柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

悪態

2009-11-30 08:20:33 | Weblog
昨日は相撲とボクシングでしたか。坂の上の雲、あれだけNHK宣伝してましたが、放映時間がそっくりボクシングと被ってました、どちらが食われたのかは知りませんが。まず大相撲。白鵬強い。年間86勝なんてのもすごいこと、同じ横綱相手に千秋楽本割で6連勝したのも史上初らしいです。ということはあの大鵬にしても柏戸に負けていた(負けてたんですけれど)、千代の富士も北の湖も、憎たらしいほど強い時代でも大乃国やら旭冨士、輪島に負けていたんですね、と改めて記憶がねじ巻かれます。それでも3回しか優勝してないというのもこれ不思議で、後の三回とも優勝決定戦で負けてるというこれまた珍記録の部類なんでしょうね。で、昨日の取り組み、朝青龍があれでも初めは組み付いていい体勢でしたよね、今までならあそこでひきつけて力任せに投げつけた(先場所のように)ところなんでしょうが、今場所はそうはいかない、白鵬に体勢作られてしっかり組まれて万事休す、じりじり寄っていく、このまま寄りきるのかと見てましたが、いや白鵬左でぶん投げました、朝青龍をひっくり返しました。あれ見て思いました、完全に主役が代わったと。武士の情けというか、先輩の顔立ててというか、土俵割るまで寄っていけばいいものをぶん投げる。ここに白鵬の意地、意気、気持ちを見たような気がしました。俺の時代だ!という宣言です。迫力感じました。
 そしてボクシング。因縁の一戦ではあったのですが、亀田兄は冷静でしたね、マスコミの挑発にも乗らず。下馬評は内藤よりだったんでしょうが、やはりこの兄貴はクレバーでしたか。新聞にこの文字が躍ります。悪たれで売り出した頃にも、兄貴はどこか違ってましたね、汚い言葉使ってはいるけれどわざとそうしている感じがわかりました。今回も勝った後のリング上でのインタビューに、こう言わんといかんにゃろとばかりに、オヤジ、どんなもんじゃい?!と悪態ついてましたが、あれは実は有難うと言いたかったんでしょう、それが明らかにわかりましたね。クレバー。そうですね、この兄貴は頭がいい。一方でセコンドについてた二人の弟、これらは掛け値なしのアホですわ。出てくる言葉そのままの頭の持ち主。でも、いい試合でしたか。内藤、鼻があれだけ腫れるはきっと骨が折れてるんでしょうね。負けるときは惨めなことですが、潮時だったんでしょう。さて亀田兄、ヒールからベビーフェイスに変わりましょうか。これも楽しみではありますが。
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実家

2009-11-29 09:48:50 | Weblog
鳩山さんの不正資金問題、母親から9億円という記事です。この前は一億円じゃなかったかしらなんて、庶民にはどちらでもいいような大きな額で。でも当の首相しれっとして平気ですね。ああそんな額でしたか、なんて。検察に任せているの一点張り。土建屋からの献金じゃないですからね、育ちの違いがモロに出てますか。母親から(実家から)回ってきている金なら、喩えが極端かもしれませんが大学生の子への仕送りと変わらないんじゃないんですかね、あるいは子の創業に資金提供するとか。母親からの入金だと偽装しているのならそれはいけませんが、あくまで実家からの入金(資金提供)であるのなら、そこまで目くじら立てることではないと思います。死んでしまっていない人からの献金が続いていた、なんてのは単純に手続きの問題で、その人が生きていた時から実家からどんどん注入されていたということで、只それだけのことで、それが金持ちさん達の暮らしなんです、過ごし方なんです。そういうことじゃないんですかねぇ。9億?!と目を白黒させて怒りを沸き立たせるのは持ってない者の単純な嫉妬心であって、持ってる人には「それ貸しといてよ」ですからね。ああ、考えればこの人レベルの生来の金持ちさんに国の舵取りを任せるのもいいことかもしれません。いつか本で読んだことがあります、貧乏人に権力与えるとルサンチマン(報復)しかしないから厄介だと。これは皆さん思い当たることありませんか。言葉悪いですが、たたき上げて成り上がった人にありがちな獣臭、血の臭い、生臭さが前面に出てきたときの息苦しさ。田中角栄に日本中が喝采したのは国民一人ひとりが下克上を疑似体験できたからでしょう。日本人には誰にも勧善懲悪の心根が宿っています、水戸黄門的展開を好む性癖があります、自分と同じ高さで生きていた人の出世を喝采するのですが、悲しいかな、分不相応の出世は喝采した人達を苦しめます。金で成功した人は金で足を掬われる。金で苦労した人に大金が舞い落ちると横着傲慢になる。これらはすべてお里の問題、育ちの問題なのです。日本中にいる凡百な政治屋たち、あなたの近くにいる市議町議県議を思い浮かべて見られればいい、金に汚いのは金を持ったことがなかった連中でしょう?性格ですか、いいえ、それを育ちの如何だと定義してます。若い時に叩かれ叩かれしてのし上がった者はやはり他人を叩きます、それしか知らないんですから。金に苦労して嫌な思いを続けて来た者は、他人にもそういう思いをさせます、理由は簡単です自分がそうだったんですから。その逆も真です。金のことを考えたこともなく潤沢に使ってきた人(鳩山さんやら、おそらく麻生さんも)には、仕返しなんて概念が元々ないのです。だからあれだけ鳩山さんはシレっとしているんだろうなと推測するのです。あれこれ言い訳しないでしょう。何ちゃら水がどうのこうのとじたばたした挙句に自裁した大臣とは心の造りが違うんです。うちにあったから使った。それだけですから何ともないんでしょう。だから金持ちはいやよねぇ、ですか。いいえ、私はその逆です、こういう人に政治任せるのが金権からの脱却への一番の道と思います。そう思いますがね。違いますか。
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新聞

2009-11-28 08:11:17 | Weblog
新聞の色は社説、コラムやら取り上げる話題、その切り方などがまずは判断基準になりますが、素人がいくら吟味しても違いがわからぬことが多いわけです。尤も、何紙も読むほうが「おかしい」のであって、ふつうは一家に一紙です。なれば色もクソもないわけで、こんな区別自体・・という話なんですが、しかし違いますよ。今までそうでなかった方々、いちど全国紙(五大紙と呼ばれるもの)を読み比べられることお勧めします。五大紙を組み分けすると(昔からの定番ですが)、朝日・毎日・日経が左、産経が右、読売が右寄り、というものですが、朝日と毎日が違うこと言ったりすることもあるし、日経は朝日よりもっと激しい左思想を載せる時もありますが、そういった思想的なところではなく、採り上げる記事の色が違うのが日経でしょう。もちろん経済新聞ですから、株式のページが多いです、経済関連の記事が満載です、でも医療関係(薬害など)の記事が一番早いのもこの日経です。朝日毎日はいわゆる全国版日刊紙の手本となるべくの自負と気負いと長年の歴史が紙面を作らせるのでしょう、いわゆる標準的な採り上げ方です。私のような田舎住まいの素人がコントロール(標準)にするのはやはりこの二紙です。そしてがらりと違うのが産経です。ごく最近に山口県にも日配再開されるようになって涙の連絡線状態(三日遅れの便り~)から解放されたと報告しましたが、採り上げる記事が違う、切り方が違う。これはいちいち説明しにくいので是非ご一読願いたいのですが、例えばここ何日か事業仕分けが脚光を浴びていますが、この産経だけは一面トップに民主党トップ達の資金不正疑惑を採り上げます。そして今朝の記事で笑ったのは(これが書きたい本点ですが)公開仕分けの場にあのロックンロールの親分内田裕也が聴きに行ってたという写真付きのものです。あの白髪長髪、グラサン、指輪のブレスレットの両手にジャラジャラの出で立ち、杖(ステッキ?)持ってるのも笑えましたがあの私達が見慣れた「雄姿」です。記事には、ロックの代表として聴きに来た、小さい予算を叩きすぎ、あら捜しに過ぎる、れんほうちゃんは言いすぎ、だと。いいですねぇ。こういう記事を載せるのが面白いでしょう?大臣が鳩山さんが見に来てた、よりもこっちの方が面白いですよね。保守論壇の支えともなる新聞ですからその意気や良しなのです。左へ左へと草木もなびく風潮にぐさりと楔を打ってくれている印象です。もう一つ読売は、憲法問題やらであらら産経寄りねと思わせたら、次にはうんと左寄りの主張したり、一定しないのが印象です。あくまでこれは私の印象ですからあしからず。昔は読売が好きでした。何故かと今考えれば、うちにはそれしかなかったことと、巨人の新聞ですからスポーツ欄が充実していたこと、これでした。何~んだ。どうぞ一度読み比べを。お勧めします。
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意識

2009-11-27 08:09:39 | Weblog
民主党の顔三人、小沢、鳩山、菅さん方揃って金の問題で躓いてます。金が要るんですね、それは理解するし、つまりはどうやって集めるかの手腕、才能の話だというのも肯きますが、どいつもこいつも同じというわけです。役人誰がなっても同じで、集金にはそれぞれ工夫するわけですな。小沢さんはまさしく自民党方式、田中方式。仕事回して欲しかったら金よこせ、でぐいぐい押す。鳩山さんは大資産家の実家を背景に集金、新聞によると実の母親から一億円とありますが、別にいいんじゃないんです?他人からむしり取ったんじゃない、もちろん母親が自らの意思でかどうかは知りませんが、自分の実家から金貰っても別にいじゃないですか。ねぇ。菅さんは後援会の入会金がああのこうの。処理手続き不備の問題だそうですが、この辺りであればあるほどちゃんとできぬかなぁと思いますね。いい加減な処理していればやがてきっと誰かに突っ込まれるが政治家の宿命でしょうに、ましてや昔から有名な人だったのに。脇が甘い。言ってしまえばそれだけなんでしょうが、どうしてちゃんとできぬかなぁ、です。でも新聞があれだけ書き立ててくれているのに、パンダよろしく目の周り真っ黒にした谷垣さん何してるの?事業仕分けの大パフォーマンスに完全に食われてます。敵さんのトップ三人が雁首揃えて躓きかけてるのに、何もできずにいます。自分達はこれで何人も大臣の首切ってきたというのに情けないことです。
 熊本のこうのとりのゆりかご、赤ちゃんポストで有名になった病院が2年数ヶ月の利用状況を公表しています。全部で51人だったそうです。多いですか、そうでもないですか。50人はやはり多いですね。こういうシステム自体が倫理上問題ありと当初反対も多かったこと覚えていますが、その理由が公表されてます、戸籍に入れたくない、生活困窮、不倫、未婚、世間体、養育拒否の順だったそうです。こうなると先に反対した人たちが「ほれごらん」と鼻の穴膨らましそうです。もともとの院長の高邁な精神は生活困窮や虐待から子供達を守ってやろうだったわけです。親の身勝手さが浮き彫りにされた形です。でも、確かにこの50人は命を守られたのです。国のやっている児童相談所なるものの不備不十分さは、どこまで役所仕事するんだ?と呆れるほどのものです、だからこういう人(院長)に出てきて欲しいのですが、こちらにこそ国が行政が十分に補助すべきでしょうにね。でもでも、仮に行政が乗り出すと平気でなんの恥じの意識もなく親としての意識の微塵もなく連れてくるバカ親も増えるんでしょうが。ううむ。でも続けて欲しい。この病院、ここの院長にはそう思うことです。
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課題

2009-11-26 08:20:34 | Weblog
ずらりとノーベル賞受賞学者が並んで、仕分けに異議申し立てです。こういう時に喋るとしたら、野依さんか江崎さんなんでしょうが、その野依さん吠えてます、あのスーパーコンピューター予算削減について、その削る理由(二番じゃいけないのか、アメリカや中国から買ってはいけないのかというれんほう女史のあの台詞に対してです)について噛み付きます。あなた方は歴史法廷に立つ覚悟があるのか、と。この台詞、よく中曽根さんが言ってましたね、政治家は歴史によって裁かれる、後世の歴史家によって裁かれると。あの時ああ言って後塵を拝して、そのまま二流国に成り下がったという結末の責任を取れるのか。お怒りは尤もです。この人たちは人が見向きもしない(金にならない)研究を続けて業績を上げてきたのです、基礎科学あればこその文明の進歩なのだと身を持って知っている人たちです、相当に重みのある言葉と思います。さて、ここから先は枝野、れんほう二人の責任ではなく、仙石、菅さんの判断なんでしょうが、どう対応しましょうか。こっちを削る(国立大学への補助も削るなんていってます)よりも、もっと先に潰すところがありましょうに。天下り先は(何とか公団、公社の類)整理できたんですか?
 長野の根津医師(産科学会に逆らうことで有名な人です)が、また代理出産を敢行、53歳の実母が娘夫婦の子を孕んで産んだという話です。実の親子であれば、経過中の事故やら出産後のトラブルやらも事無く済むのでしょうが、だからと言って・・というのが学会の意見ですね。安全性やら倫理上の問題やらを振りかざすのですが、これだけ上手くいけば安全性というのもさして障碍になりませんか。倫理の問題は事実を積み重ねればやがて消えていきますから。50代の女性は十分に出産に耐えるという証明ですか。これも新しい知見に違いないことです。でも、この技術が昂じて、姉の卵子と夫の精子とで受精卵を作りそれを生着させ出産するといった、普通に考えれば夫と姉の不倫じゃないかなんて下世話な外野の違和感もきっと拭わねば一般には根付かないでしょうね。ここがこの医者の課題ですか。技術は先行します。気持ちが後を追います。このタイムラグです。
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異動

2009-11-25 08:15:02 | Weblog
ローカルな話題ですみません。阪神藤本がヤクルトに出ます。ううむ。今岡が馘首になり、田中周太がやめ、今度は藤本が出て行きます。藤本は鳥谷が入って割を食った選手で、はじかれました、関本とのポジション争いだったのですが、さらに新井が来てもうひとり名前忘れましたが二塁手が来て、非力さが器用さを凌駕して出番が減っての挙句のトレードでした。もちろん向こう(ヤクルト)には向こうの事情があります、名手宮本の衰え。今年はプレーオフに出られたことだし、ここで戦力補強せねばなりませんからね。この藤本、なかなかにエエ男で渋い感じの選手でしたが、関本ももう一人の二塁手もそんなに化けて伸びたわけじゃないんですが、いかんせん地味でしたか。古いところでは巨人の原(中畑がサード追われました)広島の野村(ショートの高橋が出されました)そしてこの鳥谷、鳴り物入りで入団して球団が育てようと決めたスター選手とポジション被ると悲劇であるわけです。そして、阪神の落日。星野で久しぶりに優勝した時のメンツが次々にいなくなります。もう矢野も出番がなくなりますでしょうしね。真弓さん、あなたは阪神(の匂い)を潰しに来たのか?なんてこと言ったらこっちが潰されましょうか。
 仕分け劇です。昨日れんほうさんを蓮航と書きましたが、航ではなくて、舟偏のつくりは亢ではなくて「方」でした、訂正します。ODAにも手が入っていきます。次は外務省です。なるほど、これが「聖域なき」ってことですね。結構、どんどんやって(見せて)欲しいことです。が、なんだか洗いざらいに露出されるのも怖いような気もしますね。裁量内、というクッションがやはり要るのかなと、不思議なものでガンガン事が進んでいくと、まぁまぁちょっと待って、という気分にもなります。が、これまた面白いことで、問題が出ると仙石さんが答え、菅さんが答えるんですね。スーパーコンピューター(もうスパコンなんて略語化してますが)問題で明らかにされましたが、こういう手続きですよと示してくれる。なるほど。この仕分けというパフォーマンスは、自民党参院の幹事長でしたか、絵に描いた如き古だぬきが関西弁で言ってましたが、おもろいやないか、です。ガンガンやればいいと思います。そして国会議員数やら自分の給料(歳費って呼ぶんですよね)へもザックリ斬り込んでくれれば、もっと世の中の賛同を得られると思います。やってくれるんでしょうか、切れ者であることが証明されつつある枝野さんとれんほう女史。ここですよね、皆様。
 
 
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舞台

2009-11-24 08:19:22 | Weblog
昨日は当地は祭りでした。前々日に冷たい雨が降り天候が心配されたのでしたが、雲ひとつない放射冷却でとても寒い朝でしたが、日本晴れ、快晴、順次気温も上がって絶好の秋祭り日和、大勢の人出で賑わいました。昔からの祭りなのですが、どこの祭りもそうなのでしょうが回を重ねるたびにマンネリ化して人の熱意が消えていく、主催する方も見に出てくるほうも飽きてくる、そういう時期を何年もくぐって、当地の秋祭りはここ数年、大勢の人出を誇るものになりました。ひとえに主催者の「ねじ巻き」具合、熱意の結果です、ここは敬意を表するところです。行政の支援ももちろんあるのです、補助金が出ているのでしょうが、これまたいずこも同じ縮小縮小で、そういう意味では規模縮小を余儀なくされながらその中でのこの動員ですから立派なことと思うわけです。見ていると若い連中が多い。これも嬉しいことなんでしょうね。年寄りだけじゃぁああは賑わいませんし、つまり若い連中も面白がってくれているという現象。もっとも田舎のことです、他にこれといったイベントや施設があるわけでもないのです、こういう機会じゃないと友達連れ立って町に繰り出すなんてことがないですからね、そういう意味では連中もかわいそうなことなんですが。でもそれが田舎だということですからね、と開き直るはオヤジの証明ですか。柳井は昔からこうよ、なんて言い放っていたのでは何も変わらないのです、それもよくわかっていて。この人出、この賑わいを見ているとやはり嬉しくて、こうでなけりゃと思うのも確かで。しかしだからといって何でもかでも変えていけばいいってもんじゃないし(今のところはそういうエネルギーに満ちた動きもないようで)、人は所詮は自分の来し方と比較するしかなくて、自分の記憶の中に選択されて残っている感情や経験と比較するばかりなのです、あまりに「無茶」やられると非難に回ります。つまり自分の頃と違いすぎると逆のスイッチが入るというわけです。これも勝手なことなんですが、人の思いってのはこんなことでしょう。隆盛は嬉しいんだけれど、ピタッと来ない感覚とでも言いましょうか。いや、こうやって歳をとるのです、段々に舞台から外れていくというわけです。これでいいのですね。秋の日差しはただまぶしいだけでしたから。
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前例

2009-11-23 07:34:12 | Weblog
ワールドカップ予選でのフランス・アンリ選手のハンド事件、何十年前のマラドーナ事件と同様に大問題になってますが、今度は克明にビデオに写ってますからごまかしようのないことです。これだけあちこちからビデオ撮影される時代です、解説者達が溜息混じりに吐く言葉、審判は大変だ、が真実味を帯びますが、次には必ずこう言って打ち消します、審判がダメと言ったらダメだと。今回についてもFIFAの親分は判定は変わらないと断じています。もちろんそうでないといけません。抗議で変わるのでは、特に後にビデオで確かめての糾弾に負けたのでは審判を守れません。これはこれで筋の通った話なんですが、実際に何台ものビデオで、試合を丸ごと、しかも高速度撮影された日には、審判もうかうか笛を吹けませんか。ビデオがなく、カメラマンの腕だけに決定的瞬間を頼っていた時代には、俺がルールブックだ!と吠えることもできたのですが(巨人の土井が死んだ時に新聞に載った写真が象徴します、阪急キャッチャー岡村の両足の間に足を伸ばしてホームベースにタッチしている写真、あれを二出川審判はセーフと言い、阪急の大抗議を退け、次の日の新聞で正しさが証明されたという代物)、今はそうはいきません。サッカーだけでなく、野球のホームランとファウルの判定やら空振りの判定、相撲の勝ち負け等々いまや審判(行司)受難時代です。でも、これも解説者の常套句ですが、その競技競技で流れがあって決まり事があって、結末というのはやはり人の目で判定されるようにできているのだというもの。そうですよね。特に相撲なんてのは流れで見るものです、堂々の寄りきりやら逆転のうっちゃりでも、中には先にちょっと足が出ているなんて事があるでしょうビデオで見れば(そのために勇み足なんて決まり手もあり、審判員が土俵を囲んでいるのですが)。でもいちいち言いませんやね。あれだけ仕切りの時に両手をちゃんとつけと言っても、朝青龍はチョンづきもいいところですしね。それが「流れ」です。その競技のしきたりです。そこを単純な時間的空間的解像度の向上により抉れるかどうかというのはおそらく別問題なのでしょう。そう、こういう問題が出る度に思い出すのは昔の(今もそうなのでしょうが)プロレスの牧歌的、前時代的予定調和「レフリーが見てない!!」で全て済んだあの流れです。タッグマッチであれは筋書きの一つでしたね、一人がボコボコにやられる(昔は大概は吉村道明でしたが)、ほうほうの態でやっと味方にタッチする、この野郎!と馬場が猪木が出てくる、すると敵さんの相方に気をとられていたレフリーが「タッチしてない」と交替を許さない、会場埋めている観客やTV桟敷の観客はみんなわかっている、それでもまたまた吉村道明は敵さんのコーナーに引きずられてボコボコにされる、そういうお定まりです。会場は興奮の坩堝です、ワーワー叫んでます。それが段々にショーアップされるんです、外人(ヒール)も心得たものでこっちがタッチしそうになるとわざと大きな身振りでリングに出てくる、あるいはコーナーロープを放して別のコーナーへ行ってワーワー叫ぶ。それに丁寧にレフリーが注意しに行く、その間にタッチしても認められない、というお決まり。思えば完全にショーでしたね。しかも水戸黄門と全く同じ流れ。悪代官にいたぶられた挙句に正義の味方が一刀両断する、あの爽快さ。吉村道明はふらふらになりながら回転えび固めでスリーカウントでしたが、あれで見ているものはみんな溜飲を下げたものです。そういう約束。流れ。どの競技にもあるわけです。いちいち目くじら立てなさんな、です。そういえば相撲の八百長騒ぎに対してもあるスポーツライターは、相撲とはそもそもそんなもんなんだからと言ってましたね。ガチンコこそが正しい、それ以外は嘘だ、汚い、不純だ、なんていう青臭さこそが幼稚だという考え方もこれはきっと「正しい」ことなのだと思うのです。審判が見てなければそれで終わり。それもその競技のうち。だから審判の目をごまかせなんて方策も生まれてくるのですが、それもその競技のうち。ですよね。
 昨日サンデープロジェクトで民主党の蓮航女史と枝野さんが出て、仕分けへの批判に答えてました。やはりあのスーパーコンピューターの予算削減に対するやり取りが批判の的らしく、特に女史の「世界二番ではいけないんですか」発言が物議を醸しているのですが、それについて抗弁釈明してました。私でさえ、二番でいいなんて言ってるから負けるんだと書きました、全国から轟々の非難だそうです。でも彼女は言いました、あの時にどんな説明が聞けるか、それを試したのだと。世界戦略の一つだというちゃんとした理由が聞ければあの時にあんな返事はしなかったと。なるほど。後出しじゃんけんは勝てるに違いないのです、後付けの理屈であるという点は減点対象ですが、でもこの理屈は通りますね。そこで説明した役人が馬鹿だったということでしょう。もちろんそんなところまで深読みする必要もないのですが、何故この事業が必要なのかが伝えられないわけです。折角初めて金の使い道が国民に公表されているんです、役人達も今こそ天下国家の方針を世に示す時だ、基礎科学の部分の重要性をアピールする時だと思わねばならないわけです。それを予算守るだけに汲々としている。菅さんが言ってます、ここでの仕分けが決定ではない、この後に政治が決定すると。ふむ、それはそれでいいですが、そうであれば結局同じ結果になるんじゃないかという危惧も生まれますね。官房機密費問題が物語ります。自由に使える金を隠して使う。公表する決まりがないのだから公表しない。誰が役人になっても同じなのです。そこは諦めもしますが、せっかく今新しいこと始めているんですから、天下り先をぶった斬って、要らぬ予算をぶっ潰す、せめてそこまではちゃんとおやりなさいな。そう願うことです。
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被害

2009-11-22 07:51:01 | Weblog
全国紙の四コマ漫画は多くの人に読まれています。今までも有名な連載漫画が多かったことです、フクちゃんやら加藤芳郎の絵やら。思わず吹き出したり、考えさせられたり。朝の一こま、であるわけですが、現在読売は植田まさしの「コボちゃん」、朝日はいしひさいちの「ののちゃん」、産経はほんわか漫画です「ひなちゃん」。私は漫画本を読まぬガキで、そのまま歳を重ねました、未だに漫画を読み続けるのが苦手です。ただしTV漫画はよく見てました、TVに映ったものなら少々のお相手はできます。が、うちの女房殿は濫読乱読の三乗くらいの読書量を誇る人、小説歴史書童話にとどまらず漫画本も相当のもの、ドラえもんを漫画本で出始めた頃から読んでいる(読破)人なので、この人の前ではこっちも法螺吹けない、はったりかませない、嘘言えないので少々緊張するわけですが。四コマ漫画です。これは日本独自の文化だとどこかで読んだ覚えがあります。起承転結なんて言ってしまえば陳腐なことですが、毎日の「アサッテ君」が極々標準的な、言葉悪くいえば捻りのない、ダジャレのオヤジギャグで普通に落とすものなので、いいコントラストです。植田まさし、いしいひさいちという当代きっての切れ味で伸してきた作家を使っているのは大正解で、まことこの二つは毎朝面白いのです。この二人はキャリアも十分です、前者はカリアゲ君、後者はタブチクンなどで一度はお読みになったことがありましょう。吹き出します。もっと正確に言えば、遅れておかしみが湧いてきます。さーっと読んでああなるほどねと理解して、そのあと笑いがついてくる。ののちゃんは関西弁ですから、あの独特のボケ台詞、つっこみ言葉がうまく効きます。各人頭の中で言葉に出しながら、そこで笑ってしまうわけです。自分なりに間(ま)を作って。一方でコボちゃんはそういう利点はないですが、ののちゃんに比べてさらっとした(濃くない、と言いましょうか)、それでいてすっとぼけ方は切れ味抜群で、吹きだし方はどちらも同じ、高レベルです。そのコボちゃんがお兄ちゃんになる、お母さんが妊娠したのですが、それに対して全国から大反響があったと、文芸春秋の巻頭コラムに植田まさしが寄稿してます。平和な国なんですねという皮肉もさることながら、全国紙の情報源としての重要性、有効性を知らしめる事でもありますか。いしいひさいち氏が連載休止だそうです、これも心配なことです。産経のひなちゃんはふにゃふにゃっとなるような、これでもかというほどの可愛い漫画です。こっちも捨てがたい。切れ味の対極のじわっと心が温まるようなほんわかさもいいものです。うむ。たかが漫画、されど漫画なのでしょうね。
 新型インフルエンザのワクチン禍の報告です。厚労省曰く、現時点では重大な懸念は示されていない、んだそうです。比較対象は従来の季節性インフルエンザワクチンの副作用です。新聞にある数字はこうです、重い副作用事例は医療従事者(最優先されましたね、というか実験台でもあったのですが)2.2万接種中6例、一般450万接種中68例だと。接種後の死亡例は全部で21例だったそうです。一方で昨年の季節性インフルエンザワクチンによる重い副作用例は4740万接種中121例だそうです。割合で言えば新型のワクチンの方が危ないということなんですが、言い訳はこうです、報告方式が異なり単純比較はできない(読売)。この数字で読むべきポイントは新型だけが特別じゃないということ、毎年毎年「重い副作用」を被る人が出ているという事実です。毎年毎年私達が普通に射っているワクチンで被害が出ているのです、この事実を知るべきです。たまたまにあなたに副作用が出ないだけの事です。安全性は事前に保障できないという事実、敷衍すれば、薬は体の中に入れて見なければどうなるかわからないという事実です。学者や厚労省が出してくるデータは公表されるように何千万人分の何人なんていう、一体誰のもの?という大きな数字だけです。4500万分の120かぁ、とぼんやり他人事に思っていることではないのです。あなたに起こらない保障はこれっぽっちもないのですから。あなたに副作用が起こる虞はあくまで50%です、起こらない可能性と同じだけ。薬は飲んでみないと、注射してみないとわからないのです、あなたに効くかどうかだけでなく、悪さするかどうかも。宝くじのような謂いになります、当たるかどうかはわからないけれど買わなければ当たらない、つまり効くかどうかは定かではないけれど飲まなければ効かないよ。いえそれだけでなく、悪さするかもしれないというおまけつきです。この事実を知っておかねばならぬのだと思います。新型インフルエンザだけが特別ではないのです。毎年毎年「季節性」インフルエンザで多くの人が亡くなっているのです。インフルエンザ脳症でなくなる子供が後を絶たないのです。マスコミが飽きちゃって報道しなくなっていただけです、毎年のことですからニュース性に乏しいですわね、狼少年物語です。で、申し訳程度にこういう大きな数字だけを公表して「安全性」を強調する。実は怖ろしさを示す事実であって、インフルエンザに限らず予防接種に反対する人たちの根拠になっているわけです。公衆衛生学的な考え方というのがあります、多数を守る為に少数の犠牲は致し方なしとするものです、ワクチンはまさにこの考え方に則っています。ワクチンを射つ人が多くなればその集団では感染蔓延が防がれようという考え方です。注射しない人に対しても利益になるという考え方です。でも現実に被害者が出る。その人への救済なり対応が不十分に過ぎるといかな少数とはいえ問題です。全体(国)を考えるか個人を重要視するか。こういう大きい話であると同時に、今回の新型ワクチン接種に係る不手際、優先順とやらによる大混乱という端々の具体的な話でもあるのです。死亡例も厚労省の言い訳は、基礎疾患による死亡である可能性が大きく一概にワクチンの所為とは言えないというものです、平たく言えばそんな命が危なくなっている人に接種の優先があったのかい?あれだけ子供に流行しているのに子供を後回しにするだけの優先度重要性があったのかい?という話になります。国とは何か。大事にすべきは何か。大きな話と具体的な施策とのギャップ。専門家の役目は知識を振り回すことではなく、従来の枠に固執する理屈を捏ねることではなく、どちらがいいかと迷うことをあやふやのままに置くのではなくこうだと示すことだと思うのです。今回の厚労省の専門家検討会なるものも、きっと御用学者ばかりを集めてのことなんだろうと思うのです。そう思ってしまうのです、金太郎飴よろしくいつもいつも同じ答えだからです。ううむ、専門家の役目の議論になりますか。そんな議論してる間に被害者はまた出てくるのですが。
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不安

2009-11-21 08:07:35 | Weblog
デフレスパイラルという言葉をよく聞きました。デフレーション、風船がしぼむという意味ですが、物価が安くなっていいじゃないかという表面的な「利点」は利幅利鞘が小さくなるということです、儲けが少なくなるということです、その商品製造運搬販売に関わる全ての業者、広くは業界全体に大影響です。これを称してスパイラルと喩えるのでしょう(なんて今更わかったように言わずとも皆様にはとうにご存知のことで)、らせん、渦巻きです、周りを巻き込んで落ちて行く様態ですか。先にダイハツのコスト削減方針の特集をTVで見て、ぞっとしました。ダイハツは軽自動車のトップメーカーですが、安くしなければ売れない、どこを削るか、人件費と原価しかないのですから、人員整理と下請け叩きしかないのです。下請工場の社長を写してました、部品の単価を26円から22円に落とせとの通知文を見ながら、これではいくらも利が出ないがそれでも仕事を貰わないと他にないからという窮地です。泣き笑いの表情が印象的でした。財布に金のない人が、給料少ない人がどうして「大量」消費できますか。そういう単純な図式なのですが、私如き凡才はこういう時にハタと気づくのです。特に最近はコンピューター周りの製品、コピー機とかプロジェクターとかプリンターとか本当に安いでしょう?へぇ、安くなったもんだのうと驚いて、これなら新しく買えるかななんてほくそ笑むのですが、よく考えれば、こんな安くで売ってどれだけ利益があるのかということ、中国やら他の人件費安いところで作ってくるんでしょうが、それならそれで日本人の財布には入っていかないこと、給料が上がる筈がないこと、となると安く売るしかないというスパイラルです。悪循環。金は天下の回り物なのですが、現状は金が日本の中で回ってないのですね、外国に流れて帰ってこない。国内で作って売ってという循環が断たれているのでしょう。こんなことが日本中で起こっているのです。そして何十何百の小さな町工場が潰れていったのです。リーマンショック以来麻生さんがあれこれ(じたばた)対応してましたがやはり落ちる所まで行くしかないという「誰がやっても同じ」結末になって、そこを何とかしようというのが、今国会で強行採決された借金モラトリアム法案であり、「無駄遣いをなくせ」仕分けなのですが、さあて、本質に届くのでしょうかね。デフレの本質。国内需要はどうなったの?見ものではあるのですが、不安な気持ちも段々に強くなってきますね。いかがですか。
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