家族を大事にしなさい、就中親を祖父母を敬いなさいという昔ながらの日本人精神の根幹、儒教思想に根差すとかあれこれ解説されますが、これをより身近に説明するに、あなたのお母さんがいなければあなたはこの世にはいない、あなたがそんなに邪険にしているお祖父さんがいなければあなたは存在しないのだよ、先祖の誰が欠けてもあなたはこの世に生れなかったのだよ、という謂いがありますね。私もよく聞かされましたが、確かにそうだけれども・・と若い頃から違和感を抱いてました。当時は違和感だけです、そういう押しつけに対するただの反抗だったのかもしれませんが、反論を持ち合わせませんでした。が、世の中そういう一方向だけで回ってないわけです、人の親になり孫が生まれると、子を為す時にそんなこと考えてないことに誰でも気づきます。自分もやがて先祖の一人に祀り上げられるわけですが、私がいなければもちろん孫達はいないという考え方は正しいのですが、この子達の存在が私の意思に沿っての事だったのか、こうなるべく子を為したのかと問われれば即答です、否。子が成人して、それぞれの所帯を持って子を儲けて、その時に、この世に生を受けた者としての、この社会に生きてきた者としての最低限の責任は果たせたなと、これは思いました、女房と話したことを覚えてます。ただそれは結果論です、遡っての感想です。こうなるべく子を為したのではないですね。男女が子を儲ける、そこに崇高な理想はないのです。少子化対策に年に何日か停電の日を作れとか夜を真っ暗闇にしろとか冗談めかして言いますね、これです。あなたがいなければ私はいない、けれどあなたには私を儲けようとした意図はなかったはず。こんな書き方すると身も蓋もないことではありますが、生まれてきた子を慈しみ育ててきただけ、その子がまた子を為しての連鎖。親や先祖を敬うという道徳に噛みつくのではありません。その理由づけへの違和感、そしてそうやって人は納得して社会秩序を作ってきたのだという「納得」です。夜中に爪切るな、夜中に口笛吹くな、枕をまたぐな等々の道徳訓と同等と気づくのです。今年最後に妙にヘビーな話ですみませんでした。
今年も暮れます。一年お付き合いいただき誠にありがとうございました。読んで下さる皆様がいてくださることだけが継続の源泉です。来年もよろしくご交誼賜りますようお願いいたします。
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