8月ジャーナリズムは戦争と平和話題です。今年は区切りの敗戦80年で各紙例年より紙幅を割いている印象です。満州朝鮮からの引き上げ時の悲劇(五木寛之氏の文書や談話が目立ちます)、千島樺太での惨劇、忘れてはならぬ風化させてはならぬという定型句も妙に声高です。石破さんが談話を出す出さぬで話題になってます。先の8月15日の戦没者慰霊式典の挨拶で何年ぶりかに首相として反省という文言を使ったと、そんなことが話題になるほど未だに日本ジャーナリズムは戦争アレルギーと言うか片言隻句に拘る言葉狩りに終始する情けなさですが、石破さんももちろんそれを知って敢えて使ってます。食傷ですねこういう予定調和は。などと言うと、それもこれも政府が国として公式に戦争の総括をしてないからだとオウム返し的に首を振りながらたしなめられて、それ以上の議論を許さず思考停止してきた80年です。その関連記事です。石破さんが談話を出すのは8月15日ではなくて9月2日だろうとの読みがあります。8月15日は日本がポツダム宣言を受け入れて戦争やめると天皇陛下が国民にラジオで通告した日であって、日本人が勝手に終戦(敗戦でもなくて)記念日としているだけだ、公式に戦争が終わったのはミズーリ艦上で連合国側と終戦調印した9月2日なのだという側面は昔から読み聞きしていましたが、軍事オタクで鳴らす石破さんがそれに拘っているのだろうとの推測です。あり得ることです十分に。で、これは初めて読みましたが、正式に戦争が終わったのは昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効をもってしてであるとの考えもあります(産経 8/13 正論)。7年間の占領期間(occupied Japan)はまだ戦時下なのだという考えですね。4月28日を国民の記念日としてもっと啓発せよという意見はよく読みます(4月29日の昭和天皇誕生日の前日であるところ連合国側の意図が仄見えるという説も)。7年間占領下にあったという史実を私たちは学校では習いませんでした、あなたもそうでしょう?8月15日に終戦して、国民は苦労して焼け野が原から復興を遂げその後世界の驚く経済発展を成し遂げました!というのが教科書の流れでしたよね。主権回復という国の国民の一大事をこれだけ無視してきた国(国民)ですから戦争の総括、つまり敗戦因を検証することなど誰もしなかったわけです。中国もロシアも9月2日を戦勝記念日と定めてます、それに迎合することは8月15日以降のソ連の満州千島樺太への侵攻を認めることになるという説も読むに、なんと日本は曖昧に過ぎてきたことなのかと呆れるのですが、それが敗戦国の悲しさと混乱だとこれにももちろん擁護論はあるわけです。私たちが受けてきた教育は正しいか間違いかというレベルの一つ前、事実を隠してたんですね。日本の8月の平和論には大きな欠陥がある、日本人の平和論はお花畑論とよく批判されますが、これを強烈に批判する論が載っています、是非ご一読あれ(産経 8/16 古森義久 日本の8月の平和論に欠陥)。
たった今NHKでトランプ・プーチンの共同会見の映像見ました。アラスカでの開催、日本でなら金屏風なのでしょうが後ろの衝立に PURSUING PEACE と大書きされてます。さよう、それを私たちも期待しているわけですが、この二人のタヌキはマイクの前では晒しませんでした。プーチンはアメリカとの関係の悪くないことを強調するばかり、トランプはトランプで最重要課題について合意できることだろうと言うばかりでした。つまりまだ端緒が開かれた段階というわけです、二人が一堂に会するという事実こそが目的だと。ゼレンスキーさんの感想を聞きたいですねぇ。今も尚爆撃は続いているのでしょうし。
知床羅臼での登山していた若い衆がクマに襲われて殺されたと報道です。で、その後まもなくにハンターが熊3頭を駆除したとも伝えられてます。うむ。市街地に出てくる、畑を荒らす、殺傷事件が起こる、これは行政として駆除に進まねばならぬことだと思いますが、今次は向こうのテリトリーに入り込んでの事件ですからねぇ。駆除された3頭のうち2頭は母熊についていた子熊だったと聞くと、可哀想に思いますね。勝手な感想ですか?住み分けると簡単に言いますけれど、ここですねぇ。
万博、なんとも不細工なことでしたねぇ。3万人が帰宅困難となって開放されたパビリオンで一夜を明かしたそうです。もっと対策できなかったんですかね。記事にはJR環状線を終日(つまり夜通し)運行させたとありますがそれが解決策にならなかったわけです。近くの駅が遠かった?最寄りの駅までとても歩ける距離じゃなかった?そこのところ知りません。外人客も多くいたでしょうから、それ思うにこういう時の対応のまずさは叱責されるべきでしょう。地下鉄が不通になるだけであれだけ影響が出るということは、代替アクセス路がなかった(役に立たなかった)ということです。大雨や災害じゃないんですから陸路(道路)をバスでどんどん運べばいいのにと思いますが、それもできなかったからあれだけ積み残したんですね。何故できなかったんでしょう。そういう造りにした、つまり設計段階での咎めになりますまいか。具体的な原因についてではなくて、こういう事態を想定してなかったのか?の咎め。主な輸送路が不全に陥った際の代替策。想定内想定外という思考停止方向ではなくてです。「行きはよいよい帰りは怖い」では世界に向けて日本のブランドが傷つきませんか。あれだけインバウンドインバウンドと叫んでおきながら、特に安全確実な交通網を世界に喧伝誇っているそのしりから、の態。TV観ている分にはこの事態に対しての責任者の弁は軽いと言うか他人事の感でしたね。すみませんでした~の調子。平身低頭ではなく。会場のトラブルじゃなかったからですかね。地下鉄のことまでは私共には‥の態。迷惑被った来場者にとっては同じことですけれどねぇ。折角の盆休みに田舎から楽しみに訪れていた人たちにはまことに災難でございました。
19.2秒。すっかり向こうのペースになってますね、伊東市の百条委員会。TV画像ではそこの切り取りだけですが(しかも聞こえにくい、テロップで読むだけです)、ネットではボロクソです。質問する側がヘタレだったそうです。市長の元々のキャラももちろんあるのですが、弁護士の思うように進んでいるんでしょう。委員会側(市議たちでしょう)もそれなりに準備はしてるはずですが、兵庫県知事のあれのデジャブ―です。押し切れない、崩せない。ま、こちらの期待しているようなドラマにはならぬにせよ、斬りつける方ももっと切っ先鋭く行かねばと思うことです。向こうはのらりくらりと逃げる作戦ですし、あの「チラ見せ」卒業証書が嘘だとバレるまで引っ張るしかないのですから。ちなみに19.2秒の根拠は、当時の会話の録音データだそうです。19秒あればチラ見せではないですか?向こうはそう言うておちょくってる(論点ずらしてる)んですから。
今次の九州(当県山口も)の大雨は高校野球にも影響を及ぼします。応援団が来られません。予定のルートを使えずに遠回りして時間をかけて。当県代表の高川学園、試合が始まってもブラスバンドが到着せず鳴り物なしの空席が目立つスタンドでした。選手たちにはそれほど影響はなかろうに‥とは思ってましたがドラマは起こるものです。試合途中にやっと到着して(それをカメラが追いかけてました)、彼らが急いで定位置に着いて応援を始めるに合わせて、高川が得点したのでした。TVで聴いている分にも音量の差は歴然でした。結果論ですけれど、そうかぁでした。他に九州のチームの登場が大雨の後が多くて、これも巡り合わせではありました。その後はいつもの灼熱の甲子園です。やはりコンディションのいい状態でやらせてやりたいですね、せっかくの舞台ですから。
新聞各紙は御巣鷹山話題一色の態です。8月ジャーナリズムの一つなのでしょうが、昨夜の報道1930でも改めて検証してました。そんなに?正直な感想です。この事故はボーイング社の修理不備が原因だったとされてますが、その他の因の航空機事故を今後防げるのかという建設的な内容ではありました。先のインドの事故や、当時流行語にもなった羽田沖の逆噴射事故のように操縦士の誤操作(わざとであれ偶々であれ)の問題をどうメカニックに防ぐかということです。非常時に対する備えに対してまでもコンピュータ制御する考えももちろんあるが、今度は誤作動の危険を排除できなくなると言うてました。本当の非常時かどうかを判断するのはやはり人間の経験と判断なのだということです。で、そこを外す(正常な判断できない)操縦士を事前に排除することもできないのだとの話でした。ヒューマンエラーをコンピュータAIが抑えられるかの方向でしたが、その逆はどうなのかです。誤作動を人間が止められるか。夜中に非常ベルが鳴ったり、火災報知機が誤作動して水浸しなんてのはまだ笑い話で済みますが、先の横浜の花火火災のように一旦走り出すと途中で止められないことも多いのでしょうし。技術はどんどん進みデジタル制御は精緻になっていくのでしょうが、正月の羽田の自衛隊機の誤進入しての着陸機との衝突事故のような勘違い事故はヒトが操縦する限りはなくならないことでしょう。あれは管制塔の混雑さ具合が問題にされてましたが、あれも職人技の一つで、そういう属人能力頼りのオペレーションをなくさねばならぬのだとの方向です。40年を記念して、の意義はあることなのでしょう。
新聞もTVも今年は妙に日航機の墜落事故報道が多いことで、40年というキリだからとは知りつつ、やはりメディアこぞっての「今更」感は否めません。思い出したようにこの事故の陰謀論(自衛隊がどうの、米軍がボーイング社がどうの)が雑誌に載りますが、これも今更の感。犠牲者の中に坂本九が含まれていたこと、あの惨劇の中に生還者がいたこと、ほんの何十分前に突然の死をつきつけられてその場で書きつけた遺書(走り書き)の数々が現場で見つかっての記憶は今だに鮮明です。遺族の方々のその後の40年にマイクを向ける報道が各局同一色であればあるほど、同じ感情同じ慰霊の思いを強いるマニュアル的圧力を感じるのは天邪鬼の為せることでしょうか。
広島水谷の死亡記事です、中国新聞にしか載りません。カープの黄金期、山本浩二衣笠とクリーンナップを組んでいたスラッガーです。ずんぐりむっくりした大男でした。日本一になった1979年80年のラインナップを検索すると、高橋義彦やライトル、三村、木下と懐かしい名前が並んでます。あの時代のカープを象徴していたとも言える、高橋正田山崎と俊足3人のスイッチヒッターが123番に並ぶのはもう少し後、次代のスター候補小早川はもっと後に出てきます。これに北別府や池谷、山根、福士、津田、川口、長富と豪華な投手陣を備えていたのですから強いはずですわね。でも中国新聞にしか載りません。それで十分ではありますけれども。合掌。
広陵高校、大会途中に出場辞退という不細工です。大会が始まる直前だかに不祥事が明らかになってました。今年1月に部員間の暴力事件がありそれは高野連に報告して、公表する必要はない(その要件に当てはまらなかったそうです)、大会参加は問題ないとの処分を受けていたそうです。ここまではちゃんと手続きに沿っているように思いますが、事の起こりは暴力を受け転校余儀なくされた生徒の家族が大会直前にこの事実をSNSに投稿したことだそうです。記事によると、寮でカップ麺を食べたことをきっかけに複数の部員から暴行を受けたのだそうです(8/11 中国新聞)。事は些細な事なのですが、伝統校にありがちな昭和の掟が彼らを縛っているのです。一年生時にやられた無体理不尽を上級生になってやり返す単純な連鎖、それが伝統。私事ですが、我が母校も野球伝統校の一つでこの手の話題には事欠かぬのですが丁度昨日に同窓会があってその話になったことでした。私は野球部ではなかったのでその現場など知りませんが、当時から野球部は特別扱いでしたし、広陵においてもそれは同じことでしょう。で、それがネットに拡散されて、全国紙も採り上げて、集団暴力が湧きあがったそうです。昨日の校長の会見聴いてましたが、まさに匿名の有象無象からの集団暴力の態です。個人名が晒されて、一般生徒までが被害に遭っているそうです。全国的に有名な高校なればの辛さでもありましょう。で、校長はTVカメラの前で頭を下げている。何故?メディアも同じように集団暴力に加わっているとわかっていましょうかね。いえ、事の起こりを考えればそもそもは学校の対応がまずかったのでしょう、当人が転校しなければならなかったことに禍根が見えます。未だに相手は怒っているのでしょう、どうしてそんなにこじれた?記事通りであれば発端はカップ麺ですからねぇ。そうは思いますけれど、校長は一体誰に頭下げているんです?転校した相手?やんやと炎上させている姿の見えぬ輩たち?もちろん正義の味方たる世間様に対してであり、これで許してくださいと言うてるわけですが。子ども(選手)たちもわかってましょうよ、誰が殴ったのかもちろん皆知ってましょうし、例えばその当人が試合に出ていようものなら転校させられた側の不平もわかることではあります。で、それを見ての新聞(メディア)は広陵の出場辞退をよしとして予定調和するばかりです。どの紙も声を揃えて暴力はいけない、でもSNSでの誹謗中傷もいけない、だけです。バカ?それじゃぁ何も解決しないし、あんたたちも同類だぜ。本当に情けない思いがします。産経新聞にスポーツ評論家の玉木さんが寄せてますが、学校も高野連も主体性がない、教育機関として機能してないと手厳しいです、賛成します(産経 8/11)。世間様の予定調和に合わせるだけ。校長が頭を下げて事を済ませる。なんだか嫌なことです。
石破降ろしに対して朝日勢力左巻きさんたちが猛反発しています。国会(官邸)前のデモもそうでした、石破辞めるな!です。これを石破さんがどう見たのか。天の声だ、でしょうねぇ。俺は悪くないと気持ちを固めたのでしょう。まさかおちょくられてるとは思わぬにしろ、 less of two evils の一方だとわかってましょうかね。サンモニで朝日名物の高橋純子女史が吠えてました、自民党の権力争いを吐き捨てます。石破降ろしを先導しているのが裏金議員たち、自分達の悪行を棚に上げてあろうことか自分達の復権をも企んでいる、世の中の生活苦しい人たちのための政治をしろ!と最後は大上段です。ううむ、最後のくだりは左巻きさんの常套なのですが、言いたいのはそちらではなく。石破さんがなかなか辞めないのは彼女が言うように、お前たちに非難されることではない、ましてやお前たちの思い通りにはならぬとの意地でしょう、それは理解します。自民党が国民から愛想つかされたのは(選挙に負けたのは)俺の所為じゃないと本気で思っているんでしょう。でも外から見てると、選挙に負けたのはあの場面で石破さんを選んだ自民党の自爆行為が原因ですけれどね。そしてそれは最後に寝返った岸田(派)さんの所為。どの新聞も言うように高市嫌いが安倍さんが維持してきた岩盤層の離反を招いての結果です。本人がどう思っていようが石破さんが総理になったことでとどめを刺したのは間違いないです。自民党の歴史上未曽有の臨時総裁選挙ってのが行なわれるかどうか。本人が辞めると言わない限り、他にはこの選挙でしか降ろす手続きがないそうです党規上。野田さんがあんな風ですから(取って代わる大チャンスのはずですが)結局自民党内の争いになります。ま、勝手にやれよでしょうか。
長崎の記念行事は11時始まりですので、めったにTV中継を観ることはありません(広島のそれは毎年観てます)。何年か前に偶々日曜に当たって観て、広島と違うことに驚いたことではありました。歌を唄ったり、水を捧げる儀式があったり、ああ違うんじゃのうと感心したこと覚えてます。そしてこれも決まり台詞なのでしょうが、長崎を最後の被爆地にすべく核兵器の廃絶を訴えるというもの。広島が人類初の被爆地である一方で、長崎の場合はこうなります。世界史上二度しかない一般市民に対する核兵器使用のそれぞれの表現です。同じ事実でもどちら側から見るかで意味合いまでも違ってくるのはよくあることですが、同じような関心をしました。石破さんが戦後80年談話を出したがっている、だから首相の座をしがみついているのだという説のうちに、8月15日には出さずに9月2日に出したいのだろう、正式な敗戦日という拘りだろうとの解説がありまが、そうすると8月15日以降に、日本軍が武装解除した後に満州や北方領土を侵攻略奪したソ連の蛮行を認めることにもなるという捉え方です。そうかぁ。実はこういう観方を初めて読んだ気がして、まだまだじゃなぁと恥ずかしくも思ったことでした。モノの見方です。自分が、自分だけが正しいのではないのです。自戒でした。
It rains cats and dogs. 降れば大雨。中学の英語の授業で知ったフレーズですが、何のことやらピンとこなかったのも覚えてます。今次のあちこちの大雨の事を言うのですねぇ。干天が続き一雨来いよと願っているとこれかぁです。こんなに降れとは言うてないぞと。折からのコメ不足に対して減反から増産に舵を切り直して矢先のことです、新潟はじめわが国有数のコメどころで渇水状態が続き、新米が危ないと危惧されていた矢先です。で、この大雨。もう遅い、どころかいきなり水害です。漫才ネタの定型のような、間(あいだ)はないんかい?!のツッコミです。何日かに分けて降れよ、もっと適度に降ってくれよ。TVは気象庁はドヤ顔で(そんなつもりはないにせよ)線状降水帯の、最近こちらの予測が外れに外れてましたから今次は余計に強調しているのでしょうが、自分の命を守る行動せよのとまぁ大仰です。レベル5の緊急安全確保警告が出ていると。これでここの米作はアウトですね。そっちじゃなくて、でしょうが、あれこれが裏目に出ていく流れってこういうことですよね。