柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

不安

2008-05-22 08:39:28 | Weblog
豊田さん、今朝の日経のコラムにそのまま書いてます。余程嬉しかったんですね。50年も前の話です。こうも手放しに喜ばれると却って穿ってしまいますね。西武の意図や奈辺に?
 これも昨日書きました江川定岡対談への野次。些か舌足らずでしたし、またああいう書き方すると不愉快な思いになられる方もいらっしゃいましたでしょう、スポーツで人格形成するのだなんて信じておられる向きには。言いたかったのはこうです、凡人では経験できぬ場面(甲子園)であれだけ世間の耳目を集めた才能でしか味わえぬ感覚なのだ、厳しい練習の末の燃焼感、その後に続く優しいいたわりの心、周りを思い遣る人格的に一段上の感覚だなんて解説もできるのでしょうし、普通は「ああ、こういう心境が尊いことなのよね」なんて納得して拍手すればいいんでしょうが、江川にしろ定岡にしろワンマンでやってきて、一人脚光を浴び続けてきて、勝てばお前のお陰だと褒めそやされて舞い上がって過ごしてきて(17.8の男です。女ならいざ知らず、頭のてっぺん方つま先までガキです)、いざ負ける時にはその責任を背負い切れぬわけです、そこでああいうセリフになるんでしょう、みんなに支えられてここまで来れたんだとか一人じゃないんだとか。今さら何~に言ってんの?それは負けてしまったことをごまかしている、視線すり替えて言い訳して俺だけの所為じゃないよね?って賛同を求めているだけです。勝ったら全て自分の手柄にするくせに。ということを言いたかったのです。仲間意識を否定するのではありませんし、こんな華やかな場を経験せずとも昔の仲間は悪くないもんです、それは別の問題です。こういうセリフやら精神論を無条件に礼賛するマスコミの偽善が鼻につくわけです。
 日本政府が派遣した国際緊急援助隊の医療チーム(正式にはこう呼ぶんでしょうね、さすがに国際救助隊ではなく)が中国の現場で足止め立ち往生してます。中国側は設備の整った病院で手術をしてくれと言う、こっちは現場で応急処置をする気で来ている。ああ、こりゃぁ動けないはず。手術できる医者が行ってないんでしょうに。小児科医とか中には開業医まで含まれているそうです。骨折の手術?整形外科医が何人いるの?きっと内科じゃ外科じゃの応急処置好きの医者ばかりでしょう、スペシャリストが多くいるはずがないですよ。いや嫌味を言うわけじゃありませんが、ボランティア好きは相応の傾向がありますから、トリアージ(重症順に番号札つけて治療順を決めること)やらなにやら一刻を争う(ような、そう思い込んで舞い上がって)場面での救急処置ばかりを頭に入れて気負い込んでいる人達です、病院で手術してくださいなんて、そんなの聞いてねぇ~でしょう。メラメラ燃える正義感と使命感、これでもかと針振り切れてる気負いがガッタン肩すかしです。団長、口調は物静かですがやる気なくなってるのがありありです。到着したはいいけれど丸一日何もせずに足止めですって。お気の毒。かたやで、瓦礫の山に立ち向かった援助隊が帰国してます。中国の留学生達のあの偽善は何?全くこいつらもポリシーがありそうでノンポリですか。チベットはどうなったんだよ?!聖火隊守るあの喧嘩腰はどこ行った?しかし驚きますね、TVでも度々放映されました、運び出した遺体に総勢で黙祷を捧げてる場面(あれ見ながらなにも全員でやらなくてもいいんじゃないの?その間に次の救助に行きなさいよって思いましたけれど)、あれが妙に中国12億人民に受けているそうです。あの二人が一番敬意を払われた遺体だって。日本人は良い奴かも知れないということでしょう。何?どんなイメージなの?反日キャンペーンというのはきっととんでもないんでしょうね。大きな刀持ってきて鼻削いだり腕切り落としたり腹かっさばいたりしてきたのはあんた達だって言うの。人命を軽んじてきたのはあんた達の四千年の歴史なんだって。また間抜けに町村が言います、中国人達もわかってくれるだろうって。なんともはやここまでお人好しが過ぎていれば、政府要人までがこんな腰抜けでは(いつもの論です、腰抜けを要職に就けている私達の責任でもあります)どこまでもなめられる筈ですわ。政治的な事々ではない、食糧危機、エネルギー危機が迫っている、本当に開戦前夜のような環境になっている現状をあの人達はちゃんと認識しているんでしょうか。とっても不安です。
コメント
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