柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

懐古

2008-05-21 08:42:00 | Weblog
野球解説者の豊田が西鉄のユニフォームを着てご満悦です。西武がファンサービスの一環で福岡ドームでの試合で着るんだそうです。当の豊田が不平を鳴らしていたことですが、西武は前身球団と一線を画し球団史も西武のものしか取り上げない方針を採ってきました。つまり前身球団の歴史が全く公式の場から消えてしまっていたのです。その前身球団が西鉄ライオンズです(その後クラウンライターやら太平洋クラブやら変遷の後に西武に買収されたのです)。先に稲尾が亡くなりました。野茂やイチローを見いだした仰木監督も亡くなりました。当時の西鉄の主力はこの豊田と中西が残るくらいですか。新聞は書きます、58年の日本シリーズは伝説の3連敗4連勝のドラマ、当時は西鉄の黄金時代だったって。58年とは昭和33年です。あの長嶋がルーキーの時です。今では考えられぬことですがエースが何連投も平気でする時代です、稲尾も4連投くらいしたんでしょう、先発完投の次の日にリリーフしてその次の試合にまた先発する。そうやって巨人を倒して、日本シリーズ3連覇した西鉄です。福岡の球団です。豊田のお喜びもさもありなんですが、写真に映る彼の顔、なんとも爺さん。次はこの人でしょうか。西武の心変わりの意図は?どうして急にこんなこと言いだしたんでしょうか。堤さんが失脚して何年も経ちます。確かにここ数年戦績の低迷は続いていますが・・この試合見てみたいと思いました。
 野球の話もう一題。朝日新聞に江川と定岡の甲子園を巡る対談が載っています。レベルは江川の方がうんと上でしたが、人気は定岡でしたか。江川は優勝できませんでした、押し出し四球でサヨナラ負けした試合のことを出して、それまでは自分だけでやっていたけれどあの時に初めてバックのみんなと一緒にやってると感じた、解放されたと言います。ふうむ、こういう話に普通は感動して、こんな怪物でもやはりそう思うんだぁなんて感激する、感動をありがとう!なんて言うんでしょうが、へそ曲がりはちと違います。ああ、こうやって気持ちを逃がすんだ、勝負に賭けて、とにかく勝たねばならない、その一点に賭けてやってきていたはずなのに、それが叶わぬとわかると人は楽な方に逃げるわけだと再確認するわけです。勝たねばならぬ!!と気合いを入れることと、みんなで一緒にやってきたんだ幸せなことだなんて「解放」されることと、全く別次元のことですよね。それは勝負を諦めたって事で、それはそれがスポーツの精華だ、そう感じることこそがスポーツ続けてきたことの意味なのだなんて高野連の空言、勝ち負けだけがスポーツじゃないんだっていう大精神論に身を翻したということですよね。こう言っておけば拍手を貰えますから。江川が言うかなぁ、です。定岡レベルが言うのなら笑っておけばいいですから。松坂は負けなかったですからこういう悲劇性を帯びません。本当に強かったのは松坂だってことです。こういう話の好きな国民性にも負うことでしょうけれど。天の邪鬼に過ぎましょうか。
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