柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

放言

2009-05-31 09:16:43 | Weblog
5/28の産経新聞に、小泉改革の旗振り役、新自由主義の吹聴役だった、先日間違いでしたと懺悔本出した中谷巌氏が文章を寄せています。「共同体」崩壊が危機の本質だ、と見出しです。今の貧困の原因が昔と違って社会からの孤立を伴っているから性質が悪いんだ、昔はそうじゃなかったよ、温もりのある共同体社会だった、向こう三軒両隣はお互いに助け合って生活していたと回顧し、それが近年はアメリカ流の経営手法が取り入れられて成果主義が格差を広げ、このままでは日本社会はその本来の良さを失い、日本文明は荒廃に向かうだろうと締めます。ううむ、言いっ放し。楽なことでしょうね他人事みたいに回顧して。ここ何ヶ月の月刊誌や週刊誌には経済関連の論文が並びます、素人の私も専門誌を読んだりします、こういう時にはガチガチの学者の論文が役に立ちます。必ずレビューから始めてくれますから素人には有難いのです、ケインズがこう言ってフリードマンがどうで、シュンペーターがこう言って、古典派の、新古典派総合の、マネタリズムの、マクロのミクロのと、専門家同士の対談モノでは常識として説明なく使われている業界語を総論的になぞってくれますから。ハードカバーの分厚い専門書教科書なんか読む気にもなりませんが、実は本屋に平積みされている薄っぺらい経済関係の週刊誌や月刊誌の短い論文が一番まとまっていて素人には理解しやすいです、一度お読みになればいい。で、その手の論文の中で必ず皮肉の槍玉に上がるのがこの人の懺悔本、どこやらの国でも平気で転向した人が居るが、なんて書き方で触れられてます。先にここで私も書きました、週刊文春の対談コーナーでの発言が気に入らぬって。この産経新聞の寄稿文読んで、こんな陳腐な総論でごまかせるんだなぁ、いい精神構造してるなぁ、タフだなぁと思いました。構造改革の僚友(と本人方が思っているかどうかは知りませんが)だった竹中さんが皮肉っているということも書きましたが、後日その「原典」(週間エコノミスト5/19号)読みました「細かいところがわからなくなってくると、みんな思想と歴史の話をします」「それで政策を議論すると間違えます」とピシャリ。この新聞寄稿もまさにその通り、だからこうしろがないです。いわば私辺りでも、あるいは中学生辺りにでも書けそうな総論です。この人喋れば喋るほど地金が露になって痛々しいですね。もっとも、そういう現象はこの人に限ったことではないことですが。かたやで竹中さん、滔々と答えてます。次はこうすればいい、こういう対策が必要だと明確です。この人だけが、小泉改革が失敗だった!どうしてくれる?!という逆風に一人立ち向かっている図です。ご本尊は逃げるばかりですから。TVにも何度か出て、反対論客と丁々発止です。市場原理主義、新自由主義という括りで話すと、私のような素人にはそれこそ中谷さんが言うように日本文化に合わぬ制度であったのだ、日本人の資本主義には国の調整や規制が必要なのだなどという説が耳に入り易いのです。規制緩和して、弱いところへの支出を削りに削ってプライマリーバランスなるものの是正を優先させたことが今の社会混乱の原因と私は思っています(医療崩壊はここにしか原因はありません)ので、竹中さんバッシングも当然と思うのですが、この人は負けていません、次はこうしろ、ここをこうすればよくなるというビジョンを示せます。これはただの負けず嫌いではないと思います。屁理屈でも逃げ口上でもないですから。やはり変節はいけません。誰の説が正しいのか、それは歴史が教えてくれることなのですが、ということはいかに凛と立っていられるかという人品に関わる問題に変わっていくことでもあるのでしょう。評論家の気軽さ。学者の無責任さ。ここにも改めて気づかされることです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人権

2009-05-30 08:04:19 | Weblog
入門間もない子供をしごき殺した前の時津風部屋親方、懲役6年が出ました、執行猶予なしです。即控訴したそうですが、未だに兄弟子達に指示していないと言ってるそうです。そんなことが通るか?という常識ですがね。言った言わないの泥仕合ですか。あの兄弟子たちもああいう風にやられてきたんです。だから当然のこととしてやる。単純な話です。指示してない?その場に居ればそれで指示として十分です。やるなと言わぬ限り許可の意思表示です。具体的に言葉を発したかどうかじゃありません、そうやって動いている日常でしょうに。二言目には親方の言葉が絶対の世界、なんて表現されます、とんでもない旧態依然、因習固陋の世界という色づけです。丁稚制度徒弟制度の類、人権蹂躙の世界という区分けです。軍隊の話を本で読みます、何かあれば殴られる、連帯責任なんて理由で殴られる、理不尽な世界。二言目には上官に逆らうななんていう軍人勅諭を持ち出して殴る、挙句は天皇陛下がどうのこうので殴る。命令系統の徹底を図るなんてもっともらしい理由もあったんでしょう、戦場の第一線での行動を考えるにありがちなシミュレーションです。でもバカな上官にもてあそばれるは何とも屈辱で、やり場のない怒りにさぞや身をよじった人が多かっただろうと、想像するだけでも身の毛がよだつ気がします。でもそことこことを一緒にしていいですかね。新聞はこぞって協会の(親方達の)意識改革を迫ってます。年端の行かぬ若い子を連れてきて鍛えようという世界です。高校大学と相撲部で大きな顔して来た者達とは違います。中学出てすぐこの世界です。良いも悪いもないです、言うこと聞くしかないです。家に帰りたい、辞めたい、これがあるばかり、他に選択肢がないです。この子の親父さんも、こう言って来たときに帰って来いと言ってやればよかったと悔やんでいますが、でも普通は簡単にケツ割るんじゃない、辛抱しろ!と言いますよ。この子もそう思い直したに違いないんです。問題は度を越えたしごきにあるわけです、こういう社会もいいんじゃないですか。こういう「理不尽さ」を自分がやったこともされたこともない外野が非難しても・・です。この世界で成功した人たちが皆通ってきた道なんでしょう。高見山然り、他の外国人力士然り。初代若乃花は怪我は土俵の砂で治すなんて言ったそうです。こういう社会を頭から否定するのはどうかなと思います。人権ですか。人権が蹂躙されている、なんて部類ですか?修行の為に自由が制限されるのと人権問題とは全く別平面です。そこをみな一緒くたにする。個人の問題をすぐに制度の問題にする。平準化低俗化のマニュアルです。新聞各紙のどれも同じような物言いに違和感です。正義の味方ばっかりです。本当にそうかい?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

位置

2009-05-29 08:11:51 | Weblog
神戸市長が安心宣言出しました。WHOはまだ終息宣言出していません。と言うことは厚労省も、関連学会も、です。が、危険時期を過ぎたとの判断でしょう。判断基準はいくつかあって、限りなく零に近づかないと、あるいは水質汚染の基準のように実際の安全濃度のさらに1000分の1、あるいはもっと桁大きく小さい数値を要求する、いわゆる公衆衛生的、学者の言う安全域と、神戸市長が焦れて焦れてやっと出せた「早く観光に来てくれ!」基準とは違うのです。実際の危険は、市長の拠った基準で避けられる筈です。有馬温泉(ここが有名ですから)などの観光地が風評被害に対する保障せよと文句言いに行ったそうです。これもどうかなと思いますが、宣伝効果とあらばこれもありかなと。この市長のこの判断、英断でしょう。
 昨日昼、郷ひろみがNHKのトーク番組に出てました。あら、顔が変わってる。爺さんになったということなんでしょうが、不細工になってます、崩れてます。特に目元が。「いじった」んでしょうか。体の年齢が26歳と出たって喜んでましたが、そんなことは魅力でもなんでもないんですがね。いや、NHKの朝ドラに西条秀樹が出てます、こっちはいつもの顔です、変わらない顔、うまく歳をとった顔です。好対照です、そう思いました。途中「花道」を歩いていく場面があるんですが、これでもかとおばさんファンがやってきていてキャーキャーうるさいこと、でも当人不機嫌です、きっといつもの顔々なんでしょうね、追っかけ有閑オバチャン達。うんざりって顔でした。三十何年って言ってました、それほど長くキャーキャー言われてきた人です、こういう顔も理解できることですが、えらくあからさまでしたよ。この業界も長くやると色々なんでしょうね。
 「諸君!」が休刊になります、最終号は分厚く読み応えがありますが、小林秀雄を評するに、知の巨人などではない、巧みに巧んで正しい位置に心を置いた人なのだとうくだりがあって、深く感じ入ったのですが、知識を詰め込むだけではならぬということとまずは凡たる私は身構えるのです、で、産経新聞に西尾幹二が、今現在北朝鮮に対して日本やアメリカが処している経済制裁は、大東亜戦争前にABCDラインで日本が受けたそれに変わらないじゃないか、日本は侵略戦争したのではない自衛のために立ち上がったのだなんて理屈言うなら、そのまま北朝鮮に当てはまらないのか?と書いてます。おお。びくっとしました。私はいわゆる自虐史観に反する意見を持っています、つまりあの戦争は日本にも十分に理があることなのだという考えですが、こういう返しは考えたことなかったです。経済制裁は向こうの無体に対するものであって、こちらから仕掛けていることではないという理由からですが、西尾さんのような見方も確かにできます。順はどうであれ、窮鼠猫を噛む図には違いないようです。もう一つ、「新潮45」(最近この本、編集長が変わったからでしょう、うんと硬派になっていい本になりました)今月号に、バカの壁の養老孟司が寄稿してます。こちらも「目から鱗」系です。心を正しい位置に置く。右に寄った考えを元に、ニュートラルに戻す、そのきっかけになる文章に出会うとあっと思うわけです。そして本は読まねばならぬと痛感するわけです。是非ご一読下さい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感慨

2009-05-28 08:17:15 | Weblog
昨朝NHKニュースで突然「王シフト」の特集をしてました。野球に興味の無い方には何の話やらでしょう、昭和39年5月5日に広島が王選手に対して敷いた守備布陣のことです。当時王選手はホームラン量産している時期で、四打席連続本塁打なんて記録作ったすぐ後の試合だったそうです。時の広島の白石監督が王のバッティングフォームを崩してやれという意図で敷いた守備シフトだったとTVは昔の画像流しながら説明してくれます。普通は左右対称の守備体制をぐっとライト(右翼)方向に寄せるんです、ショート(この時の広島のショートはあの古葉)をセカンドベースよりも右側に寄せる、セカンド(当時は阿南元監督)は殆どファーストの後ろに、レフトは殆どセンター位置に、と移動させたのです。サード(左翼)側がガラガラ。普通ならそっちに流し打つわけです、こっちへどうぞって言ってくれてるんですから。そこが白石監督の狙いで、王がその気になってくれたらそれで良いわけです、ヒットならいくらでも打ってくれ、ついでにフォーム崩してくれたら儲けモノ。でも、王さんはインタビューで言います、もともと器用じゃないから流し打ちはできなかった、でも当時から思っていた、私がここでヒット打っても相手は何の怖さもないのだと。だからこんなシフト敷かれても今まで通りガンガン引っ張って打ったと。で、シーズン55本です。古葉さんやら阿南さんやらが当時の印象や感想を述べています、昭和39年とは東京オリンピックの年です、私が小学2年、この野球のシーンは記憶にありませんが、それはそれで面白かったですが、でもどうしてここで唐突に?と訝しかったです。何故に?
 もう一つ同じような感慨がベンチャーズ公演の広告記事です。ああ、また今年も来るんだ・・です。日本中回ってます、何年か前には来ました当地柳井にも。もちろん見に行きました。当時はまだドラムのメルテイラーがいました、ベースもボブボーグルでした、オリジナルメンバーが揃ってました(ノーキーエドワーズはいませんでしたが、準オリジナルのジェリーマギーがリードギターでした)。あの後ほどなくメルテイラーが死んで、今はベースのボブがいません。ドンウイルソンだけがやってます。でも、ベンチャーズなんでしょう。あの曲を演奏すればベンチャーズです。世の中にはワンサカあります、ベンチャーズのコピーバンドが。当地にも好きなおじさんが多くいます、私もそのうちの一人です。ベンチャーズのLPやCDいくつ持ってましょうか。ライブ版が多いのですが、でもダイヤモンドヘッドにしても急がば回れにしても十番街の殺人にしてもやはりオリジナル版、シングル発売された時のテイクが一番響きます。何故か。それを一番多く聞いているから、一番初めにガツンとやられた音だから、でしょうね。メンバーの写真も一緒に広告されてますが、ベースのおじさんの違和感たるや莫大です。ああ、時は過ぎていくのです。やがてドンさんも病に倒れて、オリジナルメンバーなしでのベンチャーズなんてことになるんでしょうね。でもそれでも客が入りそうな気がします、それだけあのテケテケテケは日本人の心に沁みこんでいますから。新聞広告見て思ったことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無恥

2009-05-27 14:31:32 | Weblog
週刊文春今週号の阿川佐和子のトークコーナー、あの経済学者の中谷巌氏が相手です。この人最近、私が間違ってました、私は新自由主義、市場至上主義を唱えて小泉改革を推進してきましたが間違いでしたと「懺悔本」を出した人です。普通に考えれば潔いなんて評価にもなろうかと思うのですが、いえ月刊誌や週刊誌、経済専門誌などでは叩かれているほうが多いような印象です。今更何~に言ってる?です。これだけ日本を壊しておいて(経済だけでなく文化や精神までも)何が懺悔だ?という論調です。この対談でも阿川さんは容赦なく突っ込んでます。突っ込まなけりゃ意味ないですからね。でも、このコーナーの見出しにもありますが、昔のことは忘れたいんだよ(笑)と平気で言ってる。顔を見ると十分に爺さんですが、1942年生まれ、昭和17年(戦中派)と!これ見てまたびっくり。分別盛りの言うことか?潔い修正、深甚なる懺悔などではなくて結果見ての転向、変節の類でしょう。この対談見ていると、99年当初からこの人が先頭に立ってアメリカ式の新自由主義、市場至上主義を振り回していたそうで(政府審議会の中心にいて)、竹中と組んで小泉を動かしたという図のようです。詳しくはこの対談読んで欲しいですが、腹が立ちました、悪かったという気持ちが見えませんから。いい歳したオヤジが忘れたいとか、もう言うなよとか言ってます。こういう公表され方(週刊誌記事)と知っての言動でしょうから、一般国民を愚弄しているとまで言えるんじゃないんでしょうかね。もとよりこの人の言い訳本なぞ読むつもりもないのです(興味がない)、返す刀で切られた形の竹中さんは、未だに新自由主義の孤塁を守っている形なのですが、この人を指して、頭が回らなくなると人は思想と歴史を語り始めるものだなんて皮肉ってます。この対談でも日本人はアメリカ人とは全く違う文化の中で育ち発展してきたんだなんてまるで人ごとのように言ってます。厚顔無恥とはこのことです。あれだけ日本の企業文化を馬鹿にしてきた男がです。さらに、自分は構造改革の旗振り役ををやらされた分、後に引けなかったんだなんてクソみたいな言い訳も匂わせます。これだけ壊れた企業モラルや企業文化をいったいどう見ているんでしょう。一億総中流社会を嫌い、競争至上主義を振り回して、モラルを叩き壊した罪はお前達にこそあるのに、一体どういう物言いだ?憤ります。これがホリエモン辺りが言い放つことなら「バカが・・」と受け流せもしましょうが、戦中生まれの爺さんが言うんですよ。恥を知らぬか、この男。びっくりして、こんな懺悔本読まなくて良かったと思ったことでした。是非週刊文春、お読み下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚悟

2009-05-26 08:07:14 | Weblog
福岡にも新型インフルエンザ症例が出たそうです、麻生知事が待ってましたとばかりにプレスを前に原稿読んでます、この人全国知事会の会長を何選もやってるんでしたね、橋下ばかりにいい格好させられないですから。アメリカ人が妻の里帰りについてきた例だそうです。こういうのを放っておくんですよね。いや水際作戦が全く機能しなかったことを受けて、「入り鉄砲」検査をなくしたんですから当然といえば当然ですが、コップの落ちるのをじっと見ていて落ちて割れたら大声でコップが落ちました、どうして割れたんでしょう?!と騒ぐ、安物のやらせ特撮番組みたいな顛末です。当地のような感染未確認地域では、発熱外来行きの判断基準は流行地へ行ったかどうかです未だに。それだけ不安を煽っておきながら、やってくるのにはストップかけられないんです。こういうのをマッチポンプって言うんじゃないんですか。修学旅行で象徴される不要不急じゃない、神戸大阪への出張滞在者は山といるのです、その人たちへの行動制限は経済停滞や社会機能維持の面からも適切とはいえないんでしょう、そこはわかりますが、それならそれで一般国民に対する情報の伝え方をもう少し工夫したらどうですかね。そこを突く、大学教授の寄稿が中国新聞にありました。これだけ日常生活上の制限を強要する(マスク装着要請に象徴される)ことの根源には、社会(マスコミ)が患者の治療よりも感染の防止に重きを置いていること、一人ひとりの健康安全ではなくて社会構成単位としての各個の保護の重要視している視点があるのだといいます。制限を加えるべきではないという反対意見の根拠にも社会機能を停止させない為という同じ平面上の論議が被さる。「いつからわれわれはこうした全体主義的論議に寛容になったのだろうか」と結んでいます。なるほど、全体主義か。こういうところでこの単語を見るとは思いませんでした。でも、新聞次のページでは、新型インフル備蓄食料調理のポイントなんて特集記事です。このコントラストには笑ってしまいました。巧まざる妙。この「非常時」がビジネスチャンスな業界があるわけです。不安を煽って欲しいと思ってる業界があるわけです。この雑多性です。個人の権利と社会の安全とどちらが優先されるのか。どちらも、ですもちろん。でも、平時と有事時とではおのずと天秤は傾きを変えましょうね。北朝鮮の核実験記事で埋め尽くされる紙面、片隅に押しやられての記事でしたが、各地で体制は整っているのでしょうが、全会一致などは端から望むべくもないこと、リーダーがどちらを選ぶかという決断なのです、そこはこちらも心して覚悟しておかねばならぬことだと思うことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高邁

2009-05-25 08:10:19 | Weblog
大阪の臨時休校処置解除です。こういう日常生活への制限圧迫がどれだけ不自由を来たすか、具体的に社会的経済的損失を招来するか、そしてどれだけ徹底されないか(言うこと聞いてくれる者ときっと同じだけ従わないのがいるんです)良くわかります。これも実験ですね。号令がどこまで届いて、どこまで人が従うか(量的にも質的にも)。大きく言えば非常時有事時のシミュレーション、別の切り口で言えば日本人の文明度民度の高低、社会構成員としての認識の程度。橋下知事もやりますよね、この処置はリーダーとして立派なことだったと思います。TVで授業再開の通知をするどこかの学校の教頭のコメントが流れてました、保護者は学業の遅れが一番心配だろうって。これ笑いますね、ゆとりがどうのこうので授業時間をどんどん減らしていったのはあなた方の親玉日教組の指示だったんでしょうに。高が一週間休んだところで学業の遅れですか。そりゃないでしょうに。何でも人の所為にして、自分たちは悪くないんですよね。こういう考え方をやめなさいっての。
 大相撲、日馬富士以外の大関たち、結局みんな勝ち越しましたよ、お前達は互助会か?9-6が一人、あと三人は皆8-7ですよ。最後の何日かは大関同士の取り組みが続きますからね、「注射」するのかどうかは知りませんが星のやり取りがきっとあるんですよ。千代大海なんてのが一番怪しいですがね。いえ、何の根拠もない推測です。
 新聞の片隅に熊本の赤ちゃんポストの記事です。ここの院長の発案で、わが子殺しの惨事が少しでも減ればという高邁な精神(どこかの政治家は非難してましたし、法律的のどうかの問題も完全にクリアできてるんでしょうか、マスコミが飽きちゃってぷっつり報道がなくなりましたから知りませんが)で始めた事業でしたが、昨年度一年間で24人収容したんだそうです。この赤ちゃんポスト、正式にはこうのとりのゆりかごという名がついてます。赤ちゃんポストってのも可愛いといえば可愛い命名ですが、しかし直截に過ぎるといえばそうですね。賛否両論があるに違いないのですが、私は是とします。ここの院長の思いに賛同します。国がやると児童相談所の如き機能不全でギシギシいう施設しかできません。ここは民間の滑らかさが要りましょう。そして願うらくは国が行政がこの温情を潰さぬことを、です。そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

順序

2009-05-24 13:48:27 | Weblog
今日は朝から色々行事があって昼に書いています。こういう時にいつも同じ事言ってますが、慣れというのはえらいものです、いつもと違うというだけで違和感に溢れます。それもこれも「いつも同じ」日常があればこその感想で、この感覚、西田哲学に通じることかしらとぼんやり思っています。位相が違いますか?
 韓国の前大統領が自殺したんだそうです。韓国の大統領は、辞めると途端に捕まって晒されるというイメージです、新聞には6代続いているとあります。今回はまだ捕まってはいないのですが、検察が入ってその手前の状況でした。あれは政権与党の報復なのですか。韓国は二大政党でしたよね、アメリカのように交互に政権を獲る。与野党逆転した時のセレモニーみたいになってるんでしょうか、それともどいつもこいつも懲りずに権力に任せた利殖に走る、わかっていながら前車の轍を踏み続けるのでしょうか。どちらにせよ「成熟」からは遠い事象です。日本人が偉そうに言えることではないのですが(政治家つうのはどこでも一緒、権力を利殖に使うばかりという括り)、それにしても判で押したような同じ顛末です。面白い、で済ませたらいいのでしょうが、彼の国の文化文明にまで敷衍できる事象なのでしょうか。それとも日本の世論なり検察なりが甘いのでしょうか。小沢さん引き摺り降ろすに検察は早かったですがね。権力から降りた者には甘いという国民性でしょうか、権力にあるものにこそ強いなんて言うのもすこし憚られますが。実際に田中角栄はアメリカの意図で足引っ張られました、他竹下さん、宇野さん(この人は女で)色違いでは細川さん、皆総理の座にいるときでした。彼の国は降りてからです。この差はやはり国民性、文化の違いでしょうね。
 毎日新聞に 救急医「違法宿直」5割 と大きな見出しで一面記事です。また何に噛み付いたのかと見れば、救急医が泊まり勤務するのは(おそらく労基法で定められた)「宿直」ではないのに、宿直扱いされている。つまり時間外手当など相応の待遇が為されていないということでした。論調はそれを裏返して、宿直業務の筈なのに睡眠も十分にとれない過酷な勤務をさせられている、という非難です。もうこの手の非難には慣れましたし、医者も一労働者であるという有難い判決やらマクドナルドやらの一般業種の見做し管理職問題から敷衍した医者の時間外手当問題にも勤務医側の有難い判決が出ています、ですからこういう論調になるは極めて順なのですが、そこで終わりです。記事は厚労省の関係課のコメント、労基法の趣旨から外れる勤務実態は違法の虞があり好ましくない、という一文で締めています。救急医にたっぷり金を落とせ、同時に医者のモチベーションを上げるような扱いをしなさい、とそこまで言いなさいな。救急医にもっともっと働いて欲しいんでしょう?削った医療費を元に戻せばいいんです。天下の悪法、新研修医制度を元に戻せばいいんです。社会のインフラストラクチャーの中で医療福祉の優先順位が如何に高いか、この5年でよくわかった筈です。竹中がかぶれて、小泉が狂信した新自由主義、市場至上主義が間違いだったと、一億総中流の安定期にあった国民生活を犠牲にして、日本人の固有文化を犠牲にして、壮大な実験の結果証明されました。社会主義共産主義が間違いだと証明されるまで60年かかりましたが、こちらはもっと早く破綻しました。社会の安定の為にはどこに金をかけるべきなのか。個人的な資質の劣化を咎める余りに制度自体を切って捨てたことの愚です。角を矯めて牛を殺した典型ですか。労働時間やら給料やらを盾に自分の要求(金は沢山くれ、休みも沢山くれ、仕事は少なくしろ、義務は要らない)ばかりを言い立てる心根の低い連中に世の中がレベルを合わせてくると、心意気高く職業意識高く仕事をしている高級な連中のモチベーションを必ず殺ぎます。きっとレーニン、スターリン時代のソ連、あるいは文化革命当時の中国がそうだったに違いないです、仕事できる高邁な連中をクズどもと同等扱いする、いやもっと下におく(文革がまさにそうでした)、そうすることによって自分の権力の維持を図る、権力増大を図る。そこには天下国家観などはないのです。よく指摘される世の中の低俗化平準化の実害です。格差を悪とみなす平等行為至上主義の実害です。格差は生ずるのです、個々の人間の能力にこれだけ歴然たる差があるのですから。そこを踏まえて、能力のある者は相当に社会に貢献せよとする文化を形成すればいいのです。多分に偽善とは思いますが、アメリカの大金持ち達の寄付行為慈善事業行為はその好例です。ノブレスオブリージュという言葉もよく使われます。高貴な者たちの義務。英語で書けば noble obligation、地位高く迎えられる者たちは見合うだけの社会貢献が必要だということです。医者に当てはめれば、お医者さんと社会的に高く認められている以上は、社会公器としてしっかり働けということです。一旦緩急あれば、つまり災害時や今回のような感染症が蔓延するような時には先頭に立って危険に身を投じろということです。ここはバランスなのです。どっちが先かの話でもないのです。ないのですが、低俗化平準化の現代です、医者も一労働者になってしまいましたから賃金闘争もする有給休暇もよこせと来る。金多くくれたら、休みちゃんとくれたら働くよって。そんなの医者じゃないでしょう?そんな働きじゃぁ困るでしょう?皆様。この流れが続けば、お前たちも一般労働者と変わらない扱い受けるんだから給料も人並みだという時代が来て、今度は医者へなり手がいなくなって・・の悪循環でしょう。私くらいの年代の医者は嘆いているのです、私達はもっと働いていましたから。文句言わずに、無茶苦茶な時間割で働いていましたから。睡眠時間?そんなこと考えたこともなければ、周りの誰も考えてなんかいません。そうやって無茶苦茶働くのが医者だったんですから。そういう順番です。それだけ働くから、他の業種の人から感心もされる、感謝もされる、すればこっちも「ああ、これ医者なんだなぁ」と我慢もできる。そういう順番です。今は順が逆です。ですから、医者としてしっかり働こうというモチベーションが湧かないんです、きっとそうですね。早く気がついて、医者は労働者じゃない、社会公器なんだ、だからわき目振らずに働きなさいと作り直すべきです。勤務時間が、宿直の定義が云々なんてやってる場合じゃないです。働かせたいならそういう環境に早く戻しなさい。マスコミも社会インフラを壊す方向にばかり向かないで、流れを止める、堂々たるキャンペーンを張ったらどうなんでしょうか。今や厚労省にも日本医師会にもその力はありません。産経さん、読売さん、どうかよろしくお願いできませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実

2009-05-23 08:11:23 | Weblog
柔軟に、地域に沿った対応を、なんて大臣言ってますが(そういうのを丸投げと言うのだとの非難もありましょう)地域はひたすらにお上の沙汰待ちなのです。地域とは自治体です。(都道府)県は厚労省待ち、郡市町村は県の指示待ち。指示がない、金がない(下りてこない)。下級行政はこればかり。つまり医者を働かせたいんですができれば無償(保障なく、給料なく)で、という目論見です。そうは行くかい!なのですが、しかしこの事態、医者が出ていく場面です、私たちもそれは重々わかっています。ならばもっと(平たく言えば)くすぐれよ。機嫌よく木に登らせろよ。そう思うのに、こっちにはそういう用意があるのに、法律はこうなってます、金は出せません、あなた方の保障はできません、どうかやって下さい、という一方通行です。神戸大阪の開業医達はどう説得されたのでしょう。医師会はどう受諾したのでしょう。書面上では法律上の縛りをできるだけ拡大解釈して対応に遅れのないようにしたいなんて通知が回ってきますが実態は頑として動きません。タミフルの備蓄なんて言ってますが、結局あれも例えば途上国への援護などには太っ腹に大量無料放出するくせに、国内へは買わせるらしいです。あの宇宙服のような防護服、インフルエンザ判定の簡易検査試料などなどへの金がないと言います。当地はまだ「待てる」状態です、つまり用意ができる状況です、そこがこんな現実です。やがて当地にも感染者が出ましょう、そこでまたまた大慌てです。用意のできないところに緊急対応ができましょうか?縦割りの弊害というのを実感することです。いや、それはいいです、要は対応です。臨機応変というのはその用意のないところにはできぬと知ることです。ううむ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常識

2009-05-22 08:17:16 | Weblog
皆様のお住まい地(自治体)では発熱外来とやらは機能しておりますか?と言うか、十分にあなたに情報が伝わっていますか。他人事で済めばそれでいいのですが、鄙の地にいる身には大阪神戸の第一線の混乱振りが全く分かりませんので手本にもできません。どうしてマスコミはここを伝えないんですかね。舛添さんは十分に頼もしいしちゃんと仕事していると思うのですが、この人の言葉よりももっと現場を見たいですよね。神戸大阪の発熱外来はどんな混乱振りなのか、そこの住民達の日常生活にどれだけ影響があるのか。医療機関、とくに町の開業医達はどう対応しているのか。厚労省の指示や、県や府の指示、各医師会の見解じゃなくて、現場の開業医がどうしているのか。どうしてそこを報道しないですかね。プライバシーですか?そんなことじゃ報道の意味がないと思うのですがね。それとも感染を恐れてのことでしょうか。それなら平凡に分かる気がするけれど、職業意識に欠ける謗りは免れませんか。舛添さんの話、昨昼たまたま参院の予算委員会見ました、そこで自見庄三郎(郵政選挙で自民党外されて今国民新党にいる大古株の九州選出の医者議員)が質問してました。が、答える舛添さんがスイスイ綺麗に返すもんだから、それでなくても口が回りにくいのに差して内容希薄、結局声荒げて恫喝調に喋るばかり。ああ、まさに old-fashion。こんな政治家達に牛耳られていたんですよ日本は。その意味では小泉さんにも一部の理でしたか。そう思ったことでした。
 新聞の片隅にこんな記事がありました。愛媛の高校、野球部部員が外野で玉拾いしていた時にボールが目に当たって視力が落ちたんだそうです。損害賠償訴訟起こされて、学校側が三千万支払うことで示談が成立しそうだと。簡裁での調停なんてありましたが、訴訟には違いないですね。野球部部員が練習中に、の事故です。こんな要求通るんですかね。普通はそう訝しく思いませんか?それともこれは当然の要求でしょうか。学校側も何度も謝りに行ったんでしょう、あれこれ示談条件を出したんでしょう、治療費を負担するとか色々。でも、それじゃぁ親が承知しなかったんですね。本人は19歳と出てます。本人より怒っているのは親でしょうねやはり。こんなことですか?何だか常識の線がわからなくなってきそうです。外歩いていた人に当たったんであれば文句言うのは理解できますが、野球部員ですよ、自分の不注意じゃないんですかね。裁判所の調停前に示談案を提示したのは学校らしいです。こんなもんですか。ほんとに、わからなくなってきました。私がおかしいんですかね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする