柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

感謝

2007-12-31 12:26:15 | Weblog
今年も暮れていきます、年々歳々その速さはつのるばかりです。それが歳をとるって事だと年寄りは言いますが、間違いなくその組に入っている自分にはたと気づきます。五十を超えて、この十年はきっと面白いぞと勝手に思っているのですが、それは決して天から降ってくるものなんかじゃなく、自ら求めて行かねばならぬのもこれは確からしく、さてもう一年経ったぞという焦りの気持ちすら早に湧いてきて、さてどうなりますことやら。
 好きでやっているバンドですが、十年区切りを迎えられてまことに幸せなことでした。何度も言ってますが、見に聴きに来ていただく方々がいて下さって初めて成り立つシチュエイションです、第一律速要素は皆様の慈悲深いお心です。これには感謝しきれぬものがございます。第二要素は何か、これも疑いなくバンドメンバーの忍耐力でしょう。何に対する?もちろん私に対する忍耐です。マージーボックスだけでなくキャバーンでも同じことです、私のわがままに如何に堪え忍べるか。これほどにビートルズしか知らぬ偏狭偏屈も珍しいことと自分で思っています、そんなのに付き合う方もそれなりのタマであるに違いないのです。マージーボックスは十年ですが、キャバーンも4年になります。この人達は強い。そう思うのです。第三要素は。女房ですかね。掲示板に書きましたが、仕事に皺を寄せぬ事がこういう趣味事を続けるコツだと思っているのですが、それは家庭に敷衍できることでもあります。つまり女房の理解があればこそだと。大概は旦那の好きなことなら奥さん許してくれるのでしょうが、高くくっていると痛い目に遭いますよというわけです。こそこそやらずに堂々と。隠れてやらずに一緒に楽しみましょう。女房子供を引き込む。これはメンバーによく言っていることです。仕事と同価値重要なのが家庭です、つまり女房。女房に皺を寄せてはなりませぬ。ライブ会場に女房子供を呼んでくる。これです。もっと直には女房を怒らせないように、ということなんですが・・。
 今年も有難うございました。多くの方に読んでいただいて幸せに思っています。辛口のお言葉もいただきます、ひるまずに返事を書いています。ここで書きなぐることはもちろん一管見に過ぎぬものですが、へぇそんな考え方もあるかい、と思っていただければ私は嬉しいわけです。少しでもグレードアップすること、そして続けていくこと。これを旨に明年も進んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお付き合い下さいませ。有難うございました。
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2007-12-30 08:20:34 | Weblog
当地寒くなってきました、最近の天気予報は実に精度が高まりました、明日の予想だけじゃなく週間予報が当たりますから。長期予想はよく外れてますが一週先の予想はよく当たります。正月は雪が降るなんてポカポカ陽気の26、27日に言ってました。温い冬もいいんですが、やはりあれだけ長く暑い夏だった分、冬は冬らしくガッツリ寒いが気分ですか。
 岩国市長選、現職衆院議員が鞍替え出馬の様相です。この人若いです、もともと岩国の人で、市議、県議、国会議員と言うなればたたき上げてきた人です、井原さんの対立候補とすれば強敵でしょう。少なくとも前回のようなワンサイドゲームにはならないとは思います。艦載機移転容認派が白羽の矢を立てたは十分に理解のできることです。また当の自民党衆院議員も防衛大臣やら安倍さんやらあるいは首相辺りからも肩抱かれてお前しかひっくり返せない!なんて囁かれているのでしょう。衆院当選も流れに上手く乗っての出来映えでした、今回も周りの担ぐ御輿に乗るだけの様相です。俺ならできると思っていても何の不思議もありません。選挙区はうんと狭くなって自分の地元膝元での勝負です、勝算はじいても不思議はありません。知名度、実績、若さ、どれをとってもこの人以外にいない!って周りからは褒め言葉しか聞こえないでしょうし。でも、相手も手強いです。衆院選は自民党対民主党でした。古くからの自民党系票(保守派と敢えて呼びましょう、岸さん佐藤栄作さんの栄光の時代を知っている人達、この貯金を一人ではたいちゃったのが愚息信二さんでしたが))を総掛かりで掘り起こしての薄氷の勝利でした。今回は議員の地元ではありますが、つまり井原さんの地盤でもあるわけです。前回の市長選での票の割れ方と市議選での票の割れ方の違いの分析や如何に。市長選は自民党対民主党の図柄じゃないです。こんな運動会的な赤組対白組対立ではないです。もっとイデオロギッシュな好き嫌いに左右されると思います。左翼対反左翼(福田さんが保守なのかどうなのかわかりませんからこう書きます)。国策を受け入れるか否か。今の時代、国策なんて大上段が一番不確かで胡散臭いのも確かなことですが。福田さんを気の毒に思うのは、民主党に勝つ為に担がれて、今度は左翼勢力に勝つために担がれる、そのいちいちに現職を賭けるというリスクを負わされる、それが政治家の宿命でしょうと言ってしまえばそれまでですが、そういう、彼以外に人材のない不幸に対してです。外野から見ていると、若いがばかりに世論という代物からあっちに行け、今度はこっちだと振り回されているように思うからです。前回の衆院選よりも今回の市長選の方が厳しいんじゃないですか。衆院議員を擲つだけの価値がありましょうや。それとも支持者の意向というのは一も二もなく議員の選択を拘束するものなんでしょうか。外野からわからないのはここです。ここで「民意」に背けば来年の解散総選挙もなくなるよという単純なバーター、言い換えれば脅迫なんでしょうか。苦渋の選択でしょうか、想定内の行程でしょうか。マスコミは書き立てます、こうやって既成事実化されます、外堀を埋められます、立つしかなくなります。さて、福田さんの才は奈辺にありや。彼が若い人だけに気の毒さが募ります。
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思惑

2007-12-29 08:43:20 | Weblog
大阪でまた救急患者のたらい回しだ!とどの新聞も非難がましく書き立てます。朝4時頃に救急車呼んだ89歳女が結局30病院に断られて、救急車内でこと切れて、最後の搬入先で7時前に死亡確認されたそうです。断る理由は確かにあるんです、これは分かって頂かねばなりません、居留守を使っているのではないんです。さすがに都会だけあって30も救急病院があるんです。どこかが受け入れてやればいいじゃないかとお思いでしょうが、手の足りぬところに新たに受け入れればどうなるか想像の届くところと思います、仮にそうなったら受け入れなかった誹りと不十分な治療で不具合が生じたときの誹りとの勘案天秤掛けです。あなたならどちらを選びます?救急車の中で死ぬなんて・・ですか?それこそがその人の運命ですから、誰彼にその状況を咎め立てされる事項ではありません。もう少し家で看ていたら「畳の上」で死ねました。早くに搬入先が決まれば病院のベッドで亡くなったのでしょう。89歳です。どういう対応するかとかどういう治療が必要だったかとかよりも、死ぬべき時だったんじゃないんですか。敢えて言葉にしますが、私は年齢こそが対応を決める最大要素と思っています。つまりこれほどに書き立てることじゃないという感想です。もちろん地域医療としては検討が必要でしょう、でもこの手の事件として十把一絡げに取り上げる、非難がましく書くのは気に入りません。妊婦や小児の事例と高齢者の事例、命の重さには違いがない!ですか?死ぬべき時には死ぬしかありません、それが畳の上であろうと救急車の中であろうと往来であろうと。医者不足が原因のように書いていますが、違います、偶々こういう場面であっただけです。彼の地の医療機関が、医療体制が不備であるような書き方は当たりません。
 福岡の飲酒三児死亡事件の結審前に両親が会見して、極刑を望むような発言しています。それはそれとして、写真には母親の腕の中に生後三ヶ月の赤ん坊。事故が去年の8月。この子は今年の9月に生まれたんだそうです。泣きくれあれだけ憔悴の呈を画面に映していた二人です。違和感です。
 岩国、対立候補選びは福田衆院議員に白羽の矢が立ちそうです、朝日は写真付きでもう決まったような書き方です。福田さん、先の衆院選に担がれて薄氷踏んでの勝利、最近は失礼ながら段々国会議員らしい話しぶりになってきたなと感心していたところでした、役が人を作る典型です。いかに人材が・・の事情にせよ、これだけこの人を振り回していいんでしょうかと、外野は思います。衆院選は自民党対民主党の色でした。今回の市長選は違います。さて福田さん、どう出ますか。
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真理

2007-12-28 08:42:48 | Weblog
パキスタン、女元首相が暗殺されました。対立する現大統領が白々しくもテロの所為だ、テロは許されないなんて言ってます。治安のレベル、国民単位での行動規範のレベル(宗教の相違、風習の相違、諸々民族文化の相違)などなど、日本と如何に違うかを論ずれば学者の数だけ専門家の数だけ項目が上がるのでしょうが、「不都合な奴は殺せ」が古今東西を問わぬ問題解決の有効手段である、今尚そうである事の証明でもあります。変質者やらおかしな奴に狙われて大きな損失でしかなかった例も多いでしょう(ジョンレノンのように)が、普通マスコミを騒がせるは政敵排除の場合です、古くは坂本龍馬、伊藤博文、二二六事件、JFK(阪神じゃなく、ケネディー)の例。論破する、選挙で勝つなどなど、敵を政治的に抹殺する正当な手続きはちゃんとありますが、向こうが優勢である場合、多勢に無勢である場合、指導者は手を汚しません、下っ端の鉄砲玉が言いくるめられて、俺がやらねば誰がやるんじゃい?!とヒートアップして爆発します、今回もきっとそうでしょう。暗殺は現代の法治国家では御法度です。個人的な仇討ちを許しては治安が担保されません。でもそれは法治国家での話です。パキスタンが法治国家かどうかは知りません、国民を覆う法律があれば法治国家というわけにはならぬでしょうから。私怨に根ざす個人的報復を法律で抑える、社会全体の安寧のために各人が我慢する必要を理解する、そういうコンセンサスが隅々に行き渡って初めて法治国家なんでしょう。でも、これが成熟爛熟すると今の日本のように加害者の人権なんて馬鹿言う奴が出てきて、法律の下での犯罪天国化するのです、誰かが喝破したように理想的な政治体制、統治体制などないのだ、現在の民主主義が最良であるはずもない、ただ他にそれに優る体制がないだけだなのです、だからこんな世界の常識から外れる地域がもちろん存在するわけです。曾野綾子が月刊誌で連載している如く、私達の極々常識が通用しない社会集団はいくらでもあるわけです。向こうから見ればこっちがまどろっこしいことに違いないのです。言うこと聞かないなら殺せ。とっても単純。そしてそういうところには子供がわんさか産まれていく。この辺りにきっと人の集団、社会の真実があるんだと思うわけです。どこが正しい間違いというレベルではない真理です。そう思います。
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落としどころ

2007-12-27 08:42:20 | Weblog
いかにそういう契約だからとは言え、いかにチームの象徴としてとは言え、松中の五億はどうですかねぇ。清原の一億よりもタチ悪いような。上原四億、阿部二億、中日岩瀬は四億数千万を蹴って、他のチームの主力も軒並み文字通り百万ドルプレーヤーです。マネーゲーム。夢なんて表現されますけれど、所詮は札束の多寡で引き留めるか引っこ抜かれるかのせめぎです。興ざめです。確実に気が退いていきます。
 岩国市長辞職です。職を賭しての(彼は首を賭けてと言ったそうですが)大勝負、と言いたいところですが、彼の地ではもう何回目ですかね。市議会には国からの圧力が十分に浸透しているし、かといって市長も頑固。もっともこういう風に「ねじれ」ている方が世論としては健全なのかもしれません、市長には井原さんが適当と思う人が多かった、議会としては利益誘導型を選んだ。こういう結末は当初から予想されていたことではあるのでしょう。日経がうまく書いてます、米軍再編をめぐる度胸試しのチキンレースは市長がアクセル踏み込んだ、と。議会が市長不信任案を出すか、市長が辞表出すかのチキンレース。次の律速要因は、容認派がどれだけのタマを市長選に擁立できるか、でしょうね。もはや公約の争点のの問題じゃありません。井原さんに勝てるタマがいるのか否か、です。
 沖縄集団自決問題にかかる教科書記載文言紛争、軍の強制は証明できないが、軍の関与はあったかも知れないという、真まん中に落ちました。朝日は「沖縄の声届いたか」読売は「沖縄ひとまず安ど」日経は「沖縄県80点の評価」と見出しを打ちます。沖縄県知事もインタビューに答えてこんなもんだろうという趣旨の発言でした。印象は、みんな飽きている、でした。早く落としてくれという思いがみえみえです。こんなことなんでしょうね、例の「11万人」集会をやった末が、変わったか変わらなかったのか分からないような微調整です。騒擾のための騒擾。何だったんだ?この手合いには困ったことです。
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原理原則

2007-12-26 08:43:49 | Weblog
広島市長が原爆症認定基準を、「原因確率」に依拠したものと言うそうです、排除の論理と表現批判しています(中国新聞)。多分に、肝炎訴訟に倣って一斉救済にしたらどうかといった含みでしょう。理屈言うようですが、基準というものはそもそも適応不適応を振り分けるもの、つまり適応外を排除するためのものです。個人個人の影響反応はまちまちです、だから大きく振り分ける必要があるのです、当時の専門家達が考えて決めた基準です、政治家も賛同して。そこをこう言います、被爆者救済という人道的見地から一日も早い見直しを考えるべきだと。そうですね、終戦当時は多くの人を振り分ける必要がありましたが、現在なれば最年少で62歳です。一斉救済ができる時期なのかも知れません。でも、それでは今までの政策との整合性が・・です。原理原則主義者とすれば、こういう考え方は気に入りません。国がやらぬなら市がやろうと言うならいざ知らず、そんな気もないのです、全ては国が悪いんです。こういう態度も気に入りません。
 肝炎訴訟、とうとう首相が頭下げました。一斉救済だけでは足りぬ、行政責任を明記してくれねば薬害の根は絶えないという大上段の構えに、屈した形です。現在の政治模様を勘案すれば、これを突っぱねる手はないとの判断なのでしょう。これぞ典型的な政治決着です。彼女たちは、世論を背にして勝ち取ったという評価をするのでしょうか。くどいですが、あの薬で命長らえた事実に対してはどう解釈するのでしょうか、まるで悪魔の薬の如く、蛇蝎の如く忌み嫌っていますが。私達が好んで用いたのではない、使用したのは医者であって、それを許していたのが国なのだ、私達は被害を受けたのだと言い続けるのでしょうか。そういう危険を知らされていたら使用拒否した、とでも言いましょうか。それともそんな選択肢を提示されても素人に判断などできない、だから専門家の責任は大きいのだ、という理屈になるのでしょうか。薬害の根を断つ、という意味では、朝刊の隣の記事、十代患者へのタミフル使用禁止継続、が大切です。根拠がないのに、と強調されてます。証拠のうんぬんよりも、危険な薬はまず止める。それが大切ですね。ですからこのタミフル禁止令の継続は日本にしては珍しいケースです。証拠が揃うまでダラダラと使い続けて犠牲者も出続けるというのが今までの恒例でしたから。今次の肝炎事例と同等ですか?タミフルの方は飛び降りて死んでしまうんです。肝炎事例は命助かっているんです。同等ですか?違いますよね。でもここではごった煮です。いかがですか。
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気の毒

2007-12-25 08:43:47 | Weblog
今年もあと一週間です。年々歳々時間の経つのを早く感じるようになり、一年があっという間に過ぎていきます。五十歳の区切りの年ではあったのですが去年やその前と何も変わらず予定通り終わりそうです。やらねばならぬ事はやらねばなりません。それは一日のうち大半を費やす事柄(仕事です)についての満足具合に反映されましょう。そしてこれも間違いのないこと、本業(生業、収入主源)をおろそかにして余暇の遊びのは存在しません。そう思ってやってきたつもりなのですが何年経ってもこちらは足踏みです、突き抜けられぬと言うか、十年一日の如しです。それでいいのでしょう、そう思いましょう、なのですが、でもやはりこれという新しい目が見えれば見えたで嬉しいことなのですが。と、あれこれ思いながらまた年が暮れていくわけでございまして、なんて「ちりとてちん」見ながら思っています。
 小学生のサッカーチーム乗せたマイクロバスのドアが開いて子供が落ちて後続の車にひかれて死亡、運転手が自動車運転過失致死の罪に問われるそうです。運転手というのはきっと誰かの父親です。このマイクロバスもあるいはこの人のものなのかも知れません。世のスポ少(スポーツ少年団)の隆盛は歯止めに利かぬ事になっていますが、その昔私の娘がその一員であった頃、父兄(保護者)の関与のそれは大きいことにびっくりしたことがあります。それはよりエスカレートしこそすれ、縮小していることなどないでしょう。親がゲームについていくことは当然、おそらく何やかにやで支出を強いられる、それは時間を提供する場合もあり直接に金銭のこともあり、物心共々の寄与が強いられる、それは子供のためだからといいんだと正当化される、もちろん自分の子もそこにいるのですからあれこれ批判もできぬことでしょう、新聞によく載るように監督への贈賄なんてのも公然たる秘密になる、フィクサーのような監督もどこかにはいる。では私は何と比較するのか、何十年も前の、自分が運動クラブにいた頃の遠征風景です、バスなんてそんなことあり得ず(硬式野球部は別です)当然に電車移動。ボールの何のの運搬は下級生の役目。別になんの不自由もなかったですから、スポ少の door to door の遠征風景に強い違和感でした。しかも親が土曜日曜を潰して駆り出されるのです、指導者達がそれを当然のとこと考えていることにも違和感でしたね。今回の運転手していた父親、本当に災難です。可哀想に思います。指導者達に咎めが及ぶのでしょうか。と言っても、指導者達もきっと無給のボランティアでしょうからね。誰のためにやってるんだ?気の毒です。ただこの一言です。
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病気

2007-12-24 11:57:51 | Weblog
昨日はクリスマスロックンロールパーティーつつがなく盛会裡に終えることができました。有難うございました。10回目を数えて、多くの皆様の前で演奏してとても幸せな時間でありました、ひとえに皆様のお陰と心より感謝しております。明年も宜しくお願いいたします。
 肝炎訴訟、首相の決定という最後の手段がありました。官房長官やら担当厚労相の対応と違ってもいいのですね、彼らに指示しているのは閣議でありひいては首相でしょうにね。ひっくり返す。簡単なものです。政権維持のために、選挙のために。苦渋の選択ですか、いつものフレーズ。原告の女たちが一様に笑顔であるのが無邪気でいいと言うか。他の公害訴訟との整合性は保たれるのでしょうかね。原爆症認定基準が此の期に及んで変更されるご時世ですから、いいんでしょうね。被爆地から何キロ以内でどうのこうの。もちろん昔の申告に沿ってのことでしょうから、今さら思い出す忘れたの事ではないにせよ、当時どこにいたかが基準です、もう60年余前のことです。なれば今現在の懸案事項、どう変更されてもいいという理屈にはなります。裁判所の面目も立つのでしょう、和解勧告に従ったわけですから。ただ裁判所の提示した内容とは異なる形になったわけです、せっかくそこにあの二人が依拠していたのに。簡単にひっくり返して。これぞ政治決着。右のものを左に。白を黒に。原理原則を崩していくと、誰も言うことを聞かなくなります。誰も秩序を信じなくなります、従わなくなります。いいんですかねこれで。
 今日の毎日新聞に予防医学と銘打っての特集、未病の話が載っています。未だ病気でない状態。これを未病と称して、このうちに治しておけ、病気に進まない様にっていう理屈です。ここではこういう定義です「発病してから対処したのでは間に合わないものも多く、発病前の段階で病気の芽を摘み取る」のが未病医学。生活習慣病や心の病、アレルギー疾患などがそうだそうです。前振りには「現代社会は、まさにストレス社会といっても言い過ぎでは」ないそうです。漢方医があれこれ古典の蘊蓄を垂れていますが、要は「病気」の範囲を拡げたいわけです。発病して初めて病気です。発病前は病気の状態ではないですな、つまり健康。いや、またここで定義の問題です、健康とは何ぞや?健康という言葉は使いますまい、別の話になりますから。発病前とは病気ではない状態。何だか、雨の降る日は天気が悪い式の言い換えです。つまんないこと。未病の状態で異変に気づいて病気を防げということです。理屈を言えば全ての物事には因果があって、病的な状態に陥る前にはそれなりにサインがあるのでしょうし、メカニズム的に直接の因果が証明されているものも多いです、それはそうですが、人のそれぞれの持つ個人差(ある事象に対する反応の個人差、それはおそらく遺伝子情報の差に置き換えられることなんでしょう、内因と呼びます)に根ざすものに対して、つまり現代医学の解析技術がまだ届かない分野に対して(それは即ち神秘、不可知の領域、であるから個人差という曖昧に投げ込むわけですが)、それをいいことにしての如くこういう概念を持ちだして、それが中国漢方医学においては古来の概念であったとしても、不安を更に煽るはいかがなものかという気持ちです。病気になる前にその芽を摘め、なんてのは十分に理解の届くことで、人はそれを予防という日常平易な一般概念に置き換えて「その通り」となる、それを見込んでのビジネスなんでしょうが、つまりは病気になる前も、病気の一つだからちゃんと治療しなさいと言うわけです。しんどい思いをする前に、病気になってからと比べればかかる金も少なくて済むからなんて、かかるかかからないか全く不確かでしかない病気への漠たる不安心配をネタにした大騙しです。中国の古典の意義云々は別にしてです。こうやってまことしやかに古典を語って、人の不安を煽ってモノを売らんかなの態度は気に入りません。健康マニア相手に留まらないから影響が大きいと思うのです。噛みつきました、いかがでしょうか。
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政治決着

2007-12-23 10:16:09 | Weblog
当地お天気回復しました。いよいよ当日です。幕が上がるまでのあれやこれや、最初のカウントを入れる時の緊張、これから何時間か楽しませてもらいます。用意は十分にしてきました、これから万端の準備を整えます。ご来場ご予定の方々、乞うご期待!
 政治決着というのはつまり、右にも左にも動かなくなった交渉事において、具体的には司法の判断が原告の要求と大きくかけ離れている場合や世論の感情(こう書くとこんなものが本当に存在するが如き印象ですが、これもあくまで便宜的表現です。単に、ええ?そうじゃないだろう!という感覚感情です)と食い違う場合に、国には責任はないんですがあなた方のご苦労に対して対応いたしますという慰謝金、補償金を支払うことです。公害訴訟に多く例がある交渉手法です。水俣病で象徴される公害被害は、原因物質を排除処分する手立てを行なうことなく生活用水に向けて排液廃棄し続けた企業責任、それを許した(規制しなかった)国の責任が問われ、被害者の実態、身体的障害だけでなく強烈な社会的差別を余儀なくされた人生が公表報道されるに付け世論は大きく原告側に傾きます、「世論感情」は原告救済を要求します。しかし司法は当時の法律や社会事情を勘案しますもちろんです、今の社会常識で昔を測るは大きな間違いです、そして国に責任はない、企業には原因物質廃棄の事実を持って損害賠償を命ずる、廃棄行為そのものには刑事責任を問わない、人の体を不具にした廉(過失傷害でしょうか)は認めない、と来ます(間違っていたらごめんなさい、判決文を確認したのではないです)。自分に都合のいい判決を国が盾にしないはずもないことで、お気持ちは重々理解するが司法判断に従う、なんて言っていればいいのです。それでもやはり世論感情を無視できません、この人達は選挙が何より大事です、近々に選挙控えていようものなら早々に金で決着します。交渉事なんです、そしてどこで妥協するのか。それらしく言えばどこで落とすか、落としどころを捜す。出産時の使用薬剤を機にした今次の肝炎訴訟も全く同じ図柄になっています。司法の和解勧告に、国の和解案に原告が応じない、という決裂状態です。元の体に返してくれ、発症前のあの元気溌剌だった自分に返してくれ、失われた時間を返してくれという訴えに変わってきます。あれだけTVに露出するのも、それはマスコミの意志でもあるのでしょうが、世論形成が目的でしょう。しかし外堀は埋まってます。いつもと違うとすれば、政府与党が失着続きであること、次の衆院選挙があるいはすぐにでもあるかもしれないという事情です。原告弁護士もここに突破口を見ているのでしょうね。さて国が大きく折れるような事態になりましょうか。そうなれば今までの公害訴訟決着との整合性が問題になりましょう、ついこの前にはもう60年以上前の原爆症認定基準が見直されたことです。さて裁判所、どうしますか。政府はいかが。
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オタク

2007-12-22 08:42:24 | Weblog
クリスマスロックンロールパーティー明日に迫りました。前日というのはあれこれ気が急いて、あれはこうでこれは大丈夫かなんて、でも必ず二つ三つ抜けるんです、当日慌てるのが常です。でも、こうやって期日が迫ってくる気分は悪くありません。昔から思っています、歌唄い出すまでが楽しいんだ、唄い始めたら後は終わるだけだからと。一声出すまで。唄い始める瞬間に醍醐が凝縮されているのです。出番が迫る、ドキドキする、あの緊張感です。そして第一声、第一音に最高のものを出す。これは聞いてくれる人達への礼儀。何だか精神論みたいになってますが、何度か重ねていって気づいたことです。そしてそれもこれも多くの皆さんに聞いてもらえてきたからこそです。改めて感謝いたします。有難うございます。明日もどうぞ多くのお運びをお待ちしております。
 閣僚の間で流行っているUFO談義、いいかげんにしろです。北朝鮮が、中国が攻めてきたらどうするか、あるいは朝鮮や中国から大量に難民が押し寄せてきたらどうするか、なんて具体的且つ急ぎの議論ならともかく、ゴジラがやってきたときにどの法律で自衛隊を動かすか、なんてオタクそのまんまの顔で防衛大臣真顔で話す。聞いてる記者は笑うしかないの図。あなたがUFO信じてるかどうかなんてどうでもいいこと、そんなことをプレスに向かって公的に話すなよ官房長官。馬鹿馬鹿しいこと。もっと大事なことちゃんと進めろよ。UFOが来たら?ええ!?本当にいたのか・・でいいじゃないですか。ゴジラが来たら?逃げ回るだけでしょうに。映画みたいにあんな町中でドンパチできませんよ。しかし防衛大臣、あの顔はそうとうに濃いオタクですね。怖いタイプ、危ないタイプ。そう思われませんか。
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