井駅前商工会議所前の広場(レトロスクエア)でマージーボックス野外ライブします。午後6時半頃から演ります。入場無料です。きっと明日はいい天気でしょう、初秋の宵風に吹かれるのも気持ちいいですよ。お時間の許される方、どうぞお越し下さい。
 小泉さん、なんと今度は議員辞めるってサプライズ。この人は次から次とやりますねぇ。でも、新聞で誰かがコメントしてましたが、次男を後継にするなんてのががっかりだって。その通り。小泉改革は大失敗だったと思ってますので、私はこの人の政策は評価しませんが、政治家としてはそして扇動家としてはものすごい才能の持ち主だったと認めざるを得ません。というか羨ましい。正直なところはそうです、羨ましい。あっと驚く電光石火の力業を次々に決める、日本中が注目する中で大演説する、ワンフレーズポリティックスなんて揶揄もされましたが何がワンフレーズなものか、あの人の郵政改革を訴える記者会見の大演説は心に響きましたものね。誰かみたいに原稿なんか読まない。きっと前を見据えて、さりとて誰かみたいに気持ちの悪いカメラ目線はしない、前に居並ぶ記者達を見ながら喋る。あの会見は、たまたま見たことでしたが見入りました。聞き入りましたから。政治家として歴史に残る人でしょう。普通じゃない人だからあそこまでやれたのです。何だか非常に勇気を与えてくれた人でした。分かり易い言葉で、気持ちをそのまま伝えればきっと人に伝わるんです。手練手管を弄するから、段取りや手続きを優先するから人に届かないのです。どうだ?!とばかりに証明してくれた人でした。郵政改革が嫌なら俺を落とせ、と言いながら衆院解散する。なんてわかりやすいこと。そして大勝。国民が賛成してくれたことだと大鉈を振るう。これ以上の「手続き」はないですわね。羨ましい。何度もしつこいですがこの人が羨ましい。この決断力、冷徹さ、そして恬然さ、知らん顔さ。新聞はまるで追悼特集並みの紙面割きです。朝日なんて一面トップ、麻生さんの記事を余所に押しやってます。人気の衰えぬままに、勢いのあるままに、まだ熱いうちに身を引く。引き際の美学なんて凡な連中は紙面にコメントしてますが、こういう人なんですわね、こういうことにきっと作為はないんでしょう。自民党を思ってのこと?違うでしょう。でも、確かにケチつけましたね、次男の後継指名。これは聞きたくなかったですわ、もちろん大衆の勝手なヒーロー像としてですが。
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ジュリー~

2008-09-25 08:44:14 | Weblog
昨夜は久しぶりにTV楽しみにして見ました、NHKです。10時から鉄腕稲尾の特集でした。稲尾の本は多く出ています、本人の著になるもの、中西やら当時の同僚の書いたものやら。多くを読んでまして記録やエピソードの類は大概は頭に入ってます、TVがどういう見せ方するのか、これを楽しみに見ました。感想は「物足りず」でした。丁度50年前の、西鉄が巨人相手に3連敗後の4連勝したあの日本シリーズに焦点を当てての作りで、その中でも長嶋との対戦を中心にした運びでした。「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来・・」と続く長嶋の引退セレモニーでの挨拶を思い出します、その昭和33年です、長嶋がルーキーの年の出来事です。結局長嶋物語になってしまうのがこの人(長嶋)のすごいところでもあるのでしょうが、それがわかっているんですからもうちょっと別の造りがなかったかなと思うことでした。稲尾物語で面白い所はもっともっと他にあるのに、という思いが物足りなさを醸しました。この人の全盛期に私は間に合いませんでした、この人の勇姿は記憶にありません。だからこそ余計に映像や紙面や人の言葉に語られる稲尾の凄さがフレームアップされるのでしょう。物足りぬ事ではありましたが、繰り返し繰り返し流される背番号24の姿にはやはり釘付けでした。きっちり見てはいたのでした。
 そのあとにはなんとジュリーですわ。びっくり。還暦コンサートなんて今やっているそうです。その意気やよしなんですがね、でもやはり容姿の衰えは隠しようもないことでした。タイガースで日本中をひっくり返し、ソロになって後も一番前に居続けた人です。ソロになって後の一番良い頃が丁度私達が中高校生時分と重なってます、ジュリーはトップスターでした、同級生にも沢山ファンがいました、広島にコンサート見に行ったこともあります、ああそうでした。今還暦ということは私より10歳上です、一回り上の世代の代表みたいな人です、拓郎や陽水と同世代。この人達に引っ張られてあれこれ聞き知ってきたのが私達の世代です。うむ、時代の構成を考えてしまうことですが、そんな大仰なことでもなく、ジュリーの姿です声です。「君だけに愛を」を唄ってました、嗚呼、これ唄うんだ・・。後ろに井上尭之がいるのかと見ましたが違いました(ドラムが若い女でした、またこれがタイトないい音出してました、うまいなぁ)。途中岸辺一徳、森本太郎といったタイガースのメンバーが出てきて、ガリガリの関西弁で話してました。タイガースは京都人のバンドでした。もちろんジュリーも。でもこの三人の顔見比べながら、一番いい顔しているのは岸辺一徳と思いましたね、このひと今をときめく映画、TV、CMを問わぬ脇役の雄ですから。ジュリーは緩みすぎの感です。タイガース時代の映像も流れます、ピー(瞳みのる)との絶縁状態(これは知る人ぞ知るの有名事です)を話題にしたりしてました。昔からのファンには嬉しい企画でしたが、時の流れを一番感じさせてくれたのが本人だったというコントラストでした。笑って見てました。格好悪いけれどこれでいいんじゃない?ジュリーなんじゃから。
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ON時代

2008-09-24 08:44:32 | Weblog
福岡幼児殺人事件、詳細が新聞に載り始めます。母親は難病で足が不自由で用便の際に介助が要る状態、子供に手伝わせていたそうです、今回も身障者用のトイレを使用していたところそこで子供が病気のお母さんなんかいらないと口走り、かっとなって凶行に及んだという顛末だそうです。・・・こういう背景と知らされると、母親への非難が一気にしぼむんでしょうね。世間はさっと目をそらす。視線を外す。難病の母親と自閉症(これは私が新聞記事から推し量っていることです、確証はありません)の子。世間は母親の奮闘を期待し、人ごととしてなら拍手を惜しみません、ガンバレ頑張れって。でもそこまでです。そこから先は行政の仕事、国の仕事とわかっているからです。子を殺すなんて・・という私並みの通り一遍の非難と、この「不幸な」背景との綱引きです。きっとマスコミのいつもの集団暴力はここで終わりでしょうね。そう思います。世間様の特徴です。
 王監督勇退会見です。朝刊三大紙すべてこの記事が一面トップです。いかにこの人が大きな人だったかを物語ります。ON時代に幕、と見出しを打つものもありました。ONですわ。まだ日本の野球界はこの二人にべったり依存しているんです。この現状にも改めてびっくりします。読売が長嶋を手放さない、どころか病人をあれだけ引っぱり出して未だに広告塔に使っているのにはなんだか品下る感さえ漂いますが、NがいればOがいるという図式で好むと好まざるに関わらず比較対照される立場もうっとしいこともあったでしょうに、しかしOは輪郭のくっきりしたぶれぬ人でしたね。自分の立ち位置を弁えた大人(たいじん)の風格でした。でも、昨日今日そのユニフォーム姿が何度も映されるを見るに、痩せて、その辺の爺さん然とした容姿には痛々しいものがあります。そういう姿を王さん本人が許せないと感じたんじゃないんでしょうか。臓器を除くという処置(手術)がいかに体を壊してしまうかという事実を日本中に教えてもくれた人でした。これで星野のWBC監督はなくなったなと思った人も多かったんじゃないですかね。新聞に載る多くのコメントの中では、やはり野村のものが出色ですね。彼がいたから俺の記録の価値が半減したと。野村はホームラン数ももヒット数も2番の記録が多いんです。王がいなければホームラン王ですから。三冠王の記録ももっと輝くでしょうし。野村独特の言い方なんですが、こういうレベルの人達の言葉は聞いていて面白いですわね。ON時代。ああ、まだそうだったんですねぇ。
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肉親考

2008-09-23 09:02:49 | Weblog
唐突ですがどうして最近の天気予報はあれだけ当たるんでしょうね。今夏のゲリラ豪雨にだけはさすがにお手上げだったらしいですが、暑くなると言えば暑い、涼しいでしょうと言えば涼しくなる。先の台風が典型でしたね。台湾で足踏みして、普通はあのまま大陸へ行くだろうと思うのに、くるっときびすを返して日本に向かうって予想してましたよ、そして全くそのままになって。どうしてああいう風にわかるんでしょうね。不思議と言えば不思議です。そしてこれもなんとかならぬかと思うこと、来るぞ来るぞと何日も前からわかっていて、正確に進路や雨量、風速までも予想されているのに、ただ身をすくめて待っているだけ、通り過ぎるのを待つだけ、いわば殴る蹴るされるがままになっている、挙げ句は地崩れ、河川決壊、高潮で生き埋め、冠水浸水の大被害。だから治水、治山(こんな言葉があるのかどうか知りませぬ)は昔から為政者の大事業だったのですが、これだけ予報の精度が上がっても被害の出方受け方は百年、いや千年一日の如しです。台風銀座と呼ばれている南九州の山間地域、台風が来るたびに被害を出している地域。そういう場所に住んでいるんだから仕方ない、で何十年何百年です。「受益者負担」の考え方でしょうか。好きで住んでいるんだから・・。下手に護岸工事なんかすると自然愛護協会辺りからクレームが来ましょうしね。自然に溢れた地域は同じだけ天災を被りやすいという自明。危険を承知で住んでいるならそれまでのことですけれどね確かに。見た目美しい山間風景も、地崩れ地滑りを繰り返し、その度に地形が変わり、やがて露わになった地肌を草木が覆い何事のなかったような風景を呈するようになる、まるで悠久の昔から不易であるかの如く。この世の常でありますれば、人も死に埋まりまたその上に居を構え、時を追うにつれて悲しみは昔話に薄まっていくわけです。科学技術は闇を照らして行きますが、利便という破壊が届く範囲は未だ限られているわけです。いくら危なくても不便でもわしゃここに住む。この頑固さがまだ優先されているのです。好ましい文化と思います。いえ、皮肉ではなくて。
 福岡幼児殺人事件。新聞報道によるとこの子は自閉症だったんでしょう、それを母親がはかなんでの凶行という因果のようです。もちろんこの母親の性分性格に問題があったのです、ここが本点です。が、・・とこうやって話を進めていくと逆接逆接でどんどん繋がっていきます。子に障害がある不幸、それを抱えて生きる親としての苦労。世間はここに大きな同情を寄せますが、同時に同じほどの障害者の親としての毅然さ、献身性、不幸さ、それに耐えてますという健気さを要求します。大衆の勝手さです、人の不幸は大きい方が面白いのです。手を叩きながら陰口をたたく。こういう事件のあとにワーッと世に溢れる感想はみなこの手の感情論です。毎日新聞に、最近よくTVに露出しているジャーナリスト大谷昭宏氏のコメントが載っています、命を奪った行為は許し難いが、社会として手を差しべることはできなかったのか。許し難いが非常に残念な事件だって。平板でしょう?やっつけでしょう?こんな感情論では有識者の値打ちがないですが、大方この手の感想です。感想ならそれで宜しいということです、どう思おうがあなたの自由ですから。子は国の宝だなんて言いますが、もちろんそれは抽象論形式論であります。人口を維持しなければ国も糞もないことですから。子は親のモノですか。生殺与奪は親が持っていますか?いえ、法律上のことではありません、生物として、生きていく上での現実論としてです。母親が自分の産んだ子を生かそうが殺そうがそれは母親だけが持っている特権(権利って言葉嫌いなんですが、浅学にて適当なことばが見つかりません)じゃないですか。尊属殺人が旧憲法であれだけ極刑だったのにその逆は特記もされない。それは十分にありえることだったからでしょう。国を新たに形づくっていく上で家父長制度を基本として親を敬えという国策という側面はもちろんあるのですが、逆に言えばそう決めなければならない文化だったということです。子殺しは珍しいことじゃなかった(親殺しも)ということです。子の将来をはかなんで手にかける。理由としては十分です。何がいけない?世の中の偽善が許さないのです。大は子は国の宝だなんていう莫たる論、小は命は地球よりも重いなんていう与太。障害者だから間引かれても仕方がない、なんて言うとあちらこちらから大叩きに遭うんでしょうが、当の両親、特に母親にとって決して無茶な理屈(悪魔の考え)ではないと思うのです。自閉症の子供たちを障害者として差別してはいけないとか、みんな同じ人間なんだとか、当の両親の気持ちを全く無視するような正論、綺麗事、偽善を振り回して眉を顰めてそれで終わる凡百の評論家の話なんぞ聞きたくもないですね。十人いれば十通りの生活環境があり考え方があるのです。法律が生きていく上での基準なんかじゃ決してありません。もっと生々しい、毎日の生活があるのです。それを規制するものは何か。社会生活上の決まり事とは何か。憲法法律の類、マスコミが振り回す偽善則、もう一つ、より身近で、より人の行動を縛る「世間様」則、やっていいこと悪いことの区別。人はこの三つをうまく使い分けているのですが、家族(肉親)と他人の区別が歴然とあるところ、ここに気づいているのに知らん顔しているところ、それが世間を渡る術ではあるのですが、この手の問題の根にある曖昧だと思います。腹を痛めて産んだ子を生かそうが殺そうが母親の思いが優先されることじゃないですか?勝手に離婚したり失踪したりして子を捨てるは許されている一方で、先をはかなんでの仕儀ばかりが咎められる現実。乱暴ですか?ですかね。
 
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不憫

2008-09-22 08:43:29 | Weblog
さっきNHKで源氏物語の紹介するのに、歴史上確認されてから千年目の今年なんて言ってました。歴史上確認された?どういう意味ですかね。この千年の拠り所は、私もTVで瀬戸内寂聴が言話していたことのうろ覚えですが、源氏物語の中にでてくる中国の書物のくだりから類推しての事だったはずです。この書物が千年前に世に出ていたことが確実だからなんでしょうね。で、この表現。あなたの住所はと聞かれて地球と言うに等しい、大雑把です。調べるのが面倒だったんでしょう、源氏物語と千年目とをなんとか言葉で繋ぐための創作だったんですが、語るに落ちたというか無知を自分で知らしめてしまいました。身振りの大きい抽象語は無知ややっつけ仕事の証です。創作後今年が千年目だとされている源氏物語。これでいいですよね。言葉は怖いです。他山の石といたしましょう。
 子供が殺されます。なんちゅうことを・・と憤りますが、また親が殺したんじゃないのか?親戚の誰かじゃないのか?と思ってしまうところが今風で。変質者がやったというなら世間は一つになれます一つ感想にまとまれます、怖いねぇ。否、今時は親がやったと言われても平板に驚くだけで過ぎましょうか。これが中学生とか小学生の仕業ならびっくりでしょうが。いや、誰がやったということもさることながら、この傾向は止まらぬのですねという感慨です。昔はこんな事はなかった?そう慨嘆するのが普通なんでしょうがこれは違いましょう、昔にもこんな事例はあったはずです。統計上どれだけ差があるのかは知りませぬが、珍しいことではあってもきっとあったことです、単に私があなたが知らぬだけで。子供こそを大事にしたいです。少子化がどうのこうのももちろんあるんですが・・。たった今ニュースが伝えました、福岡の幼児殺人事件、犯人は母親でしたって。そうだろ?!こうなるとなったでなんともやりきれないのです。この子はまさか自分の母親に殺されようなんて夢にも思わなかっただろうし、連れて行かれてまさか首締められるなんて・・となんとも切ないことなのです。鬼母と非難してもどうにもなりません。自分の子を殺そうがどうしようが勝手じゃないかという極論はあるでしょうし、子殺しができるのは父親じゃなくて母親だという説も頭に浮かぶのですが、ううむ。この子が不憫です。子供を大事にしましょう。これまた極論の一つなんでしょうが言います、年寄りより子供です。日本の社会保障制度の特徴は子供に薄く老人に厚すぎるというのが昔から指摘されていることです。死んでいく者より今からの者達。もっと別の分配の仕方があろうということです。なんとかこういう力無き者達を助けてやれませんかね。どういう制度を作っても母親が殺すを止めることはできますまいか。なんとも不憫なことです。
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我慢

2008-09-21 07:30:15 | Weblog
阪神危ない、どころか追いつかれました。明らかに勢いが違います、こんな時にはこんな結果になることです。まぁ、そろそろ巨人も止まる頃ですし、誰かが怪我をする頃でしょう、待っていればいいんですが、ロートルじゃなくて若い奴らが打っているのがらしくないところで癪です。こんなのは広島の十八番で、今朝の中国新聞のコラムは黒田新井と二枚抜けてどうなることかと思っていたがこれぞ広島の真髄だなんて口調でした。確かに広島が3位になるなんて誰が予想したでしょうね(というかもっと予想だにしなかったのは中日のていたらくなのですが)。原がニカニカ笑ってるのを見るのも悔しい。単に個人的な好き嫌いなんですが・・
 衆院選挙の日程やらその結果やらの予想が喧しいです。総裁選を華々しくやってその余勢を駆って、と言う思惑が一つ。今の自民党にはそれくらいしかプラス要因がないですからね、次から次に問題が出てきますし、その全てを自民党の利権政治の所為にされています。でも週刊誌など読むに、麻生さんが総裁になって総理になって(まだ衆院300超の議席がありますからね)すぐに手放すわけがないじゃないかという説もあって、これも十分に有り得る話だなと。選挙予想見るに自民党が勝つなんてものは一つもありません。自民党が半減し(150強)民主党が200超を獲るというのが大方のようです。ええ?本当かい?この感覚、先の参院選、安倍さんの時の参院選の前にもこういう予想でしたね、まさかそんなにと私は思ってましたがあの結果でした。衆院選もああなるんでしょうか。確かにもうあの小泉マジックは効きません。小泉チルドレン達はきっと淘汰されます。そこを民主党が奪っていくという図式です。そう解説されればそうかなと納得もします。二度目の下野ですか。総理になれなかった唯一の自民党総裁河野現衆院議長が政界引退を表明するのも何だか雰囲気に符合することです。となれば、そんなに早々に総理の椅子を手放すとも思えないことです麻生さん。何度総裁選に出たんです?やっとなれた総理ですから。あと一年近く、定期の選挙まではあるんですから、この下馬評をひっくり返すべく手を打たんといかんでしょうね。ここで解散してしまったら小沢さんの思うつぼでしょう。もちろんそうなれば(麻生さんが解散しなければ)民主党は国会審議に応じないとかの手に出る、法案は何一つ決まらない、という事態になり国政は沈滞する、早急に解決すべき大問題が次から次にこれだけ溜まっているのに・・。国民のイライラは募るばかりになる。ここを麻生さんどう切り抜けるか。民主党の不協力さを国民にどうアピールするか。国政の滞りを民主党の所為にできるか、そういう見せ方ができるか。そこでしょうね。あと一年。空気をひっくり返す時間が残っていると考えるべきなんでしょうね。総裁選の勢いなんてのは全く当てになりません。もう今の段階でみんなの興味は冷めてますからね。小泉郵政選挙に倣うことはできません。ここは辛抱して失地回復する。私も10月や11月の総選挙は避けるべきだと思います。負けるとわかっている選挙にわざわざ打って出てどうするんですか。そう思うことです。いかがですか。
コメント
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